①四ツ目小僧
一つ目小僧、3つ目小僧というのはよく聞くが、四つ目小僧という妖怪もいるようである。
四つ目小僧 Yotsumekozou よつめこぞう
地域・文化:日本・長野
東筑摩郡の妖怪。詳細は不明だが、文字通りの姿をしているのだと思われる。
⓶四ツ目小僧の正体は方相氏?
四ツ目小僧の正体は、方相氏ではないかと思う。
節分の日、京都・吉田神社の鬼やらい神事で私はこの方相氏に遭遇した。
まずは方相氏の姿を見ていただくことにしよう。
吉田神社 鬼やらい神事
これって鬼じゃないの?
と思うかもしれないが、方相氏は鬼ではなく、法力で鬼をやっつけるスーパーヒーローである。
方相氏のあとにつづく10人の童子はシン子(シンの字は人偏に辰)と呼ばれている。
方相氏の武器は手に持った鉾である。
といっても、鉾を武器として振り回すわけではない。
方相氏は鉾をかざすだけだ。
しかし、鬼は鉾の魔力にヘロヘロになって逃げていく。
京都の祭礼の行列では鉾がよく登場する。
鉾は武器として用いなくても、それ自体には鬼を祓う力があると考えられていたのだろう。
須賀神社 角豆(ささげ)祭 鉾
③方相を射る?
平安時代後期の人物、大江匡房の『江家次第』には『殿上人長橋の内に於いて方相を射る』と記されている。
なんと、鬼を追い払ってくれる正義のヒーロー、方相氏を射るというのだ。
ええーーっ?なんで正義のヒーローを弓で射て殺してしまうんだ?
④平安時代の追儺式に鬼は登場しなかった。
枕草子や源氏物語などに追儺式の様子が記されている。
それらの文献から、平安時代の追儺式は次のようなものだったと考えられている。
追儺式は戌の刻(午後八時頃)に始まる。
天皇は紫辰殿に出御し、陰陽師が祭文を読みあげる。
次に方相氏が二十人ほどのシン子を従えて登場する。
方相氏は四つ目の黄金の面を着け、真っ赤な衣装(或いは上が黒、下が赤とも)を纏う。
方相氏は大舎人の中から体格のいいものが選ばれた。
方相氏は矛と盾を持ち、矛を地面に打ち鳴らして『鬼やらい、鬼やらい』と唱えて宮中を歩き回る。
その後に殿上人たちが桃の弓と葦の矢を持って続いた。
これは桃や葦にも邪気を祓う力があるとされていたためである。
ピンク色の文字の部分をよーく読んでみてほしい。
平安時代の追儺式に方相氏とシン子は登場するが、鬼は登場しないのだ。
岡野玲子さんの漫画『陰陽師』では、源博雅が宮中の追儺式の方相氏役をつとめるという話があるが
やはり追儺式に鬼は出てこない。
追儺式に鬼が登場するようになるのは、平安時代よりも後の時代になってからなのだろう。
吉田神社の鬼やらい神事は古式を残すものといわれるが、平安時代の追儺式には鬼はでてこない。
もしかすると吉田神社の鬼やらい神事は、平安時代より後の追儺式の形態を継承するものであるかもしれない。
⑤大寒の日、牛を牽く童子の像を立てる。
967年施行の延喜式には次のように記されている。
大寒の日、宮中の諸門に『牛を牽く童子の像』をたて、立春の前日=節分の日に撤去する。
なぜこのようなことをするのだろうか。
牛は干支の丑を表すものだと思う。
丑は12月を表す。そして童子は八卦で艮(丑寅)をあらわす符である。
丑は12月、寅は1月なので、艮(丑寅)は1年の変わり目をあらわす。
つまり、『牛を牽く童子』は、『丑(12月)を艮(丑寅/1年の変わり目)』で、目には見えない冬の気を視覚化したものなのではないかと思う。
角のある方相氏は牛ではないだろうか。
そしてシン子は童子なので、『牛を牽く童子=1年の変わり目』そのものではないか。
大寒の日、諸門に建てられた『牛を牽く童子の像』は冬の気をいっぱいに吸いこんだのち、節分に撤去される。
しかし、像の中に吸い込みきれない冬の気があると考えられ、方相氏とシン子は宮中を練り歩いてその体内に冬の気を吸い込んでいるのではないか。
そして方相氏がその体内に冬の気を十分に吸ったところで、
大江匡房の『江家次第』に『殿上人長橋の内に於いて方相を射る』とあるように、矢を射て殺してしまうということなのではないかと思う。
なんとも惨酷な習慣の様に思われる。
⑥『牛を牽く童子の像』は身代わり人形?
