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トンデモもののけ辞典100 貝吹坊『児島高徳と修験道』

①貝吹坊

貝吹坊(かいふきぼう)は、備前国(現・岡山県)和気郡に伝わる妖怪。熊山城跡の堀の水中に棲んでいたとされ、ホラガイを吹く音のような「ボー、ボー」という声をあげる。姿を見せずに音のみを出す妖怪とされる[1]。

水木しげるの著書によれば、かつて味地義兵衛という者が、唐津城の壕に妖怪がいると聞いて調べに赴いたところ、壕から青い目を光らせた妖怪が現れたことがあり、この妖怪が貝吹坊の一種であろうと述べられている[2]。このことから平成以降の妖怪関連の文献では、貝吹坊は青い目を持つ妖怪と解説されていることもあるが[3]、唐津城の妖怪譚は天保時代の随筆『思斉漫録』にあるもので、原典に貝吹坊の名はない[4]。
また水木はかつて、池で食用ガエルの鳴く音に驚いた経験があることから、食用ガエル(ウシガエル)が正体だったとも見られている[2][5]。


⓶貝吹坊はウシガエル?

「食用ガエル(ウシガエル)が正体だったとも見られている」とあるが、これはありそうである。

「堀の水中に棲んでいたとされ、ホラガイを吹く音のような「ボー、ボー」という声をあげる。
というのもウシガエルを思わせる。


法螺貝の音も聴いてみよう。



なるほど、法螺貝を短く吹いた時の音はウシガエルが鳴く声のように聞こえる。


「水木しげるの著書によれば、かつて味地義兵衛という者が、唐津城の壕に妖怪がいると聞いて調べに赴いたところ、壕から青い目を光らせた妖怪が現れたことがあり、この妖怪が貝吹坊の一種であろうと述べられている。」


とあるが、一つ目の動画を見ると、ウシガエルの目は青く見える。
ネットで他のウシガエルの写真を見てもやはり目が青い。


③天保時代、ウシガエルは日本にはいなかった。


ウシガエルが日本に入ってきたのは、1918年(大正7年/または1917年、1919年)である。
動物学者の渡瀬庄三郎が、食用としてアメリカ合衆国・ルイジアナ州ニューオリンズから17匹を輸入した。
ということは、ウシガエルは1918年以前には日本にいなかった可能性が高い。


そして「唐津城の妖怪譚は天保時代の随筆『思斉漫録』にあるもので、原典に貝吹坊の名はない。」


④貝吹坊はタゴガエル?


https://www.youtube.com/playlist?list=PL5TJw1GhFqUppRHW1bkthWCGhPMmHT621


上は蛙の鳴き声リストである。(比較がしやすいです。ありがとうございます!)


聴き比べてみたところ、タゴガエルがいちばん「ボー、ボー」という音に近いように思った。



タゴガエルは日本固有種で本州、四国、九州の山地に棲息するそうである。


「貝吹坊は熊山城跡の堀の水中に棲んでいた」とあるが、熊山城は標高509mの熊山にあった城であるといい、タゴガエルが棲息していそうに思われる。


ただしタゴガエルの目は青くは見えない。


⑤日本のピラミッド遺跡


熊山には古代から中世にかけて霊山寺という寺院があったそうである。
熊山遺跡と呼ばれる石積遺跡があるとのこと。


熊山遺跡


熊山の標高350メートル以上の場所には同様の遺構が32基もあるのだという。


ピラミッドのようだが、このようなピラミッド状の仏塔は奈良市の頭塔、大阪府堺市の土塔など
日本にいくつか存在している。


頭塔


頭塔


土塔


土塔


熊山遺跡は仏塔とされている。


これは余談w


⑥児島高徳


熊山の熊山城跡には建武3年(1336年)に熊山で挙兵した児島高徳の腰掛岩と旗立岩があるそうである。


児島高徳は後世、南朝側の忠臣として讃えられた人物である。

出自など詳しいことはわからないが、一説によると後鳥羽天皇の後胤であるという。


承久の乱の折、後鳥羽上皇の第四皇子・冷泉宮頼仁親王が備前国児島へと配流となり、その孫の僧・頼宴の子という説[5]。五流尊瀧院は修験道の一流を担っており、延いては高徳を山伏勢力と結びつける説でもある。この説は、醍醐天皇の皇子・源允明(みなもと の すけあきら)の子・福慶が児島に居住し、その11代目[2]、または宇多天皇の皇子・敦慶親王が児島に配流されたのち、その子・福慶から14代目[6]・和田(児島)備後守範長の娘・信夫(しのぶ)が頼宴へ嫁いで出生したのが高徳であり[5]、これをもって和田(児島)範長は高徳の外祖父とすることができる。高徳が7歳の時、範長の養嗣子になったとされ、和田(児島)範長は養父となる[2]。ただし、後鳥羽上皇の後裔であるとする系図は明治時代に作られたものであり、それ以前からこのような伝承があったという証拠はない。

尚、五流尊瀧院内に現存する頼仁親王当時建立とされる石塔を昭和45年(1970年)に修繕・調査した際、舎利が発見された。これを受け、頼仁親王と弟の桜井宮覚仁親王が後鳥羽上皇一周忌の際に分骨を行い、これとともにこの石塔を建立したのではないか、という従来からの通説はより濃厚となった。しかし、高徳の出自と関連付け、これの後裔であるとするには到らない。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E5%B3%B6%E9%AB%98%E5%BE%B3 より引用


上の記事は書いてある内容がわかりにくいが、たぶんこういうことだとおもう。


❶高徳の母方の家系

・和田(児島)範長ー信夫(娘)が頼宴へ嫁ぐー児島高徳


・和田(児島)範長の出自は2つの説がある。



a.醍醐天皇の皇子・源允明(みなもと の すけあきら)の子・福慶が児島に居住した。その福慶の11代目
  醍醐天皇ー源允明ー福慶ー11代目 和田(児島)範長


b.宇多天皇の皇子・敦慶親王が児島に配流されたのち、敦慶親王の子・福慶から14代目
  宇多天皇ー敦慶親王ー福慶ー14代目 和田(児島)範長


❷高徳の父方の家系


・承久の乱の際、後鳥羽上皇の第四皇子・冷泉宮頼仁親王が備前国児島へと配流となった。頼仁親王の孫の僧・頼宴
 後鳥羽上皇ー頼仁親王ー〇〇ー頼宴ー児島高徳


つまり高徳の母方先祖は醍醐天皇または宇多天皇、父方先祖は後鳥羽上皇という尊い生まれであるということだろう。


この地には役行者の弟子が創建したと伝わる僧・頼宴は五流尊瀧院の大僧正ということだろうか。


このあたり、ウィキペディアにははっきりと記されていないのでよくわからないのだが、
「五流尊瀧院は修験道の一流を担っており、延いては高徳を山伏勢力と結びつける説でもある。」とあるので、
あるいはそういうことかもしれない。


高徳の出自の真偽はともかくとして、五流尊瀧院に児島高徳社が祀られていることに注意したい。


五流尊瀧院は天台修験系の一宗派「修験道」の総本山である。
修験道というからには、法螺貝を吹くのではないかと思うのだがどうだろう。


また戦の際には法螺貝を吹いたという。


児島高徳は熊山の熊山城で挙兵した。
この熊山城跡の堀の水中から聞こえる「ボー、ボー」という声は法螺貝のようで、五流尊瀧院と関係が深い児島高徳を、
また熊山城で挙兵した児島高徳を、人々に思いださせたことだろう。



妖怪・貝吹坊の正体は児島高徳ではないだろうか?



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