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太陽の木 と 月の木⑲高野御子神は月の神?丹生都比賣神社は星の神?


①丹生都比賣神社は星をあらわす?

丹生酒殿神社のイチョウは太陽、

丹生酒殿神社 いちょう

丹生酒殿神社・摂社の鎌八幡宮のイチイガシは、月を表しているのではないかという話をした。

丹生酒殿神社 鎌八幡


どちらの樹形も太陽や月のように丸く、イチョウは葉の色が太陽を表す黄色、イチイガシには三日月の形をした鎌がつきたてられているからだ。

丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮は近年、兄井・鎌八幡宮から遷宮したもので、もともとは兄井の地に鎮座していた。
丹生酒殿神社に遷宮したのちも兄井の地にも鎌八幡宮は残され、兄井の鎌八幡宮のイチイガシにも鎌がつきたてられている。


鎌八幡宮1


丹生酒殿神社(太陽)は東、兄井の鎌八幡宮(月)は西にあるが、これは陰陽道の宇宙観にあっている。
陰陽道では、東は太陽の定位置、西は月の定位置、中央を星としているのだ。


西福寺

上は西福寺に展示されていた熊野観心十界曼荼羅であるが、陰陽道の宇宙観にもとずき、
上部右に太陽(黄色の丸)、上部左に月(灰色の丸)が描かれている。

太陽、月のやや下、中央に心と記した丸がある。

丹生酒殿神社、兄井の鎌八幡宮のある場所は、かつて熊野と呼ばれた土地でもあるし、
丹生酒殿神社の公孫樹が太陽、兄井・鎌八幡宮の櫟樫が月をあらわすのであれば、
心を記した丸を表す場所もあるのではないだろうか?


上の地図の手のひらツールを使い、ピンがたっている丹生都賣神社を下にずらして地図をみてほしい。
その丹生都賣神社の上部、東に丹生酒殿神社が、西に兄井・鎌八幡宮がある。

丹生酒殿神社が熊野観心十界曼荼羅の太陽、兄井・鎌八幡宮が熊野観心十界曼荼羅の月にたとえらえているとすれば
熊野観心十界曼荼羅の心にたとえられているのは、丹生都比賣神社だと考えられるのではないだろうか。
ここが心をあらわす場所ではないか?

そして熊野観心十界曼荼羅に描かれている心は星を意味しているのではないだろうか?

東・・・・太陽の定位置・・・太陽・・・・・丹生酒殿神社?
西・・・・月の定位置・・・・月・・・・・・兄井・鎌八幡宮?
中央・・・星・・・・・・・・心・・・・・・丹生都比賣神社?

⓶天野は星を思わせる地名

丹生都比賣神社は別名を「天野大社」「天野四所明神」という。
天野と言うのは神社がある土地の地名なのだが、星を思わせる名前である。

大阪府枚方市、交野市あたりには七夕伝説発祥の地ともいわれ、星田、星ヶ丘などの地名があり
星田妙見宮、天田神社などがあるからだ。
そして、そこを流れる川はずばり、天野川という。

天の川

大阪府枚方市 天の川

熊野観心十界曼荼羅で、心の字を記した丸は、太陽と月の中央下にあるが
陰陽道の宇宙観では東を太陽の定位置、西を月の定位置、中央を星としており、
心の字を記した丸は星であるとも考えられる。

丹生都比賣神社の境内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのが美しいアーチを描く太鼓橋である。
この太鼓橋は熊野観心十界曼荼羅の太陽と月の間にある橋状のものに見えてくる。

丹生都比賣神社

また、心は4画なので、4つの本殿は、心を表しているようにも思えてきたが、これはこじつけっぽいかw

丹生都比賣神社-2

③大食津比売大神は月の神?

丹生都比賣神社の御祭神は、丹生都比売大神・高野御子大神・大食津比売大神・市杵島比売大神の4柱である。

大食津比売大神は「おおげつひめのおおかみ」と読む。
「大いなる食物の女神」という意味だが、大月姫ではないかとも思える。

イザナギとイザナミの国産みで、伊予之二名島(四国)を産むのだが、その中の阿波国の別名として「大宜都比売」とある。
阿波という地名は、粟が多く生産されていたためだとされるが、

粟


上の写真を見ればわかるように、粟の穂がは三日月の形をしている。
阿波国の別名が「大宜都比売」なのは、粟の穂が三日月の形をしているためではないだろうか。

すると同音の大食津比売大神も、月の神ではないかと思える。

③高野御子大神は太陽にすむ月の神?