そして日本には『身代わり人形』『身代わり地蔵』などの信仰があった。
人形やお地蔵さまが人間の身代わりになって災難をうけてくれるという信仰である。
↓ こちらは京都・市比売神社・ひいなまつりの、人形に息を吹きかけて穢れを移す神事である。
↓ こちらは下鴨神社の雛流し。
人形を川に流して、厄を祓うという神事だ。
これらの行事は『身代わり人形』の信仰によるものだと言えるだろう。
『牛を引く童子の像も『身代わり人形』で、その像の中に冬の気を吸い込むことで、冬の気が宮中に入るのを阻止すると考えられたのではないだろうか。
⑦方相氏は2体の牛が合体している?
さて、方相氏はなぜ四ツ目なのだろうか。
以前、ネットで以下のような内容の記事をよんだ。今、ぐぐっても見つからないのだが~。(すいません!)
(い)方相氏は中国の天神、蚩蚘(シュウ)ではないか。
(ろ)蚩蚘は炎帝神農氏の子孫であり、兵器を発明し、霧をあやつる力を持つ神。
(は)『帰蔵』は蚩蚘の姿を『八肱(八つの肘)、八趾(八つの足)、疏首(別れた首)』と記す。
(に)『疏首』というのは、首が二つあるということだ。
(ほ)蚩蚘とは二頭の獣が合体した神ではないか。
(へ)そう考えると蚩蚘が『八肱(八つの肘)、八趾(八つの足)』をもっていることの説明もがつく。
(と)『述異記』には『銅の頭に鉄の額、鉄石を食し、人の身体、牛の蹄、四つの目、六つの手を持つ』とある。
(ち)『四つの目』とあるのも二頭が合体しているのだろう。
(り)二頭を合わせると足は8本だが、人の体をしているので、8本の足のうち2本が脚で、残りの6本が手(腕)ということだろう。
『述異記』に『牛の蹄』とあるので、蚩蚘や方相氏は2頭の獣が合体したものと考えられるのではないだろうか。
⑧蚩蚘や方相氏は聖天さんと習合されている?
私は蚩蚘や方相氏は大聖歓喜天(聖天)習合されていると思う。
大聖歓喜天とは像頭をした男女双体のみほとけで、次のような伝説がある。
インドのマラケラレツ王は大根と牛肉が大好物だった。
牛を食べつくすと死人の肉を食べるようになり、死人の肉を食べつくすと生きた人間を食べるようになった。
群臣や人民が王に反旗を翻すと、王は鬼王ビナヤキャとなって飛び去った。
その後ビナヤキャの祟りで国中に不幸なできごとが蔓延した。
十一面観音はビナヤキャ女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われ、女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言った。
ビナヤキャは仏法守護を誓った。
つまり、大聖歓喜天とは鬼王ビナヤキャ(=マラケラレツ王)とビナヤキャ女神(十一面観音の化身)の男女双体のみほとけなのである。
相手の足を踏みつけているほうが、十一面観音の化身ビナヤキャ女紳とされる。
⑨御霊・和霊・荒霊と男神・女神
神はその表れ方によって御霊・和霊・荒霊に分けられるという。
御魂・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面
荒魂・・・神の荒々しい側面
そして和霊は女神、荒霊は男神だとする説がある。
とすれば御霊は男女双体ということになると思う。
御霊・・・神の本質・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神
⑧にあげた大聖歓喜天の伝説は、この御霊・和魂・荒魂をあらわしたもののように思える。
御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体(聖天)
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神(ビナヤキャ女神)
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神(ビナヤキャ)
蚩蚘や方相氏はもともと荒魂であったが、女神(和魂)と結合して御霊となったと考えられたのではないかと思う。
方相氏が四ツ目なのは、雄牛と雌牛が合体しているためであり、
それは御霊の形であって、御霊は人々の身代わりとなってくださるということではないだろうか。
⑩四ツ目は貴人の相
古代の中国では重瞳は貴人の相とされていた。
豊臣秀吉のほか、平清盛、源義経も重瞳だったと記した書物があるそうである。
中国で重瞳は貴人の相とされているのをうけて、事実ではないが、豊臣秀吉・平清盛・源義経らを重瞳であるという設定で物語が記されたのであろうと考えられている。
下記リンク先は中国の重瞳の貴人のひとり、 倉頡(そうけつ)の肖像画である。
倉頡(そうけつ)は漢字を発明したとされる伝説上の人物で、 重瞳四目といわれる。
帝舜・項羽も四つの目で描かれるそのだという。
彼らが四ツ目で描かれるのは彼らが御霊であり、人々の身代わりになる存在だからだろうか?
※有名なダビデ像も重瞳である。
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