ある方が、エドワード・シルヴェスター・モースの写真を示して「江戸時代の子供はなぜ明るかったのか」という話をされていた。
モースの写真はこちら↓
揚げ足をとるつもりはないが、明治時代の写真を江戸時代の写真と勘違いしていたのだろう。
このぐらいの勘違いは誰でもしそうだが、江戸時代と明治時代の人物写真はかなりちがっていたのではないかと思う。
幕末の坂本龍馬《 天保6年(1836年)~慶応3年1(1867年)》の写真が残されているが、撮影するのに20秒から30秒かかったといわれている。
坂本龍馬像
上の記事には次のように記されている。
ほとんどの赤子の顔は、大きくぶれていて、しっかり写っていない。これは、明治中期のカメラでは、20~30秒ほど撮影時間が必要だったからである。(上記記事より引用)
写真はこちら。
そこでもう一度モース《モースが日本にやってきたのは明治10年(1877年)から明治22年(1889年)》の写真をみてほしい。
この写真は20秒から30秒もかけて撮影した写真とは思えない。
笑ったまま20秒も表情を変えずにいることは難しいと思うからだ。
そこで調べてみると、ヤフー知恵袋に次のようなQ&Aがあった。
『日本で初めてブランド名のついたカメラとして有名な「チェリー手提暗函」は明治36年の発売です。このカメラのシャッターはTとIです。Iは瞬間を意味するインスタントで、言い換えれば手持ち撮影可能なシャッタースピードです。
翌年発売の「チャンピオン手提暗函」ではシャッタースピードは1/20秒から1/100秒に可変できたということです。』
赤ん坊がぶれて写っている写真は明治中期と書いてあるが、明治36年にはシャッタースピードが速いカメラが発売されてたのである。
これらは日本のコニカの製品だが、モースはアメリカのコダックを使っていたのではないだろうか。
おそらく、日本のカメラよりも早く、アメリカのコダックのカメラは早いシャッタースピードが切れるようになっていたのではないかと思う。
しかし、モースの写真はすばらしい。
なかなかこんな表情が引き出せるものではない。
現在でも習合写真はカメラ目線で表情の乏しい写真になりがちである。
モースの写真は、モースか助手が、なにか面白いことを言って子供たちを笑わせて撮影したのではないかと思う。
つまり何が言いたいのかというと、写真は「真実を写す」と書くが、いくらでも嘘をつけるということである。
現在のデジタル写真では合成写真を作ったり、怒った顔を笑った顔に変えたりすることも簡単にできる。
そのような技術がなかった時代においても、写真で嘘をつくテクニックはいろいろあった。
たとえ嫌なことがあって普段笑うことの少ない子供でも、何か面白いことをいって一瞬だけ笑わせておいて、
それを撮影すれば明るい雰囲気の写真になる。
なので、明るそうに笑っている子供の写真をみて、昔の子供は明るかったと決めつけるのはまちがいだといえる。
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