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トンデモもののけ辞典90 鬼熊『二足歩行する熊は実在する』



①鬼熊

鬼熊(おにくま)は、木曽谷(長野県)に伝わる妖怪。江戸時代の奇談集『絵本百物語』に記述がある。
解説
歳を経た熊が妖怪となったもの。人前に姿を現すことは滅多にないが、夜更けに山から人里に現れ、人のように直立歩行しながら家畜の牛馬を捕えては山へ持ち帰って食らうという。
力が非常に強く、猿などは掌で押しただけで殺してしまう。また、山中で鬼熊が6、7尺もあろうかという大石を谷底へ落とすのを見た人がおり、その石を人の手で動かそうと試みたところ、10人がかりでも動かなかったという。この石は鬼熊石と呼ばれ、今でも木曽山中にあるといわれる。
鬼熊を仕留めるには、大木を井桁のように組んで藤蔓を使って巣穴の口をふさぎ、その奥にさまざまな木を突っ込むと、鬼熊は行き場を失って穴の口へ出て来るので、そこを狙って槍で突き、鉄砲で撃ち取るという方法がある。享保年間初期に鬼熊が仕留められたことがあり、その皮を広げたところ、畳6畳分もあったという。
北海道では、人を襲う羆を鬼熊と呼んで恐れていたという。




竹原春泉画『絵本百物語』より「鬼熊」

竹原春泉画『絵本百物語』より「鬼熊」

⓶熊は直立二足歩行する。

竹原春泉さんが描く「鬼熊」は味があるが、実際の鬼熊はもっと人間ぽく見えただろう。

例えばこんな感じで。↓



背筋もピンと伸びてとても姿勢がいい。
最初見たとき、本当に熊がこんな風に歩くんだろうかと信じられなかった。
しかし、他にも二足歩行するクマの動画がある。


こちらの熊もとても姿勢がいい。まるで人間が熊の着ぐるみを着ているかのようである。

調べてみたところ、熊は前脚をケガして二足歩行するようになるケースが結構あるようである。
竹原春泉の絵をよく見ると、熊の右の前脚がない。

③熊は人や家畜を山へ持ち帰る。

鬼熊は「家畜の牛馬を捕えては山へ持ち帰って食らう」とあるが、熊が牛を襲うことはある。


牛を襲うのであれば、馬も襲いそうである。




さすがに熊が牛や馬を連れ去ることはないだろう。
これは誇張されていると思う。


しかし、上の動画では、ヒトが熊に連れ去られたと言っている。


クマはその場で人間や家畜をおそうだけでなく、連れ去ったりもするのだ。


④鬼熊はヒグマ?


竹原春泉が描いた鬼熊はツキノワグマのように見える。
二足歩行するクマの動画にでてくる熊もツキノワグマだろうか。


しかし、ヒグマも二足歩行するようでこんな ↓ 記事がある。
ヒグマの立位動作と二足歩行 ―ヒト二足歩行の初期モデルとなるか―


ツキノワグマは体長120 - 180センチメートル、体重ス50 - 120キログラムほど。
ヒグマはこれよりも大きく、体長2.0-2.8m、体重は250-500kgにもなる。


日本に生息するヒグマはエゾヒグマのみで、北海道にしか生息していないが、古には本州にもわずかに棲息していたなんてことはないだろうか。


もしそうであれば、皮を広げると畳六畳ぐらいになりそうである。


鬼熊は妖怪ではなく、実在していた可能性が高いw





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トンデモもののけ辞典 鬼③ 地獄絵に登場する鬼は日本の固有種だったw 閲覧注意!



真如寺 門

真如寺

ん ?なにかいる?気のせいか?

