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とんでももののけ辞典⑳ 大蛇

①ふたつの大蛇伝説

大蛇の伝説は各地にあるだろうが、私は旅の中でふたつの伝説を聞いた。

❶比良山系蓬莱山小女郎ヶ池に伝わる伝説。

比良山麓の南船路の集落に、九右衛門とお考という夫婦が住んでいた。
あるときからお考は乳飲み子を残して夜な夜な池に通うようになった。
お考は池の主である大蛇と逢引をしていたのだ。
九右衛門はお考のあとをつけ、池の中に入ろうとしているお考を見つけた。
お考は九右衛門に「私はこの池に住む大蛇に見初められてしまったのです。赤ん坊には乳のかわりに私の目玉をしゃぶらせてください。」と言い
左目をくりぬいて九右衛門に渡し、池の中に姿を消した。

比良山系の山々

比良山系の山々

❷奈良県曽爾村のお亀ヶ池に伝わる伝説

伊勢国・太郎生村出身のお亀は曽爾村の男の嫁になり、毎日、太郎路池の水を溜めた井戸の水を鏡替わりにして化粧をしていた。
あるとき井戸の水に美しい男性の顔が映り「今夜、太郎路池のほとりに来て欲しい」といった。
それ以来、お亀は夜な夜な太郎路池の男神のもとへ出かけるようになった。
そして男児を出産したあと、姿を消してしまいました。
夫がお亀を探して太郎路池のほとりへやってくるとお亀が現れて子供に乳を飲ませました。
そして「二度と私を探さないでください」と言って姿を消した。
夫は懲りずにまた太郎路池に行きました。
するお亀が蛇となってあらわれ「二度とくるなと言ったのに、なぜ来た?」と言って夫に襲い掛かった。
夫はなんとか逃げ帰ったが、すぐに亡くなった。
お亀は野火から山火事になった時、焼けて死んだ。
その後、太郎路池はお亀ヶ池と呼ばれるようになった。

曽爾高原

曽爾高原 お亀ヶ池は曽爾高原にある。

お亀ヶ池

お亀ヶ池


⓶蛇はドクロに長い首がついた動物?

蛇は世界中で太陽神とされることが多かった。

細長い形をした蛇と丸い太陽のイメージがあわないと、私は疑問に思っていたのだが
奈良県桜井市の大神神社のご神体・三輪山は蛇がとぐろを巻く姿とされ、この山から朝日が昇ってくる。

その姿は宇賀神を思わせる。

喜光寺 宇賀神

喜光寺 宇賀神

私は宇賀神の姿をみて、古の人々は、「蛇をドクロに長い首がついた動物」と考えていたのではないか、と思った。

③蛇の長い首はドクロ=太陽を地球に結び付ける紐?

太陽神とは、ドクロに長い首が付いた姿をしていると、古の人々は考えたのではないか。
つまり、天照大神は髑髏に、長い首がついた神ということである。
その髑髏の部分が太陽で、長い首は太陽を地球に結び付た紐、と考えられていたのかもしれない。

飛鳥昭雄さんは次の様な内容のことを述べておられた。

古事記神世第4代/角杙神・妹活杙神
※ヘブライ語で角・光るは同様に『krn』と記す。このため古代よりしばしば混同され、ミケランジェロがモーゼの像に角をつけてしまったという例もある。
杙は牛や馬を繋ぎとめておくためのもの。
つまり角杙神は光りながら地球のまわりを回る神(太陽)。
妹活杙神は満ち欠けしながら(活)地球の周りをまわる女(妹)神。

④天照大神は男神の蛇神だった?

「伊勢内宮の神は男神の蛇神で、内宮に仕える斎宮のもとへ通っていた」と言われている。

記紀には天照大神は女神だと記されていますが、本当は天照大神は男神であるとする説がある。
天岩戸に隠れた天照大神はアメノウズメのストリップに興味を持って天岩戸から出てきた。
女神のストリップに興味を持つのは男だ、よって天照大神は男神だというのだ。

実際、祇園祭岩戸山のご神体の天照大神は男神である。

祇園祭 岩戸山 ご神体 天照大神 

祇園祭 岩戸山 ご神体 天照大神

物部氏の祖神のニギハヤヒは、先代旧事本紀では天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまの ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)と記されていて、この神が本当の天照大神ではないかとも言われている。
そして初代神武天皇が東征して畿内入りするより早く畿内にニギハヤヒが天下っていたとする記述が日本書紀にあり、畿内には神武以前に物部王朝があったのではないかとする説がある。

⑤御霊は男女相対の神?

