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シロウトが高松塚古墳・キトラ古墳を考えてみた。㊷ キトラ天文図・高松塚星宿図の北極星



よりつづきます~

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①北極五星は、こぐま座γ星・β星・5番星・4番星と、きりん座のΣ1694

上の「なぶんけんブログ」の記事には、次のような内容が記されている。

・ キトラ天文図は、図の中央が天の北極。そこには『北極』という名の中国星座(星宿)が描かれている。
※星宿名の北極は『北極』と記す。

キトラ古墳 天文図

・684年『晋書』天文志・・・北方にみえる星の中でもっとも尊い星座。帝王・皇太子・庶子の星を含む。

・『宋史』天文志・・・「北極」の5星は、帝・后(きさき)・妃(ひ)・太子・庶子。

・『北極』は、『晋書』天文志以降、清代に至るまで「5つの星からなる」とされている。

・現代の星座では、北極点から遠い順に、こぐま座のγ(ガンマ)星・β星・5番星・4番星と、きりん座のΣ(シグマ)1694という5星に比定されている。

・「帝星」は、5星のうち、こぐま座β星(コカブ)

キトラ北極

ブログ主がへたくそな図を描いてみた。↑

北極という星宿は、「北極点から遠い順に、こぐま座のγ(ガンマ)星・β星・5番星・4番星と、きりん座のΣ(シグマ)1694に比定される」ということだが、
ここでいう北極点とは、キトラ天文図が示す時代の「天の北極」ではなく、現在の「天の北極」という意味だと思われる。
(地球は歳差運動といってコマがふれるように自転軸が動いているため、時代によって天の北極や、北極星が変わる。)

歳差
北極点がどのように変化するのかは、下記リンク先図に示されている。

現在の北極点は、こぐま座α(ポラリス)に近い点にあり、このポラリスが北極星とされている。

「こぐま座5番星・こぐま座4番星・きりん座Σ1694」の位置はわからなかった。
これらの星はかなり暗い星であるらしい。
きりん座Σ1694はきりん座の頭部にあるということである。
上の図では、きりん座の上部が頭部になる。

上の図で示した「こぐま座γ星・β星」をつなぐ線を下に伸ばしたところに「こぐま座5番星・4番星、きりん座のΣ1694」があるのだろう。(正確な位置ではないが、仮にで示した。)

・β星(コカブ)は、現在の北極星=こぐま座α星(ポラリス)のひとつ前に、天の北極にもっとも近かった星。


リンク先の円は時代による北極点だろう。
その円の上にある+2000、0、-2000などの数字は西暦を表しているのだと思う。
現在は2023年だが、そのあたりを見るとこぐま座があり、こぐま座の柄の先端が北極点を示す円に近い。
このこぐま座の柄の先端の星はポラリス(現在の北極星)である。

「β星は、現在の北極星=こぐま座α星(ポラリス)のひとつ前に、天の北極にもっとも近かった星」とあるが、
リンク先の図を見ると、β星がもっとも天の北極に近かったのは紀元前1000年から1500年ぐらいに見える。
中国の王朝でいえば、商(紀元前1600年? - 紀元前1046年?)、周(紀元前1046年 - 紀元前249年)当たりの北極星が、こぐま座β星ということだろうか。

これについては後述する。

②キトラ天文図には附属星座がくっついている?

・キトラ天文図の星座「北極」は、星の数や星座の形状などが通常の「北極」と異なる。

・キトラ天文図の「北極」の星の数は、5星ではなく、6星。
星座の形も実際の星の配列とはちがっている。
特に、左下の1星の位置に大きなずれがある。

附属星座?