①真如寺の地獄絵

滋賀県犬上郡 真如寺 多賀大社門前町(絵馬通り)にある真如寺。
堂内に足を踏み入れるとそこには地獄の風景が。(地獄絵が展示されている。撮影許可いただいています。)
江戸時代後期に描かれたものだという。

初七日

初七日。三途川のほとりで奪衣婆(だつえば)に衣服を剥ぎ取られ・・・・・
(ナイスバディだったらくらくらしそう~♪)

二七日

二七日(ふたなのか) 鬼に舌を引き抜かれ・・・・・

三七日

三七日(みなのか)燃え盛る炎の中に投げ込まれ・・・・・

四七日

四七日(よなのか) 杵でつかれたり、網であぶられたりまるで餅扱い。犬に食わされたりも・・・・・

五七日

五七日(いつなのか)浄波璃の鏡が生前の悪事を映し出す・・・・・ 
「おまえ、放火したなっ!」

六七日

六七日(むなのか)人間をミンチにする機械? 鳥たちは死肉をついばむ機会をうかがっているのか?

七七日

七々日(なななのか) 斧や鋸で真っ二つに体を裂かれ・・・・・

日百か

百ヶ日 針山を登らされたあと、体に鉄をくくりつけられ縄を渡らされる。
ついには力つきて煮えたぎる釜の中へ・・・・・ 
いったいいつまで地獄の責め苦は続くのか?

一周忌

一周忌 天秤で罪の重さをはかられる。
「この者の罪、岩より重し!」

三回忌

三回忌 鉄山に挟まれたり、空から降ってきた鉄山に押しつぶされる。鳥に食われる・・・・・
ああ、やっと観音さまが助けに来てくださった!

⓶中国の地獄絵には鬼は登場しない?

このような地獄絵は中国にもある。

地獄の法廷を描いた中国の仏画

地獄の法廷を描いた中国の仏画

死者が針の山をのぼらされ、釜茹でにされ、くしざしにされている。
しかし、鬼らしきものはいない。

画像が小さくて確認しづらいのだが、閻魔大王の向かって右には羊の顔の人がいる。
向かって左の人は牛の顔をしているように見える。
針の木の下にいる人は馬の顔、釜の向かって右にいる人は龍だろうか。
釜の向かって左の人も動物のような耳がある。
その下には虎の顔をした人が死者を運んでいる。テーブルの上の人を料理している人は鶏の顔だ。
どうも中国の閻魔庁に仕えるのは鬼ではなく、動物の顔をした人(神)のようである。

上は朝鮮の地獄絵だが、泰廣大王の下にやはり動物の顔をした人がいる。

もしかして、これは十二支ではないか?

日本では十二支は子(鼠)・丑(牛)・寅(虎)・卯(兎)・辰(龍)・巳(蛇)・午(馬)・未(羊)・申(猿)・酉(鶏)・戌(犬)・亥(猪)であるが
中国では戌は犬ではなく豚があてられている。

③キトラ古墳壁画の十二支は地獄の責め苦を行っている?

飛鳥のキトラ古墳の壁画には十二支が描かれているのだが、この十二支はもしかして地獄の責め苦を行う役割を担っているのだろうか?
それとも、単に地獄の住人なのか?

中国の地獄絵をもっとたくさん見て見ないとなんともいえないが。
(上の中国の地獄絵は年代も不明だし)

④角のある鬼は追儺式で創作された?

中国で鬼は、死霊、悪霊、幽霊なのだという。
すると、角が生えた鬼は日本で誕生した可能性が高い。

鬼は牛の角をはやし、虎皮のパンツをはいている。
牛は丑(12月)、虎は寅(1月)で、丑寅(丑寅)は1年の変わり目をあらわす。
そしてこれを追い払うことで新春を迎える
(節分は二十四節気の大晦日で、翌日の立春は二十四節気の正月。延暦寺によるともともと追儺式は旧暦大晦日に行う行事であったとも。)
という行事だと考えられる。

ということは、日本の鬼は、節分の行事から生み出されたものではないだろうか。

干支

追儺式に登場する四ツ目の方相氏は二頭の牛が合体した姿をしているものと思われる。
京都吉田神社では方相氏が法力で鬼を退治するが、もともと鬼は目に見えないものとされ
平安時代の追儺式には鬼は登場せず、方相氏と数名のシン子(童子)のみが登場していた。

