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トンデモもののけ辞典91 鬼一口『鬼に食われた在原業平の野望』


①鬼一口

鬼一口(おにひとくち)とは、日本の説話において、鬼が一口にして人間を食い殺すことをいう[1]。
概要
代表的な話として挙げられているものに、平安時代初期の歌物語『伊勢物語』第6段の「芥川の段」がある。ある男が何年も女のもとへ通い続けていたが、身分の違いからなかなか結ばれることができなかった。あるとき、男はついにその女を盗み出したが、逃走の途中で夜が更けた上に雷雨に見舞われたために、戸締りのない蔵を見つけて女を中へ入れ、自分は弓矢を手にして蔵の前で番をして、夜明けを待った。やがて夜が明けて蔵の中を覗き見ると、女の姿はどこにもなかった。女はその蔵の中に住んでいた鬼に一口で食い殺され、死に際に上げた悲鳴も雷鳴にかき消されてしまったのである[1][2]。
鳥山石燕は妖怪画集『今昔百鬼拾遺』に『鬼一口』と題してこの話を描いており、解説文では男は在原業平、女は藤原高子としているが、実際には『伊勢物語』には男女の名は明記されておらず、これを在原業平らの物語と見なすのは俗解とされている[3]。
ほかにも平安初期の説話集『日本霊異記』には、男女が一夜の契りを結ぶが、実はその男が鬼で女を食べてしまう話、平安末期の説話集『今昔物語集』には夜道を歩いていた女たちの1人を男が突然連れ去り、その男が実は鬼で、女を一口で食べてしまうという話がある[2]。
このように「鬼一口」の話が多いのは、戦乱、災害、飢饉などによって人が命を落としたり消息を絶ったりしたことを、異界から現世に鬼が現れて人間を奪い去って行くものと解釈したとの説がある[4]。



鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「鬼一口」

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「鬼一口」

⓶伊勢物語・芥川の段

鳥山石燕の「鬼一口」には次のような文章が添えられている。

在原業平二条の后をぬすみいでゝ、あばら屋にやどれるに、鬼一口にくひけるよし、いせ物がたりに見えたり
しら玉か何ぞと人のとひし時露とこたへてきえなましものを

これは平安時代に成立した伊勢物語・芥川の段の内容を記したものである。

ウィキペディアの解説でも説明されているが、短い文章なので全文よんでみることにしよう。

【伊勢物語原文】

昔、男ありけり。
女の、え得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。
芥川といふ河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ。」となむ男に問ひける。

行く先多く、夜も更けにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥に押し入れて、男、弓、やなぐひを負ひて戸口にをり、はや(*)夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に喰ひてけり。
「あなや。」と言ひけれど、神鳴る騒ぎにえ聞かざりけり。

やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。
足ずりをして泣けどもかひなし。
[白玉か何ぞと人の問ひし時 露と答へて消えなましものを]

これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給へりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出でたりけるを、御兄堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下臈にて内裏へ参り給ふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめてとり返し給うてけり。

それをかく鬼とは言ふなりけり。
まだいと若うて、后のただにおはしける時とや。

現代語訳すると、こんな感じになると思う。(おかしい点があればご指摘くださるとありがたいです。)

昔、男がいた。
とても得ることができない女を、何年にもわたって夜這いしていたが
なんとか盗んでたいへん暗い夜に逃げてきた。
芥川という川を女を連れていくと、草の上の露を見て女は「あれはなあに」と男に問うた。
行く先が長く、夜も更けたので、鬼のいる所とも知らないで、雷がひどく鳴り、雨も激しく降っていたので
粗末な蔵の奥に女を押し入れて、男は弓、やなぐい(弓をいれる道具)を背負って蔵の戸口にいた。
「早く夜が明けるといいのに」と思っていると、鬼は女を一口に食ってしまった。
女は「あれえ」と言ったが、雷の音に打ち消されて男には聞こえなかった。
ようやく夜が明けて来たので、男は蔵の中を見たが、つれてきた女がいない。
男は地団太を踏んで泣いたがとりかえしようもない。
男は歌を詠んだ。
白玉か 何ぞと 人の問ひし時 露と答へて 消えなましものを
(「白玉ですか、何でしょうか」と女が聞いたとき、露と答えて消えてしまえばよかったのに)
これは、二条の后が、いとこの女御に仕えていたときに、二条の后が大変美しかったので、
男が盗んで背負って逃げたのを、二条の后の兄の堀河の大臣、太郎国経の大納言が、まだまだ官位の低い役人として宮中に仕えておられたところ、ひどく泣く人がいるのを聞きつけて、男をひきとめて二条の后を取り返したのだった。
それをこのように鬼と言ったのである。
まだ大変若く、二条の后が普通の身分であられた時のことだという。

