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シドモアが見た明治期の日本17 東京⑪

※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳  講談社学術文庫」よりの引用です。

※p131~p138にかけて、能・歌舞伎・人形両瑠璃などについて述べられているが、それらの長い歴史を検証するのは大変骨が折れ、また私自身あまり鑑賞したことがないため、それらに対して語る資格がないと感じるw
とりあえずこの部分は飛ばして、先に進むことにする。

㊵劇場

p139
とうきょうで大劇場と言えば、新富座[京橋(中央)区新富町]です。間口の長い切妻造の建物で、入場口の上段に役者絵が並び飾られています。

三代目歌川廣重 画 『東京名所之內 第一の劇場新富座』

三代目歌川廣重 画 『東京名所之內 第一の劇場新富座』


p138
通りには茶屋や料亭が連なり、見物客が夕食後にでかけ二時間程度で終わるような短い芝居でないことを暗示しています。あらかじめ観覧団を念入りに編成し、丸一日観劇に没頭します。芝居は通常一一時に始まり、晩の八時か九時頃に終わります。

明治時代の芝居見物はたいへんな長丁場だったのだ。

p139
身分の高い日本人にとり、自ら劇場入口へ行き見物料を払って入場する行為は、かなり体裁の悪いことなので、そういう観客は少なくとも1日前、当日の切符手配のために劇場のそばの茶屋へ使いを走らせ、仲介を通して座席を確保します。つまり茶屋は切符売場と組んだダフ屋なのです!

p139
適当な時間に観覧団一行が茶屋に集まり、当日の昼食や夕食を注文し、それから茶屋の責任者が客を観覧席へ案内します。日に何度か湯茶のサービスがあり、また御用聞きが休憩時間中に「何か欲しいものはございませんか」と注文に来ます。夕食時、品数豊富に料理の入った大きな漆塗りの重箱が運ばれ、パトロンは心地よく座って食事をとります。各座席には、円錐状に炭火が積まれた煙草盆が供えられ、誰もがキセルに火を点け、煙草を吸うと同時に吸殻をコツンと出します。

甚風呂 煙草盆

煙草盆 甚風呂 (和歌山県有田郡湯浅町)

p139
劇場の建物は軽く薄っぺらな木造建築で、至るところに茣蓙や畳が敷いてありどこも似通った造りです。四角い座席、傾斜した床、簡素な低い廊下、そして舞台が場内いっぱいに広がっています。低い横木が床の空間を桝型に分け、客の出入りする連絡橋として役立っています。観客は常時、桝席の床に座って観覧し、格席は六フィート[一・八メートル]角の大きさですべて四人用に設計されています。

安政5年 (1858) の江戸市村座

安政5年 (1858) の江戸市村座 桝席が描かれている。

p139
それら座席の後ろには立見客の囲いがあって、一幕につき銅貨一、二枚程度の料金を払います。この大向こうの囲いは”つんぼ桟敷[幕見席]”と呼ばれていますが、この客の騒々しいことおびただしく、耳の不自由な人でも耳を塞ぎたくなるほどえす。
劇場に入る客は履物に札をつけます。棚は吊るした下駄であふれ、まるで玄関ロビーの飾り物です。建物の中には果物、茶、菓子、煙草、玩具、簪、スターの写真、さらに小間物を売る店があり、桝席の客はどんな買い物も屋外に出る必要はありません。しかも明るく風通しのよい開放的芝居小屋なので、冬場は隙間風が素通りです。

p141
以前は、かなり多くの芝居小屋がフットライトもランプも使用せず、昼間だけの開演でした。古きよき時代は、日没後だんまりやくの黒子が、役者の顔型を照らすため長い棒の先についた蝋燭を指しだして役者の廻りを徘徊するので、観衆は表情豊かな役者の見事な演技を見ることが出来ました。

舞台上の黒衣

舞台上の黒衣

3人の黒衣が描かれている歌川国芳の役者絵

3人の黒衣が描かれている歌川国芳の役者絵

黒子は黒衣ともいうそうである。
黒子が蝋燭を持って役者の顔を照らし出す舞台を見てみたいものだ。

p141
役者は、観客席の間にある高く長い二つの通路から舞台へ出るので、外から入ってきたように見えます。通路は桝席の観客の頭の高さと同じで、これを花道と呼びます。

