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とんでももののけ辞典⑨ 土蜘蛛 

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「土蜘蛛」

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「土蜘蛛」

①土蜘蛛はまつろわない民?

土蜘蛛は土雲とも記し、日本書紀や風土記に登場する。

日本書紀では

①神武天皇が即位以前に、大和国で朝廷に従わなかった3か所の土蜘蛛をうちとらせた。
⓶高尾張邑の土蜘蛛を葛の網を使って討ったため、地名を葛城に改めた。

などの記述があり、一般に土蜘蛛とは「朝廷にまつろわない民」と考えられている。

⓶頭部のない昆虫

昔の人は自然や生物をよく観察し、その特徴をとらえて比喩に用いていたように思う。
例えば日本書記に「トガノの鹿」という、全身に霜が降る夢をみた雄鹿の話がある。
鹿の夏毛には白い斑点を霜に喩えたのではないかと私は考えている。

土蜘蛛という「まつろわぬ民」を考えるにあたり、まず蜘蛛という動物の特徴を見ておきたい。

昆虫の体は頭部・胸部・腹部の3つに分かれているが、蜘蛛は頭胸部と腹部のふたつの部分からなり、昆虫とは別の動物とされている。
また、昆虫の脚は6本なのに対し、蜘蛛の脚は8本である。

昆虫は3つの部位からなる

昆虫(蟻)

蜘蛛 体

蜘蛛 体

③『土蜘蛛の塚』は蜘蛛、『亀石』はドクロを表している?


一言主神社 公孫樹

一言主神社

葛城一言主神社は葛城山の中腹にあるため、長い階段が設けられている。
その階段の上り口の向かって左手に「亀石」と呼ばれる石がある。

一言主神社 亀石

階段を登ると境内で、樹齢1200年と伝わるイチョウの木、神殿、拝殿などがある。
この拝殿の横に土蜘蛛の塚と呼ばれる石がある。

一言主神社 土蜘蛛の塚

一言主神社 土蜘蛛の塚 

一言主神社の『土蜘蛛の塚』は土蜘蛛の胴体を埋めた上に石を置いたもの、頭は神殿の下、足は神殿より100mほど先にある鳥居付近に埋められたといわれている。

一言主神社の言い伝えを整理すると次のようになる。

土蜘蛛の胴体・・・土蜘蛛の塚の下に埋められた。
土蜘蛛の頭部・・・神殿の下に埋められた。
土蜘蛛の脚・・・・神殿より100mほど先にある鳥居付近に埋められた。

『土蜘蛛の塚』は見る角度によっては二つのふくらみがあるように見え、蜘蛛の形をしているように見える。
(蜘蛛は頭胸部と腹部のふたつの部位よりなる。)
そして亀石は階段の登り口にあるが、この場所は神殿の下、といえなくもない。

一言主神社 階段

また、亀石はどことなく人間のドクロを思わせるような形をしている。

『土蜘蛛の塚』が土蜘蛛の胴体を埋めた上に置いた石であるならば、亀石は土蜘蛛のドクロを埋めたうえに置いた石なのではないだろうか。

土蜘蛛の胴体・・・土蜘蛛の塚の下に埋められた。・・・土蜘蛛の塚(蜘蛛形の石)
土蜘蛛の頭部・・・神殿の下に埋められた。・・・・・・・・・亀石(ドクロ形の石)
土蜘蛛の脚・・・・神殿より100mほど先にある鳥居付近に埋められた。

『土蜘蛛の塚』は蜘蛛の形に似ているが、これに階段の登り口にある『亀石』を合体させるとアリのような昆虫の形になる。

それで閃いたのだが、昔の人は蜘蛛を頭部のない昆虫だと考えたのではないだろうか。

こう考えれば、土蜘蛛の胴体を埋めたうえに置いた石『土蜘蛛の塚』が蜘蛛の形をしていること、
『土蜘蛛の塚』に『亀石』をくっつけると昆虫のように見えることの説明がつく。

