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トンデモもののけ辞典㉝ ジンベイサマ

じんべえざめ

ジンベエザメ 海遊館

①ジンベイサマはジンベエザメ?

宮城県金華山沖にジンベイサマという巨大な妖怪が出現するという伝説がある。
船の下に潜って船をささえるとか、ジンベイサマがでるとカツオが大漁になるなどと言われている。

このジンベイサマの正体は、ジンベエザメだといわれている。
ジンベエザメは最大14メートルにもなる巨大な生物である。
クジラやイルカのような哺乳類ではなく、魚類である。
もちろん、その大きさは魚類の中では世界最大とされる。

海遊館に展示されていた説明版
海遊館に展示されていた説明版

⓶サメ付き群

コトバンクには次のように記されている。

カツオはよく海流の表層を群れて泳ぐが,その際他の生物や漂流物といっしょに泳ぐことがあり,それぞれ特別な名称がつけられている。
例えば,ジンベイザメにつく群れを〈サメ付き群〉,クジラにつくものを〈クジラ付き群〉,漂流木材につくものを〈木付き群〉,鳥の群れについているものを〈鳥付き群〉といったりする。
また,餌生物を追いかけるものを〈餌持ち群〉といい,カツオだけで群泳するものを〈素群(すなむら)〉という。…


③水死体があがると大量になる。

ジンベイサマ(ジンベエザメ)が現れるとカツオが大漁になるのは、カツオがジンベエザメについて泳ぐせいだろうが
似たような信仰が水死体にもある。

水死体のことをエビスという地方があり、水死体があがると、大量になるというのだ。

クジラのことをエビスと呼ぶ地方もある。

ジンベエザメもエビス(水死体)とイメージが重ねられているのではないかと思う。
つまり、金華山の人々は、ジンベエザメをエビスだと考えたのではないかということだ。

エビスは蛭子、戎、恵比須などと書き、イザナギ・イザナミの長子とされるが
3歳になっても歩けなかったので、イザナギ・イザナミは葦の舟に乗せて蛭子を海に流したという。
戎神社の総本社である西宮神社に伝えられるところによると、
海に流された蛭子は龍宮にたどり着き、海神に育てられたが、神の御子であるということで
陸に戻され、西宮神社の御祭神にされたという。

3歳で、身体障害者の蛭子が海に流されたとすると、ながれついた竜宮とは死の国だろう。
そして海で死んだ蛭子は水死体となって、西宮の海に流れ着き、神として祀られたということではないだろうか。

カツオは他の生物や漂流物といっしょに群れて泳ぐことがあるというので、水死体にもついて泳いだりしたのかもしれない。

また、蛭子が犠牲になることで、大漁をもたらすというような信仰があったのかもしれない。

クジラやジンベエザメは、その巨大さが妖怪っぽく、死んだ蛭子がクジラやジンベエザメになったと考えられたのではないかと思う。

食事中のジンベエザメ

食事中のジンベエザメ(海遊館)

④ジンベエザメは謀反人の比喩

ジンベエザメはその大きさだけでなく、その斑点が謀反人を思わせたのではないかと思う。

ジンベイサマは金華山沖に出現するとされるが、金華山にはの鹿の大群がいるという。
金華山黄金山神社では鹿の角切行事が行われている。

鹿は謀反人を比喩したものと思われる。
というのは、日本書記トガノの鹿に次のような話があるからだ。

雄鹿が雌鹿に「全身に霜が降る夢を見た」と言った。
雌鹿は偽った夢占いをして「霜だと思ったのは塩であなたは殺されて塩が振られているのです」と答えた。
翌日、雄鹿は猟師に射られて死んだ。

昔、謀反の罪で死んだ人は保存のため、死体に塩が振られることがあった。
そして、鹿の夏毛には白い斑点がある。
この斑点を塩にたとえたのだと思われる。

鹿の夏毛

夏毛の鹿

そして、その鹿が住む島である金華山沖に出没するジンベエザメの体にも斑点がある。
しかも、ジンベエザメは鹿とは比較にならないほど巨大である。

ジンベイサマは巨大な謀反人の怨霊であると、人々は考えたことだろう。

⑤『甚兵衛の小屋』

大阪市に8か所ある渡しのひとつに甚兵衛渡船場がある。
甚兵衛渡船場というのはジンベエザメを思わせるネーミングだ。

甚兵衛渡船場

幕末ごろ、尻無川に『甚兵衛の小屋』と呼ばれる茶店があった。
この『甚兵衛の小屋』にちなんで甚兵衛渡船場と名前が付けられたのだろう。

昔、尻無川の堤は紅葉の名所であった。「摂津名所図会大成」に
『大河の支流にして江之子じまの北より西南に流れて、寺島の西を入る後世この河の両堤に黄櫨の木を数千株うえ列ねて実をとりて蝋に製するの益とす されば紅葉の時節にいたりては河の両岸一圓の紅にして川の面に映じて風景斜ならず 騒人墨客うちむれて風流をたのしみ酒宴に興じて常にあらざる賑ひなり 河下に甚兵衛の小屋とて茶店あり年久しき茅屋にして世に名高し』とあり、甚兵衛によって設けられた渡しにある茶店は「蛤小屋」と呼ばれて名物の蜆、蛤を賞味する人が絶えなかったという。
 現在も甚兵衛渡船場は健在で、大正区泉尾七丁目と港区福崎一丁目を結び(岸壁間94メートル)、朝のラッシュ時は2隻の船が運航している。平成30年度現在1日平均約1,096人が利用している。


