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岩宿時代人がどこからやってきたのか、なぜ大陸系のO(Y染色体)が多いのかの説明がない。(追記あり)


1⃣朝鮮半島は無人だったのか?


長濱浩明 年表


長濱氏は、動画14:56あたりで韓国中央国立博物館 年表(1993年)を提示して、半島は紀元前10000年~紀元前5000年ごろ無人だったと主張されている。


これについて、調べてみたが真偽はわからなかった。
もしかすると、この時代の遺跡などが発見されていないということかもしれない。


日本でもかつて、「縄文時代以前の旧石器時代は日本にはない」と考えられていた時代があった。


太平洋戦争が終わる頃まで、日本列島には一万年以上前の関東ローム層中の石器文化、すなわち旧石器時代に相当する縄文時代以前の文化はないと考えられていた。しかし、1949年9月11日、さきの発見をもとに相沢と明治大学が岩宿遺跡の発掘調査を実施したところ、関東ローム層の中から石器が出土し、日本列島にも旧石器時代が存在することがわかった。岩宿はその記念すべき最初の遺跡としてよく知られている。



http://palaeolithic.jp/sites/iwajuku/index.htm より引用


朝鮮の場合は、それ以前の旧石器時代の遺跡は発見されているので、まだ遺跡が発掘されていないという可能性もある。
長濱氏が主張するように半島は無人であった可能性もあるが、断定はでき無さそうに思える。


とりあえず、朝鮮半島が紀元前10000年~紀元前5000年ごろ無人だったかどうかについては不明、ということで話をすすめることにする。


2⃣朝鮮半島南部から発掘された個人骨が縄文人にそっくり

長濱浩明 頭蓋骨


長濱さんが16:41あたりで提示されている韓国・煙台島で出土した前4000年紀の頭骨の写真である。
この写真は下記2pに掲載されているものと同じである。


https://w3.hal.kagoshima-u.ac.jp/images/contents/research/%E6%AD%AF%E5%AD%A6%E9%83%A8%E7%B4%80%E8%A6%81/%E6%AD%AF%E5%AD%A6%E9%83%A8%E7%B4%80%E8%A6%81Vol18_1998.pdf


この写真の説明に、次のように記されていた。


「山口は縄文人骨に共通する形態特徴として、長さと幅が大きく、高さがやや低い能頭蓋、眉間と鼻骨の隆起、低顔性、かん子状かみ合わせ、長い鎖骨、上腕骨の扁平性、尺骨骨幹横断面の得意な形、大腿骨の柱状性、脛骨骨幹の扁平性、ひ骨外側免の縦溝、体肢骨遠位部の相対的な長さ、といった事項をあげている。


煙台島人は、個体ごとに差はあるものの、これらの特徴と多くの点で一致する。
小片保は縄文人の時代的特徴を、早期人は「きゃしゃ」、中後バン貴人を「頑丈」と端的に表現したが、
池田は海岸部や山岳部、平野部といった遺跡の立地条件が人骨の形態に与える影響の大きさを指摘している。


煙台島では、女性に華奢な個体があるが、歯の異常な摩耗や極端に繊細な体肢骨、低身長といった縄文早期人的な特徴を示す個体は含まれていない。


保存のよかった1号(男性)は身長が高く、極めて頑丈であり体肢の骨幹は強い扁平性や柱状性をしめし縄文後晩期の貝塚人特徴をもつ。
このような形質の共通性は、煙台島の立地からくる生態学的条件
特に摂取する栄養や聖業形態の累次によってもたらされたと解釈することも可能であろう。


https://w3.hal.kagoshima-u.ac.jp/images/contents/research/%E6%AD%AF%E5%AD%A6%E9%83%A8%E7%B4%80%E8%A6%81/%E6%AD%AF%E5%AD%A6%E9%83%A8%E7%B4%80%E8%A6%81Vol18_1998.pdf より引用


「縄文後晩期の貝塚人特徴をもつ。」とあり、縄文人が朝鮮半島南部の煙台島に移り住んだ可能性はあるだろう。


長濱さんは、


①紀元前10000年~紀元前5000年ごろ無人だったと考えられること。
⓶煙台島で発見された頭骨が縄文晩期の頭骨に似ていること。



から、日本から半島に人が流れていったと考えておられる。
一般的には、半島から日本に人がやってきたと考えられているが、そうではなく逆であると論じておられるのだ。


しかし半島北部で縄文人の特徴をもつ古人骨が見つかっていないので、半島南部のみ縄文人がいたという可能性もある。


2⃣篠田謙一さんはミトコンドリアDNAとY染色体DNAを混同している?


