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イエスの弟・イスキリは石切さん?


①イエス・キリストの墓は日本にあった?

明治時代、竹内巨麿という人物が青森県戸来村(現在の青森県新郷村大字戸来)を訪れ、塚(十来塚)をみつけた。
そしてこの塚をキリストの墓だと主張した。

私はここへは行ったことがないのだが、近くにはキリストの双子の弟・イスキリの墓とされる「十代墓」もあるそうだ。
この「十代塚」がイスキリの墓であると、竹内巨麿が主張したかどうか。
いくつかの記事をしらべても、はっきり記したものは見つからなかった。(探したりないのかも)
そうではあるが、「キリストに双子の弟・イスキリがいた」と、竹内巨麿が主張したことは、竹内文書の内容からして確かだと思われる。

竹内巨麿は平群真鳥の子孫・竹内家に養子に入ったといっているが、その竹内家には竹内文書なるものが伝わっていて、
そこに次の様に記されているのだという。

「イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されていない。イスキリスの弟のイスキリが身代わりになった。
その後、イスキリスは日本にやってきて亡くなり、墓がつくられた。」と。

竹内巨麿はこのイスキリスがイエス・キリストであり、「十来塚」が「イエス・キリストの墓」だと主張したのだ。

ただし、竹内文書は後世に造られた偽書だとされている。
私も偽書だと思うし、十来塚・十代塚はキリストとキリストの弟・イスキリの墓ではないと思う。😊

②渡来はヘブライ、ナニャドヤラはヘブライ語の歌?

「なーんだ、でっちあげなのか」と思うのは、まあ当たり前な感覚だと思う。
しかし、そこで終わってしまうには、若干気になることがある。

その後「古代史書研究会」は「来村」という地名の由来は「ヘブライ」であると主張。
また、その地にはナニャドヤラという歌が伝わっており、川守田英二氏が、それは「ヘブライ語で、ヤハゥエをたたえる歌である」とした。


ナニャドヤラの歌詞をみてみよう。

♪ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ
ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ
ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー
ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド♪

これはさっぱり意味がわからない。

川守田英二氏は次のように主張する。

「ナギャド」・・・「前方へ」という副詞と「指導者」という名詞
「ナサレ」・・・・「掃蕩(払いのぞくこと)」
「ナギアドナサレ」・・・「前方を掃蕩する」
全体の意味・・・・「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名をほめ讃えん」

ナニャドヤラについては、梵語説もあり、こちらも、ありそうに思える。
私がヘブライ語や梵語がわからないせいかもしれないが。(笑)

なにゃあどやらよ      奈任耶阿堵野羅世
なにゃあどなされいのさえ  奈任耶阿堵長谷嶺居野宰叡
なにゃあどやらよ      奈任耶阿堵野羅世

鳥谷幡山が降霊術師の小松周海に招霊を依頼したところ「キリストの妻の名はユミ子、娘が三人」であり、村の旧家の沢口家であるとされたが
沢口家の家紋の「桔梗紋」はユダヤのシンボル「ダビデの星」と似ていたり
この地方の幼児を始めて屋外に出すときには額に十字を描いて魔除けにする習慣など、キリスト教に関係していそうなものがある。

③キリスト教伝来は1549年より早かった?

日ユ道祖論と呼ばれるものがある。
日ユ道祖論について、ウィキペディアはつぎのように記している。
日本人の祖先が2700年前にアッシリア人に追放されたイスラエルの失われた十支族の一つとする説。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96 より引用
これが事実かどうか、私にはわからない。

しかし、5世紀頃日本に渡来したとされる秦氏の故郷は、弓月王国というキリスト教国であるとか、
空海が遣唐使として入唐したころの中国では景教(ネストリウス派キリスト教)が流行っていたとか
聖徳太子が厩で誕生するなどの伝説が、キリストの伝説に似ているなどの指摘もある。

また飛鳥昭雄氏は記紀神話と聖書の記述がそっくりのところがあると指摘されている。

聖書1日目/ 神は光と闇を分け光を昼、闇を夜と呼んだ。
古事記神世第1代/天之御中柱主神
※キリスト教の三位一体説は『生命の樹』で説明される。
生命の樹は三本の柱からなるとされ、中央が最も高くなり、左右に同じ高さの柱がある。
中央を「均衡の柱」左を「慈悲の柱」右を「峻厳の柱」と言う。
神を柱と表現するのはキリスト教も日本神道も同じ。(左右は均衡の柱からみて)
「天之御中柱主神」というのは生命の樹の均衡の柱を意味するのではないか。

聖書2日目/神は大空を作り大空の下と大空の上に水を分けた。
古事記神世第2代/豊雲野神 ※豊かな雲は大空の上を、野は大空の下に対応する。

聖書3日目/神は地と海を作った。
古事記神世第3代/宇比地邇神・妹須比智邇神
※宇比地は泥土で海、須比智は砂土で地に対応する。

聖書4日目/神は太陽に昼を治めさせ月に夜を治めさせた。
古事記神世第4代/角杙神・妹活杙神
※ヘブライ語で角・光るは同様に『krn』と記す。このため古代よりしばしば混同され、ミケランジェロがモーゼの像に角をつけてしまったという例もある。
杙は牛や馬を繋ぎとめておくためのもの。
つまり角杙神は光りながら地球のまわりを回る神(太陽)。
妹活杙神は満ち欠けしながら(活)地球の周りをまわる女(妹)神。

