fc2ブログ
2022 02123456789101112131415161718192021222324252627282930312022 04

クマ女とワニ女  長濱浩明氏説の批判


1⃣韓民族は庶子と熊女の雑種から始まった?

長濱浩明さんが、次のような発言をしておられる。

韓民族は庶子と熊女の雑種から始まった。
これもですね、私がいってるわけじゃなくて 韓国の国の始まりを記した三国遺事というのが
13世紀にできたんですけれども、そこで述べていることなんですけど、これが建国神話ということで、
韓国朝鮮人に広く信じられていて、そこでどうやって国が始まったかっていうことが 
要するに庶子ですね妾の子供。あまりいい言葉じゃないですけども分かりやすくいうと。
それとあとクマ女ですね。それがまあ交わってで生まれた檀君という雑種ですね。人間とクマの雑種。
そこから韓民族が始まったってことは、私が言っているんじゃなくて韓国の歴史書に書いてあるんですよ。
日本は天照大神から始まってですね、神の御子、そして神武天皇始まって
我々には神様の血が流れてますよ、という歴史になってるんですけども
どうもその韓民族は雑種であるということを今でも大事にしてるっていうのが
なかなか私どもわからないところでしょうがですね。

上記動画より引用

2⃣「檀君」について、ウィキの記述

檀君について、ウィキはつぎの様な内容を記している。

①檀君(だんくん、朝鮮語: 단군・タングン)は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、
一般に紀元前2333年に即位したとされる伝説上の古朝鮮の王。
『三国遺事』によると、天神桓因の子桓雄と熊女との間に生まれたと伝えられる。
『三国遺事』の原注によると、檀君とは「檀国の君主」の意味であって個人名ではなく、個人名は王倹。

⓶檀君の実在性
高麗時代の一然著『三国遺事』(1280年代成立)に『魏書』からの引用と見られるのが、檀君の文献上の初出。
『東国通鑑』(1485年)にも類似の説話がある。
しかし引用元とされる『魏書』(陳寿の『三国志』や魏収の『北魏書』)などの中国の史書には檀君に該当する記述がない。
神話であって歴史事実とは考えられていない。

③太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた。
桓雄が常に天下の人間世界に深い関心をもっていたので、天符印三筒を与えて天降りさせ、人間世界を治めさせた。
部下3000人を率いた桓雄は、太伯山(テベクサン)上の神壇樹(シンダンス)下に下りて神市(シンシ)とした。
かれは風伯、雨師、雲師をしたがえて穀・命・病・刑・善・悪をつかさどり、人間の360余事を治めさせた。
このとき一匹の熊と一匹の虎が洞窟で同居していて、人間に化生することを念願していた。
桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて、100日間日光を見ないように告げた。
熊は日光を避けること37日目に熊女(ウンニョ)になったが、虎は物忌みができず人間になれなかった。
桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ、檀君王倹(タングンワンゴム)を産んだ。
檀君は中国の堯帝が即位して50年目の庚寅の年に、平壤を都として朝鮮と呼んだ。
のちに都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移して、1500年間も国を治めた。
周の武王が即位した己卯年に、箕子(キジャ)を朝鮮に封ずると、壇君は阿斯達からかくれて山神となった。
寿命が1908歳であった。(姜在彦『朝鮮儒教の二千年』01朝日選書 p.28)

④北方アジア原住民たちの巫俗神話では、熊が人間であり、人間がまさに熊であるという観念が根づいている。
このような観念は、日本のアイヌ族においてもみられる。

⑤「熊との交婚はウラル諸族を除いても、ツングース諸族のほぼ全域と、朝鮮、ニヴフ、イテルメンアイヌと中国に見られ、分布が極めて広い」(大林太良「朝鮮の檀君神話とツングースの熊祖神話」『東アジアの王権神話』84弘文堂 p.369)。

⑥熊は冬眠により洞窟の中でいったん死んだ後再生する。それはアマテラスの岩戸入りとも通じる死と再生のイメージである。

⑦多くの神々は天から降下したか、天を往復することのできる権能をもっていた。桓雄は、世界木をつたって地上に降りてくる北方アジアシャーマニズムの神々の面影そのものである。

⑧朝鮮には、民族主義を象徴する檀君神話とともに、事大主義をあらわす箕子神話の二系列の神話が伝わっている。
箕子神話とは、殷代末期、紂王の師をつとめた賢人箕子が殷の滅亡に際し、東行して現在の朝鮮の西北部に亡命し、この地に国を建てて王となり、人民にいわゆる「八条の教訓」を示して理想的な統治を行ったというものである。
箕子神話は長く支配層に支持されてきたが、元(モンゴル)の脅威が高まり民族意識が高揚すると、檀君神話が脚光を浴びるようになり、檀君は箕子朝鮮より古い朝鮮全土の開国神・始祖神とみなされるようになった。