・キトラ天文図の北極は、1つの星座ではなく、5星からなる星座と1星からなる星座のふたつの星座がくっついているのか。

・中国星座には、独立星座と附属星座がある。
キトラ天文図では、附属星座が親となっている星座と朱線で結ばれるものがいくつか存在する。
例/「北斗と輔(ほ)」、「畢宿(ひつしゅく)と附耳(ふじ)」、「軫宿(しんしゅく)と左轄(さかつ)」)。
これらの附属星座は、いずれも1星。

・ キトラ天文図の「北極」が2つの星座からなるとした場合、附属していると考えられるのは、配置から考えて、左下の1星。
候補は天一(てんいつ)、太一(たいいつ)、陰徳、陽徳など。

https://arthistorystrolls.com/2021/02/09/%E5%8C%97%E6%96%97%E7%9A%84%E7%94%9F%E6%AD%BB%E8%A1%A8%E8%B1%A1%EF%BC%88%E4%B8%8B%EF%BC%89/
リンク先、長川市1号墳壁画の図を見ると、北斗七星が8星になっている。
キトラ天文図の北斗七星の附属星座とは位置がちがうが、長川市1号墳の北斗七星が8星なのは、附属星座なのかもしれない。

長川1号墳 附属星座?

③キトラ天文図の帝星はこぐま座β星だが、これは北極星ではないと思う。

中国南宋で造られた淳祐天文図など・・・「北極」は、図の中心から左へのびており、天帝は、中心から4番目の星。

帝星の位置

・キトラ天文図では、図の中心は矢印の部分で、そこから4番目の星は、第2図で赤丸を付した星(=こぐま座β星)

「キトラ天文図に描かれた古代の北極星(=帝星)を探してみましょう。」と記事にはある。
これを読むと、帝星がこの天文図が描かれた時代の北極星を示しているように思えるが、そうではないと思う。

というのは、図の中心が天の北極になると思うので、そうすると、帝星より天の北極に近い星が3つもあることになる。

現代の星座では、天の北極点から遠い順に、こぐま座のγ(ガンマ)星・β星・5番星・4番星と、きりん座のΣ(シグマ)1694という5星に比定されているのだった。
すると、こぐま座5番星・こぐま座4番星・きりん座のΣ1694のほうが、天の北極に近いということになる。

能田忠亮氏は次のようにおっしゃっている。

・北極五星は太子・帝・諸子・妃宮・紐星
このうちの帝星(子熊坐β星)が天の北極に最も近かったのは周初のころ。(紀元前1100年ごろ)
・紐星付近が北極とみられ、高松塚の二十八宿図は漢代以降のものだろう。

北極五星は「帝・后・妃・太子・庶子」ということだったが、能田氏は「太子・帝・諸子・妃宮・紐星」とおっしゃっている。

すると后が紐星ということだろうか。
そしてこの紐星が高松塚古墳壁画の星宿図における「天の北極に近い星」ということである。
キトラ天文図は高松塚星宿図と同時代の星空を描いたものだとすると、キトラ天文図で最も北極に近い星(北極星/天の北極に最も近い輝星)は后(紐星)ということになりそうである。

そこでキトラ天文図と高松塚星宿図に描かれた星宿を比べてみたが、高松塚星宿図に描かれた星宿名は、すべてキトラ天文図の中にもあり、方位もほぼ同じだった。

④星宿図に北斗七星が描かれないのは異常といえるか?


こちらの記事でも古代星宿の同定が記されていた。

1 北極 1 7β UMi
2 北極 2 13γ UMi
3 北極 3 5a UMi
4 北極 4 4 UMi
5 北極 5 Cam
6 四輔 1 Cam
7 四輔 2 Cam
8 四輔 3 Cam
9 四輔 4 Cam

Camとあるのは、きりん座である。

そこでウィキペディア・きりん座を調べて見ると、次のようにあった。

北極の隣の星官「四輔」にはHD 89571とHD 90089が配された。

高松塚古墳 星宿図

上は高松塚古墳の星宿図である。
ここに北極・四輔と記されているが、北極はこぐま座の一部、四輔はきりん座の一部ということになる。

ここで、私が四輔がどの星に同定されるのかについて知りたかった理由について記しておこう。
キトラ古墳天文図には北極の側に輔とあり、輔の側に北斗(北斗七星)が描かれている。
高松塚古墳には北斗は描かれているが、北斗はなく、そのかわりに四輔があるので、
もしかしたら四輔とは北斗七星の器部分のことではないか、と思った。

