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「民のかまどは賑わいにけり」と「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」

➀仁徳天皇は中国人を手本にして税金を停止した。

最近、「日本人すばらしい教」がちまたで流行しているようである。
そして日本人を持ち上げる一方で、中国人のことは「残酷」とか「嘘つき」のように批判している。

そういう人達が良く持ち出すのが、仁徳天皇の「民のかまどは賑わいにけり」である。

『東錦昼夜競』より「仁徳天皇」(部分)。1886年(明治19年)楊洲周延 画。

『東錦昼夜競』より「仁徳天皇」(部分)。1886年(明治19年)楊洲周延 画。

仁徳天皇が「民のかまどは賑わいにけり」と言ったという話だが、これについて大変興味深いブログ記事があった。

仁徳天皇の四年二月六日、群臣に詔していわく「朕が高台に遠くを登って望んで観るに、国中の家から煙が出ていないことに気づいた。思うに、百姓が貧しくて煮炊きもできないからであろう。朕が聞くとことによると、聖王の御世には、人々は詠徳の音を、家ごとでは康哉の歌を歌う声が聞こえていたという。今朕が位に就いて三年が経ったが、そのような歌は歌われない。家々から煙が立ち上ることもない。これは、五穀が実らず民が窮状に陥っているからであろうと知った。畿内ですら、この様子であるのだから、都から遠い畿外では言うまでもないだろう。」
 同年三月二十一日、詔していわく「向こう三年の間、すべての課役をやめて、百姓の苦しみを憩わせよ」。この日から、天皇の衣装や履物は襤褸になるまでは新調されず、温かいご飯や汁物も酸っぱくなったり腐らないうちは変えられず、御心を削り、志を責めて、事に従い無為に過ごされた。宮垣が崩れ、茅葦の屋根が破れても屋根は葺かれず、隙間風が入って、天皇の衣に露が降り、破れた屋根から差し込んだ星の光で床のご寝所が見えるほどであった。この後、気候も穏やかで、五穀も豊作が続いた。三年経つと、百姓にもゆとりができて、天皇をたたえる声に満ちて、家々の煙も見えるようになった。
 同七年四月一日、天皇が再び高台に上って遠くを望んで家々から炊煙が立っている様をご覧になった。
(中略)
 「天が君主を立てるのは、百姓のためである。ならば、君主は百姓を基本とせねばならぬ。だからこそ、古の聖王は一人でも百姓が飢えたり凍えたりするようならば、わが身を責めたものだ。今百姓が貧しいのならば朕もまた貧しい。百姓が富めば朕も富む。百姓が富んで君主だけが貧しいということは起こらないな。」

・・・いわゆる「民のかまど」の故事ですが、もともと、仁徳天皇が「詠徳之音」と言っているところは『文選(もんぜん)』にありまして、天皇が指標としている聖王の政治が大陸の王であることが分かります。ここ以外にも、仁徳天皇の記録としてある、萱を切りそろえないとか、自発的に民衆が王宮を作るといった記述は、『魏都賦(ぎとのふ)』の記述と共通点が多いです。

https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5190/ より引用

仁徳天皇が税金を停止したのは、古代中国の王をお手本としたからなのであった。

仁徳天皇が税金を停止したことについては褒めるのに、仁徳天皇が手本とした中国人については批判する。
これってつまり、「中国人のいうことなんか手本にするなよ」といいながら「中国人を手本にした仁徳はすばらしい」といってるわけで、相当変な理屈の様に思える。

「単に同じ言葉を使っただけじゃん?聖王は中国人とはいえなくね?」
と言われるかもしれないが、このブログにはこうも記されている。

「堯帝の治世においては、金銀の珠で飾り立てることも、見目麗しい衣装を着ることも、奇怪なものにうつつをぬかすことも、世の珍品を収集することも、淫らな音楽を耳にすることも、王宮の壁や部屋を飾りたてることも、柱に優れた彫刻を施すこともなく、庭園に茅が伸びても切りそろえることもしませんでした。
 また、鹿の皮を着て寒さをしのぎ、普段は質素な布の服を身につけ、黒米や粟の飯を食べ、黍の汁をすすり、民に苦役を課すことも、耕作する民の生活を乱すこともありませんでした。心をわずらわせることも、王の側からのはからいもなく、無為のままで事が進んでいったのものです。

https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5190/ より引用

これは『六韜(りくとう)』という書物のなかで、太公望・呂尚が周の文王に古代の帝王・堯(ぎょう)の治世について答えたところと説明がある。

これが史実かどうかはともかく、質素で民に負担をかけないことが美徳という考え方が中国にあったことがわかる。
もちろん、仁徳天皇の税金停止の話も事実かどうかわからない。