⑨1909年羅喆(らきつ)により始められた「大そう教(「そう」はにんべんに宗)」は檀君を朝鮮民族の始祖として崇拝する宗教で、「檀君教」とも呼ばれる。

⑩韓国では、檀君が降臨したとされる10月3日は祝祭日(「開天節」)であり、1961年までは「檀君紀元(西暦+2333年)」が使用されていた。

⑪檀君王倹という言葉は、もともとは由来の異なる二人の神、檀君と王倹を結び付けたもの。
檀君という名については、「〜君」というのは道教の比較的階級の低い神の称であり「檀の神」であることを表す。

⑫王倹という名についても、平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は地名であったことが分かる。
『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には平壌にかつて住んでいた仙人の名前として王倹という人名が出てくる。
※仙人とは、山に篭って修行し神通力や長寿を得た人間のことではなく、妖精や妖怪に近いも。「王倹仙人」とは平壌の地霊。

⑬『三国史記』には檀君という王がいたことは全く書かれていない。

⑭檀君神話の元になった伝承があったことは夫余の建国神話、及びツングース系の諸民族に伝わる獣祖神話から察知できる。

⑮物語の冒頭の構造は夫余神話からの借り物。それにツングース系の獣祖神話を繋ぎ合わせ、物語の結末に檀君王倹という名を嵌め込んだもの。


3⃣熊との交婚神話は朝鮮だけでなく広範囲に見られる。

④北方アジア原住民たちの巫俗神話では、熊が人間であり、人間がまさに熊であるという観念が根づいている。
このような観念は、日本のアイヌ族においてもみられる。

⑤「熊との交婚はウラル諸族を除いても、ツングース諸族のほぼ全域と、朝鮮、ニヴフ、イテルメンアイヌと中国に見られ、分布が極めて広い」(大林太良「朝鮮の檀君神話とツングースの熊祖神話」『東アジアの王権神話』84弘文堂 p.369)。

とある点に注意したい。

熊との交婚神話は朝鮮だけでなく、広範囲に見られるのだ。

4⃣日本人はイザナギの子孫で天照大神の子孫ではない。

私は長濱さんの話を聞いて、
「この人は記紀神話を読んだことがないのだろうか」と思った。

まず人類の起源についてであるが、これについては、記紀にははっきりと記されていない。

ただ、こういう話がある。

イザナギとイザナミは兄妹で契って国産み、神産みをする。
イザナミは火の神・カグツチを出産した際、ホトに火傷を負って死んでしまった。
イザナギはイザナミを迎えに黄泉の国へいき「いとしい妻よ、戻ってきておくれ。国づくりはまだ終わっていない。」といった。
イザナミは「黄泉の王に相談するので、その間振り返って私の姿を見ないように」という。
しかしイザナギは我慢できなくなって、振り返りイザナミの姿を見てしまう。
イザナミの体は腐り、蛆がたかっていた。
恐ろしくなったイザナギは黄泉の国から逃げかえって、あの世とこの世の境に石をおいて封じた。
おいかけてきたイザナミは「貴方の国の人間を一日で千人殺してやる」と言った。
これに対してイザナギは 「それなら私は、一日に千五百の産屋を建てよう」といった。

この神話を踏まえると、日本人はイザナギの子孫ということになる。
天照大神の子孫とはいえない。

5⃣日本人はイザナギの子孫で、天照大神の子孫とはいえないと思う。

神話の続きはこうなっている。

黄泉から戻ったイザナギが禊をしたところ、左目から天照大神が、右目から月読命が、鼻からスサノオが生まれた。

つまり系統樹は次のようになる。

イザナギ――――・日本人(?)
        ・天照大神ー正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命ーニニギーホオリーウガヤフキアエズー神武
        ・月読命
        ・スサノオーーーーーーーー大国主(6代目)

日本人がイザナギの子孫と仮定しても、上の系統樹が示すように、天照大神の子孫であるなどとはいえないと思うのだが。

有力氏族の中には、先祖をたどると天照大神にいきつくケースもある。

たとえば、出雲氏、土師氏、菅原氏らの祖神は、天穂日命とされているが
天穂日命は天照大神の子である。

しかし諏訪氏の祖神、建御名方神は大国主命の御子であり、
上記リンク先の系図を見ても、天照大神の名前はでてこない。
諏訪氏はスサノオの血はひいていても、天照大神の血はひいていなさそうである。