ということは、記紀に登場する土蜘蛛とは首を斬られた人の霊なのではないだろうか。
そして亀石とは土蜘蛛の斬られた首=ドクロを模した石なのだと思う。

④六波羅蜜寺に現れた土蜘蛛

六波羅蜜寺 節分会

六波羅蜜寺節分会追儺式

江戸時代、六波羅蜜寺の住職が本堂と仏像の修理を行ったが、大変出来栄えが悪かった。
また土蜘蛛の精がたびたび現れて住職を悩ませていた。
そこで中堂寺六斎会の人々が鉦・太鼓を打ち鳴らして土蜘蛛を退散させた。

という伝説があり、六波羅蜜寺の追儺式はこの故事にちなみ、鬼を祓うのではなく、六斎念仏によって土蜘蛛を追い払うというものになっている。

2六波羅蜜寺 節分会

六波羅蜜寺節分会追儺式

六斎念仏とは念仏を唱えつつ太鼓や鉦を打ち鳴らすというもので、六斎念仏の祖は六波羅蜜寺の開基でもある空也とされる。

⑤平将門の慰霊をした空也上人

六波羅蜜寺は951年に空也上人が開いた寺である。

951年、平安京では疫病が流行り鴨川は死体で溢れかえるほどの惨状となった。
そこで空也上人が自ら十一面観音を刻んで車にのせて市中を引き回し、また病人には仏前に献じたお茶を飲ませた。

六波羅蜜寺の創建説話は上記のように伝えられている。

なぜかあまり語られることがないが、空也は平将門の鎮魂に情熱を注いだ人だった。

940年、平将門は東国で反乱をおこし、朝廷が派遣した平貞盛・藤原秀郷らの軍と戦って戦死した。
将門の首は京に持ち帰られて鴨川のほとりで晒された。
膏薬図子にある神田明神は、将門の首が晒されたところで、将門の首が近隣住民に祟ったたという伝説がある。

空也は将門の供養のため念仏道場をつくり毎日念仏をあげたところ、ようやく将門の首は祟らなくなったという。

神田明神元社

膏薬図子 神田明神 

さらに将門の首は飛び上がり、故郷へ戻ったといわれる。
東京にある将門の首塚は故郷へ戻った将門の首が落ちたとされる場所である。

将門の首塚

将門の首塚

951年の疫病の流行は平将門の怨霊の仕業と考えられた結果、空也が六波羅蜜寺を創建したのかもしれない。

そして③で「土蜘蛛とは首を斬られた人の霊なのではないか」と述べたが、もしそうであれば、首を斬られた平将門はまさしく土蜘蛛である。

江戸時代、六波羅蜜寺に現れた土蜘蛛とは平将門の霊ではないだろうか?

⑥空也堂系六斎が芸能系六斎として発展した理由

かつて六斎念仏を行うためには干菜寺または空也堂で許可を得る必要があった。
空也が六斎念仏の祖とされているということは、④ですでに述べた。

干菜寺系六斎は念仏のみを行う念仏六斎、空也堂系は土蜘蛛や獅子などの芸能も行う芸能六斎である。
現在では芸能とは娯楽であるが、かつて芸能とは神事であった。
そう考えるとなぜ空也堂系が芸能六斎として発展したのかがわかる。

空也は平将門の慰霊に情熱をささげた人であり、六斎念仏の人気演目である「土蜘蛛」は平将門を慰霊するための神事だったということである。

※京都には中堂寺六斎会のほか、多数の六斎会があり、六斎念仏は京都のお盆の風物詩となっている。
六斎には四つ太鼓、祇園囃子などさまざまな演目があるが、もっとも人気があるのは土蜘蛛だろう。
また、京都では大念仏狂言というパントマイム劇も盛んにおこなわれているが(千本閻魔堂狂言は台詞がある)、
大念仏狂言においても土蜘蛛は人気の演目である。

千本閻魔堂狂言 土蜘蛛

千本閻魔堂狂言 土蜘蛛

⑦興福寺の阿修羅像は土蜘蛛?