⓶仁徳天皇は巨大寿陵を築いた。

そして日本の仁徳天皇は農民から税金を取らず、自分は質素な生活をしていたと記されているが
生前に巨大な寿陵を築いている。
生前に作ったということは、仁徳天皇の意志で作られた可能性が高いが
これには莫大な労働力がかかったのではないか?

大手建設会社の大林組が昭和60年(1985年)に試算したデータによると、古代工法で行なった場合、工期は15年8か月、作業員数は延べ680万7000人(1日あたりピーク時で2000人)、総工費は現在の価格で約796億円となる(埴輪製造の作業員と工費については不確定要素が多いため除外)。


これについて、当事の人口はせいぜい500万人程度、作業員数680万人は多すぎる。
よって仁徳天皇陵建設は公共工事だという人がいる。

申し訳ないが、これは延べ人数の意味を理解されていない。
延べ人数とは、1日の作業員が50人とすると、10日で50人×10日=500人、の様に計算する。
作業員が50人いて、同じ50人が10か働いたとしても延べ人数は500人となる。

仁徳天皇陵の工事の試算では、上の記事に記されているように、ピーク時で1日あたり2000人が働いたとする。
実際に680万人の人が一度に工事現場で働いていたのではない。

仁徳天皇陵があるあたりは平地であることから、
水田をつくるためには土地をけずって平にしなければならない。
その土をまとめて山のようにしたものが古墳で洪水時の避難場所とした、という人もいる。

この説についてもいくつか疑問点がある。
・山の上に築かれた古墳もある。尾根を利用して作られた古墳もある。
・水田は水を張る必用があるため、傾斜地に作られることがおおく、平らな土地は水田に不向きだった。
・古墳の濠が障害となるので避難所として用いたとは考えられない。
・古墳は土を積み上げるだけでなく、埴輪をならべたり、葺石で覆う作業も伴う。
 埴輪の製作、葺石の製作だけでも大変な労力がかかっているはずである。

近年、日本の巨大古墳は公共工事であったのではないかとする説があるようで、NHKの記事などにも掲載されている。
しかし、なぜかその理由が記されたものがないので、納得するには至っていない。

仁徳天皇の総工費は現在の価格で約796億円と計算されている。https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/upload/img/kikan_20_idea_06_3.png
上記リンク先にその内訳が記されている。

用地伐開除根(草木や木の根を除去する)・基本測量・外濠堀削・内濠堀削・排水工事・後片付け・一般管理費
これらはほとんど人件費だと思われる。

客土・葺石・埴輪・石室・現場経費・宿舎仮設費
これらはもしかすると購入していたかもしれない。
葺石・埴輪・石室は材料のままでは使えず、加工が必用であるからだ。
しかし作業員に加工させていたかもしれない。
土は運搬費がかかっていたかもしれないが、これも作業員に運搬させていたかもしれない。

作業員はのべ人数で680万人、796万円のほとんどが人件費として単純計算すると日給1万1000円~1万2000円ほどになる。
日給1万1000円~1万2000円であれば、月に25日働いたとすると月27万5000円から30万円ほどの収入だ。
ただしこれは現在の労働価値で計算している。
昔のことであれば、日給数千円程度であったかもしれない。

当事は貨幣がないので、この日給数千円に該当するような食料・衣類などを支給していたとすれば、仁徳天皇陵の工事は公共工事であったといえる。

エジプトのピラミッド建設は公共工事であったといわれている。
それは労働者に衣類や食料を支給したという記録が残っているためだ。
しかし、仁徳天皇陵建造でそのようなものを支払ったという記述がない。

仁徳天皇の時代から、少し後の飛鳥時代に、聖徳太子が大阪に官寺の四天王寺を建てている。
四天王寺は物部守屋の土地と奴婢(奴隷)を用いて寺を建てたとある。
※古代日本には奴婢という奴隷身分の人々が人口の10%から20%いたとされている。

