翁の謎⑩ 百毫寺 萩 『志貴皇子暗殺説』
●萩の白花と紫花

自然石を積んだ長い石段が白毫寺の山門へと続く。
その石段に覆いかぶさるように、白と紫の萩の花が咲き乱れていた。
萩が風をうけてなびく様は、見ているだけでなぜか心が 切なくなってくる。
秋はなぜ人の心を感傷的にするのだろうか・・・。
萩は別名を鹿鳴草と言う。
前回の記事、翁の旅⑨ 東大寺 大仏殿 『鹿は謀反人を表している?』 の中で私は『トガノの鹿』の物語をご紹介した。
雄鹿が雌鹿に全身に霜が降る夢を見た、と言った。
雌鹿は夢占いをして、
『それはあなたが殺されることを意味しています。霜が降っていると思ったのは、あなたが殺されて塩が降られているのです。』
と答えた。
翌朝、雄鹿は雌鹿の占どおり、猟師に殺された。

鹿の夏毛には白い斑点があるが、その斑点を塩に見立てたのだと思う。
そして謀反の罪で殺された人は塩を振られることがあり、 鹿とは謀反人のことではないか、とする説がある。
それでは萩はなぜ別名を「鹿鳴草」というのだろうか。
萩の花には白と紫があるが、白い花のほうはまるで塩を振ったかのように見える。
萩の白い花は殺された雄鹿を表しているのだろう。
紫の花のほうは雌鹿をあらわしているのではないだろうか。
というのは次のような万葉歌があるからだ。
紫は ほのさすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢へる子や誰
(海石榴市の辻で逢った貴女は、何というお名前ですか。)
紫 の 匂える妹を憎くあらば ひと妻ゆえに 我恋めやも/大海人皇太子
(紫のように美しい貴女を憎く思えたならばどんなによかったでしょう。人妻であるのに私はこんなに貴女に恋焦がれています。)
これらの歌を鑑賞すると、紫とは男に出会った女がぽっと顔を染める様子を表す言葉であるように思える。

●高円の野辺の秋萩
本堂の奥の萩の茂みの中には歌碑が建てられていた。
高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
(高円山の野辺の秋萩は、むなしく咲いて散るのだろうか。見る人もなく。)
この歌は笠金村が志貴皇子の死を悼んで詠んだ晩歌である。
百毫寺は志貴皇子の邸宅跡と伝わっている。
そのためここに歌碑をたてたのだろう。
また笠金村は 次のような歌も詠んでいる。
御笠山 野辺行く道は こきだくも 繁く荒れたるか 久にあらなくに
(御笠山の野辺を行く道は、これほどにも草繁く荒れてしまったのか。皇子が亡くなって久しい時も経っていないのに。)
日本続記や類聚三代格によれば、志貴皇子は716年に薨去したとあるが、万葉集の詞書では志貴皇子の薨去年は715年となっている。
笠金村のはじめの挽歌から、志貴皇子が人知れず死んだことがイメージされる。
そして二番目の挽歌では『志貴皇子が死んだのはついこの間のことなのに、野辺道がこんなに荒れているのはなぜなのだ』といぶかっているように思える。
志貴皇子の子である白壁王は、女帝の称徳天皇が急死したのち、即位して光仁天皇となっている。
これは志貴皇子には正統な皇位継承権があったということではないか。
そして志貴皇子は715年に暗殺されて、その死が1年近く隠されていたのではないか、とする説がある。
いわばしる 垂水のうえの さわらびの 萌えいづる春に なりにけるかも
●志貴皇子を暗殺した人物とは
志貴皇子を暗殺したのは、元正天皇と舎人親王ではないかと私は考えている。
元正天皇が即位したのは715年である。
志貴皇子の薨去年が万葉集の詞書にあるように715年だったとしたら、志貴皇子の死はあまりに元正天皇にとってタイミングが良すぎる。
志貴皇子の死の原因を、周囲の人々はいぶかしく思うかもしれない。
そのため志貴皇子の死を隠していたのではないだろうか。

元正上皇と舎人親王が贈答しあった歌が、万葉集にある。
あしひきの 山行きしかば 山人の 我に得しめし 山つとぞこれ/元正上皇
(山道を歩いていたところ、たまたま逢った山人が、私にくれた山の土産であるぞ、これは。)
あしひきの 山に行きけむ 山人の 心も知らず 山人や誰/舎人親王
(陛下は山へ行かれて山人に土産をもらったとおっしゃるのですか。「山人」とは誰のことなのでしょうか。山人とは陛下のことではありませんか。)
私はこの歌は志貴皇子の次の歌に対応しているのではないか、と思う。
むささびは 木末(こぬれ)求むと あしひきの 山の猟師(さつを)に 逢ひにけるかも/志貴皇子
(むささびは梢へ飛び移ろうとして、山の猟師につかまってしまったよ。)
大伴坂上郎女という人が次のような歌を詠んでいる。
大夫(ますらを)の 高円山に 迫めたれば 里に下り来る 鼯鼠(むささび)ぞこれ/大伴坂上郎女
(勇士たちが高円山で狩りをして、里に下りてきたむささびがこれです。)
大伴坂上郎の歌の中に『 高円山』とでてくるが、高円山には志貴皇子の墓がある。
高円山に住むむささびとは志貴皇子を比喩したものなのではないだろうか。

高円山
そして元正上皇がいう『山人』もまた志貴皇子を比喩していったもので、『山人がくれたみやげ』とは『志貴皇子の死=元正天皇の即位』を意味しているのではないだろうか。
山人とは『山に住む人』『仙人』という意味であるが、『いきぼとけ』とよんで『心や容姿の美しい女性』のことをさす言葉でもあった。
それで舎人親王は、「山人=仙人=志貴皇子のことなどしらない。山人とは美しい女性という意味で、元正上皇のことではありませんか。」と答えたのだろう。

白毫寺・・・奈良県奈良市白毫寺町392
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