方相氏とシン子は中国の追儺式にも登場していたようである。

方相氏は牛で丑(12月)を、シン子は童子で八卦では艮(丑寅/1年の変わり目)を表す符であった。
そして、方相氏とシン子に冬の気を吸い取らせ、方相氏を弓で射て、一気に冬の気を退治することで新年を迎えるというのが宮中の追儺式であったと思われる。

この2体の牛が合体した姿の方相氏を1体づつに引きはがしたものが鬼といえるかもしれない。
つまり、鬼のモデルは方相氏かもしれない、ということである。


日本では平安時代(11世紀頃)から宮中以外でも公家・陰陽師・宗教者などを中心に追儺の行事を実施する者が増加してゆくことにより、各地の寺社にも儺と関連した行事が根付いていった。それらの中には現在も修正会・修二会をはじめとした節分の行事としておこなわれているものもある。寺社での鬼遣・追儺の行事には、鬼のほかに毘沙門天などが登場したりもする[11]。


とあるので、鬼が登場したのは11世紀ごろのことだろうか?

⑤鬼が鰯の頭が苦手なのはなぜ?

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節分には柊鰯を玄関口に飾る習慣がある。
なんでも鬼は生臭いのが苦手で、柊鰯を見ると逃げていくというのだ。

鬼って強そうなのに、なんで生臭いぐらいのことが苦手なのだろう。

もしかしたら、それは鬼が竜宮の住人だからかもしれない。

スサノオはイザナギに「大海原を治めよ」と命じられており、海神と同一視されている。
しかし、スサノオは根の国(地獄)の大王としても登場する。

海の国と根の国は同じものなのではないか。
だとすれば海の住人である魚は、竜宮の住人でもあり、根の国の住人でもあるということになる。

その根の国の住人である魚の首が晒されているのを見て、鬼は自分も根の国の住人なので
自分の首が晒されているように思って恐ろしくなり、逃げていくんだったりして?

⑥鬼の種類 まとめ

トンデモ妖怪辞典 鬼はこれで終わるが、話があっちへ行ったり、こっちへ行ったりして、まとまりのない文章になってしまって申し訳なく思っている。
また機会があれば書き直すつもりでいるが、最後に私が考える鬼の種類についてまとめておこうと思う。

1.怨霊
政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のこと。疫病の流行、天災は怨霊の仕業で起こると考えられていた。

『北野天神縁起』(承久本)巻六より。宮中清涼殿に雷を落とす雷神と逃げまどう公家たち。

『北野天神縁起』(承久本)巻六より。宮中清涼殿に雷を落とす雷神と逃げまどう公家たち。

※雷神は讒言によって大宰府に左遷された菅原道真の怨霊と思われる。

2.怨霊の子孫(=非人?)
鬼の子孫と伝えられる。八瀬童子など。角はなく、普通の人間である。結髪しない童形だったので童子と呼ばれた。

綾傘鉾2

祇園祭 綾笠鉾

※祇園祭は八坂神社の祭礼だが、犬神人と呼ばれる非人は八坂神社に隷属しており、結髪しない童形であったといわれる。


3.死者
腹部が淡青藍色に変色(青鬼)→腐敗ガスによって膨らみ巨人化。暗赤褐色に変色。(赤鬼)→
.乾燥。黒色に変色。腐敗汁をだして融解。(黒鬼)→骨が露出

延暦寺 追儺式

延暦寺 追儺式

4.1年の変り目を視覚化したもの。
鬼の牛の角は丑で12月、寅のパンツは1月で、鬼=丑寅(艮)=1年の変り目をあらわす。
これをおいはらうことで新年がやってくると考えられた。(目には見えない1年の移り変わりを視覚化したもの)
牛は丑、童子は八卦では艮(丑寅)を表す?

石清水八幡宮

石清水八幡宮 節分

5.銅の仏像を造立する人々
火を扱う姿が地獄の鬼のイメージと重ねられたのかも。

薬師寺 花会式

薬師寺 花会式

6,地獄の閻魔庁に仕え、死者に責め苦を与える。

西福寺 地獄絵

西福寺 地獄絵