①星のない三光(日月星)門?
北野天満宮の三光門は、彫刻の中に日月星があるので、この名前で呼ばれていると説明されるが
星がないとの指摘がある。
これについて、次のようにも伝えられている。
「平安時代に天皇が大内裏(だいだいり、宮殿)から、その北方にある北野天満宮を拝んだ際、この三光門の真上に北極星が瞬いていたため、星を刻まなかった。」
と。
⓶彫刻のある位置
まず三光門の彫刻のある位置を確認しよう。
実は北野天満宮の三光門の写真を撮影したのはかなり昔で、どこに彫刻があったかよく覚えていない。
↑ こちらの記事を参考にさせてもらって、位置を確認したのだが、もし間違いがあれば指摘してほしい。
南から四脚門の中に入り、振り返って門の上部を見ると、赤い丸の彫刻がある。↓
赤い丸の向かい側上部に黄色い丸の彫刻がある。↓
門を出て、振り返り、本殿に背を向けて三光門を見上げると上部に兎と三日月の彫刻がある。↓
③星は☆ではなく〇
上の記事には次のように記されている。
神職の松大路和弘さんに聞きました。
説明によりますと、三光門の別名は、立て札にあるように、月・月・星の彫刻に由来するとのことでした。雲間に浮かぶ月と見えた彫刻が実は星だったのです。現代の感覚では、ギザギザの星形を思い浮かべますが、丸く彫られた星を月と見誤ったようです。
福井市にある足羽神社の神紋は、日・月・星を丸で囲んだ「三光の紋」ですが、星は丸く表現されています。ただ、三光門にはもともと星の彫刻は無く、旧大極殿から真北に位置する中門の上空に輝く北極星を三光の星に見立てた、という言い伝えもあリ、「星欠け門」との別名もあるそうです。「新撰京都名所図会」(昭和三十六年初版)には星の彫刻を「日の入り」とする記述もあります。
上記記事より引用
つまり、赤い丸が太陽、黄色い丸が星で、三日月とあわせて日月星の三つの天体の彫刻が施されているということになる。
③本来、太陽は黄色で描かれていたが、赤で描くこともあった。
この絵が描かれたのがいつなのかわからないが、
上のサイトに掲載されている六道珍皇寺の熊野観心十界曼荼羅は江戸時代の作品とあり
遅くとも江戸時代には太陽を赤で描くことがあったことがわかる。
そして北野天満宮の三光門は、江戸時代初期の1607年(慶長12年)に豊臣秀頼によって建立されたものである。
よって、三光門にある赤い丸は太陽であるとも考えられる。
④陰陽道の宇宙観では、東が太陽の定位置、西が月の定位置、中央は星
また、陰陽道の宇宙観では、東が太陽の定位置、西が月の定位置、中央は星とするのだった。
三光門は南向きに建てられているので、この陰陽道の宇宙観とは90度ずれて、
南に太陽、北に月、中央を月とすることはありそうに思える。
⑤北極星は黄色
そして、天の北極は地球が歳差運動(コマがふれるように回転軸がぶれること。周期は26000年)をしているので、現在の北極星はポラリスだが、過去には異なる星が北極星であった時期もある。
しかし西暦500年以降はポラリスが天の北極に最も近く北極星とみなされている。
現在の北極星であるこぐま座のポラリスは、明るさ2等星の恒星です。 北極星の色合いは、少し黄色かかっていているように見えます。 スペクトル分析でも黄白色に分類されていますので、黄色っぽく見えるので間違いないでしょう。
とあるように、ポラリスの色は黄色なので、三光門の黄色い丸は北極星を表している可能性はある。
また高松塚古墳に描かれた星は金色(黄色)で描かれていた。
キトラ古墳に描かれた星も金色(黄色)である。
もしかすると、太陽も星も金色(黄色)ではややこしいので、太陽を赤で表現するようになったなんてことがあるかもしれない。
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