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トンデモもののけ辞典 貝児99 『貝合わせの夫婦和合から生まれた妖怪?』

貝児

鳥山石燕『百器徒然袋』より「貝児」

上の絵はかすれたりしていてわかりにくい。
こちらの絵のほうが見やすいと思う.。→ https://w.atwiki.jp/deadsoul/pages/82.html

①貝児

貝児(かいちご)は、鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本の妖怪の一つで、貝桶(かいおけ)の妖怪。
概要
貝桶とは、日本の中世から江戸時代にかけて伝わる遊戯の貝合わせや貝覆いに用いる貝殻の入れ物であり、画図では貝桶から子供のような姿の者が這い出る姿が描かれている。解説文には「この貝児は這子の兄弟にやと、おぼつかなく夢心に思ひぬ」とあるが、這子とは幼児のお守りに使われた四つんばい姿の幼児の人形のことで、石燕は貝児をその這子の兄弟かとしている[1]。
現代では、遊びに飽きて使われることのなくなった貝が付喪神(器物が化けた妖怪)となったもの[2]、もしくは、かつて貝桶は母親から娘へ贈られる嫁入り道具の一つとして珍重されており、古来の嫁入り道具は親から子へと受け継がれ、数百年も伝わっているものも珍しくなかったことから、歳月を経た嫁入り道具の貝桶から生まれたものなどと解釈されている[3]。
この貝児が出現したという明確な伝承は残されていないため、石燕の創作物とする説もある[1]。


⓶貝桶

貝桶は雛祭に雛の道具として飾られることも多い。
2個で一組になっている。


石燕の絵には梅や松の絵の描かれた八角形の箱が描かれているが、これが貝桶だろう。
貝桶は八角形の形をしているのが一般的であるようだ。

貝桶

ミニチュアの貝桶(雛の道具)写真向かって右上 京都・法住寺にて

③貝合わせ

「貝合わせ」は貴族社会に発生し、長く受け継がれた王朝遊びとして知られていますが、平安時代の「貝合わせ」は、貝殻の形や色合いの美しさや珍しさを愛で、その貝殻を題材にして歌を詠じ、優劣を競う遊びでした。それとは別に、一対の貝における身と蓋(ふた)を合わせる遊戯があり、それは「貝覆い」と呼ばれていました。時代が下ると、この遊びもまた「貝合わせ」と呼ばれるようになり、今日に伝えられています。より引用


④貝覆い


0:16
蝶番のついていたところを自分の方に向け、すべて身と蓋にわけます。

といっている。
しかし、これではどちらが身で、どちらが蓋なのかわからない。

これについての丁寧に説明した記事があった。

「貝合わせ」の遊戯に使用する貝殻を「合わせ貝」といいます。一対の貝の蝶番になったところをよく観察すると、凸になった方と凹になった方があるのに気付きます。凸になった方を“陽”(=地貝/じがい)、凹になった方を“陰”(=出貝/だしがい)と呼び、男女に見立てられた合わせ貝は、別々の貝桶に収めて保存されます。


貝合わせ(古くは貝覆い)に使用される蛤貝は360個とされ、貝の並べ方にもルールがあったようです。  江戸時代に遊ばれた「合わせ貝」には、幅9cmほどもある大きな蛤貝が用いられ、金箔や蒔絵で美しく装飾されていました。これらのうち、凸の貝“地貝”を同心円状に伏せて並べおき、その中心に凹の貝“出し貝”をひとつ伏せおいて、多くの中から、もとの一対を探します。対になる貝を違えないところから夫婦和合の象徴とされました。大名の姫君の婚礼調度の中で、合わせ貝とそれを収めた貝桶は、最も重要な意味を持ち、婚礼行列の際には先頭で運ばれたといいます。
 合わせ貝とそれを収めた貝桶を小さく作った雛道具は、古くから雛人形とともに飾られてきました。


上の動画をみると、貝桶は3つある。
黒色で赤い紐がかけられたものが2つ、これは凸(陽=地貝)と、凹(陰=出貝)を分けていれておくものだろう。

そしてもうひとつ、白い貝桶があり、そこから貝を取り出している。
白い貝桶のほうは、凹凸を合わせた貝を入れておくためのもののようだ。

これを天地に象(かたど)り、男女に付会し、別々の貝桶におさめ、天文暦学等に関連せしめて、遊びの方法が定められた。天にかたどった地貝の伏せ方は、まず中央に12ヶ月にかたどって12個を伏せ、7曜日にかたどってしだいに7個をくわえ、1年の日数にかたどった360個のハマグリ殻を過不足無く9列にならべる。9列であるのは昔の天文学で天を九重と考えたからであるという。すなわち口が12、次が19とある。この19という数は暦学上重要な数であり陽暦も陰暦も19箇年で一循環するという。