a 大河(淀川)の支流で、江之子島(大阪市西区の地名)の北から西南に流れて、寺島(尻無川と木津川の間の中州)の西を入る。
※現在では中之島西公園の南、大阪市西区江之子島から木津川となってほぼ南に流れ、
東から流れてくる道頓堀川が大阪ドーム(大阪市西区千代崎)の南で合流して尻無川となり、西南に流れている。
摂津名所図会大成

b 後世、この河の両堤に黄櫨(きはぜ)の木を数千株植え、実をとって蝋(ろう)に製造するようになった。 摂津名所図会大成

c 紅葉の時節には、河の両岸が紅に染まり、川面に映って半端ない美しさだった。
詩を書く人や、書画などを書く風流な人が群れて風流を楽しみ、酒宴を楽しんで、通常ではない賑わいとなった。 摂津名所図会大成

d 河下に「甚兵衛の小屋」という茶店があった。長年、茅屋で有名だった。 摂津名所図会大成
e 甚兵衛によって設けられた茶店は「蛤小屋」と呼ばれて名物の蜆、蛤を賞味する人が絶えなかった。

幕末に刊行された「浪速百景」にも絵が掲載されている。。



甚兵衛渡船場

現在の甚兵衛渡船場。 昔の面影はまったくないw。

⑥尻無川は下流に行くにしたがって川幅の狭くなる河川

尻無川と呼ばれる川は全国各地にある。
一般的に、下流に行くに従って支流ができて川幅の小さくなる河川のことをいう。
上流で大雨が降ったりした場合、氾濫をおこすことがあるらしい。


尻無川

尻無川

⑦甚兵衛の小屋は色茶屋では?

「甚兵衛の小屋」は茶店だというが、茶店は茶屋とも呼ばれ、休憩所のことを言う言葉だった。
紅葉を愛でたあと、茶店で団子を食べて一服したのだろうか?

かつては茶屋といえば色茶屋(性風俗の店)のことをさしていた。
「甚兵衛の小屋」は色茶屋だったのではないだろうか?

 

⑧蛤は女陰の隠語

蛤は淡水の影響のある内湾の砂泥底に生息する。
潮干狩りなどで、砂浜でとるというイメージがある。
尻無川は川だが、大阪湾に近いので蛤がとれたのだろうか。

「甚兵衛の小屋」は「蛤小屋」と呼ばれていたというが、蛤は女陰の隠語としても用いられる。

こんな風に記されたサイトがある。

「水揚がすんで一本になつた芸妓のことをいふ。又は単に女の局部を蛤ともいふ。半玉を蜆といふが如し。」
https://www.weblio.jp/content/%E8%9B%A4 「隠語大辞典」より引用

一本とは一人前の芸妓のこと、半玉とはまだ一人前になっておらず、玉代(ぎょくだい/花代のこと)も半人分の芸者のことである。

「甚兵衛の小屋」「蛤小屋」と呼ばれていた茶店は色茶屋なのではないかと、ますます思えてくるw。

⑨松島遊郭があった寺島

ちなみに
a 河(淀川)の支流で、江之子島(大阪市西区の地名)の北から西南に流れて、寺島(尻無川と木津川の間の中州)の西を入る。
※現在では中之島西公園の南、大阪市西区江之子島から木津川となってほぼ南に流れ、
大阪ドーム(大阪市西区千代崎)の南で西に流れを変えて尻無川となっている。

と書いたが、寺島(尻無川と木津川の間の中州)は、現在の大阪市西区千代崎あたりである。
ここにはかつて松島遊郭があった。
えっ、松島遊郭って本田・九条あたりにあったんじゃないの、といわれるかもしれないが、もともとは千代崎あたりにあったのだ。
大阪大空襲で焼けてしまい、本田・九条付近に場所を移したのである。

ウィキペディアに次のように記されている。

旧広島藩士の有田徳一、新町遊郭の大垣屋、船場淀屋小路の侠客堤仁三郎が、木津川と尻無川に挟まれた寺島の北部への遊廓の開設を願い出て、大阪府知事渡辺昇より1868年(明治元年)2月に振興策として設置が許可された。


現在、寺島と呼ばれる中州はないが、明治元年にはこのあたりに中州があり、尻無川はこのあたりから流れを西に変えて大阪湾にそそいでいたのだ。

 ①普通の度合いを超えた甚だしい奴

ジンベエザメという名前は、一般に着物の甚兵衛からくるといわれている。
しかし、私は逆ではないかと思う。
着物の甚兵衛はジンベエザメに似てるとこから名前がついたのではないかと思う。

着物の甚兵衛はなぜ甚兵衛というのか。
それは甚兵衛という名前の人が着ていたからといわれているが

『甚』という漢字には『はなはだしい、普通の度合いを超えた』という意味がある。
『兵衛』は『〇〇太』とか『✖✖太郎』とかの『太』『太郎』と同じで、男性の名前の後ろにつける。

やられてのびてるから『のび太』、たぬきだから『ポン太』、お菓子の名前で『たこべえ』というのもある。

ジンベエザメは普通の度合いを超えたはなはだしい奴なので甚兵衛となったのではないだろうか。

今でいえば、ウルトラマンのようなものだ。

すると、甚兵衛の小屋と呼ばれた理由もわかる。
普通の度合いを超えたはなはだしい男のための店、ということではないだろうかw

海遊館

海遊館





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