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とんでももののけ辞典㉛ 鳴釜 


鳴釜


鳥山石燕『百器徒然袋』より「鳴釜」

①鳴釜

上の絵に添えられた文はつぎの様に書かれているようだ。

白沢避怪の図に曰く、『飯甑声をなす鬼を斂女と名づく。此の怪有る則(とき)、鬼の名を呼べば、其の怪忽ち自から滅す』夢のうちにおもひぬ」(画図百器徒然袋)


甑は「こしき」とよみ、米を蒸したりするのに用いられた、穴の開いた調理器具のことである。

ほとんどの妖怪の解説文最後に「夢のうちにおもひぬ」等と付いており、石燕の創作であることもすぐに解るようになっている。親切!
より引用

上の記事をよむと「夢のうちにおもひぬ」とは『百器徒然袋』の作者の鳥山石燕が、夢の中で思った(考えた?)という意味のようである。

『白沢避怪図』(『白沢図』)によれば「飯を蒸す甑(こしき)のような声を出す鬼を斂女という。
この鬼の声が聞こえたとき、鬼の名前を呼べば、その怪はたちまちおさまる。」
このように私(石燕)は夢の中で思った。

というような意味だろうか。

⓶白沢避怪図

白澤とは中国の伝説にある神獣の名前だという。
伝説上の帝王・黄帝がこの白澤の言葉を記させた書が『白沢図』だが、現存しない。
しかし、神獣・白澤を描いた魔除けの札『白澤避怪図』は長野県戸隠の宮本旅館蔵さんなど、各地に残されているそうである。


斂女は『白沢避怪図』(『白沢図』)に登場する中国の妖怪とウィキでは説明されているが、よくわからない。

③『百鬼夜行絵巻』

しかしまったくの鳥山石燕の創作というわけでもないようで
室町時代の鳥山石燕『百鬼夜行絵巻』に釜の妖怪が描かれている。


石燕が描いた鳴釜の角と同様のものが、『百鬼夜行絵巻』の釜の妖怪に描かれている。
石燕が『百鬼夜行絵巻』を参考にしたことはまちがいないだろう。

④鳴釜神事

石燕の着想は『白沢避怪図』だけでなく、吉備津神社の鳴釜神事の影響もうけていると思われる。

鳴釜神事とは釜の上に置いた蒸篭の中に米を入れ蓋をして釜を焚き、その際に鳴る音で吉凶を占うものである。

 

鳴釜神事は岡山県の吉備津神社がルーツではないかと思う。

吉備津神社では神事の由来として次のような伝説が伝えられている。

吉備の国には温羅(うら)という鬼がいて悪事を行っては人々を困らせていた。
朝廷は四道将軍の一人、吉備津彦を派遣し、温羅を退治させた。
吉備津彦は温羅の首をはねたが、首ははねられたあともうなり声をあげた。
犬に食わせてもうなり、御釜殿の下に埋めてもうなり続けた。
ある時、吉備津彦の夢に温羅があらわれ「私の妻で阿曽郷の祝の娘である阿曽媛に神饌を炊かしめれば、私があなたの使いとなって吉凶をつげよう」と告げた。

⑤釜は温羅のドクロ?

妖怪・鳴釜は頭に釜を被っている。
そして鳴釜神事のルーツともいうべき吉備津神社の伝説では、首を斬られた温羅が
「私の妻で阿曽郷の祝の娘である阿曽媛に神饌を炊かしめれば、私があなたの使いとなって吉凶をつげよう」
と告げたという。

釜は温羅のドクロをイメージしたものであり、釜が煮える音は温羅のうなり声をイメージしたものではないだろうか。

⑥空也がイチョウの木にかけた釜の正体とは?

空也

六波羅蜜寺 空也像

上は六波羅蜜寺の空也像である。
今探してもみつからないのだが、以前ネットで次のような記事をよんだ記憶がある。

疫病が流行って鴨川が死体であふれるような惨状になったとき、空也はイチョウの木に釜をかけて湯を沸かし、お茶をいれて人々に飲ませた。

なぜかあまり語られることがないが、空也は平将門の慰霊を熱心に行った人物である。

平将門は東国に独立国を作って新皇をなのったが、朝廷が派遣した軍と戦い流れ矢にあたって死亡した。
将門の首は都に持ち帰られ、鴨川のほとりに晒された。
将門の首はことあるごとに、近隣住民に祟ったため空也が慰霊のための道場をたてたという。

空也が人々にお茶を飲ませたというのは事実ではなく、のちの時代に創作されたものだと思う。
というのは、空也は平安時代の人物で、このころお茶は輸入品で大変な貴重品であったとされるからだ。
お茶が日本で栽培されるようになったのは鎌倉時代である。
栄西が宋よりお茶を持ち帰り、明恵が茶園をつくって栽培したのが日本におけるお茶の栽培のはじまりとされる。

空也がイチョウの木にかけた釜とは将門の首という陰の存在のものを、陽に転じたものではないかと思う。





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[2022/02/09 00:00] トンデモもののけ辞典 | TB(0) | CM(0)