①竹田氏、Y染色体ハプログループについて語る。
上記動画で竹田さんは次の様に発言されている。
前回言ったみたいにこのミトコンドリア dna は日本人に大体20系統ぐらいあると言いました。
y 染色体 dna って主に、5、6くらいでちっちゃいの入れても10ぐらいしかないんですね。
同じ dnaであってもミトコンドリアと染色体ではこの数が違うんですね。
どういうことかというとこれね、男が子孫に遺伝子を残すというのは相当大変だということなんですよね。
戦争とか権力闘争とかあった時にですね、女性に見初められて結婚できて子孫を残せる男子というのは
よほど権力が強いとか、収入があるとか、力があるとか何かないとなかなか結婚してくれる人がいないと
そのような権力から遠くにいて狩りもろくに出来ない、そういう一族ってだいたい同じようなだような感じになり
そういうとこはやっぱり滅亡していくんですよね。
要するに権力者って遺伝子残しやすいんですよ。
~略~
そういう力強いオスというのは遺伝子を残せるんですけれども、闘いにで負けてしまうと自分の遺伝子を残すことすらできない。
日本ではないんですけど、よその地域ですと、大陸なんかそうですよ。
戦争があると負けた国の人達って皆殺し、もしくはよくて全員奴隷ですからね。
だから特に男は奴隷として酷使し、女は戦利品として持ち帰るみたいな、こんな話もいくらでもあるぐらいなんですよね。
ですからの女性はたとえ戦いに負けたグループであっても戦利品としてね、子供を生むことがあるかもしれない。
でも男は戦争で負けた集団の男なんで子孫を作る機会すら失われたりするんですよ。
だから女性の遺伝子は後世に残しやすいんだけども、男の遺伝子を後世に残すというのはちょっと難しいと
だからこそミトコンドリア dna はたくさんのタイプが世界に散らばってるんですけどy 染色体 dna は少ないということで
ぜーんぶ含めても今日本人でだいたい10系統ぐらいしかないんですね。
~略~
d 1 a 2と c 1 a 1。この2つが日本を起源地としたハプロタイプになります。
d 1 a 2と c 1 a 1をですね、それぞれ説明してみたいんですけれども
この d 1 a 1がですね、約4万年前から3万5千年前に日本列島で発生した。
~略~
この d 1 a 1は現代日本人の約35%がもっています。
~略~
これはね沖縄県民の約半分です。d 1 a 2を持っています。さらに言えば現代アイヌの8割が d 1 a2を持っています。
で日本列島以外ですとほぼないんですよ。
ミクロネシアで5.9%あるんですけど、先の大戦の時、日本人が南洋諸島に住むようになりましたから
その子孫と考えられます。
あとねえ韓国に4%います。それ日本人の子孫だったということは、ほぼ間違いないですね。
こうやって見ると韓国人の子孫が日本人なんじゃなくて、日本人の子孫が韓国人なんだということもわかってくるわけですね。
だって、この後頃だから d 1 a 2ができたのはこのあたりですかね、その後この縄文時代にわたっていったじゃないですか
その子孫が今韓国人の4%に残っているということですね。その直系の男系の子孫が前韓国人の4%です。
なんでそこまで減っちゃったかといったら、ほらチンギスハン、元がやってきたりして
もしくは中国に別の王朝が来て皆殺しになっているから男必死ですよね
ほとんどの遺伝子残せないで4パーまで減ってしまって遠い。まあこれは縄文時代でまたやりますけども
今からね約7千年前は朝鮮半島は無人で、日本の縄文人が住み着いたところが始まっているわけですから
結局侵され、侵されんどん減っていって4%まで減っちゃったとゆうことですよね。
ですからこの d 1 a 2、ここがですね現日本人に一番近いところだったいうふうに読むことができます。
今のところ、この y 染色体の dna を古人骨からいうのは難しいんですよ
~略~
ただ現在見つかっている縄文人の数例があるんですけれどもすべて d 系統でした。
~略~
d 1 a 2というとまさにこの現日本人のイメージで、縄文人のイメージで、これはチベット人のイメージともつながってくるということだと思います。
~略~
そこにいくつかが被ってくる可能性があるんですけども、その一つが2番目 c1 a 1になります。
これも日本列島で誕生したハプログループですね。
これはあのだいたい年1万2千年くらい前から拡散しています。1万2000年前というと縄文時代になりますよね。
でこれは d系統とは別系統になるんですよ。