聖徳太子が官寺を建立するのに奴婢を用いているので、天皇陵を作る際にも奴婢を用いたのではないかと思ったりする。

また古代の日本には雑徭(ぞうよう)という制度があった。
初見は持統天皇6年(692年)で、各種インフラ整備や国衙(役所)等の修築などをさせた。
正丁(21歳~60歳の男性)年間60日以下
次丁(正丁の障害者と老丁(61歳以上の男性))年間30日以下
中男(17~20歳の男性)年間15日以下
食糧の支給はなかったとされる。

つまり、雑徭とは無給で労働を奉仕する税である。

飛鳥時代の制度だが、飛鳥時代に先立つ古墳時代(3世紀中頃 – 7世紀頃)もこれと同様であったかもしれない。(急に世の中が変わるとは思えないので)

国の財源は税である。
公共工事で寿陵を築いたのだとすると、その財源は税である。
結局、国民は自分で支払った米などをいくらか返してもらったにすぎないという理屈になる。

税を停止する一方で、巨大寿陵を築いた仁徳天皇の謎は深い。

③「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」と言ったのは、マリー・アントワネットではなかった。

「日本すばらしい教」の人たちは、「日本はすばらしいが欧米人は劣っている」ともいう。
そしてその例として、マリー・アントワネットの「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」をあげる人もいる。

王妃となったアントワネット (1775年)

王妃となったアントワネット (1775年)

しかし「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」はマリー・アントワネットの発言ではないとされている。

彼女がそのような発言をしたという記録は見つかっていない。

そして、この台詞はジャン=ジャック・ルソーの自伝的な『告白』6巻に出てくる言葉である。
百姓たちには食べるパンがないといわれた王女は、「ではブリオシュ〔パン菓子〕を食べればいい」と答えたという。

『告白が出版されたのは、1782年であるが
6巻が書かれたのは1765年で、このときマリー・アントワネットは9歳で、まだルイ16世のもとへ嫁いでいない。
したがった告白に出てくる王女はマリー・アントワネットではない。

パンが不足していると咎められたマリー・アントワネットが「それならブリオッシュを食べれば良い」と言ったという話は、
1931年に書かれた「点子ちゃんとアントン/エーリッヒ・ケストナー」の中で初めて登場し
フランス革命の時代に引用されたケースはないということである。

フランス革命の前年の1788年、フランスが深刻なパン不足に陥ったとき
マリー・アントワネットは次の様な手紙を書いている。

「不幸せな暮らしをしながら私たちに尽くす人々をみたならば、幸せのためにこれまで以上に身を粉にして働くのが私たちのつとめだということはごくごく当然のことです。陛下はこの真実を理解していらっしゃるように思います。」

この言葉を言った同じ人間が「ブリオッシュを食べればいい」とか「お菓子を食べればいい」などと言うとは思えない。

④アントワネットはどの程度浪費をしたのか


上記記事には次のような内容が記されている。

・王室が使った出費は国庫の10%未満。
・1年に170着以上のドレス。王妃の衣装費を超える。(50年以上も前に決められた額で、アントワネットの時代にはインフレのため貨幣価値が大幅に下がっていた。)
・建築費 バイエルンのルートヴィヒ二世もお城を作りすぎて国庫を危機にさらした。
マリー・アントワネットは「プチ・トレアノン」と言う小さな離宮をもらってそれを改修したのみ。
ただしかなりの費用がかかったらしい。
・トランプ賭博。国から支給される王妃用の手当を使い尽くし、国王が自分の財産から支払った。
・取り巻き費。取り巻きに無用の官位や年金をあげたりして、国庫を圧迫した。
・マリー・アントワネットの浪費は王女が生まれてからなくなった。

池田理代子さんの「ベルサイユのばら」には次のように記されている。
・賭博の借金 50万リーブル(約60億円)
・アクセサリーの借金 100万リーブル(約120億円)
・衣装代赤字 25万リーブル(約30億円)

「ベルサイユのばら」は歴史をよく調べた上で、そこにフィクションをうまくからめて物語が作られている。
読むたび、そのことに感心するが、上の数字が事実かどうかわからない。