私は天照大神とは歓喜天や道祖神のように男女双体の神なのではないかと考えている。

歓喜天   

歓喜天


道祖神

道祖神

神はその現れ方で御霊(神の本質)・荒霊(神の荒々しい側面)・和霊(神の和やかな側面)に分けられ、荒霊は男神で和霊は女神とする説がある。
とすれば御霊は男女双体となる。

天照大神に仕える伊勢斎宮は男神である天照大神と和合して御霊にさせる存在なのではないだろうか?

伊勢内宮の神は男神の蛇神で、内宮に仕える斎宮のもとへ通っていた」というのは、荒魂(男神・蛇神)と和魂(女神)が和合して御霊になるということを物語的に表現したものではないかと思う。

そして蛇神は男神、お亀やお考は女神ということなのではないだろうか。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神 ・・・伊勢斎宮(天照大神の女神)/お亀/お考
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・天照大神の男神/蛇

曽爾のお亀ヶ池伝説では、お亀が蛇になって夫に襲い掛かったとあるが、蛇とは井戸の水に映った美しい男のことだろう。
井戸の水に映った美しい男とあるが、井戸の水に映っていたのは毎日井戸の水に姿を映して化粧をしていたお亀だったはずだ。
つまり、井戸の水に映った美しい男とは、井戸に反転して映ったお亀の姿であると考えられるのではないだろうか。

お亀は女性なので女神で和魂なのだが、鏡に反転させることで、男神である荒魂に転じたということではないかと思う。
そうであれば、男神と考えられる蛇をお亀だと表現することもありえるだろう。

そういえば天岩戸に籠った天照大神はアメノウズメのストリップダンスに興味を持っただけでなく、
鏡に映った自分の姿を見て不思議に思ったこともあって天の岩戸から出てきたのだった。
天岩戸の中に籠っていた天照大神はストリップに興味を持つ男神であり、鏡に映ったのはそれを反転させた女神であったということなのかもしれない。

⑥お亀の伝説は、ナルキッソスとエーコーの話に似ている?

ナルキッソス

カラヴァッジオによって描かれたナルキッソス

ギリシャ神話にナルキッソス、エーコーという神がいる。

森の妖精・エーコーはナルキッソスに恋をしたが、エーコーはヘラの怒りをかって、他人の言葉を繰り返すことしかできなかった。
そんなエーコーをナルキッソスは退屈に感じて見捨てた。
エーコーは悲しみのあまり姿を失い、声だけの存在となって木霊(山彦)になった。
神に対する侮辱を罰する神ネメシスは、他人を愛せないナルキッソスが、自分だけを愛するように呪術をかけた。
ナルキッソスは水を飲もうとして泉の水面を見ると、中に美しい少年がいた。
ナルキッソスは水の中にいる美少年に恋をし、口づけをしようとして泉に落ちて水死した。
ナルキッソスが死んだあとそこには水仙の花が咲いていた。

お亀がのぞき込んでいた井戸に映っていたのは自分自身の姿であったはずだが、
お亀は自分自身の姿である、鏡に映る人に恋をして、池にいき、鏡に映る人と結ばれようとしておぼれ死んだという話の様に思える。

これはナルキッソスとエーコーの話によく似ている。

記紀神話にはギリシャ神話に似た話がいくつかある。
死んだ妻をとりもどすため冥界に行ったオルフェウスは、冥界の神ハーデースに「冥界から出るまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」といわれたのに、つい振り返ってしまったという話なども
黄泉の国へ妻・イザナミを迎えにいったイザナギの話とそっくりである。

古代の日本はシルクロードを通じてギリシャ・ローマとつながっていた。
パルテノン神殿と同じエンタシスの柱が法隆寺や唐招提寺にある。
記紀神話はギリシャ神話の影響を受けて成立したのかもしれない。

⑦お考はなぜ左目をくりぬいたのか?

小女郎ヶ池の伝説では、お考は左の目をくりぬいたとある。
お考はなぜ右の目ではなく、左の目をくりぬいたのか。

記紀に次のような記述がある。

黄泉の国から戻ったイザナギが禊をし、左の目を洗ったところ天照大神が、右の目を洗ったところ月読尊が、鼻を洗ったところスサノオが生まれた。

左は太陽神、天照大神が鎮座する位置である。
小女郎ヶ池の主である蛇とお考の男女双体の神が天照大神であり、
天照大神は左に鎮座する神であるところから
お考は左目をくりぬいたとする話が創作されたのではないだろうか。




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