建仁寺 天井に描かれた龍
①鴨川に住む龍は三途の川に住む?
日本に住む龍にはいろいろなタイプがいるように思える。
まず四神としての龍がある。
四神とは玄武・青龍・朱雀・白虎という中国伝来の聖獣のことで
玄武は北、青龍は東、朱雀は南、白虎は西の守護神とされる。
玄武は丘陵に、青龍は清流に、朱雀は湖沼に、白虎は大道にすむとされ
北に丘陵、東に清流、南に湖沼、西に大道がある土地を「四神相応の地」という。
平安京は北に船岡山、東に鴨川、南に巨椋池(現存していない)、西に山陰道があり、四神相応の地に建都されたといわれている。
玄武 北 丘陵 船岡山
青龍 東 清流 鴨川
朱雀 南 湖沼 巨椋池(現存せず)
白虎 西 大道 山陰道
つまり、平安京の東は鴨川までであり(古の鴨川は現在の鴨川より西を流れていたそうである)、
鴨川を超えると平安京の外だったわけである。
平安京が建都された当時、平安京の中には官寺である東寺と西寺以外の寺院建設は認められておらず、多くの寺社は平安京の外に造られた。
古の人々は都の中をこの世、都の外をあの世に喩えていたそうだ。
今でも鴨川の西は銀行やオフィスビルなどが立ち並び、人々の暮らしを支える商店街などもあって、生活感にあふれている。
しかし鴨川を渡った東側には八坂神社・知恩院・建仁寺・清水寺などの大きな神社仏閣が並び、神仏が住まう場所となっている。
また清水寺のあたりはかつては鳥辺野と呼ばれる風葬地で、清水の舞台から死体を投げ捨てていたとも言われる。
神仏や死者が住まう鴨川の東は、まさしくあの世というにふさわしい土地だったことだろう。
すると、鴨川は三途の川に喩えられていたのではないかと思う。
951年、京都に疫病が流行り、鴨川の河原は死体で溢れかえるほどの惨状であったという。
京の人々はそのようすを見て、地獄を思い浮かべたにちがいない。
そしてその鴨川に住む青龍。
青龍はあの世とこの世の境に住む聖獣だったといえる。
清水寺 青龍会
⓶龍になって藤原百川・山部王に祟った井上内親王
770年、藤原百川・藤原永手らに推されて白壁王が即位して光仁天皇となった。
皇后には井上内親王がに立てられた。
771年、光仁天皇の皇太子として、光仁天皇と井上内親王との間にできた他戸親王が立てられた。
他戸親王については、こちらの記事もよかったらどうぞ。
ところがその翌年の772年、井上内親王は光仁天皇を呪詛したとして皇后の位を剥奪されてしまう。。
他戸親王も母・井上内親王に連座したとして廃太子となり、代わって山部王(のちの桓武天皇)が立太子した。
『水鏡』には、『井上内親王は呪物を井戸に入れて、光仁天皇の早死を願い、他戸皇子を即位させようとした。』と記されている。
井上内親王と他戸親王は大和国宇智郡の没官(官職を取り上げられた人)の館、(奈良県五條市須恵あたり)に幽閉され、775年に二人は幽閉先で亡くなった。
公卿補任(くぎょうぶにん)によれば、この一連の事件は『藤原百川の策諜』とある。
藤原百川が策謀をたて、高野新笠が生んだ山部王を皇太子にする為に、井上内親王と他戸親王に無実の罪を被せた、というのだ。
その後、井上内親王は怨霊になったと考えられ、『本朝皇胤紹運録』には『二人は獄中で亡くなった後、龍となって祟った。』とある。
『愚管抄』には『井上内親王は龍となって藤原百川を蹴殺した。』と記されている。
また水鏡には
『(井上内親王の祟りによって)20日にわたって夜ごと瓦や石、土くれが降った。』
『777年冬、雨が降らず、世の中の井戸の水は全て絶えた。宇治川の水も絶えてしまいそうだ。12月、百川の夢に、百余人の鎧兜を着た者が度々あらわれるようになった。また、それらは山部王の夢にも現れたので、諸国の国分寺に金剛般若をあげさせた。』とある。
井上内親王の怨霊は、龍だったのだ。
③山部王の病は井上内親王の怨霊の祟り?
室生寺
室生寺の栞には次のようなことが記されていた。
奈良時代の末期、山部親王(後の桓武天皇)のご病気平癒の祈願が興福寺の五人の僧によって行なわれ、これに卓効があったことから勅命によって創建された。
ここに山部親王とあるが、親王とは親王宣下(皇族の子女に親王、内親王の資格を与えること)された人物のことである。
山部王(山部親王)の母親は百済王族の末裔とされる高野新笠で、母親の身分が低かった。
そのため、立太子は望まれておらず、山部親王ではなく、山部王と呼ばれていた。
室生寺の栞には山部王のご病気平癒の祈願が行なわれたのはいつかについては記されていなかった。
でもそれは、777年12月と778年3月に行われたものと考えられる。
というのは『続日本紀』や『宀一山年分度者奏状』(べんいちさんねんぶんどしゃそうじょう)に次のような内容が記されているからだ。
777年12月と778年3月の2回に渡り、山部王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、興福寺の五人の僧が室生の地において延寿の法を修した。
藤原百川や山部王が悪夢に悩まされたのが777年冬だったことを思い出してほしい。
山部王の病は井上内親王の怨霊の祟りであると考えられ、そのため室生寺で僧たちが延寿の法を修したのはないだろうか。
④竜神を封じ込めた宝瓶
室生寺 五重塔 宝瓶
室生寺の五重塔の九輪の上には、水煙のかわりに宝瓶(ほうびょう/壷状の飾り)がつけられている。
修円という僧が、この宝瓶に室生の龍神を封じ込めたと言い伝えられている。
すると修円が室生寺の五重塔の宝瓶に封じ込めた室生の龍神とは、井上内親王の霊なのではないだろうか。
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