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トンデモもののけ辞典126 隠神刑部・長壁姫・亀姫


①隠神刑部

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E7%A5%9E%E5%88%91%E9%83%A8#%E9%96%A2%E9%80%A3%E9%A0%85%E7%9B%AE 
上記、ウィキペディア「隠神刑部」に、次のような内容が記されている。

❶実録物語『伊予名草』(1805年/文化2年)・・・享保の大飢饉に際して起こったお家騒動を描いたもの。
『松山騒動八百八狸物語』(江戸末期)・・・講釈師の田辺南龍が伊予名草に狸や妖怪の要素を加えて怪談話に仕立てたもの。講談として広まった。

❷『松山騒動八百八狸物語』のあらすじ
松山の狸808匹の総帥が隠神刑部。
隠神刑部は久万山の岩屋に住み、松山城を守護し続けていた。
「刑部」は松山城の城主の先祖から授かった称号。
松平(久松)隠岐守の時代にお家騒動が起こると、隠神刑部は謀反側に助力した。
藩士・稲生武太夫(怪談『稲生物怪録』で知られ)が、宇佐八幡大菩薩から授かった神杖で隠神刑部を懲らしめ、隠神刑部は808の眷属もろとも久万山に封じ込められた。
その洞窟は、山口霊神として今でも松山市久谷中組に残されている。

松山城

松山城

⓶隠神刑部と刑部姫

これを読んで、私は「あっ」と思った。

刑部は律令制の役職のひとつで、裁判・監獄の管理・刑罰を執行する役割を担っていた刑部省の役人のことである。
「ぎょうぶ」と読む。

読み方は異なるが、「刑部」という名前の妖怪のことを、我々は既に知っている。
長壁姫(おさかべひめ/刑部姫とも書く)である。
トンデモもののけ辞典① 刑部明神は池戸親王と井上親王の霊?

姫路城は姫山に建てられているが、城が建てられる以前の姫山には「刑部(おさかべ)大神」の社が建てられていたそうである。
姫路城を建設する際、豊臣秀吉が刑部大神の社を遷宮したと伝わる。
兵庫県姫路市立町33には長壁(おさかべ)神社がある。
この長壁神社が刑部大神を祀る社だろうか。

姫路城には長壁姫(おさかべひめ)という妖怪が住んでいるといわれる。
年に1度、城主に城の運命を告げるという。

長壁姫は小刑部姫、刑部姫、小坂部姫とも記す。
長壁姫は、刑部大神の幽霊ということではないだろうか。

長壁姫(おさかべひめ)と隠神刑部(いぬがみ・ぎょうぶ)は読み方が違う。
しかし長壁姫は刑部姫とも記し、隠神刑部の刑部と文字が同じである。
さらに、長壁姫と隠神刑部はどちらも城の守護神である。

刑部姫とも、長壁姫とも記すのは、もともと刑部姫であったのが、姫路城には長い壁がめぐらされているところから、別の漢字をあてたのかもしれない。

姫路城

姫路城

③刑部親王は池戸親王?

長壁神社の御祭神の刑部親王は光仁天皇の皇子で、藤原百川の讒言によりその地位を追われると、親王の王女であるという富姫も幼い頃より住んでいた姫山の地で薨去したとされる。

しかし光仁天皇(709~782)の皇子の中に刑部親王という名前は見当たらない。

昔のことなので、正史に名前が残っていないということも考えられるが、
藤原百川(732 ~779)の讒言によって流罪となった他戸(おさべ)親王(761?~775)は光仁天皇の皇子である。
もしかして、刑部親王とは他戸親王のことなのかもしれない。

他戸親王の母親で光仁天皇の皇后だった井上内親王(717~775)が天皇を呪ったとして后を廃され
他戸親王はこれに連座したとして廃太子となり、母親とともに奈良県五條市の没官の邸に幽閉され14歳で急死した。
この事件は山部親王(桓武天皇)を立太子させたいと考えていた藤原百川の陰謀だと考えられている。
『おさかべ親王』と『おさべ親王』は音もよく似ている。

『諸国百物語』には、こんな話が伝えられている。
姫路城天主閣で播磨姫路藩初代藩主池田輝政が病気平癒のため、比叡山の阿闍梨に加持祈祷をさせていた。
その阿闍梨の前に、三十歳ぐらいの女が現われ、「うせよ」といった。
阿闍梨が言い返すと、女は身の丈2丈(約6メートル)もの鬼神に変じ、阿闍梨を蹴り殺して消えた。

これは『愚管抄』の記述を思い出させる。
『井上内親王は龍となって藤原百川を蹴殺した。』と記されているのだ。
『諸国百物語』の記述はこれに似ている。
『諸国百物語』の作者は「長壁姫=井上内親王」という認識があり、『愚管抄』の記述をまねたのではないだろうか。
とすれば、長壁姫は井上内親王である可能性もある。