「芥川」は大阪府高槻市を流れる川で、「芥(あくた)」とは「ごみ、ちり、くず」という意味である。

芥川

白玉か 何ぞと 人の問ひし時 露と答へて 消えなましものを
(「白玉ですか、何でしょうか」と女が聞いたとき、露と答えて消えてしまえばよかったのに)

露がちりのように粉々になって消えてしまうという意味で、芥川(ちりの川)を舞台とした物語になっているのではないかと私は思う。

実際には『伊勢物語』には男女の名は明記されておらず、これを在原業平らの物語と見なすのは俗解とされている[3]。

とあるのは、ちょっとよくわからない。

ウィキペディアによると、二条の后とは清和天皇の女御・藤原高子の通称とでてくるし
堀川の大臣とは高子の同母兄の基経の事と出てくる。

また男は在原業平と考えてよいと思う。
その理由は、古今和歌集に業平作とある和歌が、伊勢物語の中では男が詠んだとされているからだ。

③妖怪は比喩表現がうのみにされることで信じられるようになった?

私は怨霊や妖怪を愛しているが、本当にそのようなものがいるとは思っていない。
このシリーズでは怨霊や妖怪の正体や、なぜそのようなものの存在が存在するのか、について考察していることは
ご存じの通りである。

私が怨霊や妖怪を愛しているというのは、人間の想像力を愛しているということになるかもしれない。

伊勢物語では、私が妖怪の正体について考える必要はなかった。
話の中で、鬼の正体を明らかにしているからだ。
(もしかすると後半の「これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに・・・」の部分がない本もあるのかもしれない。
そんなことを聞いた記憶がある。調査不足、すいません。)

実際には、高子の兄の基経が、高子を業平の元から連れ戻したのだが、それを「鬼に食われた」と表現したのであると、明確に記されている。

しかし古のことであるし、そのような話を聞いて本当に鬼がいるのだと思い込んだ人もあっただろう。
つまり、妖怪は比喩表現がうのみにされることで信じられるようになったのではないか、ということである。

妖怪なんか信じている人はいないよ、と言われるかもしれないが
心霊現象や都市伝説(イルミナティカードの予言など)を信じる人は現在でも大勢いる。
神霊現象とは妖怪の一種であるといえる。
そして科学が発達していなかった古い時代には、さらに妖怪を信じていた人が大勢いたのではないだろうか。

たとえば平安時代には怨霊を鎮めるための御霊会が頻繁に行われているが、このようなことも妖怪信仰に通じるものがあると思う。

④業平は高子が好きで駆け落ちしたのではなかった?

伊勢物語・芥川の段は情熱的な恋の物語を描いたものだろうか?
私はそうではないと思う。
高子は業平のことを愛していた思うが、業平は別に高子を愛していたわけではなかったと考えられるからだ。

その理由は古今和歌集の詞書に次のようにあるからである。

「五条の后の宮の西の対にすみける人に、本意にはあらで物言ひわたりけるを、」

これは「五条の后(仁明天皇の后、藤原順子)の宮の西側の建物に住んでいる人(藤原高子のことだと考えられている)に、業平は本気ではなかったのだが通っていたが」という意味になる。

⑤惟喬親王の乱

業平は平城天皇の孫だが、平城天皇が薬子の変をおこして、嵯峨天皇に敗れたため、業平の父・阿保親王は薬子の変に関与したとして大宰府に流罪となった。
10年以上たって阿保親王は許されて帰京したが、自分の子供(在原行平・業平ら)の臣籍降下を願い出て、許され、在原姓を賜った。
阿保親王は自分の子供の臣籍降下を願い出ることで、朝廷に逆らう意思がないことを証明しようとしたのではないだろうか。

その後、在原業平は惟喬親王の寵臣として仕える。

惟喬親王の父親は文徳天皇、母親は紀静子だった。
文徳天皇には藤原明子との間に惟仁親王もあった。
文徳天皇は惟喬親王を皇太子にしたいと考えて源信に相談したが、源信は当時の権力者・藤原良房(藤原明子の父)を憚って天皇を諫めた。
こうして藤原良房の孫・惟仁親王(のちの清和天皇)が皇太子となった。

世継ぎ争いに敗れた惟喬親王はたびたび歌会を開いているが、その歌会のメンバーに僧正遍照・在原業平・紀有常(紀静子の兄・惟喬親王の叔父)らの名前がある。

また在原業平は紀有常の娘を妻としており、紀氏側の人間だった。
彼らは歌会と称し、惟喬親王をもちあげてクーデターを計画していたのではないかとも言われている。

大阪府東大阪市にある千手寺パンフレットにはこんな伝説が記されていた。

その後、維喬親王(これたかしんのう:844~897)の乱で、堂宇は灰燼に帰したが、本尊の千手観音は深野池(現大東市鴻池新田あたりにあった)に自ら飛入り、夜ごとに光を放つを見た在原業平がこれを奉出し、これを本尊として寺を再建したと伝える。
 維喬親王は文徳天皇の第1皇子。第4皇子の維仁親王(後の清和天皇)の外戚藤原良房の力が強く、皇位継承にはならなかったが、乱を起したというのは史実ではない。
[参考資料] 『恵日山 光堂千手寺』 千手寺パンフレット
         『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社