事実かどうかわからないが、とりあえず事実とし、そのほかにもポリニャック伯夫人ら取り巻きのために用いたお金が約500億円あったとしよう。
合計で約700億円だ。

ポリニャック公爵夫人

ポリニャック公爵夫人
ヴィジェ=ルブラン画、ワデスドン・マナー(英語版)蔵、1783年

ちなみに公共工事説もあるが、仁徳天皇陵の総工費は約796億円である。

⑤フランスの財政破綻の原因はアメリカ独立戦争の軍事援助では

マリー・アントワネットの浪費がどの程度のものであったのかについてはわからないが、
それが国家財政を傾けるほどのものであったとは思えないというのが、一般的な意見のようである。

ルイ14世の頃には既に赤字で、代々積み重なった赤字は国家の歳入の9倍であったという。
また、フランスの敵国のイギリスがアメリカ独立戦争を始めたために、多額の軍事援助をアメリカに行っている。

マリー・アントワネットと交流のあったハンス・アクセル・フォン・フェルセンも独立戦争に参加している。

「ベルサイユのばら」ではフェルゼンはマリー・アントワネットを忘れるために、独立戦争に参加しており、
そのことが強調されて、軍事費がかさんで国家財政を圧迫したことについてはふれられていないが
やはりこれが国家財政を大きく揺るがしたことだろう。

Hans Axel von Fersen2

ハンス・アクセル・フォン・フェルセン

⑥フランス革命が起こった理由は厳しい身分制度に対する反発

フランスには厳しい身分制度があった。
第一身分・・・聖職者
第二身分・・・貴族
第三身分・・・平民
第一身分の聖職者と第二身分の貴族は免税で、政治に関与できる権利を持っていた。

政府は免税特権を有する身分から課税を図るが、パリ高等法院が新税を拒否。

国王は三部会を開く。
三部会は身分ごとに一票の議決権のため、第一身分と第二身分が有利で、第三身分の反発をまねく。
不満を持った第三身分は国民議会をつくっている。

1789年、「国民議会」は王の軍隊の撤退を要求していたが、国王は撤退させずに、逆に外出と集会の禁止令を出す。
市民らは武器をとってバスティーユ牢獄を襲撃した。

その後国王の軍隊はパリ全土で敗北。
宮廷貴族は群衆に処刑されたり、国外に逃亡した。
国王一家も逃亡を図るが、東部国境に近いヴァレンヌで捕らえられる。
国王一家はタンプル塔に幽閉され、4か月後には「国民公会」により王政の廃止が決定された。
1793年1月に国王はコンコルド広場で処刑、10月にはマリー・アントワネットも処刑された。

このように見てみると、マリー・アントワネットは浪費癖はあったが、
それが原因でフランス国民の生活を圧迫し、フランス革命をひきおこしたとまでは言えないように思う。

Ludvig XVI av Frankrike porträtterad av AF Callet

ルイ16世

⑦「民のかまどは賑わいにけり」「パンがなければお菓子を食べればいいのに」を比較して日本と欧米の優劣を論じるのは不適切

このように見てみると
仁徳天皇の「民のかまどは賑わいにけり」と
マリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べればいいのに」
を並べて比較し、それによって日本と欧米の優劣を論じることが適切でないといえるだろう。

❶「民のかまどは賑わいにけり」は仁徳天皇の言葉ではなく、仁徳天皇の故事をベースにして詠んだ歌で、鎌倉時代に編纂された古今和歌集にでてくる歌の一部。
「パンがなければお菓子を食べればいいのに」はマリー・アントワネットがいった言葉ではない。
彼女が言ったのは「不幸せな暮らしをしながら私たちに尽くす人々をみたならば、幸せのためにこれまで以上に身を粉にして働くのが私たちのつとめだということはごくごく当然のことです。」

❷仁徳天皇は税のとりたてを即位4年から即位10年まで停止しているが、その一方で巨大な寿陵を築いている。
寿陵の築造については公共工事説もあるが、決定的な説ではなく、はっきりしない。