高野御子大神は太陽にすむ月の神ではないかと思う。

その理由を述べる。

『今昔物語集』によれば、
高野御子神(狩場明神)が空海を大和国宇智郡から紀伊国境まで道案内し、
丹生都比売神(丹生明神)の化身である山民が空海を高野山に導いたとある。

高野御子神は、空海を道案内する神なのだが
これは記紀にある神武天皇に熊野の道案内をした八咫烏の話に似ている。

烏のプロポーションや爪は三日月の形をしていて、月の神だと思われる。

カラス

※爪の写真はこちらを参照してください。
https://blog.goo.ne.jp/romeo135bb/e/9c5e64f8d731d476d5d14cf3bb0ae1a6

鷹の爪もまた、三日月の形をしている。嘴も三日月形だ。

ハリスホーク

ハリスホーク(鷹の一種)↑ ↓

ハリスホーク(鷹の一種)の爪

鷹も八咫烏と同じく、月の神だろう。

八咫烏は月の神だと私は思うが、太陽の中に描かれる。


フギ&ジョカ

上の絵は中国の神、伏羲と女媧を描いたものである。
男神・伏羲は手に直角定規をもち、女神・女媧は手にコンパスをもっている。

古代中国では天円地方といい、天は円く、地は方形であると考えられていた。
直角定規は方形を、コンパスは円を描く道具である。

そして陰陽の関係はつぎのようになっている。

陽・・・・・・天(コンパス)・・・・男
陰・・・・・・地 (直角定規)・・・・女

すると、伏羲が地をあらわす直角定規を、女媧が天をあらわすコンパスをもっているが、逆ではないかと思える。

これは、記紀神話のスサノオと天照大神の誓約の子産みの話を照らし合わせて考えることができるかもしれない。

スサノオは『誓約(うけい)の子産み』をしようと言った。
まず天照大神がスサノオの物実である十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕き、ふっと吹き出した息の霧から三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。
次にスサノオが天照大神の物実である『八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠』を噛み砕き、ふっと吹き出した息の霧から 五柱の男神(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命)が生まれた。
スサノオの十拳剣からうまれた三柱の女神はスサノオの子、天照大神のみすまるの珠からうまれた五柱の男神は天照大神の子とされた。

天照大神はスサノオの十拳剣を、スサノオは天照大神の八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠をかみ砕いている。
伏羲が直角定規を、女媧がコンパスをもっているのはこれと同様で、
お互いの物実〈もの事の元になるもののこと)を手に持つのは、男女のちぎりをかわすことを表しているのではないだろうか。
(スサノオと天照大神は「誓約の子産み」をしている。と言うことは、スサノオと天照大神は男女の契りをかわしたということだ。)

そして八咫烏は太陽に、月にはヒキガエルが住むといわれるが
カラスの爪は三日月型、ヒキガエルの「ヒキ」を漢字で書くと「蟇」だが、「蟇」から虫を除いた「莫」という字は、
草原に太陽が沈む様子をあらわしているので
八咫烏は月、ヒキガエルは太陽と考えられる。

太陽の中に住んでいる八咫烏は復活した月の神、月の中に住んでいるヒキガエルは復活した太陽の神と考えるのが
筋が通った考え方の様に思える。

そして高野御子神はこの八咫烏のイメージと重ねられているのではないか?

④高野は鷹の?

私の知り合いに鷹野と書いて「たかの」と読む名字の人がいる。
高野御子神は鷹なのではないか?

『丹生祝氏本系帳』には、丹生氏がもと狩人で神の贄のため二頭の犬を連れて狩りをしたという伝承があるが
鷹狩には犬を用いていたようである。

(左)「御鷹方諸事控帳」(16.45-77③)
鷹狩とは、鷹場にいる鳥を犬がはやしたてて、飛び立った鳥を鷹が捕まえるというものでした。
そのため、鷹狩では犬も重要な役割を担っていたといえます。
この史料から、犬の餌の内容がわかります(享保9年当時)。金沢・江戸にいる犬ともに、餌は1日で米5合でした。
江戸の鷹犬はこれに加え1ヶ月約6本の鰹節が与えられていました。


これは江戸時代の鷹狩りについて記したものだが、もっと古い時代にも同様に行われていたのではないだろうか。

⑤隼人はなぜ犬の鳴きまねをしていたのか?