長濱浩明 篠田さんの図


長濱氏は上記動画の19:46あたりで次のような内容の発言をされている。


①ミトコンドリアDNAは女性から女性につたわっていく
⓶篠田謙一は「DNAは男も女も同じように動く」と言う誤解をしている。
③ミトコンドリアDNAは女性の動きのみ。男性の動きはY染色体。それを混同している。
④朝鮮半島から日本に人が流れてきたという固定観念にそった考えを打ち出している。


これについて篠田さんが語っている動画がある。


この動画の23:13あたりで長濱氏が示しておられるのと同様の図がある。

現代人のミトコンドリアDNAを調べて、縄文系、弥生系のミトコンドリアDNAを持っている人の数を描きこんだものである。



3⃣ミトコンドリアDNAは母から息子・娘につたわる。


ここで長濱さんの発言「①ミトコンドリアDNAは女性から女性につたわっていく」について、補足をしておきたい。


正確には「ミトコンドリアDNAは母親から息子・娘につたわる」というべきである。
「ミトコンドリアDNAは女性から女性につたわっていく」というと、男性はミトコンドリアDNAを持っていないかのように勘違いしそうだが、そうではないのだ。



ただし、長濱さんもおっしゃっていたように、精子のミトコンドリアDNAは精子の尾の部分にあり
受精する際に精子の尾が切れるので、父から子供にミトコンドリアDNAは伝わらない。


なぜこんなことをくどくど書いているかというと、現代の日本人のミトコンドリアDNAの割合というとき、
女性だけでなく男性も含まれているということを認識しておく必要があると思うからだ。


4⃣篠田さんは」ミトコンドリアDNAだけではなくY遺伝子の研究も必要と言っている。


次のように記した記事があった。


篠田は、この問題はそれほど簡単に結論できるものではないと指摘する。
それは、以上の篠田による研究が、“母系遺伝”をするmtDNAのデータに基づいているからである。
九州大学の解剖学の金関丈夫によって指摘されたように、渡来人というのは一般的な侵入者の例から云えば、男性を主とした集団のはずである。
彼等が地元の女性を娶り子孫を残したのが、渡来系弥生人とすれば、mtDNAは在地の女性のものということになる。
そうだとすると、上のグラフの渡来系弥生人のmtDNAとは、論理的に北部九州の縄文女性のmtDNAということになってしまう。
すなわち、いま渡来系弥生人と関東の縄文人を比較したつもりが、実は北部九州の縄文女性と関東の縄文女性の地域差の比較をしていたのかもしれないのである。
データの性格をしっかりと見極めないと、誤った結論を導いてしまう可能性があると、篠田は警告しているわけである。

https://www.culturebeanz.com/entry/2020/02/12/000820/ より引用


テレビ番組のほうでは篠田さんのそういった発言はなかったが、著書のほうではY遺伝子ハプログループもみてみないと結論づけることはできないと書いておられるようなので、
長濱氏のいうように「篠田氏がミトコンドリアDNAとY染色体を混同している」ということはなさそうである。


ただテレビ番組のほうでは、そのような説明はなく、説明不足だったとはいえるだろう。


それはともかく、篠田さんは、ミトコンドリアDNAの分析結果から、縄文人は南方からやってきたのではなく
大陸方面からやってきたのではないかと論じておられるのが興味深い。



5⃣現代日本人と朝鮮人のミトコンドリアDNAハプログループはよく似ている。


「ミトコンドリアDNAだけではなくY遺伝子の研究も必要」ではあるが、篠田さんの研究は興味深い。
さらに検索したところ、次のような図がみつかった。


https://www.culturebeanz.com/entry/2020/02/12/000820/


この記事の「ミトコンドリアDNA亜型の日本と中編地域における頻度の比較(日本人になった先祖たち」)篠田謙一より引用・改変)


