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太陽の木 と 月の木⑪ 鎌を打ち付けた御神木は月をあらわしている?(2021年12月21日、一部書き直しました)


①一陽の木

丹生酒殿神社は主祭神として丹生都比売大神を、配祀神として高野御子命、誉田別命を祀る神社で
樹齢800年と伝わる御神木の大公孫樹がある。

丹生酒殿神社 いちょう

私は 太陽の木 と 月の木⑨ イチョウは一陽の木?  において、公孫樹は一陽来復の一陽と掛詞になっているのではないかとのべた。

その理由は、以下のとおり。

1.古代、太陽は黄色で描かれた。(高松塚古墳、キトラ古墳など)
2.公孫樹の樹形は本来は丸い。
3.御神木を公孫樹とする一言主神社では冬至の日に一陽来復祭を行っている。
4.当時に向かって黄色い葉を散らす公孫樹は、当時に向かって勢いがおとろえていく太陽にぴったりである。

丹生酒殿神社の鮮やかな黄色い葉、丸い樹形は太陽を思わせる。まさしく一陽の木と言うにふさわしい、と感じた。

⓶賽銭箱に記された『心』は熊野観心十界曼荼羅の「心』?

柏手を打ちながら、本殿のほうをみると、本殿の背後に鳥居があるのが見えた。
どうやら、本殿の背後に摂社があるようだ。

丹生酒殿神社 本殿より鎌八幡鳥居をのぞむ

本殿の背後に鳥居がみえている。

本殿の向かって右手には、鳥居がある。たぶん、一の鳥居だろう。


丹生酒殿神社 鎌八幡 一の鳥居

鳥居をくぐると、人ひとりが通れるくらいの細い参道が小高い丘に向かってのびている。
その参道のつきあたりに、さきほど見た、本殿の背後にある鳥居があった。二の鳥居だろう。

丹生酒殿神社 鎌八幡 鳥居

鳥居の下に賽銭箱が置いてあり、賽銭箱には「心」の文字が記されていた。

この文字は見覚えがある。

西福寺

上は京都西福寺で撮影した熊野観心十界曼荼羅である。
向かって右に金色の太陽、向かって左に銀色の月があり、その中心よりやや下に「心」と記した丸がある。

西福寺 地獄絵

これも西福寺で撮影したもので、地獄絵のようなものが描かれているが、やはり「心」と記した丸が描かれている。

ここ和歌山県はかつて熊野といわれた地域だった。
賽銭箱の「心」はこの熊野観心十界曼荼羅の「心」を描いたものだと思う。

③鎌八幡宮

鳥居の向こうには御神木らしきものがあり、ところどころ、銀色の鈍い光を放っている。
なんと、その光の正体は鎌だった!
木の幹に沢山の鎌が刺さっている!

丹生酒殿神社 鎌八幡

丑の刻参りを思わせるような光景だが、鎌八幡宮は豊穣・子宝祈願にご利益があるとされる。

④熊手八幡宮

もともと鎌八幡宮はここに鎮座していたのではなく、何度か遷宮しているようで、もとは香川県にあったようである。

讃岐国多度郡屏風浦の海岸寺のhpには次のような内容が記されている。



1.香川県多度郡屏風浦に神功皇后の従者・渡辺氏が熊手と旗竿をご神体とする神社を創建した。
2.欽明天皇の頃、応神天皇(誉田別尊)を主祭神とし、熊手八幡宮、もしくは白方八幡宮として祭られた。
3空海の母、玉依御前が、ここで安産祈願をし空海が生まれた。
4.819年、空海が社殿を造営した。
5.空海は八幡大菩薩と対面して、お互いの姿を写し合った。
八幡神は、「わたしとあなたはもと同一体であり、上人の居る所へは必ず影と形のごとく追い随うつもりである」といった。
6.空海が高野山の奥の院に入定。
 白方の八幡神は生前の約束を果たすため、ご神体である熊手と旗竿を白龍に変え、高野山へ向けて飛ばしたところ、伊都郡兄井村の松樹に掛かった。
7.同郡大畑村の鬼五郎、次郎は、諏訪次郎右エ門に相談の上、高野山に報告。
高野山はこのご神体を奉迎し、行人方の各院が持ち回りでご神体の祭祀を行った。(巡寺八幡宮)
8.明治二年(1869)の神仏分離令の際、同山から兄井村の諏訪神社へ遷座した。
9.その後、近隣の小社が合祀され、熊手八幡は三谷の丹生酒殿神社へ移された。
10.ご神体の熊手が長くて、社殿内に入れることができず、軒に掛けていたところ、火花が散るなどの怪があり
柄を短く切って納めるが、台風で大木が倒れ社殿と熊手を納めた木箱が壊れた。
11.その後、建て直された。(下の写真 向かって左)