しかし、四輔はきりん座という事であれば北斗七星ではない。

以前の記事と重複するが、書いておこう。

高松塚の星宿図には北斗七星が描かれていないと梅原猛氏はおっしゃっていた。
しかし、画像検索してみると、北斗七星の描かれていない星宿図は他にもみつかる。

星宿図に北斗七星を描く場合は、下記リンク先のように中央部に描くのだと思う。

しかし、こちらの記事、https://yamauo1945.sakura.ne.jp/28shuku.html
図7 二十八宿の天上表現(HP4)は高松塚と同じように、中央部は四輔と北極になっている。
記事には「よく古墳の天井に描かれているものである。」とあるので、高松塚の星宿図を参考にして描いた星宿図かもしれない。

しかし、同様の図はこちらの記事にもある。
自動翻訳して読むと、二十八宿の説明のようで、高松塚という名前はでてこない。

トルファン・アスターナ古墳で発見された星宿図には、四輔と北極も描かれていない。


リンク先35ページの「安岳1号墳天井壁画展開図」をみてみよう。
この図は上が北、下が南、向かって右が東、向かって左が西になっている。
星宿のようなものが描かれているが、天球図は上が北、下が南、向かって右が西、向かって左が東である。
地図は地面を上から見下ろし、天球図は地面から天球を見上げるので東西が逆になるのだ。
ということは、35ページの図は上から古墳を見下ろした図ということになる。
天井部分、北に描かれているのは北斗七星だろうか。こぐま座のようにも見える。

通常こぐま座は下の図のように線で結ばれるが

北斗七星 こぐま座②

↓ このように結べば、35ページの北側天井部分の星宿と同じような形になる。

北斗七星 こぐま座

北斗七星は35ページの星宿とは柄杓の向きが逆である。

これが正しければ、安岳1号墳天井壁画にはこぐま座は描かれているが、北斗七星は描かれていないということになる。

結論としては、梅原猛氏は「北斗七星が描かれない高松塚星宿図は異常」だというが、そう言い切るためにはもっと多くの資料が必要ということになると思う。

能田忠亮氏は次のようにおっしゃっていた。

・高松塚星宿図は朝鮮を経て日本に渡来したもの。

・553年6月、内臣を朝鮮につかわし、医・易・暦の博士をかわるがわる来朝させるよう詔されたので、その翌年に易博士王道良、欲々年には暦博士王保存などが来朝した。

・602年、百済僧観勒が来朝し、暦本、天文、地理書、遁甲方術書を貢した。
書生、3~4人に命じて観勒にまなばせた。
陽胡史の祖・玉陳が暦法を習得、大友村主高惚が天文遁甲を学び、山背臣日立が方術を学んだ。

・604年甲子の年の正月朔から初めて暦日を用いた。

・日本で歴法施行が決定したことが国史に登場するのは、690年。

・被葬者は推古天皇~持統天皇代にかけての天文博士、暦博士、易博士のいずれか、またこれらの博士たちを支配した地位の高い人。

・北極五星は太子・帝・諸子・妃宮・紐星
このうちの帝星(こぐま座β星)が天の北極に最も近かったのは周初のころ。(紀元前1100年ごろ)


「①北極五星は、こぐま座γ星・β星・5番星・4番星と、きりん座のΣ1694」でも述べたように、上の図を見ると、こぐま座β星が最も天の北極に近かったのは、たしかに紀元前1500年から紀元前1500年頃に見える。

・觜宿 参宿 の位置が正しいのであれば明代で、未来を予想したことになる。

これについては、意味がわからないので、宿題とさせていただく。

・紐星付近が北極とみられ、高松塚の二十八宿図は漢代以降のものだろう。
へつづきます~
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