聖書5日目/神は水中生物・鳥を造り、祝福して言った。生めよ、増えよ。
古事記/神世第5代/意富斗能地神・妹大斗乃弁神
※意富斗・大斗は世界。地は男性・弁は女性の意。つまり「男の世界」「女の世界」。

聖書/6日目/神は獣と人間を造った。造ったものを見て満足した。
古事記/神世第6代/於母陀流神・妹阿夜訶志古泥神
※日本書紀では面足尊。地の面が完成したこと。あやに畏しは賞賛を意味する。つまりすべて完成し、あやに畏しと神が満足したのである。 

日本におけるキリスト教の伝来は1549年とされるが、実はそれ以前に伝わっていたのではないかとする説があり、
これは有りそうに思える。

④死後3日後に生き返ったのは双子のトリック?

綾部宗彦氏はキリスト双子説を唱えておられる。

キリストは死後3日目に復活したとされるが、死んだ人間が生き返ったと信じることは知性に犠牲を強いる行為である、
そうではなくキリストは双子であり、十字架にかけられたのは弟のほうだったというのだ。

コーランにもキリストは「磔になって死んでいない。そう見えただけ。」というような主旨の内容が記されているとのこと。

磔になったイエスは死ぬ直前、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』とに叫んだとされる。
『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』は、『わが神、わが神。どうしてしをお見捨てになったのですか』と訳される。
エリとはヘブル語で『高い』『より上にある』の意で、そこから神をさすと解釈されたようだが
綾部氏は『高い』『より上にある』とは『兄』のことではないか、
キリストのかわりに磔になったイスキリが『兄さん、兄さん、どうして私を見捨てるのか』と言ったのではないか、
とおっしゃっている。

またキリストの弟子に「双子のトマス」という人物がおり、福音書ではトマスを「キリストの双子の兄弟」としているとも指摘される。

とすれば、竹内文書はコーランや、キリスト双子説をもとに創作されたものではないか、とも思えてくる。

⑤キリスト=太陽神説


キリストは太陽を擬人化したものとする説もある。

地球は歳差運動といって地軸がコマのようにふれている。

歳差
その影響で、北半球でも南十字星が見えていた時期があったとされる。
勿論北半球で南十字星が見えていた時期があったといっても、南中高度は低かったはずだ。
キリストは太陽、キリストが磔になった十字架は南十字星であり
冬至に近づくにつれ、太陽は南中高度をさげていき、南十字星の南中高度に近づいていくことを
キリストが十字架にかけられたと表現。
キリストが死後3日目に生き返るのは、冬至の後、太陽が再び南中高度を上げていくことを表現したもの、というのだ。

もし仮に、記紀が編集される以前の古代の日本にキリスト教が伝わっていたとしたら、天照大神は日本版キリストということになる。

そしてこれにキリスト双子説を考え合わせてみよう。
「キリストが十字架にかけられる」というのは、「冬至のころ、南十字星の南中高度に近づいた太陽」の比喩であった。
しかしキリスト双子説では、十字架にかけられて死んだのはキリストではなくキリストの双子の弟であったとする。
ということは、「冬至のころ、南十字星の南中高度に近づいた太陽」はキリストの双子の弟ということになる。
そして、「冬至の後、再び南中高度を上げていく太陽」がキリストだ。

⑥天照大神は男神?

記紀神話では天照大神は女神とされているが、天照大神は男神とする説がある。
天岩戸に隠れた天照大神は、女神のストリップダンスに興味を持ってでてきた。
女神のストリップに興味を持つのは男神だというのである。

また物部氏の祖神・ニギハヤヒは先代旧事本紀では天照国照彦天火明櫛玉饒速日命といい、
ニギハヤヒが本当の天照大神ではないかとする説もある。

ニギハヤヒは神武が東征して畿内入りするより早く、天の磐船を操って畿内のいかるがの峰(大阪府交野市)に天下っていたと記紀は記している。
畿内入りした神武は、ニギハヤヒを神と奉じるナガスネヒコと戦い、それに勝利して天皇として即位した。

この話から、神武以前の畿内に物部王朝があったとする説がある。
万世一系を称する天皇家があえてこの説話を記紀に記したのは、記紀編纂当時、神武以前に物部王朝があったというのは、当事の人々にとって余りに当たり前の認識だったからないかともいわれる。

神武は天孫(天照大神の子孫)だが、ニギハヤヒもまた天孫とされる。

とすれば、次のような関係が成立すると思う。

冬至のころ、南十字星の南中高度に近づいた太陽・・・キリストの双子の弟・・・ニギハヤヒ(天照大神の子孫)
冬至の後、再び南中高度を上げていく太陽・・・・・・キリスト・・・・・・・・神武(天照大神の子孫)

とここまで考えたとき、アッと閃いた。
ニギハヤヒが天下ったのは大阪府交野市の磐船神社付近とされるが、ここからそう遠くはない大阪府東大阪市に石切神社があって、ニギハヤヒトウマシマジノミコト(ニギハヤヒの子)を祀っている。
「いしきり」を東北訛りで発音すると「いすきり」になりそうだ。
キリスト(イスキリス)の双子の弟のイスキリは石切さん(関西では石切神社の事を親しみを込めてこう呼ぶ。)ではないのかと。
ちょっと単純かな(笑)。

石切神社

石切神社 大勢の人々がお百度参りをしている。

⓻中世宗教画に描かれた飛行物体の正体は?