「乱を起こしたというのは史実ではない」とあるが、もしかしたら史実かもしれないと思う。

千手寺

千手寺

⑥六歌仙は全員藤原氏と敵対関係にあった人物だった。

古今和歌集仮名序で名前をあげられた6人の歌人(僧正遍照・在原業平・文屋康秀・小野小町・喜撰法師・大友黒主)のことを六歌仙と言う。

高田祟史さんは六歌仙は藤原氏と敵対関係にあった人物で、怨霊であるとおっしゃっている。

そこで六歌仙ひとりひとりについて調べてみると、全員藤原氏と確執があることがわかる。

喜撰法師は紀名虎または紀有常だという説がある。
紀名虎は世継争いに敗れた惟喬親王の祖父、紀有常は惟喬親王の叔父にあたる人物である。
平家物語などに、藤原良房と紀名虎がいずれの孫を皇太子にするかでもめ、高僧の祈祷合戦を行ったという話が記されている。
(良房の孫の清和天皇が産まれたとき紀名虎は存命していなかったので史実ではないが、藤原と紀氏に確執があったことを示している。)

遍照は桓武天皇の孫だが父・良岑安世が臣籍降下した。
遍照は藤原良房にすすめられて出家したと伝わるが、彼は出家した理由を決して人に話さなかったという。

さきほどものべたように、在原業平は紀有常の娘を妻としており、惟喬親王 の寵臣でもあり紀氏側の人物だった。

文屋は分室とも記され、文屋康秀は分室宮田麻呂と血のつながりがあると思われる。
分室宮田麻呂は謀反を企てたとして流罪となっていますが、死後冤罪であったことが判明している。
分室宮田麻呂は藤原北家に暗殺されたのではないかとする説もある。

大友黒主は大伴黒主とも記され、大伴家持とほとんど同じ内容の歌が残されている。
大友黒主とは大伴家持のことだと思う。
大伴家持は藤原種継暗殺事件に関与したとして当時すでに死亡していたのだが、死体が掘り起こされて流罪となっている。

小野小町について、私は「小野宮」と呼ばれた惟喬親王のことではないかと考えている。
惟喬親王は男性だが、古今和歌集には男性が女性の身になって詠んだ歌がたくさんある。
古今和歌集の編者の一人である紀貫之も土佐日記で「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と自らを女と偽って日記を書いている。

十輪寺 六歌仙

十輪寺 六歌仙を描いた屏風

⑦ことばたらず=「露」と答えなかった?

古今和歌集仮名序は在原業平のことを次のように書いている。

ありはらのなりひらは、その心あまりて、ことばたらず。しぼめる花の、いろなくて、にほひのこれるがごとし。 
(月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして。
おほかたは月をもめでじこれぞこのつもれば人のおいとなるもの。
ねぬるよのゆめをはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな。)

※()内は注釈。

「その心あまりて、ことばたらず。しぼめる花の、いろなくて、にほひのこれるがごとし。 」は、そのあとの注釈にある3つの歌の説明のようでもあるが
私は、伊勢物語 芥川の話の中で、業平が高子の問いに「露」と答えなかった事を言っているように思える。

白玉か 何ぞと人の 問ひしとき 露と答へて 消えなましものを
(「白玉ですか、何でしょうか」と高子が聞いたとき、露と答えて消えてしまえばよかったのに)

多くの現代語訳では、「露と答えて消えてしまえばよかった」と訳している。
しかし、「なまし」とは「①~しまうかもしれない。②きっと~だろう。」という意味である。

すると「露と答えていたら、消えていただろう」と訳すべきだと思うのだが、どうだろう。

古の日本では言霊が信じられていた。
口にした言葉には実現する力があると考えられていたのだ。
高子が「白玉ですか、何でしょうか」と聞いたとき、業平が「露」と答えていれば、消えてなくなったと業平は考えたのではないだろうか。

何が消えてなくなったのだろうか。
多くの現代語訳では「業平自身」としている。
しかし私は「高子」だと思う。

つまり、「露と答えていたら、高子は消えてなくなっていただろう」と業平は歌に詠んだのではないかと思うのだ。

なぜか。

娘を天皇に入内させて子供を産ませてその子供を天皇とし、自分は天皇の外祖父となって政治の実験を握るというのが
藤原氏のやり方である。

それゆえ、業平は高子の清和天皇入内を阻む目的で、高子を盗み出したのではないかと思うのである。

そして古今和歌集仮名序は「露」と答えなかった業平のことを「言葉たらず」と言っているのではないだろうか。

⑧平城上皇によって途切れた皇位継承の血筋が陽成天皇によってくくられる?

ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは(在原業平)

この歌は現代語訳が難しい。
千早という花魁が龍田川という相撲取りを振った、という意味ではない(笑)

「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞。
「神代も聞かず」は「神代にも聞いたことがない」
「竜田川」は奈良県生駒郡斑鳩町竜田あたりを流れる川。
「からくれなゐ」は「韓や唐土から日本に持ち込まれたブランド品の衣の紅色」というような意味だろう。

問題は「水くくる」である。
もちろん、千早という花魁が入水したという意味ではないw。

この「水くくる」には2つの解釈がある。

①水を「括り染め」にした。
「括り染め」とは布にところどころ糸を巻き付けて括ったのち、染色するものである。
糸でくくった部分は染まらないので、それで模様をつくる。

②水を潜った。川を埋め尽くすように散った紅葉の下を水が流れる。

現代語訳は
①の場合、「神代にも聞いたことがない。竜田川が韓や唐土の衣の鮮やかな紅のように水を括り染めにするとは。」
②の場合は「神代にも聞いたことがない。韓や唐土の衣の鮮やかな紅に染まった紅葉の下を竜田川の水が流れていくとは。」
となる。

ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは(在原業平)

古今和歌集はこの歌に次のような詞書をつけている。
「二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風にたつた河にもみぢながれたるかたをかけりけるを題にてよめる」

「二条の后」とは清和天皇に入内した藤原高子。
「春宮」は「とうぐう」と読み、皇太子を意味する。
「みやす所」はもともとは天皇の休憩所という意味で、ここから天皇に侍る官女や、皇子・皇女を産んだ女御・更衣を指す言葉となった。

藤原高子は清和天皇に入内して女御の位となり、清和天皇にとの間に貞明親王(のちの陽成天皇)をもうけている。
この貞明親王が春宮(皇太子)となったので、高子は「春宮のみやす所」と呼ばれたのだろう。

その藤原高子が在原業平を召したとき、業平は竜田川に紅葉が流れる屏風絵を見てこの歌を詠んだ、というのだ。

業平と高子は駆け落ちをしたという話が伝えられているところから、高子が産んだ貞明親王(のちの陽成天皇。清和天皇の皇子)は本当は業平の子ではないかとする説がある。

百人一首かるた

「⑥惟喬親王の乱」のところで、在原業平の祖父は平城上皇だという話をした。
平城上皇は嵯峨天皇と対立して挙兵し敗れたため、平城上皇の子で業平の父親の阿保親王も流罪となり
帰京後業平の臣籍降下を願い出て在原姓を賜ったのだった。

業平の祖父・平城上皇も龍田川の紅葉を歌に詠んでいる。

龍田河 もみぢみだれて 流るめり 渡らば錦 なかや絶えなむ(平城上皇)
(龍田川の上を紅葉が乱れて流れている。私が渡ると紅葉の錦がちぎれてしまうだろう。)

平城上皇は竜田川を皇位継承の血筋に喩えているのではないか。
そして自分が薬子の変をおこしたため、私の子孫は皇位につくことができないということを「錦 なかや絶えなむ」と呼んだのではないだろうか。

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは(在原業平)

業平のこの歌は平城上皇の歌を受けて詠まれたものだと思う。

「平城上皇が薬子の変を起こしてちぎれてしまった皇位継承の血筋が、私と高子の子である貞明親王(のちの陽成天皇)が皇太子になったことによって括られた。こんなことは神代にもなかったことだ」と業平は詠んだのではないだろうか。

清和天皇の皇太子となった貞明親王は9歳で即位して陽成天皇となり、高子の兄の藤原基経が摂政となった。

ところがどうも「陽成天皇の父親が、清和天皇ではなく業平であること」が基経にばれたのではないかと思う。
私がこう思うのは、陽成天皇が源益を殴殺したといて退位させられているからだ。

基経は陽成天皇の叔父である。
仮に陽成天皇が源益を殺したというのが本当でも、甥が天皇であるということは基経にとってメリットが大きいはずなので
普通なら事件をもみ消すのではないだろうか。
さらに基経と高子は実の兄妹でありながら大変仲が悪かったとされる。

これらは陽成天皇の父親が業平であることが、高子の兄・藤原基経にばれたのだと考えると辻褄があうように思える。

そしてその後、陽成天皇の子孫が皇位につくことはなかった。
業平の野望は、藤原基経という鬼によって食われてしまったのだ。

龍田川

龍田川



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