丹生酒殿神社 本殿

⒓兄井と三谷に祀られている熊手八幡宮は、現在は鎌八幡宮として知られる。
⒔その由来について。
草刈をしていた宮司がイチイの木に鎌を打ち付けて、そのまま一晩忘れていた。
翌日、鎌を抜こうとしたが、深くめり込んで抜けなかった。
八幡神がこの木に乗り移られたのだろうということになり、願い事がある者は鎌を打ち付けるという奇風が始まった。
願い事がかなう場合はどんどんめり込んでいくが、かなわない願い事は鎌が押し出される。
⒕江戸時代の兄井には、奉納用の鎌を売る店が崇敬あった。

つまり、

.香川県多度郡屏風浦の熊手八幡宮(白方八幡宮)
伊都郡兄井村
高野山
.明治二年(1869)の神仏分離令の際、兄井村の諏訪神社へ遷座。
丹生酒殿神社へ遷座。

のように、鎌八幡は4度遷宮を繰り返していることになる。

鎌八幡は豊穣、子宝祈願にご利益があるとされているが、
豊穣は、鎌が農具であるところからくるのではないかと思う。
子宝は、空海の母が讃岐の熊手八幡宮に安産祈願して無事空海が生まれたことにちなむのではないだろうか。

⑤不適切な祈祷詞は除去します。

丹生酒殿神社 鎌八幡 説明板


説明板には、
「不適切な祈祷詞は除去します」
「神社での正しい祈り方は私欲の都合で祈る文語ではないことをご理解ください。」
と書いてあった。

「私欲の都合で祈る」というのはわかりにくいが、「憎い相手に不幸が訪れるように」という願い事をしてはいけない、という意味だろう。

しかし「私欲の都合で祈る文語ではないことをご理解ください。」とわざわざ張り紙がしてあるということは、
「憎い相手に不幸が訪れるように」のような祈願をする人がいるということではないのか?

丑の刻参りは藁人形を五寸釘で木の幹にうちつける。
鎌を木の幹につきたてる行為は、丑の刻参りの信仰を思わせる。

もともとは丑の刻参りのように「憎い相手に不幸が訪れるように」と願っていたものを、近年になって、最近の道徳にあわないということで、「子宝、豊作祈願」の神社と言う風にあらためたということではないか?

⑥鎌を打ち付けた御神木は月をあらわしている?

sinigami.png
鎌の曲線は三日月に似ている。
その名もずばり、月鎌と呼ばれる鎌もあり、死神が武器として持っている。

イチョウが太陽の木であるのに対して、鎌八幡宮の御神木の櫟樫は、月の木なのではないか?

丹生酒殿神社は南向きで、その北に鎌八幡宮はある。

陰陽道の宇宙観では東が太陽の定位置、西が月の定位置、中央が星なので方角が90度ずれているが
北野天満宮の三光門の配置も90度ずれていた。

三光門 図2

北野天満宮 三光門のレイアウト図

すなわち、南の赤色の丸が太陽、北の三日月が月、中央の黄色の丸が星と考えられるのだった。

丹生酒殿神社の御神木の配置は、北野天満宮・三光門の日月星と同様の配置になっているのではないか?



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太陽の木 と 月の木⑩ 岩戸落葉神社は冬至に関係する神社?