❸マリー・アントワネットに浪費癖があったのは確からしいが、彼女の浪費癖で財政破綻に陥ったのではない。
ルイ14世時にすでに赤字で、代々積み重なった赤字は国家の歳入の9倍。
アメリカ独立戦争において多額の軍事援助をアメリカに行ったことなどが大きい。

⑧総合的な研究・比較が必用。古代エジプト王と信長の比較

日本人論は、個人的な体験やエピソード、諺(ことわざ)などに依存しており、実証的な根拠に乏しい。また、日本人のことだけに言及していて、欧米人との比較がなされていない場合も多い。

内容はざっくりいって次のようなものになると思う。

➀ 心理学的研究
集団主義・個人主義の程度を測定するための調査研究が11件。
「同調行動」に関する実験研究が5件。
自分の利益を犠牲にしてでも集団に献身するという「協力行動」に関する実験研究が6件。
「日本人とアメリカ人とのあいだには明確な差はない」・・・16件
「アメリカ人の方が日本人より集団主義的」・・・5件
「日本人はアメリカ人より集団主義的」・・・1件

⓶ 言語学的研究
日本語は「他者とは明確に切り離された自己」の存在を示す。
「私は寒い」というが、「母は寒い」とは言わない。

③ 教育学的研究
「いじめ」は、「異質なものを排除しようとする集団主義的な日本社会に特有の現象」と評されることが多い。
しかしアメリカでもいじめは多数おきている。

④経済学的研究
「日本的経営」論で言われてきた「終身雇用」や「年功賃金」が事実ではないとする研究。
「系列」にはまったく実体がなかったことを明らかにした研究。
日本政府の「産業政策」が日本の高度経済成長にはほとんど実質的な貢献をしていないとする研究
国内産業を保護するために政府が設定する関税率は歴史的にみると、日本よりアメリカの方が高い。

⑤ 日本人は、「アメリカによる占領の結果、アメリカナイズされて個人主義的になった」というわけではない。
文献調査の結果、戦前も、開国前も、日本人が個人主義的に行動した事例は数多く見出すことができた。

⑥「日本人は集団主義的」という見方は、日本人自身がはじめから持っていたものではなく、欧米人が言い出し
日本人が受け入れた。

「日本がすばらしく、中国や欧米が劣っている」とする説の問題点は、上記で説明されているような総合的な研究・比較を行っていない点である。

数少ないエピソードをひろってきて、そこから結論を出すことはできないのだ。

たとえばマリー・アントワネットのかわりに、ピラミッドを建設した古代エジプト王をもってくることもできる。

仁徳天皇陵建築が公共工事だった説は、根拠がはっきりしないが
ピラミッド建築が公共工事だった戸いうことは、衣料や食料を支給した記録があって支持者が多い。
(ウィキは公共工事には否定的だが)
また「国王ばんざい」と記された落書きが残っていたり、当事の労働者がビールを飲み、牛肉とパンを食べていたことがわかっており、かなりよい暮らしをしていたと考えられている。

そして仁徳天皇のかわりに織田信長をもってくることもできる。
彼は、 長島一向一揆殲滅で男女二万数千人を殺害、越前一向一揆殲滅で1万2000人を処刑したといわれる。
伊賀惣国一揆では、伊賀の総人口9万のうち、およそ3万余が殺害されたとする説もある。
比叡山焼き討ちでは、」『信長公記(しんちょうこうき)』で数千人、宣教師フロイスの書簡では約3000人、貴族の日記にも3000~4000人とある。
ただし、文献に見られるほどの大規模火災を証明する遺構がなく、もっと小規模だったのではないか、とする説もあるが
信長が大勢の国民を殺害したと考えられていることは事実だろう。

織田信長像

織田信長像
狩野元秀(1551〜1601年) - 東京大学史料編纂所

そしてフランスのマリーアントワネットと日本の仁徳天皇を比較してフランス人劣っている、日本人優れているというような理屈が通るのであれば
古代エジプトと日本の織田信長を比較して、「エジプト人優れている、日本人は惨酷で劣っている」とやることも可能になってしまう。

もちろん、数個のエピソードを拾ってきて比較するのはまちがいなので、「エジプト人優れている、日本人は惨酷で劣っている」とはいえない。
すると当然、仁徳天皇とマリー・アントワネットを比較して、「日本人優れている、欧米人おとっている」ともいえない。

  
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