もしこれ d 1 a 2から発生したんだったら、必ず d グループに入るんですけど、 c という別のグループなんですよね。
このグループは現在の日本人のうち4.9%が c 1 a 1もっています。
まぁだいたい3人に1人が d 1 a 1ですが、それに比べると c 1 a 1は少ないですけどそれでも4.9%、約5%ですよね。
ですからあの20人に1人はクラスに1人か2人はですね、 c 1 a 1がいるという計算になります。
これはやはり沖縄とか多いんですね。沖縄6.8%なんです。
でこのグループはですね、まぁイラン付近からアルタイ山脈付近を経由して日本列島に至ったとみられています。
この親グループの c グループというのは約6万年前以前に南西アジアで発生した。ここらへんですね。
出アフリカのすぐあとぐらいに発生したと。親グループはその前にアフリカを出ているということです。
ですからこの d グループとcグループ全然別系統ですけれども、この2つあたりが縄文時代ぐらいまでのベースになるという風に考えられます。
で、もう一つですね、この2つは日本列島が震源地なんですが
日本列島震源地としていないグループの中で日本人に多いのはこの2つです。 o 1 b2と o 2ですね。
o2って酸素ではありませんからね、はいこれグループ名でございます。
この2つなんですけども縄文時代以降に日本に渡ってきたグループなんですね。
だからもしかしたら稲作伝えた人たちじゃないよとかね、これは稲作を伝えたのは中国の大陸の南のほうですね。
揚子江・長江の文化の人たちが稲作を始め、それを日本の縄文時代後期・日本に稲作を伝え日本は弥生時代に入っていくと
だからここらへんはシナの南方の人たちが稲作文化を始めた、そういう人たちなんじゃないか。
この人たちが今日本にわたって来て、今の日本人の、 y 染色体dnaのハプロタイプとして残っているんじゃないか
という風に考えられます
でこのo1 p 2はですね約2800年前に日本とシナの長江中下流域から日本に渡来してきて
日本に水田稲作を伝えた人たちという風に考えられますから、長江文化の担い手というふうになりますね
で、このo1 p 2に関してはですね、東アジアと東南アジアにおける最大勢力なんですよ
漢民族のほとんどがo1 p 2なんですよ。
でその後飛鳥時代とか奈良時代に結構中国からいろんな人来ましたからね
そこら辺の人たちなんだから同じシナからきた中国から来たと言っても日本にね稲作を伝えた
この稲作文化の担い手とその後中国王朝の文化を日本に伝えたそういうグループは同じ0でもちょっと違うんですよね。
こっち中間(?)とかそっちの方になりますから。
で世界ではこの o 系統が最大グループなります。これは漢民族が多いでしょ。
世界の人口の中ではこのOが最大グループということになります。
このO1 b 2と o 2というのはここ2、3000年ですから結構歴史が浅いんですよね。
浅いにも関わらず日本人では大グループて日本人の3割なんですよ。
たぶんね秦氏とかOなんですよね。渡来系。
なんでね新参者なのに3割O何ですかというときにやっぱりy 染色体だからですよ。
これは権力者とか中枢にいる人って確実に子孫を増やせるわけですよね。
だから2000年前とか1000年前、日本人いっぱいいたでしょうけど
その中で権力の中枢にいた人の中にはね、中国王朝シナ王朝から日本に派遣された役人とかね、
学者とか来てるわけだから、その人たちは特別な待遇とされ、そして日本の貴族との婚姻も進んでいくわけですよね。
ですから特別に国家から国家が国家に派遣したところ、こっちですよね、
もしくはこの稲作の文化を持った人たちですから、この人たち技術者として全国にですね、
一定農業指導したと考えられるわけですね。
そうすると良かったらウチの娘とみたいなのが出てくるでしょうし、子孫残すのは比較的簡単だったと思うんです。
こっちのがわは中国王朝が派遣した学者とか官人ですから、こういう人たちは日本の貴族とね
どんどん交わっていってその一つが例えば秦氏。秦氏の子孫何人いるのかと考えたらね
あの菩提寺とか神社とか見たら全国に広がってますよね。
ですからそういう特別な技術者もしくは役人として派遣された人たちですから
そういう人達が他の人たちよりも優位に遺伝子を残せた可能性があるわけなんですね。
そうやってみてくると、ここらへんは人数が少なかったんだけども確実に有意に人口を増やしていったということです。
