①小名木氏が提示する写真は、左右どちらも縄文人だった。
「NHKが縄文人の人骨を弥生人の人骨と偽った」というのはねずさんの嘘
こちらの記事で、私は次のような主張をした。
4:06あたりで小名木氏は次のように発言している。
「向かって右側の白っぽい写真、平べったい写真を線対称にしてコピーを繰り返した。
人間の顔は左右でちがう。細く写るほうを使って(?)線対称にしてコピーを繰り返しながらこういう写真を捏造した。」

上記動画より引用
①この2枚の写真は同じ被写体を左右反転させていることがわかるが、おそらくどちらか一方はフィルムを裏焼きしたのだろう。
ミスはミスだが、「縄文人の写真を加工して弥生人にした」とはいえない。
というのは、どちらの写真もタイトルが縄文人となっているからだ。
「日本人はるかな旅⑤ そして日本人が生まれた(日本放送出版協会)』に掲載されている写真のタイトルを確認すると
むかって左は「岩手県宮野貝塚の縄文人(本138p)」
向かって右は「縄文時代晩期の男性頭骨[国立科学博物館(本37p)」である。
⓶上の写真のタイトルは、
「岩手県宮野貝塚の縄文人(左)と島根県古浦遺跡の縄文系弥生系人(右)(本138p)」
の右上に
「縄文時代晩期の男性頭骨[国立科学博物館(本37p)を重ねたものと思われるので
向かって右の写真を「島根県古浦遺跡の縄文系弥生系人(右)」と勘違いする人がいそうだ。
右端に32という数字があるが、本にはこのような数字は記されておらず、何の数字かわからない。
⓶輪郭がつぶれて背景と同化しているため細長い輪郭に見えていた。
写真向かって左が細長く見えるのは、画質が悪く、頭蓋骨の輪郭がつぶれて背景と同化しているためだ。
本の写真と、小名木氏が提示している写真を比較すればすぐわかる。


③放送を見てみたが、縄文人・弥生人の比較は写真ではなくCG
「NHKが放送し、本にした写真」と書いてあるので、本を確認したのだが、
「放送で偽造写真が用いられたのではないか」という意見があった。
NHKがこんなに画質の悪い写真を使うはずがないだろう、と思ったが番組を見てみることにした。
日本人はるかな旅 第5集 「そして”日本人”が生まれた」 の内容を簡単に記す。
①約2400年前の板付遺跡は縄文時代には見られない環濠集落で、あぜや水路が完備された水田などが発掘された。
縄文の遺跡にはない特徴を持っているので、渡来人がやってきた可能性が考えられた。
⓶板付遺跡に近い福岡空港から2300年前の人骨が見つかった。(水田稲作集落から見つかった始めての人骨)
③人骨は損傷が激しかったため研究チームは CT スキャンによって採取したデータをもとにコンピューター上で骨の修復を試みた。
ここで縄文人の人骨と比較した写真がでてくる。
弥生人(福岡の人骨)と弥生人の人骨比較をしているのはこれだけであるが、
コンピューター上で人骨を修復したCGのようなものであって、小名木氏が提示しているような写真ではない。
また輪郭、歯の並びなども小名木氏が提示しているものとは全く違うし、本に掲載されているものとも違っていた。やはり、本の写真でよかったのだ。
④断絶に近い違いがみられるのは渡来人だから
そして次のようにナレーションが入っている。
「その結果新たな人々の顔つきは縄文人と大きく異なっていたことがわかったのです。
左の福岡の人骨はかなり面長な印象です 一方右の縄文人はエラの張った四角い顔に見えます。
計測の結果、顔の横幅はほとんど同じなのに 縦の長さは福岡の人骨が2センチ以上も長くなっていました。
さらに横から見ると 福岡の人骨の方が眉間から鼻にかけての隆起が小さく 扁平な顔をしていることが分かりました。」
そのあと比較研究をしている中橋孝博さんが、次の様に発言している。
「単なる違いが大きいということだけじゃなくて内容的に断絶に近い違いが見られるんですね。
ですから単純に文化的な影響で顔立ちが方が変わったというよりはですね、
おそらくや時代に別の遺伝的な特徴を持った集団が流れ込んできたと思いますね」
小名木氏は、動画3:10あたりでこうのべている。
「縄文人と弥生人は民俗がいれかわるくらい大きな変化があったんだという証拠に使われている写真。」
中橋孝博さんは「単なる違いが大きいということだけじゃなくて内容的に断絶に近い違いが見られるんですね。」
とおっしゃっているが、これは
「縄文人と弥生人は民族が入れ替わるくらい大きな変化があった」という意味ではない。
この福岡の人骨は渡来系弥生人と考えられている。
だから縄文人とは全く顔つきが違っていると考えられるのだ。
そして縄文人とは、縄文時代に生きていた人々のことをいい、
渡来系弥生人、縄文の血をひいた人、渡来系と縄文系の混血もひっくるめて弥生人という。
⑤日本では一方がもう一方を徹底的に滅ぼしてしまうようなことはなかった。
このことは、番組を最後まで聞けばわかる。ちょっと長くなるが、オモシロイ内容だったので書いておこう。
①山口県豊北町の土井ヶ浜遺跡で福岡の人骨と同じタイプの骨が大量に発掘された。
埋葬された人骨は20度北を向いた方角に顔を向けて葬られていた。
これは朝鮮半島、中国大陸の方向であり、土井ヶ浜の人々が大陸方面からの渡来人だと考えられるようになった。
⓶中国山東省でリンシで土井ヶ浜遺跡とほぼ同じ時期の人骨が大量に出土した。
人類学者の松下孝之さんは発見された人骨を1体1体を細かく計測した。
中国の人骨は土井ヶ浜の人骨とよく似ていた。
土居ヶ浜の人々は中国大陸からきたのではないか。
ここで写真による土井が浜の人骨と、中国の人骨比較が行われているが、
これは渡来系弥生人である土井ヶ浜の頭蓋骨と、中国で発見された人骨の比較なので
縄文人を加工して弥生人と偽ったとはいえない。
また放送で用いられていた土井が浜の渡来系弥生人の写真は、下記向かって右の「土井が浜遺跡の図骨」と記されている方の写真で、左の縄文時代晩期の男性頭骨ではない。

