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シロウトが高松塚キトラ古墳を考えてみた。まとめnew⑨高松塚人物像の持ち物



①人物の持ち物について

・貞観儀式に記されている朝賀の儀式の図と一致(岸俊男氏)
高松塚人物 持ち物

・人物画は朝賀の儀ではなく葬送を描いたもの 衣服は衣服令の規定をそのまま描いたのだろう。(土淵正一郎氏)

・供養行列ではないか。(原田淑人氏)

・葬送には鼓吹が伴うが、高松塚壁画にはない。(岸俊男氏)

・葬送の際に歌舞奏楽する埴輪像がある(斎藤忠氏)
埴輪 太鼓
太鼓と角笛の埴輪(城塚古代歴史館)

私は葬送を描いたものではないと思う。
その理由は葬儀の際には白い喪服を着用していたのではないかと思うからだ。

万葉集に柿本人麻呂が詠んだ高市皇子への挽歌がある。

全文、現代語訳はこちら ↓ のブログ記事にある。

長いので、現代語訳を要約して記しておく。

明日香の真神の原の地に宮殿を定めて神として天の岩戸にお隠れになった天武天皇が全国を平定しようとして、
東の国の兵を集め、「凶暴な人々を鎮めよ、従わない国を治めよ」と高市皇子に戦の指揮を任せられた。
高市皇子は腰に太刀をつき、手に弓をもって兵を率いた。
伊勢の宮から神風を吹かせて敵を惑わし、雲で太陽が見えないよう暗闇に包み込み、日本国を平定された。
天武天皇が自ら統治し、高市皇子が政務をとられて、栄えていたときに
高市皇子の宮殿を殯宮(あらきのみや/埋葬するまで仮に死体を安置しておく宮)と飾り立て
従者たちは白い麻の喪服を着て、埴安にある宮殿の広場に昼は一日中伏し、夕べには宮殿を仰ぎ見て這い回り
もう高市皇子にお仕え出来ない悲しみに嘆いていたが、その悲しみが終わらないうちに
(高市皇子は)百済の原を通過して、神として葬って、城上の宮を永遠の宮殿として高々と造ってみずから神としてそこに鎮座なさった。
けれど高市皇子が永久を願って造られた香具山の宮はいつまでもなくなることはないだろう。
大空仰ぐように見てしっかりお慕いしていこう(199)

ここに「高市皇子の宮殿を殯宮(あらきのみや/埋葬するまで仮に死体を安置しておく宮)と飾り立て
従者たちは白い麻の喪服を着て、埴安にある宮殿の広場に昼は一日中伏し、夕べには宮殿を仰ぎ見て這い回り
もう高市皇子にお仕え出来ない悲しみに嘆いていたが」とある。

死んでしまった高市皇子の従者たちは白い喪服を着ているのである。

そして高市皇子の生没年は654年?[~696年とされ、高松塚またはキトラ古墳の被葬者ではないかとする説もある。
このころの喪服は白色だったことが、この歌からわかる。

ただし白い喪服を着ているのは従者であり、従者でないものがどのような喪服を着ていたのかについては、この歌からはわからない。

・蓋(きぬがさ)
貴人の外出時に用いる。身分によって色が異なる。
儀制令(大宝令及び養老令/礼儀解)によれば、
皇太子・・・表紫 裏スハウ(蘇芳のことか?赤紫)頂四角 錦を覆い総を垂れる。
親王・・・・紫
一位・・・・深緑
三位以上・・・・紺
四位・・・・ハナタ
四品以上及び一位・・・頂角に錦を覆い、総を垂れる。
二位以下錦を覆う。ただし、大納言以上は総を垂れる。裏は朱。
高松塚の蓋は緑色で角を錦で覆い、緑色の房を垂れているので、一位。(上の動画1:42あたり)
諸臣一位に該当する者は中臣鎌足~天平時代の期間では、石上麻呂、藤原不比等しかいない。
もともとは紫であせて緑になった可能性もある。
この儀制令が天武朝でもあてはまるか。天武朝の『浄御原令』の蓋の規定は不明。(土淵正一郎氏)

・「養老令には縁の蓋は一位だと書いてある」猪熊兼勝氏

この傘が被葬者にさしかけられているとすれば、被葬者は一位なので天皇ではないということになる。

高松塚 男子像2


・男子像が持つ緑色の蓋は重圏連珠模様(重圏/二重丸)法隆寺金堂の木製天蓋の彩色装飾と関係がある。(秋山光和氏)

法隆寺金堂木製天蓋は下記記事に写真がある。

リンクが貼れないが、「仏様の頭上を荘厳する法隆寺金堂の天蓋は我が国最古…」というブログ記事の写真がわかりやすい。

連珠文

”珠 (たま) つなぎの円環の中に,樹木,狩猟図,獅子,天馬,唐草などの意匠モチーフを単独,あるいは組合せて表現した文様。ササン朝ペルシアの工芸品における典型的な文様で,ビザンチンや中国などにも同様な作例がみられる。中国を経て日本にも伝来し,古墳時代の珠文鏡,屋根瓦の瓦当装飾,正倉院や法隆寺の綾,錦などの染織品の文様に用いられ,法隆寺の『四天王文錦』は最も完全。また野中寺蔵『弥勒半跏像』や法隆寺壁画などにも用いられ,平安時代以後は密教法具などにも施された。”

コトバンク「連珠文」より引用

・野中寺の仏像の腰裳にある円環連珠文に似ている。(上原和)

野中寺

野中寺 金銅弥勒菩薩半跏像

↑ 野中寺の仏像とはこの仏像の事ではないかと思う。
「腰裳にある円環連珠文」戸は両方の脚のあたりにある柄のことだろうか。


次回へつづく~

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