で母体となるのはこの2つですね。特に古いのは d 1 a 2でどういうルートで渡ってきたかもだいたい見えてきたということで
これはもう北ルートを、Oは南ルートなんですね。そういうことになります。
前回と今回見てきましたよ、ミトコンドリアDNA、Y 染色体量を見てきましたけれども
結局日本人、現在日本人というのは単一民族というふうに言われてますけども
3万8000年以上の歴史をたどってみればですね、ミトコンドリアDNAのハプロタイプで20系統、
y 染色体 dna のハプロタイプで10系統とそれほど多くの人たちが日本列島で交わりあったという事です。
~略~
稲作文化を伝えた中国の南方人がいて、王朝が派遣した漢人役人もいてそういう人たちとゆるやかに共存しながら敵対せずに、「よく来てくれました、良かったらうちの娘とよかったら」とか言いながらいい感じでまざりあってきた
その結果が今の日本人につながるということなんですね。これでわかることはですね
もう3万8000年前に確実な人類の活動の痕跡があり、そして一気に人口が増えていき
そしてこの岩宿時代はほぼ均一なんですね。北海道から沖縄までほぼ均一の文化に達しているわけなんです。
なので非常にですね 、この岩宿時代の段階で既に列島間船を使って相当往来をしているということがわかっているんですね。
なのでこの人たちはもうこの古い時代、まだ縄文時代に入る前ですよ、
丸木舟をつくってですね、伊豆半島で取れる黒曜石が日本列島あっちこっちで出土したりしてるんですね。
そうやって日本列島船で行き来しながら言語が統一されみんなで共生しながら情報共有してですね
新しい道具を作ったりとかしながら原日本人が形成されてきたということなんですね
~略~
日本人は日本列島で成立したのであり出現したのでありどこから渡ってきた人たちでもないし
日本文化がどこから渡ってきたわけでもない
人類最初の文化は日本列島で芽生え、そしてその人たちが豊かにそれを育んできた
その先に繋がっていくのが縄文時代だということになるわけなんですね。
なのでおさらいすると y 染色体で言うところの d 1 a 2
この人たちが日本列島に最初に到達したということが今のところわかっています。
これは岩宿時代のはじまり 磨製石器の最初の末席と完成に時代が一致するということですよね。
なので4万年前から3万8000年も間にですね、日本列島に到達し、そしてこの段階で磨製石器が作られた
ということを確認することができます。
この d 1 a 2は4万年前以上前にですねチベットで分岐しているわけですね。
なのでええまぁヒマラヤの北を通って日本に来たこの北ルートですね。
北ルートでチベット経由で日本に入ってきたこれが一番最初に日本列島に到達した
ホモサピエンスですね現世人類だということがわかります。
でこのd1a2どういうルートで渡ってきたかということなんですけれども 朝鮮半島はですね
基本的に経由してないと考えられます。
当時朝鮮半島は半島ではなくて中国大陸の一部にへばりついたんですね。
ですから中国大陸河口からそのままわたってこられたのでちょうど今の朝鮮半島の沿岸部分を歩いてきたかもしれませんけども
北朝鮮のあたりから南下して日本に渡ったのではなくて、そのまま沿岸沿いに日本にすっと入ってきたということで
ですから朝鮮の脇を素通りして日本に入ってきたというルートがだいたいわかっています。
朝鮮の地はほぼ踏んでないというか素通りしちゃった。
これちゃんとね明らかにしないと、「なんだ、日本人は朝鮮半島から入ったんじゃねえか」とか言われますけど、
いやいやあの時半島じゃないですから。沿岸からスッと大陸から直行で来られたんですね。
ここは抑えておかないといけないかなというところですね。
黄河河口から陸地を経て船で玄海灘わたってるっていう事で、半島経由ではないというか、大陸から直で日本にきたということがわかっています。
ということでそれ以降はもうね海面が上がって日本列島と大陸の行き来困難になりましたから
そして和気あいあいとですね、いいつかのグループの人たちが同じ環境で協力し合いながら生きてきたということですね。
なんで沖縄と北海道に多いんですかって言った時に結局ほらこの大グループが政権中枢に入ってきていますから
だからあの九州から関西にかけてはですね、やっぱこの大陸文化っていうのはやっぱり入ってきますから
そうなったときにその端っこ北海道と沖縄に昔の人たちの血統がより多く残ったということは
そういうことだと考えられます。
⓶アイヌは縄文の血を濃く残すのに、オホーツク文化人の子孫?
