トンデモもののけ辞典㊵ なすび婆
①なすび婆
延暦寺には『なすび婆』の伝説が伝えられている。
昔宮中に仕えていた女が人を殺して地獄に堕ちた。
しかし仏の慈悲によって心は比叡山に住むことが許された。
織田信長の比叡山焼き討ちのとき、なすび婆は大講堂鐘楼の鐘をついて人々にこれを知らせた。
延暦寺 大講堂 鐘楼
②一富士・二鷹・三茄子の謎
私は初夢で見ると縁起がいいとされる「一富士・二鷹・三茄子」とは、鉱山の隠語ではないかと考えている。
この「トンデモもののけ辞典」シリーズでも何度か書いたが、その理由は次のようなものである。
❶栃木県那須町の近くには足尾銅山がある。愛媛県新居浜市のなすび平の近くには銅山川が流れ、別子銅山がある。
銅は茄子色をしている。そして茄子が鈴なりになっている状態を坑道に見立てたのではないか。
に.鷹は鷹の爪ではないか。
鷹の爪の赤い色は辰砂(丹/水銀)を、また鷹の爪の実が鈴なりになるようすを坑道に見立てたのではないか。
ほ.富士は不死の意味で、輝きを失わない金を意味しているのではないか。
富士はまた藤をも意味し、藤の花が房になって咲くようすが坑道に喩えられたのではないか。
延暦寺 東塔 阿弥陀堂前の鐘楼
③信仰心からくる言葉の表現
日本語では、信仰心から事実とは異なる表現を用いることがある。
事実とは違うことを言うのは嘘だが、嘘ともいいきれない。『言い回し』というべきか。
たとえば日本語では「亡き父が見守ってくれたおかげで事業がうまくいった」のように言うことがある。
実際には事業がうまくいったのは自分や社員が努力した結果だといえるのだが、こういう言葉を聞いて「嘘つき」と思う人はいないだろう。
この人にとっては亡き父親は神様のように自分を見守ってくれる存在なのだ。
また、この人にとって「亡き父が見守ってくれたおかげ」というのは嘘ではない。
「亡き父がいつも見守ってくれている」と信じているのだから。
織田信長の比叡山焼き討ちのとき、なすび婆は大講堂鐘楼の鐘をついて人々にこれを知らせました。
というのも、これと同様の表現ではないかと思う。
延暦寺 東塔 阿弥陀堂
④「なすび婆」とは大講堂鐘楼を擬人化したものだった?
「なすび婆」とは大講堂鐘楼を擬人化したものではないだろうか。
鐘は銅でできている。
「銅=なすび」なので、「なすび婆」なのではないだろうか。
鐘の形はなんとなくなすびに似ているようにも思える。
そして「なすび婆」は単なる鐘という存在を超え、神として信仰されていたのではないかと思う。
比叡山焼き討ちのとき、誰かがこの大講堂鐘楼の鐘をついて人々に危険を知らせたのかもしれない。
ところが実際にはそうでも、人々はなすび婆(大講堂鐘楼)を神のように信仰していたため、
なすび婆(大講堂鐘楼)が自ら鐘を鳴らしたという表現を用いたのではないかと思ったりする。
なすび婆(大講堂鐘楼)が自ら鐘を鳴らしたという表現を用いたのではないかと思ったりする。
⑤比叡山の僧侶たちは遊女を招き入れていた。
余談となるが、
織田信長の比叡山焼き討ちについてのこんな記事があった。
おもしろいので、内容を簡単にまとめてみる。
織田信長は比叡山焼き討ちの時、女子供まで殺した。
比叡山は女人禁制だったが堕落した僧侶たちが比叡山に遊女を招き入れていた。
「信長公記」によると、「僧侶たちは魚や肉を食べ,金もうけにふけっている」と記されている。
しかし実際には大量虐殺はなかったと考えられている。
・比叡山焼き討ちで焼け落ちたのは根本中堂と大講堂だけ。他の建物はそれ以前に廃されていた。
・比叡山焼き討ちのとき、僧侶らは山をおりて坂本の地に避難していた。(多門院日記)
⑥茄子婆の正体
さて、茄子婆とは鐘楼を擬人化したものではないかという話をしたが、
昔宮中に仕えて殺人をし、地獄に堕ちたが心は比叡山に住むことが許された女とは
茄子婆=鐘楼の前世であり、実在していたのかもしれない。
とすれば、それは誰のことだろう。
❶枚方市に茄子作という地名があり、ここで惟喬親王の愛鷹につける名鈴を作ったことから、茄子作になったと言われる。
❷小野小町とは、小野宮ともよばれたこの惟喬親王のことではないか、と考えている。
これについては詳しく「小野小町は男だった」のシリーズで述べたが、簡単にまとめておく。
小野小町歌碑 隨心院
a 古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌が多数ある。
b 古今和歌集仮名序はやけに小町が女であることを強調しているが、これは小町が男だからではないか。
c .小野小町は穴のない体で性的に不能であったともいわれているが、穴がない体なのは小町が男だからではないか。
待ち針は穴のない針という意味で「小町針」だったのが、訛って待ち針になったといわれている。
d 『古今和歌集』に登場する女性歌人に三国町、三条町、がいる。
三国町は一般には継体天皇の母系氏族・三国氏出身の女性だと考えられているが、
『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣としている。
紀名虎の娘で仁明天皇の更衣とは紀種子のことである。
また三条町は紀名虎の娘で文徳天皇の更衣だった紀静子のことである。
三国町が紀種子とすれば、三条町=紀静子なので、三国町と三条町は姉妹だということになる。
そして紀静子は惟喬親王の母親だった。。
惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなる。
そういうことで小町なのではないだろうか。
e 花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
この歌は縁語や掛詞を用いて二重の意味をもたせた技巧的な歌だとされる。
①花の色はすっかり褪せてしまったなあ。春の長い雨のせいで。
②私の容色はすっかり衰えてしまったなあ。恋の物思いにふけっている間に。
※『色』・・・『視覚的な色(英語のColor)』『容色』
※『世』・・・『世の中』と『男女関係』
※『ながめ』・・・『物思いにふける』『長雨』
しかし、もうひとつ違う意味が隠されているように思える。
③はねずの梅の鮮やかな色はあせ、(「はねず」は移るの掛詞なので、花ははねずの梅ととる)私の御代に(「わが御代に 下(ふ)る」とよむ。)長い天下(「ながめ」→「長雨」→「長天」と変化する。さらに「下(ふ)る」を合わせて「天下」という言葉を導く)がやってきたようだ。
❸惟喬親王は比叡山のふもとの小野の里(大原)に隠棲した。
「茄子」「宮中に住んでいた女」「比叡山」というキーワードから、惟喬親王を思い浮かべてしまうが
彼が人を殺した、というのは思い浮かばない。
また惟喬親王が異母弟の惟仁親王と世継争いをしたという話があり
惟喬親王には空海の高弟が、惟仁親王には天台僧がついたという。
空海は真言宗を開いた人物なので、惟喬親王は真言宗派であり、そうすると彼の心が比叡山に住むというのは考えにくい。
私は惟喬親王が好きなので、なんでも惟喬親王に結びつけてしまうのかもしれないw
この点は宿題にしておきたいと思う。
比叡山より京都方面を望む
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