を見てほしい。


これをみると、現代の、山東・丁寧、韓国、本土日本のミトコンドリアDNAの頻度は大変よく似ている。


記事にも次のように記されている。


「このグラフからは、まず山東・遼寧の集団(臨淄人に相当)と韓国(礼安里人に相当)、本土日本の集団とが保持するmtDNA亜型の種類およびその頻度において、ほとんど差異がないことに驚かされる。
つまり、この3地域の集団は、言語も、文化も違うが、DNAに関する限りは同じようなヒト達が、同じ割合で存在している。これは、山東、遼寧、韓国から渡来人が日本列島に押し寄せて形成された、mtDNA亜型であると考えれば、十分納得出来るものである。」


https://www.culturebeanz.com/entry/2020/02/12/000820/ より引用


やよい人


https://www.terumozaidan.or.jp/labo/technology/10/04.html より引用


上の図を見ると、縄文人、弥生人といってもミトコンドリアDNAハプログループには様々なタイプがあり
ひとつのグループに属するとはいえないようである。


6⃣弥生人は男女ともやってきていたのでは?


21:44あたりで長濱さんは次のように発言されている。


例えば九州大学の学者ですね、中橋孝博ってたかな、
彼は、遺跡を調査すると渡来人が大勢来たなんてのはどこにもない。
どこにもないのに、骨の形が変わったっていうのはおかしいといって、どうしたかというと
じゃあちょっと人数は少ないんだけど、男は朝鮮半島から日本に侵略してきて
文明を築いた縄文人を蹴散らしてですよ、そして逃げ遅れた縄文女性と交わってですね、
男は女性がたくさんいると子供増やせますから、そうして日本を征服していしていったんだというロジックをのべた。
そうするとNHKなんかも そうだそうだといって・・・・


長濱さんは「遺跡を調査すると渡来人が大勢来たなんてのはどこにもない」とおっしゃっているが、
土居ヶ浜では渡来系と考えられる人々の人骨が350体も発見されている。


そして、土居ヶ浜遺跡では、渡来系弥生人の男性だけでなく、女性の遺骨も発見されている。


この350体の遺骨の中には日本で生まれた人も含まれているかもしれないが、渡来系の人骨の特徴を持っているので
縄文人との混血ではなさそうに思える。
(ちょっと確信がもてないが)



中橋氏 グラフ


https://www.city.chikushino.fukuoka.jp/uploaded/attachment/2276.pdf より引用


上の図を見ればおわかりいただけるように、隈・西小田遺跡においても、女性の人骨は発見されている。


7⃣Y染色体ハプログループの頻度は日本と韓国でまったくちがう。


長濱さんはこんなことも発言されている。(聞き取りにくいのでだいたい)


23:16
21世紀になると男性の y 染色体の遺伝子の解析ができるようになった。
C・D・Oなどありますね、これはハプログループっていう。
朝鮮か日本にやってきたならば、どうして韓国人のパターンと日本人のパターンがこんなに違うのか。


長濱氏 Y染色体ハプログループ


↑ これが長濱さんが本土日本と韓国ではパターンが違う、といっておられるハプログループのグラフである。
日本ではハプログループDが多いが、韓国・北京・モンゴルでは少ない。


ミトコンドリアDNAの結果とは大きな違いがある。


最近のY染色体ハプログループの分布をみても、
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/07/20140730-141514-51314032.jpg 
Dグループは中国・朝鮮には少ない。


ちなみに、Dは縄文人がもつハプログループ、Oは弥生人がもつハプログループとされている。



7⃣北海道を除く日本全域が、弥生人の特徴を持つ人で埋め尽くされていったとしても、縄文人の遺伝子が失われたわけではない。


さらに長濱さんの発言を書きだしてみる。(聞き取りにくいのでだいたい)


この形態人類学者というのはですね、そういうことがわかっても専門家ってのは自分の形態人類学からしか語らない。
Y染色体のことなんか一切無視してる。

自分の国立博物館の人類学部長という肩書をつかって、
「一気に大量渡来がきたのであろうと、
高い人口増加率をもつ少数の渡来人が着て、爆発的に人口が増えてるだろうと
やがて北海道を除く日本全域が、弥生人の特徴を持つ人で埋め尽くされていったんだと思われますと・・・
日本人は、南方起源の縄文人の後に,北方起源の弥生人が入ってきて、置換えに近い混血をした結果、
現在のような姿形になったのです。」


長濱さんは「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで/溝口優司」と言う本を示しながらこのように発言されている。