岩戸


①冬至に関係する神社


もともとここには落葉社が鎮座していた。
近世、岩戸社をここに遷宮させて、岩戸落葉神社と呼ばれるようになったという。
そのため境内には岩戸社・落葉社のふたつの本殿がある。

この岩戸社と落葉社はどちらも冬至に関係する神社だと思う。


20151111215920a74.jpg


⓶天岩戸神話は、冬至の衰えた太陽が再び復活することを意味している?

岩戸社の御祭神は彌都波能賣神(みづはのめのかみ)、稚日女神(わかひめのかみ)、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)である。

このうちの稚日女神は、スサノオが馬の逆剥ぎを高天原の斎服殿(いみはたどの)に投げ込んだとき、これに驚いて持っていた梭(ひ)で身体を刺して亡くなった女神である。

この事件にショックを受けた天照大神は天岩戸に隠れてしまう。

稚日女神という神名は「若く瑞々しい日の女神」という意味で、天照大神は別名を大日女(おおひるめ)というので、
稚日女とは天照大神自身、または天照大神の幼名とする説がある。

そして天照大神が天岩戸にこもったという伝説が何を表すのかについて、ふたつの説がある。

①日食をあらわす。
②冬至に向かって勢いが衰えた太陽が、冬至を境に再び勢いを増していく様をあらわす。

大阪の枚岡神社では、冬至のころ「お笑い神事」を行っている。
新しくかけなおした注連縄の前で、神職さん、巫女さん、氏子さん、一般の参拝者も並んで「わっはっは」と笑うという神事である。


いしんじおわら

枚岡神社 お笑い神事


天照大神が天岩戸にこもって、世の中が真っ暗になってしまったとき
天岩戸の前で、アメノウズメがストリップダンスをし、それを見ていた神々が笑った。

天照大神はその笑い声を聞いて「何を笑っているんだろう」と思い、少し天岩戸をあけたところを引っ張り出され、再び世の中に太陽の光がさすようになった。


「お笑い神事」はこの神話を再現したものといわれている。

この神事はもともとは冬至の日におこなっていたそうで、
天照大神が天岩戸にこもったという神話は
②の「冬至に向かって勢いが衰えた太陽が、冬至を境に再び勢いを増していく様をあらわす。」が正しいのではないかとも思える。
(※私は①②の両方をあらわしていると考えているが、それについては機会をみて別稿に記したいと思う。)


③岩戸神社が、公孫樹の巨木のある落葉神社に遷宮された理由

岩戸落葉神社のイチョウの樹齢は不明だそうだが、巨木なので古くから落葉社の御神木として植えられていたのだろう。

私はイチョウという名前は『一陽来復』の『一陽(イチヨウ)』からくるのではないかと考えている。

『一陽来復』とは『冬が終わり春が来ること』や『冬至』を意味する言葉である。
『一陽』とは『たったひとつの太陽』という意味だろうか?
陽は太陽のことで間違いないだろうが、一は斎など、別の意味かもしれない。
いずれにせよ、イチョウとは『一陽の木』という意味だろうと思う。

日本では太陽はなぜか赤で描かれることが多いが、太陽の色は本当は黄色である。
高松塚古墳やキトラ古墳の日像は金色(黄色)で描かれている。

イチョウの黄色い葉は太陽の光に見立てられているのだと思う。
この黄色い葉っぱは秋のはじめごろはたくさん木についているのだが、徐々に散っていき、木についた葉の数はどんどん減っていく。
これは冬に向かって衰えていく太陽のようではないか。
そして最も太陽の光が衰える冬至のころにはすっかり落葉してしまっているというわけだ。


落葉社は源氏物語に登場する朱雀帝の第二皇女「落葉の宮」を御祭神としているが、
この落葉の宮は冬至に向かって衰えていく太陽に喩えられていたため、落葉神社の御神木がイチョウになっているのだと思う。

そして、天岩戸神話が冬至の太陽を擬人化した物語だということで、岩戸社がこの公孫樹のある場所に遷宮されたのではないだろうか。


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