6⃣天皇家はワニの子孫

さらに記紀神話にはこう記されている。

天照大神の孫のニニギが葦原中国に天下って、オオヤマツミの娘のコノハナノサクヤヒメと結婚して、
ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を産む。
ホオリはホデリに借りた釣り針をなくしてしまい、これを探すために海神の住む竜宮城にいった。
ホオリは竜宮城から帰ってくるが、ホオリの子を身ごもっていた海神の娘・豊玉姫はホオリをおってやってきた。
そしてホオリが用意した産屋で出産をするのだが、豊玉姫は「出産する自分の姿を絶対にみないでください」とホオリに告げた。
ところがホオリは我慢できなくなって産屋を覗いてしまう。
そこでホオリはワニ(日本書記では龍)が出産する姿をみる。
豊玉姫は姿を知られたことを恥じて、海に戻っていった。のぞき見られたことを恥じ、御子を残して海に去った。
この残された御子の名前はウガヤフキアエズといい、
ウガヤフキアエズは豊玉姫の妹(ウガヤフキアエズの叔母)の玉依姫と結婚して、神武天皇を産んだ。

天皇家の始まりは、人間(神?)とワニの雑種だったのだ。
朝鮮の伝説のことを笑えないではないか。

7⃣動物は比喩表現

記紀神話にはこのほかにもいくつかの動物が現れるが、それらは比喩的な表現として用いられていて、
実際にそれらが動物をあらわすものとはいえないだろう。

例えば八咫烏という三本脚の烏がいるが、
賀茂氏の系図では、鴨建角身命の別名を八咫烏鴨武角身命としている。
八咫烏といっても、鴨建角身命は実際に烏ではなく、比喩的に八咫烏という名称が用いられているのだと思う。
ニックネームのようなものといってもいいかもしれない。

また記紀には土蜘蛛というまつろわぬ民がでてくるが、これも本当に蜘蛛だったわけではないだろう。

蜘蛛 体

昆虫は体の部位が、頭部・胸部・腹部の3つにわかれているが、
蜘蛛は頭胸部・腹部の2つの部位から構成される。
そのため、昔の人は、蜘蛛を頭部のない昆虫と考えたのではないかと私は考えている。
そして土蜘蛛と呼ばれた人々は、斬首されて頭部のない人のことではないかと思うのだ。

詳しくは、こちらの記事をお読みください。

8⃣熊は神として信仰されていた。

熊については記紀神話にも登場する。

さて、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコミコト)はそこから迂回しなさって熊野の村にお着きになったときに、大きな熊が草木のなかから出たり入ったりして、すぐに姿を消した。
すると、カムヤマトイワレビコミコトは急に気を失って、また、軍隊もみな気を失って倒れてしまった。

このときに熊野の高倉下(タカクラジ)が一振りの横刀(たち)を持って、天つ神の御子(カムヤマトイワレビコミコトのこと)の倒れている所に来て、その横刀を献上したところ、天つ神の御子はたちまち目覚めて、「長寝したものだ」とおっしゃった。
そして、その横刀を受け取りなさるときに、その熊野の山の荒ぶる神は自然とみな切り倒されてしまった。すると、気を失って倒れていた軍隊もことごとく目覚めた。


熊はその巨大さゆえ、神聖視されたのかもしれない。

また、
2⃣⑥熊は冬眠により洞窟の中でいったん死んだ後再生する。それはアマテラスの岩戸入りとも通じる死と再生のイメージである。
とウィキに記されているように、再生の神として信仰されていたおかもしれない。

それと同時に、日本で熊といえばツキノワグマなので、月の神としても信仰されていたのではないかと思う。

ツキノワグマ

ツキノワグマ

朝鮮の神話に登場するクマ女もツキノワグマではないかと思う。
というのは、ツキノワグマには三日月型の模様があるが、陰陽で天体を表すと日が陽で月が陰、男が陽で女が陰だからだ。
つまりツキノワグマの三日月型の模様は、陰陽では陰であり、女性に通じるということである。

私は長濱氏の発言が差別的だと思うが、それは道徳的にみて差別的、というだけでなく
記紀神話では天皇家はワニの子孫となっており、動物は比喩として用いられていると考えられるので、
長濱氏の説は論理的ともいえないと思う。

長濱氏は記紀神話をよくご存じないのかもしれない。





スポンサーサイト