溝口さんの本


長濱さんが示す溝口さんの本のこのページを読んでみた。


A.しかし、一挙に大量の渡来民が来たのであろうと、高い人口増加率を持つ少数の渡来民が来て
爆発的に人口が増えたのであろうと、弥生時代中期の九州北部において渡来系弥生人の割合が高いことは事実です。
恐らく、この渡来人たちは自らも増えると同時に縄文人とも混血しつつ
徐々に居住区を広げ、やがて北海道をのぞく日本全域が、弥生人の特徴を持つ
人々で埋め尽くされて言ったのだと思われます。


縄文人と弥生人は別系統の集団であり、両者の間には大きなギャップがあったわけですが、

では弥生時代と古墳時代ではどうだったのでしょうか?
多くの日本人が、今も平坦な顔や遠位の短い腕と足、シャベル型切歯といった北方系の特徴を持っている
ことからも明らかなように、弥生人の形質は途切れることなく受け継がれています。
弥生時代に大きく姿形が変わった後、古墳時代以降は変化があったとしても
連続的であり、急激な変化や断絶的な変化はないのです。
つまり、古墳時代人が現代日本人の直接の祖先であることは、ほぼ間違いありません。
日本人は、南方起源の縄文人の後に,北方起源の弥生人が入ってきて、置換に近い混血をした結果、
現在のような姿形になったのです。


赤い文字の部分は、長濱さんが読み上げなかった部分である。


長濱さんが読み上げた部分だけを聞くと文章の内容を誤解するかもしれない。
長濱さんは次のことを読み上げていないからである。


❶弥生時代中期の九州北部において渡来系弥生人の割合が高いことは事実。
❷恐らく、この渡来人たちは自らも増えると同時に縄文人とも混血した。
❸多くの日本人が、今も平坦な顔や遠位の短い腕と足、シャベル型切歯といった北方系の特徴を持っている。
これは弥生人の特徴で、現代人にも受け継がれている。
❹弥生時代に大きく姿形が変わった後、古墳時代以降は急激な変化や断絶的な変化はない。
❺古墳時代人が現代日本人の直接の祖先であることは、ほぼ間違いない。


長濱さんの読み上げた部分をまとめてみよう。


①一気に大量に渡来人がやってきた。
⓶高い人口増加率をもつ少数の渡来人が来て、爆発的に人口が増えた。
③やがて北海道を除く日本全域が、弥生人の特徴を持つ人で埋め尽くされていった。
④日本人は、南方起源の縄文人の後に,北方起源の弥生人が入ってきて、置換(ちかん)に近い混血をした結果、現在のような姿形になった。


長濱さんは「渡来人たちは自らも増えると同時に縄文人とも混血しつつ」の部分は読み上げずに省いたが
「(縄文人と弥生人が)置換(ちかん)に近い混血をした」とちゃんと発言されている。
しかし、音で「ちかん」と聞いたときになかなか「置換」のことだと思いつかない。


私は形態人類学をかじったことがないので、よくわからないが、
溝口さんは「縄文人と弥生人が自ら増えるとともに縄文人とも混血しつつ、縄文人とは違う弥生人的特徴を持つ日本人が形成された」といっているのであって、
弥生人が縄文人を滅ぼしたとは言っていないことに注意するべきだと思う。


【追記】2022年4月23日
「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで/溝口優司(ソフトバンク新書)」を読んだ。


p153にこのように書いてある。
「ただし、弥生文化と考えられる考古学的な遺物を伴った人骨の出土例は、地理的なばらつきが大きく、東日本では非常に少ないけれど西日本には多い、という傾向があります。同じ時期、北海道と沖縄には独自の文化を持つアイヌと琉球人がいたことはすでに述べたとおりです。したがって特に注釈なく弥生人と言った場合には、西日本の弥生人を指しているとかんがえてください。」(上記より引用)

つまり、Aの文章にある弥生人とは、「弥生時代に日本列島に住んでいた人」という意味ではなく
「西日本の弥生人」という意味である。
これは若干誤解を生む表現であり、「①渡来系弥生人」「⓶縄文系弥生人」「③①②の混血の弥生人」と表現したほうが誤解がなかったかもしれない。
「西日本の弥生人」というのは「①渡来系弥生人」の事を指すものと思われる。



また、溝口さんの「縄文人と弥生人が自ら増えるとともに縄文人とも混血しつつ、縄文人とは違う弥生人的特徴を持つ日本人が形成された」と言う話は、
弥生人的特徴を持つという点についてはわからないが、
弥生人と縄文人の混血という点については、Y染色体ハプログループの頻度から見ても整合性があると思う。