興福寺の八部衆像のうち5体のみほとけに動物のイメージがある。
 (八部衆の写真はこちら→https://www.kohfukuji.com/property/b-0008/

五部浄像(ごぶじょうぞう)は像の冠をかぶっている。
沙羯羅像(さからぞう)は頭に蛇を巻いている。
乾闥婆像(けんだつばぞう)は獅子の冠をかぶっている。
迦楼羅像(かるらぞう)は頭が鳥で体が人間。
畢婆迦羅像(ひばからぞう)はニシキヘビを神格化した神。

興福寺の八部衆の一である阿修羅像もまた、何かの動物をあらわしているのではないか。

興福寺 阿修羅像

その美しい顔立ちにうっとりしてしまい、つい見過ごしてしまいそうになるが、美しい顔だちよりももっと特徴的なのはその長い腕ではないだろうか。
腕は長いだけでなく、筋肉がまったくついておらず、昆虫的である。

もう一度、蜘蛛の写真を見て、阿修羅の写真と比べてみてほしい。

蜘蛛 体

私は阿修羅の腕は蜘蛛の脚に似ていると思う。
また腕と脚と合わせて8本であり、蜘蛛の脚と同じ数である。
阿修羅は土蜘蛛なのではないか?

また阿修羅の左目は、白でキャッチライトを入れたあと、墨でキャッチライトが消されている。


阿修羅は片目をつぶされているのだ。
阿修羅がまつろわぬ民・土蜘蛛であるので、片目をつぶされたのかもしれない。

⑧三月堂の不空羂索観音も土蜘蛛?


リンク先の東大寺三月堂の不空羂索観音の光背を見てほしい。
蜘蛛の巣のようではないだろうか。
阿修羅ほど昆虫的な腕ではないが、腕と脚の合計が8本で蜘蛛の脚の数と同じだ。

また不空羂索観音は手に羂索をもっている。
羂索とは仏教用語では罠の色糸を撚り合わせた縄のことだが、鳥獣をとらえる罠のことでもある。
不空羂索観音がこの羂索をなげると、よりあわせた綱がぱあっとほどけてひろがるのではないだろうか。
それはまさしく土蜘蛛の姿である。

清水寺 土蜘蛛

清水寺 六斎念仏 獅子と土蜘蛛

⑨不空羂索観音は和魂、執金剛神は荒魂?

不空羂索観音の後ろには、厨子があり執金剛神が安置されている。

執金剛神像

この執金剛神には次のような伝説がある。

940年、平将門の乱がおこったとき、執金剛神の前で将門誅討の祈祷を行った。
すると執金剛神の髻が大きな蜂となって東方へ飛びさり乱を平定した。
そのため、執金剛神には髻の元結紐の端が決失している。

日本では長らく神仏は習合されて信仰されていた。
そして神はその現れ方で3つに分けられるといわれる。

御霊・・・・神の本質
和霊・・・・神の和やかな側面
荒霊・・・・神の荒々しい側面

不空羂索観音は和魂、不空羂索観音の後ろの厨子にあって秘仏とされている執金剛神は荒魂なのではないだろうか。
荒魂であるからこそ、祟ったりしないように普段は厨子の中に安置されているのでは?
しかし荒々しい神(荒魂)は乱がおこったりしたときには、その荒々しさをいかすことができると信仰され
平将門の乱を平定したなどという伝説が生じたのではないかと思う。

御霊・・・・神の本質
和霊・・・・神の和やかな側面・・・・不空羂索観音?
荒霊・・・・神の荒々しい側面・・・・執金剛神?

⑩蜂=鉢=ドクロ?

「金剛神の髻が大きな蜂となって東方へ飛びさり乱を平定した。」
という一文に注意してほしい。
蜂は鉢の掛詞になっているのではないだろうか。

朝護孫子寺に伝わる『信貴山縁起絵巻(平安末期)』には飛行する鉢の絵が記されている。
鉢は飛行するという認識が、昔の人にはあったのだ。

信貴山縁起 山崎長者の巻(部分)

信貴山縁起 山崎長者の巻(部分)

「執金剛神のの髻が蜂となって東方へ飛びさった」とあるが「執金剛神のの髻が鉢となって東方へ飛びさった」ということではないだろうか。

そして『鉢巻』『お鉢が開く』などのように、頭のことを鉢ということがある。
つまり、「執金剛神のの髻がドクロ(頭)となって東方へ飛びさった」
ということになる。

つまり、執金剛神はドクロの神であり、頭部のない土蜘蛛であると考えることができる。
そして、その執金剛神の和魂である不空羂索観音もまた土蜘蛛であると、そういうことになるのではないだろうか。



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[2022/01/17 13:37] トンデモもののけ辞典 | TB(0) | CM(0)