太陽の木 と 月の木㉕最終回 ふたつの太陽 ※追記あり
太陽の木 と 月の木㉔ 耳の悪い神 よりつづきます~
①陰陽に描き分けられた物部守屋と聖徳太子
「587年、排仏派の物部守屋は崇仏派の蘇我馬子や聖徳太子と戦い、榎の枝で指揮をとっていたところ、迹見赤檮に矢で射られて死亡した丁未の乱(丁未の乱)
という話はすでに何度かした。
この丁未の乱で、聖徳太子は蘇我馬子側について参戦していた。
そして聖徳太子も矢で射られそうになったが、椋の木の中に隠れて難を逃れたという伝説がある。
大聖将軍寺 神妙椋樹
どうも、物部守屋と聖徳太子は陰陽に描き分けられているように思える。
聖徳太子・・・ 子供 弓で射られそうになるが椋の木の洞に隠れて難を逃れた。
物部守屋・・・ 大人 榎木の上で指揮をとっていたところを弓で射られて死んだ。
聖徳太子が1度に10人の言うことを聞き分けることができるほど耳がよかったという伝説は有名である。
そして、前回、蛭子神、榎本明神は耳が悪いので、壁をたたいて参拝する習慣があるとお話しした。
堀川戎神社には壁をたたいて参拝する習慣はないが、境内に榎本神社に似た名前の榎木稲荷神社がある。
私は、蛭子神=榎本明神=榎木稲荷神社だと考えているのだが
榎木の神とは、榎木の枝で指揮を執っているところを弓で射られて死んだ物部守屋の霊ではないかと考えている。
これが正しければ、ここでも聖徳太子と物部守屋は陰陽に描き分けられている。
聖徳太子・・・耳がいい。
聖徳太子・・・耳がいい。
物部守屋・・・耳が悪い。
⓶物部守屋は殺された太陽、聖徳太子は殺されなかった太陽?
聖徳太子が、弓で射られそうになったが、椋の木の洞に隠れて難を逃れたという伝説があることをお話ししたが、
椋の木は、樹洞ができやすいそうである。
それで、椋の木の洞に聖徳太子が隠れたとかいう話が創作されたのだろう。
我々の先祖は、実に自然をよく観察している。
一方、物部守屋は榎木の枝で指揮をとっているときに弓で射られて死んでいるが、
榎木も洞ができやすいようである。
さらに、椋は榎木に似ていて、ムクエノキともいうようである。
椋と榎木は兄弟のような木なのである。
ここで、またいままでとは違う信仰の形がでてきたようである。
椋も榎木も落葉するということは、どちらも冬至に向けて勢いが衰えていく太陽を意味していそうである。
しかし、守屋は弓で射られて死に、聖徳太子は洞に隠れて難を逃れている。
ゲイが10個の太陽を弓で射て、一つだけにしたと言う古代中国の物語があったが
弓は月の象徴であり、弓矢で射られた物部守屋は、殺された太陽
樹洞に隠れて難を逃れた聖徳太子は殺されなかった太陽、ということかもしれない。
⑧玉虫の厨子の太陽・月は位置が逆なのはなぜ?
聖徳太子が創建したと伝えられる寺に法隆寺があるが、法隆寺は有名な玉虫厨子を所蔵している。
玉虫の厨子には、八咫烏が描かれた太陽と、月のようなものが描かれている。
もう少し大きくして見てみよう。
向かって左は三本脚の八咫烏を描いた太陽だと思われるが、位置が変である。
太陽の定位置は東、左(向かって右)だった。
それなのに、この円は向かって左に描かれている。
向かって右(左)には何がえかかれているのか、よくわからないが、二羽のウサギのように見える。
月にはがヒキガエルに姿をかえられたゲイの妻・ が住んでいるという話をしたが、これは中国の伝説であった。
日本では月にはヒキガエルではなく、ウサギが住むとされる。
それでウサギが描かれているのかもしれない。
ウサギは二羽で男女和合のウサギのように見える。
なぜ玉虫の厨子は、太陽が西(向かって左)で、月が東(向かって右)に描かれているのだろうか。
それとも八咫烏が描かれているのが月で、ウサギが描かれているのが太陽なのだろうか。
同時期に作成されたと思われる中宮寺の天寿国繡帳も見てみよう。
向かって左上(右)に月があり、ウサギが描かれている。
「天寿国繡帳」とは「聖徳太子が往生した天寿国のありさまを刺繡で表した帳(とばり)の意であり、「天寿国」とは、阿弥陀如来の住する西方極楽浄土を指すものと考証されている」とウィキペディアには記されている。
死後の国、天寿国にはウサギの棲む月があると考えられていたようである。
太陽は現世にあり、死後の国である天寿国にはないと考えられた結果、月だけが描かれているのだろう。
位置は、向かって左(右)なので西であり、陰陽道では月の定位置は西なので、こちらは陰陽道の宇宙観にあっている。
なぜ、玉虫厨子のほうは太陽と月の位置が逆になっているのだろうか。
この疑問は宿題として、次の旅にもっていこう。
次の旅も、きっと楽しい旅になるにちがいない。
end.
長々とおつきあいくださり、ありがとうございましたー。
※追記
なぜ、玉虫厨子のほうは太陽と月の位置が逆(向かって左=右=日、向かって右=月)になっているのか。
それはたぶんこういうことではないだろうか。
太陽と月は玉虫厨子の背面に描かれたものである。
玉虫厨子がもともとどのような向きで置かれていたのかわからないが、「天子南面す」という言葉もあるところから、南向きに設置されていたと考えてみよう。
すると、厨子の向かって右(左)が東、向かって左(右)が西となる。
それはたぶんこういうことではないだろうか。
太陽と月は玉虫厨子の背面に描かれたものである。
玉虫厨子がもともとどのような向きで置かれていたのかわからないが、「天子南面す」という言葉もあるところから、南向きに設置されていたと考えてみよう。
すると、厨子の向かって右(左)が東、向かって左(右)が西となる。
北から見れば、向かって右(左)が西、向かって左(右)が東である。
そういうわけで、向かって左=右=日、向かって右=左=月という配置としたのではないだろうか。
TOPページはこちらです
スポンサーサイト