細かい突っ込みどころはいろいろあるのだが、それは後回しにして、青太字の部分に注目してほしい。
その部分のみ、ピックアップして書き出してみよう。
①y 染色体 dna から何がわかるか
⓶男が子孫に遺伝子を残すというのは相当大変
③闘いにで負けてしまうと自分の遺伝子を残すことすらできない。
④女性はたとえ戦いに負けたグループであっても戦利品としてね、子供を生むことがあるかもしれない。
⑤ d 1 a 2は現代日本人の約35%
沖縄県民の約半分です。d 1 a 2を持っています。さらに言えば現代アイヌの8割が d 1 a2を持っています。
⑥d 1 a 2というとまさにこの現日本人のイメージで、縄文人のイメージ
⑦o1 p 2はですね約2800年前に日本とシナの長江中下流域から日本に渡来してきて
日本に水田稲作を伝えた人たちという風に考えられますから、長江文化の担い手というふうになりますね
⑧で、このo1 p 2に関してはですね、東アジアと東南アジアにおける最大勢力なんですよ
⑨なんで沖縄と北海道に多いんですかって言った時に結局ほらこの大グループが政権中枢に入ってきていますから
だからあの九州から関西にかけてはですね、やっぱこの大陸文化っていうのはやっぱり入ってきますから
そうなったときにその端っこ北海道と沖縄に昔の人たちの血統がより多く残った.
さらに上記、太字のところをつなげてよんでみよう。
現代アイヌの8割が d 1 a2を持っています。
d 1 a 2というとまさにこの現日本人のイメージで、縄文人のイメージ
なんで沖縄と北海道に多いんですかって言った時に結局ほらこの大グループが政権中枢に入ってきていますから
だからあの九州から関西にかけてはですね、やっぱこの大陸文化っていうのはやっぱり入ってきますから
そうなったときにその端っこ北海道と沖縄に昔の人たちの血統がより多く残った。
これ何を言っているのかというと、
現代アイヌ人の8割が縄文人のY染色体ハプロタイプ d 1 a2を持っている。
アイヌ人は縄文人の血が濃い、といっているわけだ。
竹田さんがこの発言をされたのが岩宿時代編⑤。
そして、そのひとつあとの岩宿時代編⑥ではこんなことを言っている。
岩宿時代北海道に住んでいたのは北海道岩宿人であり、その子孫が北海道縄文人ですよ。
それが北方からやってきたオホーツク人、このオホーツク人って結構凶暴なんですよね。
そしてガンガン北海道に来て、殺戮しまくって、北海道縄文人をたぶん犯しまくったんですよ。
それで一時期この5世紀から10世紀って書いてありますけど、北海道のほぼ全土がオホーツク文化に入れ替わったんですね。
もともとの縄文文化がほぼ消滅して完全にオホーツク文化になっちゃったんですよ
でオホーツク文化ってどういう人達かというとシベリアの沿海、それから樺太・カムチャッカ、
ここらへんが、オホーツク文化なんですね。
このオホーツク文化の人たちが北海道に上陸して、侵略してほぼ制圧しちゃったのがこの約500年間で5世紀から10世記
で
その時にオホーツク文化人と北海道縄文人の混血がどんどん進んでいきます
あのアイヌ人のミトコンドリア dna のですねうち2割の頻度で現れるのが y 1なんですよ。
y 1っていうのはまさにこれなんです。オホーツク文化。
これを明らかにわかりますオホーツク周辺のですね、少数民族でいうと、たとえばニヴフっていう民族ありますけど
ニブニの7割が y 1持っています。ウリチの約4割。ネギタールの2割。
オホーツク周辺の民族の多くはy1を持っているので、y1の震源地は地はオホーツク文化ですね
アイヌ人のミトコンドリア dna の2割にこのy1が現れる。
もともと縄文人はy1なんかないんで、y1というのはオホーツク文化の担い手なんですね
だか縄文人とオホーツク文化人が混血混血混血て進んでいくと、その後江戸時代近世以降アイヌ人にy1が現れる。
これはもう完全にオホーツクの血筋が入り込んでいるということですね
だから元々の縄文人の血統にオホーツク文化の血統が完全に混血してアイヌ人ができたということがもうミトコンドリア dna のハプログループからわかるんですよね
つまり、ミトコンドリアDNAのほうで縄文人にはなく、オホーツク文化人にあるハプログループY1をアイヌ人の20%をもっている。
これは5世紀から9世紀にかけて北海道にいたオホーツク文化人が縄文人を殺戮しまくり、犯しまくった結果13世紀にアイヌ文化人が成立した、と言っているわけである。
