竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「豆腐小僧」
①豆腐をもって歩く妖怪
傘をかぶり豆腐を持って歩く子供。雨の夜に人間のあとをつけて歩くが、特に悪事を働くわけではないという。
昭和の史料には、豆腐小僧が持っている豆腐を食べると、体中にカビが生えてしまうと記されているものもあるが
江戸時代の文献にはこのような記述がないので、昭和になってからそういう話が付加されたのではないかと考えられている。
絵に描きこまれた斜めの線は雨を表しているのだろうか。
文章が記されているが、崩し字でよめない。(情けない!)
手に持っているのは紅葉豆腐といって江戸時代後期にこのような豆腐が販売されていたそうだ。
豆腐小僧が文献などに登場するのは、安永年間(1772年-1781年)で、それ以前には確認できないため
安永年間ごろに創作されたと考えられている。
幕末から明治時代ごろには、凧、すごろく、かるたなどの玩具絵(おもちゃ絵)として描かれていたという。
⓶大頭=だいず=大豆=豆腐?
北尾政美『夭怪着到牒』。大頭小僧。
上の絵は豆腐小僧と同様の笠をかぶり、同様の紅葉豆腐をもっているが、ウィキペディアでは大頭小僧とタイトルがつけられている。
プロポーションは約3頭身で、大頭小僧と呼ぶにふさわしい。
おそらく、大頭は「だいず」とよむのだろう。
大頭=だいず=大豆
という謎かけになっていると思う。
さらに大豆=豆腐という連想から、大頭小僧は豆腐小僧になったのではないだろうか。
大頭=だいず=大豆=豆腐
③大頭小僧の着物の柄は疱瘡除けの玩具だった。
大頭小僧の着物には、いろんな模様がついている。
達磨、梅、鯛、春駒(馬の頭部に棒をつけ、子供がまたがって遊ぶ玩具)。
大頭小僧の左脚辺りに描かれているのはミミズクではないだろうか。
上記サイトに赤い玩具(達磨・ミミズク・ベコ・鯛)の写真が掲載されており、
次のような内容が記されている。
❶奈良時代に大陸から持ち込まれた疱瘡(=痘瘡/天然痘)は、明治に種痘が用いられるようになるまで日本人を苦しめた伝染病。
❷罹患者の多くは子供で、死を免れても、高熱によって失明したり、深刻な後遺症が生じたりした。
❸「疱瘡神」を送り出すために、赤い色が大きな意味をもつと考えられていた。
❹「……屏風衣桁に赤き衣類をかけ、そのちごにも赤き衣類を着せしめ、看病人もみな赤き衣類を着るべし………」
(香月啓益著『小児必用養育草』元禄16・1703年刊)
「屏風や衣桁(えもんかけ)に赤い衣類をかけ、その子供にも赤い衣類を着せ、勘病人もみな赤い衣類を切るべきである」
というような意味だろう。
⑤江戸時代の絵図や文献をみると、病室には赤い屛風を広げ、疱瘡に罹った子も看病する親も赤い着物をまとっている。
子どもの傍には赤い張子玩具が置かれ、壁には獅子頭や猿や犬などを描いた赤い絵が貼られている。
また、上の記事には疱瘡絵の絵と説明があり、次のような内容が説明されている。
❺疱瘡絵は、江戸時代流行していた疱瘡(天然痘)除けとして用いられた木版画。
❻赤一色で摺られている。赤絵ともいう。
❼赤色は古来より疫病や災難除けに効果があると信じられてきた。
❽疱瘡絵は、赤色の力だけでなく、描かれている絵柄によっても効力を持たせた。
桃太郎や金太郎・・・疱瘡神が恐れる豪傑
鯛・・・めでたい
春駒、うさぎ・・・疱瘡にかかっても軽くすむように
↑ こちらのサイトの疱瘡絵には「梅と犬張子と春駒」という作品もある。
理由はよくわからないが、梅も疱瘡除けに効果があると考えられたようである。
④なぜ豆腐小僧はひとつ目なのか?
勝川春亭画『大時代唐土化物』。一つ目の豆腐小僧
豆腐小僧は一つ目の姿でも描かれた。
なぜ豆腐小僧は一つ目に描かれたのだろうか。
③-❷をもう一度読んでみてほしい。
「❷罹患者の多くは子供で、死を免れても、高熱によって失明したり、深刻な後遺症が生じたりした。」
一つ目の豆腐小僧は天然痘を患った姿なのだろう。
すなわち、天然痘によって片目を失明した姿が、一つ目ではないかということである。
⑤天然痘の丘疹を大豆に喩えた?
天然痘の症状とはどのようなものなのか。
天然痘ウイルスに感染してから約2週間後に、39℃以上の高熱、倦怠感、頭痛、嘔吐などの全身症状が現れ、3~4日ほど経過するといったん熱が下がり、顔や四肢を中心に強い痛みや灼熱感しゃくねつかんを伴う斑状の皮疹が現れます (水痘では皮疹が胸や腹部に多く見られるのと対照的)。皮疹は当初、斑状の丘疹(皮膚の盛り上がり)ですが、経過とともに水疱(水ぶくれ)となり、さらに膿疱のうほう(水疱の内容物が膿となる状態)を形成した後にかさぶたとなって治癒します。
上の画像のように、丘疹が現れるようである。
この皮疹を大豆にみたて、た結果、大頭(大豆)小僧が生まれ、さらに大豆の加工品である豆腐小僧が産まれたのではないだろうか。
⑥紅葉豆腐は天然痘除けとしてつくられた?
①で江戸時代後期に紅葉豆腐が販売されていたということを書いたが、なぜこのような豆腐が作られたのだろうか。
豆腐は大豆からつくるので、人々に天然痘を想起させたことだろう。
①の絵をみると、豆腐に象られた紅葉には着色はされていないようだ。
しかしながら紅葉は赤く色づく。
赤い色は天然痘除けの効果があると信じられていた。
そういったことから、豆腐に紅葉のデザインを施したのではないだろうか。
ということは、天然痘除けの紅葉豆腐を手にもち、
天然痘除けの達磨、鯛、春駒、ミミズクの絵柄の着物を着ている大頭(大豆)小僧や、豆腐小僧は
天然痘をはやらせる妖怪というよりは、天然痘を鎮めてくださる妖怪といえそうだ。
雨と豆腐小僧の関係
豆腐小僧が持っている豆腐を食べると体中にカビが生えてしまうという信仰は
どのようにして生じたのか、わからない。
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