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淀川河口にやってきた鯨 と えべっさん

2023年1月9日、淀川河口で鯨が発見され、「よどちゃん」という愛称がつけられた。



残念ながら鯨は1月13日に死んでいるのが確認された。


1月9日、今宮戎神社は十日戎の宵戎だった。

十日戎は1月10日が本戎、11日 が残り戎である。



つまりよどちゃんは、宵戎の日に現れて、残り戎が終わって間もなく死んでしまったのである。
私はよどちゃんは、えべっさん(蛭子神のこと)の化身のようだなと思った。

その理由は十日戎が始まる日にあらわれて、残り戎の2日後に死んだというだけではない。
鯨のことを「エビス」という地方があるからだ。

https://ebisufan.com/news/ebisukujira.html/

↑ こちらの記事にも

「昔の人は「鯨」のことを「えびす」と呼んでいた」とあり、鯨を持ったり、鯨に乗ったエビス像の写真が掲載されている。


「寄り鯨の到来で七浦が潤う」(浅瀬に迷い込んだ鯨一頭で七つの漁村の暮らしが潤う)と言われており、魚業の神=鯨が身を挺して住民に恵みをもたらしたことを感謝し、鯨への信仰心が育ってきたそうです。その漁業神こそが「恵比寿様」のことであり、まさに、恵比寿様は鯨の化身として同一視されていたんです。


【震災追悼記事】「恵比寿」と「鯨」の意外な関係 より引用

よどちゃんは「エビス様」であり、「十日戎」にあわせるように淀川河口にあらわれたのだ。


報道によれば、今までにも大阪湾あたりに鯨が迷い込んできたことがあったといい、温暖化の影響で海水温があがったことが原因ではないかとしていた。

過去の日本には中世温暖期と呼ばれた時期があり、現在より2,3度気温が高かったとされる。
(「中世温暖期には現在よりも気温が高かったのであれば、現在温暖化を気にする日必要はないじゃないか」という人がいそうだが、現在、温暖化が危惧されているのは、その上昇率の高さによる。
2-02 700~2100年までの気温変動(観測と予測)

そのころは戎神社の総本社である西宮神社や、『日本最古の戎社』を称する大阪府堺市の石津太神社付近にも、時々鯨が迷い込んできていたのだろう。


 

↑ こちらの動画は千葉県浦安市の旅の記録である。

0:52あたりから稲荷神社境内にある大鯨の社の映像がでてくる。


稲荷神社のホームページには次のように記されている。


東京湾に鯨がいたということは現在では思いも及ばないことではあるが、水が澄み、自然環境が好く小魚が多く、鯨の餌が豊富だったのであろう。


河口から海へしばらく向かうと三枚洲(葛西沖)という好漁場があり、漁をしようといつものように日の出前に当代島の高梨源八、西脇清吉の両氏は船に立って漁場の三枚洲に近づいていくと、洲の上に大きな黒い大きな魚が暴れているのを見つけて近寄っていくと、うわさが絶えなかった大鯨が浅瀬の汐溜まりに取り残されている。


そこで両氏は驚きと興奮で体が硬直したものの気を取り直し、大格斗の末に大鯨を捕ることに成功し、意気揚々と当代島へと戻った。


両氏が帰還すると村中が知らせを聞いて大騒ぎとなり、老若男女がこぞって見物に来たそうです。


この大鯨は当時の価格で金弐百円もの高値で売れ、大金を手にした両氏はすっかり有名人になり、どこへ行っても英雄扱いされたそうです。両氏は大鯨捕獲劇のことで仕事も手につかなくなり、このことに終止符を打つために考えた末に年配者の知恵から稲荷神社に大鯨の碑を奉納し、祀ったとのことです。これが大鯨の碑建立の経緯であります。


稲荷神社について より引用

 

「【震災追悼記事】「恵比寿」と「鯨」の意外な関係」という記事、浦安・稲荷神社の大鯨の碑についての説明文
どちらを読んでも、鯨が古の人々に富をもたらす動物であったことがわかる。


そしてそれは、アイヌの熊送りに通じるところがある。


『蝦夷島奇観』村上島之允(秦檍麿)画を、平沢屏山が模写したもの(大英博物館蔵)の一部。イオマンテを描いたアイヌ絵


『蝦夷島奇観』村上島之允(秦檍麿)画を、平沢屏山が模写したもの(大英博物館蔵)の一部。イオマンテを描いたアイヌ絵


アイヌの熊送りは、神の化身である子熊を捕まえてきて飼育し、それを儀式の中で狩り、殺して食するというものである。

つまり犠牲になってわが身を与えて下さるもの(熊)が神であるという考え方である。

エビス信仰では、熊のかわりに鯨が神の化身であり、鯨はその身(肉)を人々に与えて下さるので尊いというわけだ。


実はエビスと呼ばれるのは鯨だけではない。
水死体のこともエビスといい、水死体があがると大漁になるなどといわれたそうである。


エビスはイザナギ・イザナミの長子として生まれたが、3歳になっても歩けなかったため、葦舟に乗せて流したとされる。

エビスは龍宮にたどりつき、海神に育てられたが、神の御子であるので陸上にもどされ、西宮神社で祀られるようになったという話を聞いたことがある。


足が悪くわずか3歳のエビスがたどり着いた龍宮とは死の国のことだろう。

そして地上に戻されたエビスとは水死体のことであったのかもしれない。

鯨は水死体の化身として信仰されていたということなのかもしれない。



大杉神社


千葉県鵜原理想郷 クジラの頭蓋骨を祀る大杉神社




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