これは、上の話と全く矛盾している。
さらに竹田氏はこうも発言している。(緑太字)
⓶男が子孫に遺伝子を残すというのは相当大変
③闘いにで負けてしまうと自分の遺伝子を残すことすらできない。
④女性はたとえ戦いに負けたグループであっても戦利品としてね、子供を生むことがあるかもしれない。
上の発言を踏まえて考えてみると、母系で受け継がれるミトコンドリアDNAハプログループY1をアイヌ人がもっているということは
ミトコンドリアDNAハプログループY1を持つオホーツク文化人の女性が、縄文人の子孫である擦文文化人の戦利品とされて交わり、その女性たちが子供を産んだということになるのではないだろうか。
矛盾したことを言っているのに気がついていないのか。
其れとも矛盾したことを言っているということはわかっていて、嘘をついているのか。
③Y染色体DNAは解析がまだ進んでいない。
さらに発言の細かい部分を見ていきたいと思う。(竹田さんの発言で正しいと思う部分については述べない)
ミトコンドリア dna は日本人に大体20系統ぐらいあると言いました
y 染色体 dna って主に、5、6くらいでちっちゃいの入れても10ぐらいしかないんですね
同じ dnaであってもミトコンドリアと染色体ではこの数が違うんですね
~略~
戦争があると負けた国の人達って皆殺し、もしくはよくて全員奴隷ですからね
だから特に男は奴隷として酷使し、女は戦利品として持ち帰るみたいな、こんな話もいくらでもあるぐらいなんですよね
ですからの女性はたとえ戦いに負けたグループであっても戦利品としてね、子供を生むことがあるかもしれない
でも男は戦争で負けた集団の男なんで子孫を作る機会すら失われたりするんですよ
だから女性の遺伝子は後世に残しやすいんだけども、男の遺伝子を後世に残すというのはちょっと難しいと
だからこそミトコンドリア dna はたくさんのタイプが世界に散らばってるんですけどy 染色体 dna は少ないということで
つまり、
「Y染色体ハプログループのタイプが、ミトコンドリアDNAハプログループのタイプに比べて少ないのは男性が遺伝子を残すのは大変だから」
とおっしゃっているのだが、これは事実かどうかわからない。
ミトコンドリアDNAの塩基の数は1万6000塩基対程度だが、Y染色体は5000万塩基対もあるため、ミトコンドリアDNAに比べて研究が進んでいなかったという記事があった。
もしかすると解析がすすむともっと数が増えたりしないだろうかと思ったりもする。
④日本の磨製石器は世界最古じゃない
d 1 a 1はもう1回言いますよ。今から4万年前から3万5千年前の間に日本列島で発生したのです。
じゃ、この人じゃんって感じです。これ38,000年前に(世界最古の磨製石器を)誰が作ったの?この人じゃんっていう話なんですね
世界最古の磨製石器は、オーストラリアの6万5000年のもので、現生人類が作ったものと考えられている。
ついでにいえば、日本の岩宿遺跡などで出土した磨製石器は、3万8000年前ごろあらわれて、30000年前には見られなくなっている。
⑤日本人の子孫が韓国人?
あとねえ韓国に(d 1 a2)は4%います。
それ日本人の子孫だったということは、ほぼ間違いないですね。
こうやって見ると韓国人の子孫が日本人なんじゃなくて
日本人の子孫が韓国人なんだということもわかってくるわけですね。
だって、この後頃だから d 1 a 1ができたのはこのあたりですかね、その後この縄文時代にわたっていったじゃないですか
その子孫が今韓国人の4%に残っているということですね。その直系の男系の子孫が前韓国人の4%です。
なんでそこまで減っちゃったかといったら、ほらチンギスハン、元がやってきたりして
もしくは中国に別の王朝が来て皆殺しになっているから男必死ですよね
ほとんどの遺伝子残せないで4パーまで減ってしまって
遠いまあこれは縄文時代でまたやりますけども今からね
約7千年前は朝鮮半島は無人で、日本の縄文人が住み着いたところが始まっているわけですから
「約7千年前は朝鮮半島は無人だった」というのは長濱浩明さんが言い出した説で
それをベースにして考えると、「日本人の子孫が韓国人」ということになる、というのが竹田さんの主張だろう。
しかし長濱さんの説に、どれだけ信憑性があるかどうかわからない。
調査中なので、宿題ということにさせていただく。
アイヌのチセ