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トンデモもののけ辞典 蚊になった文武王㉟

蚊

①文武王

昔、文武王という人の生血を吸うのが大好きな王様がいて、みな困ったので、王子と家来が図って生駒山の岩屋に閉じ込めた。30日してあけてみると、文武王は幾万という蚊と化していた。それで大和には蚊が多い。

https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/C2910087-000.html より引用

⓶生駒聖天(宝山寺)

岩屋とは洞窟のことである。
生駒聖天(宝山寺)にも岩屋がある。
もしかすると、生駒の岩屋とは、生駒聖天の岩屋のことなのかもしれない。

宝山寺 岩屋2

宝山寺

③文武天皇に関する年表

文武王とは第42代文武天皇(683ー707)のことではないだろうか。


文武天皇は草壁皇子(天武天皇第二皇子、母は持統天皇)の長子で、母は阿陪皇女(天智天皇皇女、持統天皇の異母妹、のちの元明天皇)だった。

女帝の持統天皇は、天智天皇の娘で鸕野讚良(うののさらら)という諱だった。

657年、鸕野讚良は天智天皇の同母弟(鸕野讚良の叔父)の大海人皇子の妻となった。

662年、鸕野讚良は草壁皇子を産む。

671年、大海人皇子(天智天皇の同母弟)vs大友皇子(天智天皇の子)が皇位をめぐって争う。
     大海人皇子が勝利し、即位して天武天皇となる。鸕野讚良皇后となる。
             大友皇子は自害して果てた。


679年、に天武天皇と皇后、6人の皇子、吉野の盟約を交わす。
   草壁皇子(父/天武、母/鸕野讚良)
   大津皇子(父/天武、母/大田皇女) 
   高市皇子(父/天武、母/宗形徳善の娘、尼子娘)
   忍壁皇子(父/天武、母/明日香部皇女?)
   川島皇子(父/天智、母/忍海小竜娘、色夫古娘)
   志貴皇子(父/天智、母/越道君伊羅都売)
   天武、皇子らに「争わずに協力する」と誓わせる。

681年、草壁皇子を皇太子にする。

686年、病気がちの天武天皇にかわり、鸕野讚良皇后・草壁皇子が共同で政務を執る。
    天武天皇、崩御。
    大津皇子の謀反が発覚して、大津皇子、自殺する。

689年、草壁皇子病により薨去。

690年、鸕野讚良、即位して持統天皇となる。

696年、高市皇子、薨去。

697年、持統天皇の孫で、草壁皇子の子の軽王(軽皇子)が立太子。
    誰を皇太子にするかで群臣らがそれぞれの意見を言い決着がつかなかったが
    葛野王が「わが国では、天位は子や孫がついできた。兄弟に皇位をゆずると、それが原因で乱がおこる。」
    と発言。
    弓削皇子が何か発言をしようとしたが、葛野王が叱り付け、口をつぐんでしまった(懐風藻)
    軽王、即位して文武天皇となる。

707年、文武天皇崩御。草壁皇子の妻で文武天皇の母親である元明天皇が、
    文武の子・首皇子(聖武天皇)の中継ぎとして即位する。

715年、首皇子(聖武天皇)がまだ幼かったため、中継ぎとして元正天皇(文武天皇の同母姉)が即位する。

724年、元正天皇、聖武天皇に譲位する。

729年、長屋王(父/高市皇子)、「左道を学びて国家を傾けんと欲す」として取り調べを受け、自殺。
    藤原四兄弟の陰謀とされる。

宝山寺 岩屋

宝山寺

④文武天皇即位のために犠牲になった人々

③の表には血生臭い事件や、陰謀めいた事件が多数含まれている。

❶671年の「壬申の乱」は叔父(大海人皇子)vs甥(大友皇子)の戦いで、劣勢だった大友皇子が自害して果てた。

❷686年、大津皇子は「謀反の意有り」として捕えられ、翌日自害したとされる。24歳という若さだった。
『日本書紀』によれば、大津皇子の后の山辺皇女が殉死したとある。
我が子・草壁皇子を皇太子にしたいという鸕野讚良の意志が働いたものと考えられている。

❸696年高市皇子が薨去しているが、万葉集には柿本人麻呂が詠んだ高市皇子への挽歌がある。
その挽歌では「高市皇子尊」「後皇子尊」と尊称されている。
長屋王の母は天智天皇の娘・御名部皇女であり、血筋は文部天皇のひけをとらないことから、高市皇子は皇位継承有力者であったのではないかとする説がある。
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/OS/0020/OS00200R019.pdf

高市皇子の長男・長屋王の邸宅跡から発見された「長屋親王宮鮑大贄十編」の木簡などから、彼は天皇であったのではないかとする説もある。

❹697年、誰を皇太子にするかでもめたとき、弓削皇子は何かいいかけたが、葛野王が叱り付け、口をつぐんでしまったとあり、彼は皇位継承の意志を示そうとしたのかもしれない。
その2年後の696年に、彼は27歳という若さで薨去している。

文武天皇が即位するためには、❶❷❸❹が必用であった。
❷❸❹は事件の真相がわからないが、人々がそれらを文武を即位させるための工作だと信じていた可能性はある。

文武の子・聖武が即位する際にも、陰謀めいた事件が起きている。

❺715年、首皇子(聖武天皇)がまだ幼かったため、中継ぎとして元正天皇(文武天皇の同母姉)が即位しているが
その翌年、志貴皇子が亡くなっている。

万葉集詞書では志貴皇子の薨去年は715年となっており、志貴皇子は皇位継承権があったが暗殺され
その死が1年近くかくされていたとする説がある。

参照/http://arhrnrhr.blog.fc2.com/blog-category-33.html

宝山寺 弥勒菩薩

宝山寺 弥勒菩薩

⑤虫偏に文武の「文」で「蚊」

つまり、文武王とは、文武天皇のことで、
文武王を生駒山の岩屋に閉じ込めた皇子とは文武天皇の子の聖武天皇ではないかと思うのだ。

文武王が「生血を吸うのが好き」というのは、大津皇子など、彼が即位するために多くの人々を犠牲にし
時にはその命まで奪ったことの比喩ではないだろうか。

その文武王が蚊になったというのは、虫偏に文武の「文」を書くところからの謎かけだと思う。

宝山寺 多宝塔

宝山寺 多宝塔





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