中世の宗教画に宇宙人が描かれているという。


上の2:04あたりから、ドメニコ・グルランダイオが描いた「聖母と聖ジョヴァンニーノ」には円盤型UFOが描かれているというのだ。

またバチカン、デチャニ修道院にある『キリストの磔刑』(1350年)には飛行物体が描かれており、パイロットのような人物も描かれている。


これらの絵画を根拠として、キリストは宇宙人だったという人もいる。
しかし常識的(ホントカヨ?)で、頭の固い私にはにわかにそんなことは信じられない。

頭の固い私は(笑)、『キリストの磔刑』に描かれた飛行物体は、ニギハヤヒが操っていかるがの峰に降り立ったとされる天の磐船だと思ったのだった。

天の磐船について、UFOの様なものではないかという人もいる。
実はこの天の磐船は巨石であり、大阪府交野市・磐船神社のご神体として存在している。
磐船神社はニギハヤヒが天下った場所だとされ、ニギハヤヒを祀っている。

磐船神社

天の磐船

「たまたまそこにあった巨石を神話になぞらえて天の磐船といってるだけじゃん」とおっしゃる方もおられるだろうが
頭の固い私は(笑)、天の磐船の正体はUFOではなく巨石だったと考える。

「雲陽誌」という書物には次のような内容が記されていると聞いたことがある。
「島根県松江市の松崎神社では延宝7年に石が掘り出され、古語『星隕って石となる』から神・ニギハヤヒの石として宝物にした。ニギハヤヒは星の神。」

これはつまり、こういうことを言っているのだろう。
・石は空から降ってきた星、つまり流星である。
・ニギハヤヒは星の神

すると「天の磐船は、天から地上に落ちた星が岩になったものである」と、古の人々は考えたのだろうと推理することができる。
だからこそニギハヤヒは星の神として信仰されたのだろう。

バチカン、デチャニ修道院にある『キリストの磔刑』(1350年)に描かれている飛行物体も流星なのではないか。

⑨習合された太陽神と北極星の神

とここまで考えると、壁にぶつかってしまう。
ニギハヤヒは別名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日命といい太陽神であるのに、星の神でもあるというのはどういうことなのか、ということだ。

理由はよくわからないが、太陽神と北極星の神は習合されたようである。
昼の神と夜の神を習合するというのはムチャクチャな感じがするが、
実際、天皇家は天照大神を祖神としながら天皇という称号を用いている。
天皇いう称号は天皇大帝(北極星の神)から撮ったのではないかとする説がある。

さらにこんな記事もある。
伊勢神宮の伊雑宮で行われる御田植神事では高さ9メートルに及ぶ巨大な扇が立てられるが、この扇には「太一」と書かれている。太一は古代中国で北極星が神格化された神名である。太一は北斗七星に乗って宇宙を循環すると言われる。太一は天照大神、北斗七星は神宮外宮の祭神・豊受大神と「神仏習合」を果たして、伊勢の神事に取り込まれたという。なお「淮南子」には太一神を信仰すれば不老不死になれると記されている。そして仏教では北極星・北斗七星は妙見菩薩という仏神となった。
https://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=1651 より引用


そして、記事には、「北極星の神・太一は天照大神、北斗七星は神宮外宮の祭神・豊受大神と神仏習合した」と書いてある。
(太一は中国の神なので、神仏習合というのはおかしい。習合されたというのが正しいと思う。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%B8%80

ウィキペディア「太一」にも太一は天照大神と同一視されることが多いと書いてある。

神武は北極星となって宇宙の中心に君臨し、ニギハヤヒは北極星の座を神武に奪われ下界に流れ落ちて石になったと考えられたのかもしれない。

ニギハヤヒは太陽神でもあり、北極星の神でもあった。
そう思って、⑥の石切神社の写真をみると、お百度参りをする人々が、北極星を中心にしてめぐる星々のように見えてきた。

星は北極星を中心に、左周りに動いている。しかし、それは地上から見上げた場合である。
星々が天球上に張り付いているとし、天球の上から星の動きを見れば右回りになる。

京都龍安寺の石庭はカシオペア座を示しているとする説を、明石散人さんが唱えておらえるが、
石庭のレイアウトは地上から見上げたカシオペアの形を左右反転させた形になっている。

龍安寺 石庭

カシオペア座





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