日本人はるかな旅⑤より引用
下の宮野貝塚の縄文人でもない。

日本人はるかな旅⑤より引用
③日本列島に渡来人が現れた頃、中国大陸は春秋戦国時代。戦乱を逃れて日本にやってきたのではないか。
④人類遺伝学者の徳永勝士さんは、血液の中に含まれる ヒト白血球抗原 通称HLA という物質を分析することで日本人のルーツを調べている。
HLA とは白血球の表面にあって免疫反応を司るタンパク質。 分子構造の違いによって1万を超えるタイプに分かれる。
現代日本人に最も多いタイプD 52₋ DR2は、西日本そして韓国、中国北部に多く分布している。
朝鮮、中国北部から日本へやってきた人たちがいたのではないか。
その数は正確にはわからないが、数百年にわたって何波にも分かれてやってきたと考えられる。
⑤九州大学の中橋 孝博 さんの研究によれば福岡のある遺跡の渡来人の墓は50年で2倍、100年では6倍以上に増加している。
渡来人たちは水田稲作による安定した生活の中で急速に人口を増やしたのではないか。
⑥2300年前、渡来系の人たちは水田稲作によって人口をふやす。数十年で縄文系の人々を上回ったと考えられている。 渡来系の人々は戦いに使う武器を作り、縄文系の人々と争った。
新方遺跡の縄文系の人の骨には17個もの矢尻がささっていた。
⑦考古学者の松木武彦さんは、春秋戦国の乱世を生きた渡来人によって、大陸から戦いが持ち込まれたと考える。
生まれながらにして戦争のある社会に育っているので、戦うことに躊躇はなかっただろう。
⑧大阪平野に住む渡来系の人々は武器に用いるサヌカイトを四国までとりにきていた。
⑨渡来系の人々は濃尾平野に達したが、それ以上東へはなかなかすすめなかった。
遺跡の分布の研究から縄文人の85%は東海・北陸以東の東日本に住んでいたことが分かっている。
水田を切り開くことは困難な深い森 そして縄文系の人々の高い人口密度が東へ進むことを妨げた。
このような状態が200年ほどつづく。
⑩兵庫県伊丹市から、深い溝を複雑に組み合わせた文様の土器が発掘され、考古学者の小林青樹さんが調査を行った。
文様が一致したのは長野県を中心に分布する氷式土器と言う縄文系の土器だった。
しかし粘土は地元の物を使っていると考えられた。
東の縄文人がこちらにきて、地元の土を使って作った土器ではないか。
同様の土器は中国地方の遺跡でも見つかった。
渡来系の人々が大陸からもたらした最先端の生産技術が縄文系の人々を惹きつけ 交流を促した?
⑪約2100年前、渡来系の人々は関東平野に姿をあらわす。
小田原の中里遺跡は面積6万平方メートル、東京ドームが2つ入る。
水田があり、多いときは200人以上の人々が暮らしていた。
西日本の渡来系の集落を思わせるが、縄文系の人々も暮らしていた。(縄文系土器がみつかっている。)
渡来系の小さな斧に混じって縄文系の牛の鍬が見つかっている。
渡来系の人々は縄文系の人々の協力を得て、関東平野に進出した?
遺物の中には武器はほとんどない。
このような例はほかにもあり、日本では一方がもう一方を徹底的に滅ぼしてしまうようなことはなかった。
⑫岩手県北上山地にあるアバクチ洞窟で、約2000年前の弥生時代中頃に葬られた人骨が発掘された。
目のくぼみが丸い・・・渡来系の人々の特徴
鼻の付け根太い・・・・縄文系の人々の特徴
縄文系、渡来系の混血?
※ここでも頭蓋骨の映像が用いられているが、子供の人骨で、小名木氏が提示している写真とは異なっている。
⑬人類学者の松村博文さんは人骨に残された歯を分析している。
小ぶりな歯は縄文系、右の大きな歯は渡来系
松村さんは古代から現代までに1500人の歯を統計的に分析し縄文系・渡来系、どちらの要素が強いか鑑定した。
どちらの要素が強いかは人によって大きなばらつきがあった。
渡来系と土着の縄文系の混じり合いの度合いは地域によっても異なっていた。
西日本は渡来系要素が強く、東に行くほど縄文系の要素が強い。
⑭奈良県の大和盆地に古代国家が芽生える。その中心地、纒向遺跡から形や文様がさまざまな土器が派遣された。
九州から関東まで。当時大和盆地に日本列島の各地から人々がやってきていた。
⑪「日本では一方がもう一方を徹底的に滅ぼしてしまうようなことはなかった。」とあるのに注意してほしい。
小名木氏は「縄文人と弥生人は民俗がいれかわるくらい大きな変化があったんだという証拠に使われている写真。」
といっているが、番組では民族がいれかわるくらい大きな変化があったとはいっていないのだ。
⑥写真を引用しなければ説明できないので、著作権法違反ではない。
この写真の使用が著作権法違反だという人がいるので、説明させていただく。
この記事は、「NHKが縄文人の写真を細長く加工して弥生人と偽った」という小名木氏の主張がまちがいであるということを示すために書いたものである。
そのためには該当する写真を引用しなければ説明できない。
このような場合には著作権法違反にはならないと思う。
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