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シドモアが見た明治期の日本⓾ 東京4 ※追記あり


ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳  講談社学術文庫」よりの引用です。

⓬仲見世商店街

雷門

雷門をくぐると

仲見世商店街

仲見世商店街がある。

明治末期の仲見世

明治末期の仲見世はこんな感じだった。

上の写真向かって左上のほうに、現在存在していない建物が写っている。
凌雲閣という建物である。

凌雲閣

浅草公園に1890年(明治23年)に建てられた12階建ての展望塔で、当事の日本で最も高い建築物で、日本初の電動式エレベーターがあった。
同じ名前の建物が1889年、大阪にも建てられたが、こちらは9層楼だった。

浅草の凌雲閣は1923年(大正12年)の関東大震災で半壊して、解体された。

「シドモア日本紀行」は1884(明治17)年から1902(明治35年)の記録なので、シドモアは浅草の凌雲閣を見たかもしれないが、記事には凌雲閣については触れられていない。

シドモアは富士山縦覧場(高さ32.8m、1887年11月開場)について記しているのだが、
この富士山縦覧場は1890年に取り壊され、その後、凌雲閣が建てられている。
シドモア日本紀行・浅草寺の記事は凌雲閣がたてられる以前のものである。

p87
巡回動物園がさまよう田舎者の関心を呼び、さらに物好きな客は広大な都会の周辺を見晴らすため、木製、画布、厚紙でできた富士山への登り口へ苦労しながら進み入場料を払い、模擬山の木造斜面で真夏のトボガン橇遊びを楽しみます。[明治二〇~二三年浅草ロックにあった高さ二〇メートル、山麓四五メートル四方の人造富士のこと。]

ウィキペディアは32.8メートル、シドモア日本紀行は高さ20メートルとなっていて食い違っているがどちらが正しいのだろうか。 

下記動画4:58あたりに、富士山縦覧場の絵がでてくる。

>

トボガンそりは、イヌイットや、インディアン部族のクリー族が使う簡単な作りの橇のことだが、シドモアが書いているように、橇で富士山を滑り降りていたとは思われない。

動画5:23あたりで「山の外周を螺旋状に上っていく階段を設置して」といっている。
おそらく、橇で滑り下りることのできる斜面はなかったのではないだろうか。

p86
日本の三十三ヵ所観音巡りの中でも特に有名な寺として庶民のすうはいする重要な場所で、よそでは見られぬ”虚栄の市”[英国作家バンヤン著作『天路歴程』に掲載]の中心です。

『天路歴程』は イギリスのジョン・バニヤン(バンヤンとも)による寓意物語で、Part Iは1678年 、 Part II は1684年に記された。

プロテスタント世界で最も多く読まれた宗教書とのこと。

「破滅の町」に住んでいたクリスチャンが、「天の都」にたどりつくまでの旅物語。

クリスチャンはその旅の途中で「虚栄の市」を訪れる。
「虚栄の市」では家、土地、商売、場所、名誉、称号、国、王国、欲望、快楽、などなど、さまざまなものが売られているが、クリスチャンは買い物をしなかった。

おそらく浅草寺門前の「仲見世通り商店街」のことを「虚栄の市」と表現したのだと思われる。

日本の寺社の門前には門前町といって旅館・土産物屋・娯楽施設などあるのが当たり前である。
これは必要があって生じたという側面もあるだろうが、
私は市は神事として成立したのではないかと思っている。(あくまで私説w)

いま探しても見つからないのだが、古には虹はまがまがしいものであり、虹が出た場所に市をたてたと聞いたことがある。
大阪の住吉大社では宝之市神事が行われている。
大阪天満宮・道明寺天満宮などで嘘替神事が行われている。
鷽鳥の入った紙袋を大勢の人と交換を繰り返すという神事で、こうすることによって、嘘を誠に変えることができるとされている。
交換することによって穢れを清められるという信仰があったのではないかと思う。

私は海外にはいったことはないのだが、プロテスタント教会の門前には、日本のような門前町はないのだろうか?
(ご存じの方、教えてください。)

仲見世商店街の起源は江戸時代前期、浅草寺の周辺住民に対して掃除が義務づけられていたのだが、その見返りとして参道での営業許可が与えられたのだという。

明治時代、寺領が政府に没収されて東京府の管轄となり、仲見世の店は退店させられたが
1885年に赤煉瓦造りの新店舗が作られた。

1923年(大正12年)の関東大震災で赤煉瓦の店舗は壊れたが、1925年(大正14年)に桃山風朱塗りの鉄筋コンクリート造りの商店街がつくられた。

22734471_s.jpg

現在の仲見世商店街

⓭浅草寺

p87
本物の楼門を潜ると、これが巨大な仁王に守られていることに気づきます。格子にはお札の紙粒が張り付いているのは、信者がお札を噛んで恭しく球にし、仁王へ投げるからです。紙粒てが格子にくっつくと、前途有望な前兆となります。

こんな習慣があったとは他の寺社でも聞いたことがない。初めて聞いたw
これは事実なのだろうか?