地貝を立て終ると、出役の女房が出貝桶から出貝1個を取り出し、中央に伏せる。周囲に並んだ20人以上の姫君方が、360の地貝に斑紋や形状等の出貝と全く同じものを見定め、おもむろに1対のハマグリ殻を掌中に取り上げ、片手で合わせ、よくあったならば、2つにわけて膝の前に伏せる。出役が出貝を中心に伏せると、また同じことを繰り返し、最も多く取った者が勝である。


貝合わせ

京都・法住寺にて

⑤貝や貝桶は夫婦和合の象徴

~略~
また、対になる貝を違えないところから夫婦和合の象徴として、公家や大名家の嫁入り道具の美しい貝桶や貝が作られた。貝の内側に描かれるのは自然の風物や土佐一門風の公家の男女が多く、対になる貝には同じく対になる絵が描かれた。美しく装飾された合貝を納めた貝桶は八角形の形をしており二個一対であった。大名家の姫の婚礼調度の中で最も重要な意味を持ち、婚礼行列の際には先頭で運ばれた。婚礼行列が婚家に到着すると、まず初めに貝桶を新婦側から婚家側に引き渡す「貝桶渡し」の儀式が行われた。貝桶渡しは家老などの重臣が担当し、大名家の婚礼に置いて重要な儀式であった。現在では人前式のセレモニー「貝合わせの儀」として使用されるようになった。

より引用

⑤貝児は、貝から生まれた妖怪?

さて、④で貝桶は3つあるという話をした。

1.凸(陽=地貝)を入れるためのもの
2.凹(陰=出貝)   をいれるためのもの
3.凹凸をあわせた貝をいれるためのもの

貝児が這いでようとしている貝桶はどれだろうか。
絵に描かれた形などから見分けることは私にはできないが
「3.凹凸をあわせた貝をいれるためのもの」ではないかと思った。

その理由は、凹凸を合わせた貝は夫婦和合の象徴であるからだ。
夫婦が和合すると子どもができる。
つまり、貝児は、貝桶の中の合わさった貝から生まれた妖怪ではないかということだ。

⑥雛祭りはエロい行事だった?

貝桶は雛祭りの雛壇にそのミニチュアを飾ったりする習慣があるが
そもそも雛祭りとはエロい行事であるように思える。

ネットを検索すると雛祭りの菱餅は女陰を、甘酒は精液をあらわしているとする記事ヤカキコミが結構みつかる。
それはありそうである。

また雛祭りには蛤のお吸い物を食べるが、梅原猛さんは貝とは女陰を表しているのではないかと言っておられた。


↑ こちらの記事にも書いたのだが、こんな風に記されたサイトがある。

「水揚がすんで一本になつた芸妓のことをいふ。又は単に女の局部を蛤ともいふ。半玉を蜆といふが如し。」
https://www.weblio.jp/content/%E8%9B%A4 「隠語大辞典」より引用

一本とは一人前の芸妓のこと、半玉とはまだ一人前になっておらず、玉代(ぎょくだい/花代のこと)も半人分の芸者のことである。

つまり、貝は夫婦和合の象徴でもあり、女陰そのものの隠語でもあったわけである。

貝児とは、その貝(女陰)から生まれてきた児という意味ではないだろうか。

菱餅

京都・法住寺にて

⑥這子

石燕の解説文には「この貝児は這子の兄弟にやと、おぼつかなく夢心に思ひぬ」とある。
「この貝稚は這子の兄弟であろうかと、ぼんやり夢心に思った。」というような意味である。

ここに記されている這子(ほうこ)とは、はいはいする赤ん坊に似せた人形で、古に身代わり人形として作られた。

這子

這子 滋賀・寿長生の郷にて

もともとの這子は「さるぼぼ」のように布を縫い合わせて作った簡素なものであった。
https://japan-toy-museum.org/archives/3478 リンク先上から6枚目

同様の人形に天児人形があるが、天児は頭部以外は木製で作られている。


天児

天児 京都・市比売神社にて

市比売神社 天児

着物を着せていない天児 京都・市比売神社にて


いつもお読みいただきありがとうございます。
明日は写真の整理のため、ブログは休ませていただきます。よろしくお願いしまーす。













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