しかし、池戸親王(=刑部親王?)と姫路の接点が見つからない点が気になっていた。
長壁神社の御祭神の刑部親王は光仁天皇の皇子で、藤原百川の讒言によりその地位を追われた、というのは
池戸(おさべ)と刑部(おさかべ)の発音が似ていることから創作された後付けの由緒であるかもしれない。

④亀姫

長壁姫(刑部姫)には亀姫という妹がいるという話もある。「

亀姫(かめひめ)は、福島県猪苗代町の猪苗代城(亀ヶ城)に住みついていたとされる妖怪。

~略~

『老媼茶話』には、以下のような亀姫の奇談が述べられている[2]。

1640年(寛永17年)。当時の猪苗代城の城主は会津藩の第2代藩主・加藤明成であり、堀部主膳という者が城代を務めていた。

12月のある日、堀部主膳が一人でいるところへ見知らぬ禿頭の子供が現れ「お前はまだ城主に挨拶をしていない。今日は城主が会ってやるとのことだから、急いで準備をしろ」と言った。

主膳は「この城の主は我が主人・加藤明成、城代はこの主膳であり、他に城主などいない」と言い返して睨みつけた。すると子供は笑い「姫路のおさかべ姫と猪苗代の亀姫を知らないのか? お前の命運はすでに尽きた」と言い残して姿を消した。

年が明け、正月の朝。主膳が城の広間へ行くと、自分の席には棺桶や葬儀の道具などが置かれていた。家来たちに尋ねても、何者の仕業かはわからなかった。その日の夕方には、どこからか大勢で餅をつくような怪音が響くなどの怪異があった。その正月の18日、主膳は便所で倒れ、2日後に息を引き取った。

同年の夏のこと。7尺(約2.1メートル)もの大入道が田のそばで水を汲んでいた。それを見た城の武士が一刀のもとに斬り捨てると、それは大きな狢だった。以来、城で怪異が起ることはなかったという。

「姫路のおさかべ姫」とは姫路城の天守に住んでいたとされる妖姫・長壁姫のことであり、亀姫は長壁姫の妹とされている[3]。



長壁姫(刑部姫)、亀姫(刑部姫の妹)、隠神刑部は三柱とも城の守護神なのだ。
城の守護神には刑部という名前がつけられるというルールでもあるような感じだ。

⑤刑部城跡
刑部(おさかべ)という城があるのではないかと思って検索したところ、それは存在していた。

今川義元の家臣・新田美作の居城だったが、1568年(永禄11年)に近藤康用・菅沼忠久・鈴木重時ら井伊谷三人衆の案内により侵攻した徳川軍に攻められ、落城した。
その後、菅沼氏が城主となり、1572年には武田信玄が滞在したこともある。

刑部城二の丸跡に金山神社があり、次のような伝説が伝えられている。

城が落ちたとき、城主の姫が敵に辱められるぐらいなら、と城のそばの池に入水し、金色の蛇となった。
(池は埋め立てられて現存しない。)

もしかすると、この刑部城の池に身投げした姫が長壁姫(刑部姫)のルーツだろうか?

まとめておこう。

姫路城(白鷺城)・・・・・長壁姫(刑部姫)
猪苗代城(亀ヶ城)・・・・亀姫(長壁姫の妹)
松山城(金亀城、勝山城)・・・隠神刑部
刑部城・・・・金龍


⑥刑部明神は土地管理を行う神?

刑部城の池に身投げした姫が長壁姫(刑部姫)のルーツの可能性もある。
しかし長壁姫(刑部姫)のルーツは別のところにある可能性もある。

⓶で述べたように、長壁姫(刑部姫)は姫路城が建てられた姫山に、かつて祀られていた刑部明神が妖怪化したものと思われる。
刑部の意味は、「裁判・監獄の管理・刑罰を執行する役割を担っていた刑部省の役人」であることも⓶ですでに述べたが、刑部氏という氏族もいる。

刑部氏は古代氏族の部民である。

部民制(べみんせい)とは、ヤマト王権の制度であり、王権への従属・奉仕の体制、朝廷の仕事分掌の体制をいう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E6%B0%91%E5%88%B6 より引用

(刑部氏は)「刑部神社由来」を参考にすれば、允恭天皇の皇后であった忍坂大中姫命の部曲として各地に配置され、その料地管理などに従事していた人々。

料地とは、ある目的のために使用する土地のことである。
刑部氏は大和朝廷の土地管理を行う氏族だったということだ。
刑部明神とは土地の管理をする神ということではないだろうか?

すると刑部姫とは姫路城の土地管理をする妖怪、亀姫は亀が城の土地管理をする妖怪、隠神刑部は松山城の土地管理をする妖怪なのではないか?

刑部城は刑部氏が住んでいた土地なので地名が刑部だったのかもしれないが、刑部城の金龍も刑部という名前から刑部城の土地を管理する妖怪という性質が与えられていたのかも?


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