渡来系弥生人は稲作をしていたので、人口は増加したようである。


しかし、現代日本人にも縄文系とされるY染色体ハプログループDが30%あることからもわかるように
縄文人の血は現代の我々の中に受け継がれているのである。


そして、渡来系弥生人のY染色体ハプログループはOだとされていて、このOをもつ現代日本人もかなり多い。
これは大事な点なので、覚えておいてほしい。


長濱浩明 篠田さんの図


上は長濱氏自身が示しておられた篠原氏による現代人のミトコンドリアDNAの分布であるが
右端に黒丸は縄文、白丸は弥生と明記されている。
この図を見ると、篠田氏も、日本人には縄文人の遺伝子が残されていると考えておられることがわかる。


8⃣長濱氏はOをどう説明されるのか。

長濱氏は、次の様にも発言している。


縄文時代から日本人が朝鮮半島に渡っていって
大昔は韓国人の祖先だったんだってことは、形態人類学並びに考古学で分かっている。
なぜ分かるかっていうと、その後の朝鮮半島の歴史を知る必要があるわけですよ。
その後新羅が統一新羅をなして以来ですね、高麗の時代というのは特に元に徹底的に襲撃された。

そして男は抵抗するも殺されて残ったのは女性だけになった。
残った女性と元の男が交わって、それは120年でですから4世代以上にわたってそんな混血が繰り返された。
するとどうなるか。
侵略されて征服された民族のY染色体はいれかわるってことなんです。


その元の民族、たとえばモンゴルのcという型が朝鮮半島に多いことですね、これはそういった名残をあらわしている。 シナ人のOと言われているものが韓国にもある。


一方 Ⅾ、 これが日本人を特徴づけている染色体の型なんですけども、これは激減し殺されるか、日本に逃げ帰った。
それから明や秦にやられる。
そうして男のY染色体は入れ替わってしまったということなんですね。
その後新羅が統一新羅をなして以来ですね、高麗の時代というのは特に元に徹底的に襲撃された。
そして男は抵抗するも殺されて残ったのは女性だけになった。


もう一度、長濱さんが示しているY染色体ハプログループの頻度をあらわす表を見てみよう。


長濱氏 Y染色体ハプログループ


長濱氏は

その元の民族、たとえばモンゴルのcという型が朝鮮半島に多いことですね、これはそういった名残をあらわしている。 シナ人のOと言われているものが韓国にもある。


一方 Ⅾ、 これが日本人を特徴づけている染色体の型なんですけども、これは激減し殺されるか、日本に逃げ帰った。


と発言されているが、長濱氏自身が示された表をみると、日本人にもOがある。
長濱氏はこのOについての説明をされていない。
Oは渡来系弥生人のハプログループと考えられているのだが、なぜ説明されないのだろうか。


9⃣Y染色体ハプロググループDはどこからか日本にやってきたと考えないと辻褄があわない。


日本特有のY染色体ハプログループD1a2aは、親グループD1から分岐して35000-40000年前に日本で発生したと考えられているが、これは日本の旧石器時代(岩宿時代)と時期が重なる。


旧石器時代、ハプログループD1a2aは日本で発生したが、日本にやってきたときはD1だったのだろう。

現生人類は10万年前にアフリカで誕生して、そこから地球上に広がっていったとされるので、
ハプログループDの人々は、どこからかやってきたと考えないとおかしいということになる。


日本で10万年より以前の石器などが見つかったら、それは現生人類ではなく、デニソワ人等の旧人が作ったものだと考えるべきなのだ。


このD1はどこからやってきたのか。


長濱氏はこれについても述べておられない。

Dはチベット、ヤオ族、アンダマン諸島、フィリピンマクタン島、グアム島。世界でも孤立した限られた地域でしか見つかっていない。


チベットあたりから飛行機でやってきたわけではないだろう。

その理由は、一般的には、広大な地域にアジア系O系統が広く流入し、島国日本や山岳チベットにのみD系統が残ったためと考えられている。


※後半聴いてないが、とりあえずここまで。

後半の歴史の部分が仮に長濱氏のいうとおりであっても、
長濱氏のY染色体ハプログループの説明には、
①岩宿時代人がどこからやってきたのかについての説明がない。
⓶中国、朝鮮に多いY染色体ハプログループOを現代日本人も多く持っているのだが、それについても説明がない。


というわけで、長濱氏の説はおかしいのではないかと思った。





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