浅草寺 宝蔵門

これは現在の宝蔵門。1964(昭和39)年にに再建された鉄筋コンクリート造の門。
再建前は仁王門と呼ばれていた。

仁王像もこのとき新しく作られたもので木彫家・村岡久作の作。シドモアが見た物ではない。

浅草寺 宝蔵門 仁王2

浅草寺 宝蔵門 仁王


関東大震災直後。仲見世は全焼したが、境内は被害を免れた。

上は関東大震災(1923年)直後の仲見世。
中央に映っているのがシドモアが見た仁王門だろう。
その仁王門の向かって右に五重塔が写っているが、現在の五重塔はこの位置にはない。
上の写真でいうと仁王門の向かって左に再建されている。

シドモアが見たと思われる(五重塔についての記述はない)五重塔は1945(昭和20)年の東京大空襲で焼失した。
浅草寺にはかつて三重塔もあったが1631(寛永8)年に消失していた。
その三重塔の跡地に、1973(昭和48年)年五重塔が再建された。

東都金龍山浅草寺図 (魚屋北渓画、文政3年(1820年))

東都金龍山浅草寺図 (魚屋北渓画、文政3年(1820年))

浅草寺と宝蔵門

浅草寺 五重塔

現在の浅草寺 五重塔

p87
それから信者は貴重な古い祈祷車[転輪蔵、マニ車]を回すことも可能で、車に付いた棒に肩を押し付け、仏教狂言の回転書庫を一回転させると、全経典の知的財産が信者本人へ授けられるという寸法です。


マニ車とはお経の文言などを輪の側面に記したもので、これを回転させることで、お経を読んだことになるとされた。

しかし浅草寺でそのようなマニ車を見かけたかどうか?記憶にない。
古い貴重なものだということなので、痛まないように保管してあるか、地震、空襲などで失われたのかもしれない。

誠心院 マニ車

上は京都・誠心院の鈴成り輪だが、マニ車だと考えていいだろう。
輪の側面に梵字が刻まれている。

p87
また心優しい人びとは、虜になった燕を解放するため小銭を払いますが、なんと燕は毎晩、虜にしている飼い主のところへ飛んで戻ってくるのです!

これは意味がよくわからなかったが、友人が放生会のことではないかとヒントをくれた。

放生会とは金魚や鳩などを池や空に放つ仏教行事で、こうすることによって殺生の罪が赦されると考えられたのだろう。
かつて江戸では亀を客に売り、客が放った亀を亀屋が再び捕まえて客に売るという商売があったそうで、
歌川広重がこんな絵を描いている。

名所江戸百景 『深川万年橋』

亀を買う客は、放生の儀式を行うため亀を買って、川に放つのだ。
亀のかわりに燕をもちいて商売をする人が浅草寺にはいたということだろう。

燕が毎晩戻ってくる飼い主とは、放生の儀式のため、参拝者に燕を売る商人のことだろう。

すなわち、参拝者は放生の儀式のため、商人から燕を買って空に放つが、夜になると燕はその商人のところにもどってきて
翌日にはまた参拝者がその燕を買って空に放つというわけである。

p88
しかし、格子の後ろでは蝋燭が燃え、チンチンと鉦が鳴り、僧侶は詠唱を繰り返します。
参拝者は行列を作りながら、両手をぴしゃりと合わせ叩いたり、銅貨を放り投げたりして自分たちの境遇を一切忘れ、無心に祈ります。

一般的に仏教寺院では柏手は打たないと思っていたが、調べてみると古には寺社に関係なく手を叩いていたと書いてある記事があった。
明治政府が神仏分離政策をとった際に、拍手は神社の礼儀とされた、
現在でも津軽の人のおおよそ半分はお寺で手を叩く、と記されている。


シドモアが浅草寺を訪れたのは、富士山縦覧場があった1887(明治20)年から1890(明治23)年の間である。
神仏分離令がだされたのは1868(明治元)年で、神仏分離令から20年がたっていたのだが、寺で柏手を打つ習慣はまだ残っていたということかもしれない。

浅草寺 本堂

これは現在の本堂である。
シドモアが見た本堂は、1945(昭和20)年の東京大空襲で焼失し、1958(昭和33)年に再建された。
しかし大勢の人が参拝しているのは、明治期とかわらない。

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浅草寺 二天門 (Photo ACさんからおかりしたもの。五重塔も写っていて、とてもよい写真だと思う。)

浅草神社

浅草神社

シドモアはふれていないが、浅草寺二天門・浅草神社はシドモアが見たのと同じものが、現存している。

門の左右の二天(持国天、増長天)は上野の寛永寺墓地・厳有院(徳川家綱)霊廟から移されたものとのこと。


※追記
シドモアは浅草寺五重塔、二天門、隣接する浅草神社や、浅草寺縁起にはふれずに、なぜ仁王門にはりついたお札の紙球やマニ車、放生用燕売りにページをさいているのか。

それは、それらがシドモアに「虚栄の市」を強くイメージさせたためではないだろうか。
仏の教えよりも巡回動物園に興味を持つ人々、
偽物の富士山に登る人々、
経典を読んで理解しようとせず、マニ車をまわして功徳を得ようとする人々
人々はとらわれている燕のために金銭を支払って燕を解放してやるが、それは燕の自由につながっていない。
なぜなら、その燕は燕を売る商人のところに再び戻ってくる。
そして、また人々は放生のため燕を買い、空に放つが、また燕は商人のもとに戻ってくるのだから。
しかも、人々はその商いのしくみを知っていて、あえてやっていたのだろう。
形にとらわれ、内容をおろそかにする人々が大勢参拝に訪れる浅草寺。
シドモアはそのような風景を描こうとしたのではないだろうか。



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