花道上の二代目市川猿之助の弁慶

花道上の二代目市川猿之助の弁慶

p142
私は日本で最高傑作といわれる背景画を何度か見たことがありますが、その舞台の幽霊、鬼神、怪物はほかでは見ることのできない、ど迫力でした。”正直者セービー[清兵衛?]”の芝居では雨降る黄昏時、竹藪の中での殺人場面があり、それはヘンリー・アーヴィング英国の名優もジュル・クラレッティ[フランスの劇作家]も凌ぐ傑作でした。

ヘンリー・アーヴィングは俳優業だけでなく、演出家としても活躍された。
「ロミオとジュリエット」「ファウスト」などを演じた。

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ヘンリー・アーヴィング

ジュール・クラレッティはフランスのジャーナリスト、エッセイスト、劇作家、小説家とのこと。

正直清兵衛というのは次のような話で、二世河竹新七(黙阿弥)が歌舞伎に脚色し、安政4年(1857)5月、「敵討噂古市」という題で市村座で初演されている。

八百屋の清兵衛は十五両もの金が入った財布をおとし、杉酒屋の忠右衛門がひろったがネコババする。
清兵衛が「財布を落とした。私が大病をしたときに娘が身を売ってこしらえてくれた金がはいっていた。」といってやってきたが、居酒屋はしらないとしらをきる。
清兵衛は帰って行ったが、居酒屋は「ネコババがばれて、過去の横領事件も罪に問われるのではないか」と心配になり
清兵衛の後を追いかけて清兵衛を殺した。
しばらくして女房が出産したが、皺があって白髪の異形の子を産んだ。

p142
さらに”鍋島の吸血猫”や”東海道の怪猫”に登場する若き美女は素早く魔物に変化し、ジキル博士がハイド氏に変身する以上の気味の悪さです。


「東海道の怪猫」とは『梅初春五十三駅』のことだろうか。

歌川国芳画『梅初春五十三駅』は1835年(天保6年)に市村座で上演された同名の歌舞伎の場面を描いたものとのことだが、手ぬぐいを被った猫が描かれている。。

てぬぐい猫という怪談がある。
東海道五十三次の戸塚宿(現・神奈川県横浜市戸塚区)の醤油屋で、夜ごとに手拭が1本ずつなくなるという事件があった。
ある夜、醤油屋の主人が仕事場にでかけると、大勢の猫が集まって主人の飼い猫が手ぬぐいを被って踊っていたというのだ。

歌川国芳の絵に描かれた手ぬぐいを被った猫のルーツはこの手ぬぐい猫ではないだろうか。

歌川国芳画『梅初春五十三駅』。1835年(天保6年)に市村座で上演された、同名の歌舞伎の場面を描いたもの。

歌川国芳画『梅初春五十三駅』。1835年(天保6年)に市村座で上演された、同名の歌舞伎の場面を描いたもの。


「ジキル博士とハイド氏」はロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説である。

ジキル博士は、人格から悪の側面のみを切り離して別人格を出現させる薬品を発明してハイドという別人格に変身していたが、しだいに薬を服用しなくてもハイドになってしまうようになり、ついにはジキルに戻るための薬がつきて自殺してはてる。

リチャード・マンスフィールド扮するジキルがハイドに変身する場面。

リチャード・マンスフィールド扮するジキルがハイドに変身する場面。

p142
日本野劇場では回り舞台がよく使われ、これは二〇〇年間も続くどくそうてき斬新なアイデアの賜物です。直径二〇フィート[六メートル]とか、三〇フィート[九メートル]の舞台床の部分は鉄道転車台のようにグアヤック樹木製車輪で回転しますが、これは床下の担当係が布圧縮機に似た突出棒に肩を当てて動かします。

 

舞台装置の転換

 舞台装置の転換


↑ リンク先に回り舞台の下の奈落の写真が掲載されている。

 

p142
ところで妙なことに、開幕の会津はコメディ・フランセーズ[パリの国立劇場]に似て、床を大きな棒で三度強打するのです。

シドモアは歌舞伎の話をしていると思うが、歌舞伎の開演の合図は一番太鼓だと書いてある記事があった。
https://www.kabuki-bito.jp/news/818
中村座だけのことかもしれない。(わかる方、教えてください)

歌舞伎の演目も数多くある京都の六斎念仏でも始まりは大きな太鼓を鳴らす。

コメディ・フランセーズはわからない。


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