古代、九州南部に昔、隼人と呼ばれる人々が住んでいた。
彼らは畿内に強制移住させられて宮中の警護をさせられていたが、その際、犬の鳴きまねをしていたという。

鷹狩には隼を用いることもあった。
隼人と言われる人々が犬の鳴きまねをして警護を指せらえていたのは、彼らが鷹狩をする民族であり、その際、犬を用いていたからではないだろうか。

話を元に戻そう。
高野御子神とは鷹の御子神を意味し、狩場明神と言う別名は、鷹狩からくるのではないか。
そして、八咫烏と同様の伝説を持つ高野(鷹の)御子神もまた復活した月の神と考えられるのではないか、ということである。

⑤高野御子神は水銀の神でもある。

高野御子神は水銀の神でもあるだろう。
丹生都比賣神社の丹とは水銀のことであり、

上の記事でのべたように、正月に見ると縁起がいい夢の「二鷹」とは植物の鷹の爪((実)であり、その赤い色は辰砂の赤色を、実が鈴なりになっているのは坑道を表しているのではないかと思う。

実際、高野山には水銀の鉱脈があるとされ、それゆえ空海は高野山を欲したのではないかとする説もある。

たかのつめ2

鷹の爪

⑥蟻通神は、「有りと星」神?

『延喜式』神名帳(927年成立)の記載では祭神は1座。その後に上記2座になり、平安時代末頃からは4座になったと見られている[11]。仁平元年(1151年)の文書に「第三神宮」の記載があるほか[11]、正応6年(1293年)には天野四所明神の「三大神号蟻通神」の神託が見え、第三殿に「蟻通神」が祀られていたことがわかる[11]。祭神の増加に関して、『高野春秋』によれば承元2年(1208年)10月に北条政子の援助で行勝上人と天野祝により、気比神宮の大食比売大神[注 2]、厳島神社の市杵島比売大神が勧請されたという[11]。年代は史料間で食い違うものの、現在の祭神はこれに基づいている。


上記ウィキペディアの記事をまとめる。

『延喜式』神名帳(927年)・・・・・祭神は1座・・・丹生都比売大神
その後に上記2座になる・・・・・・・祭神は2座・・・丹生都比売大神 高野御子神
平安時代末頃か・・・・・・・・・・・祭神は4座・・・丹生都比売大神 高野御子神 蟻通神(第三殿)?(第4殿)
1208年・・・・・・・・・・・・・・・気比神宮の大食比売大神、厳島神社の市杵島比売大神が勧請された。

平安末期ごろ、祭神が4柱になったというが、第4殿の祭神がわからない。
第3殿には蟻通神が祀られたという。

和歌山県かつらぎ市に蟻通神社があり御祭神は思兼命となっている。

大阪府泉佐野市の蟻通神社は大国主をまつっている。
創建年はどちらが古いかわからない。

泉佐野の蟻通神社には紀貫之に関する伝説が伝えられている。

貫之は蟻通神社神域と気がつかず、騎乗したまま境内に乗り込んだところ、馬が倒れてしまい
「かきくもり あやめもしらぬ おほそらに ありとほしをば おもふべしやは」と歌を詠んだ。

「曇って分別のつかない大空に、蟻通明神が鎮座されているとは思えなかった」というような意味とされるが
蟻通は「有りと星」で、「星があるとは思えなかった」という意味をかけると考えられている。

蟻通神社は星の神と考えられるかもしれない。

⑦丹生都比売大神は水銀の神?

丹とは水銀のことなので、丹生都比売大神は水銀の神だと思う。

奈良・東大寺二月堂の修二会、お松明の行事に関係するこんな伝説が伝えられている。

若狭彦神社の遠敷明神(おにゅうみょうじん)は漁に出かけていて、修二会に遅刻した。
遠敷明神がそのお詫びに閼伽水を送ることを約束すると、二月堂の下の岩が割れ、白黒二羽の鵜とともに清水が湧き出した。

遠敷(おにゅう)や二羽の鵜とは丹生(ニュウ。丹とは水銀のこと)の意味ではないかといわれ
二月堂のお松明の行事は、大仏に鍍金をほどこす様を再現したものではないかという説がある。

東大寺の大仏建立の際、大仏に金アマルガム(金に水銀をまぜて溶かしたもの)を塗り、水銀を加熱して蒸発させることで鍍金(金メッキ)をほどこしたといわれているのだ。

お松明の火の粉は星のようにみえるところから、水銀の神は星の神に転じたのかもしれない。

⑧市杵島比売大神は星の神

市杵島比売大神は宗像三女神の一である。
宗像三女神を祀る宗像大社の、沖津宮(沖ノ島)、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮(総社)配置はオリオン座の三ツ星の配置になっているとする説がある。

とすれば、市杵島比売大神は星の神ということになりそうである。

丹生都比売大神・・・星の神 水銀の神
高野御子大神・・・・月の神 水銀の神
大食津比売大神・・・月の神
市杵島比売大神・・・星の神



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