①冬至にむかって衰えていく太陽のような榎木に、月をイメージさせる鎌を打ち込むことで、古い太陽を完全に殺す?
前回、私たちは大阪の鎌八幡(円珠庵)を訪れた。 (写真撮影禁止のため、境内の写真はなかったがw)
鎌八幡(円珠庵)
和歌山の鎌八幡宮は、丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮と、兄井の鎌八幡宮(ここから丹生酒殿神社に遷宮したのだが、この地でも祀られている。)の二か所あったが、 いずれもイチイガシに鎌がつきたてられていた。
大阪の鎌八幡宮ではイチイガシではなく、榎木に鎌がつき立てられていた。
丹生酒殿神社の御神木のイチョウは冬至に向かって勢いが衰えていく太陽の木、 (樹形が丸い。太陽の色は黄色でイチョウの黄葉は同じ色をしている。冬至に向かって落葉する様は冬至に向かって勢いが衰える太陽のよう。イチョウは一陽来復の一陽と音が同じ)
丹生酒殿神社 御神木 イチョウ
丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮・兄井の鎌八幡実の御神木のイチイガシは月の木 (樹形が丸い。三日月の形をした鎌をつきたてて祈願する。)
兄井・鎌八幡宮 御神木 イチイガシ
と私は考えたのだが、大阪の鎌八幡の御神木の榎木は秋に色づいて落葉し、イチイガシというよりは、イチョウのイメージに近い。 つまり、太陽の木に三日月が突き立てられているのである。(私にはそうみえる。)
鎌八幡(円珠庵)黄色い葉をつけているのが御神木の榎木
これは、冬至にむかって衰えていく太陽のような榎木に、月をイメージさせる鎌を打ち込むことで、古い太陽を完全に殺し、冬至以降、復活する(南中高度をあげ勢いをます)太陽を迎えるという儀式ではないかと思った。
⓶榎木稲荷神社
私は 大阪市北区 の天神橋筋商店街近くにある堀川戎神社を思い出していた。 堀川戎神社境内に榎木稲荷神社があるのだ。
堀川戎神社 摂社 榎木稲荷神社
榎木神社は地車(だんじり)の形をしているので、地車稲荷とも呼ばれていおり、次のような伝説がある。
かつて天満堀川の堀止めに側に榎があり、その根元に木の神・句句廼知神を祀る祠があった。 榎の大の木の根元には吉兵衛という老狸が住んでいて、毎夜、決まった時間に地車囃子の真似をしていた。
1839年、その地に本殿・拝殿を造営して正式に榎木神社を創建し、堀川戎神社末社の稲生神社の分霊を合祀した。
明治40年に堀川戎神社と合併してここに遷座した。
願い事が叶った夜には地車囃子が聞こえるといわれる。
堀川戎神社 摂社 榎木稲荷神社
一般的には稲荷神社といえば狐だが、榎木神社は狸なのだ。 京都の辰巳明神も狸だ。
四国の稲荷神社も多くが狸なのだという。
弘法大師が四国の狐を追い出して、狸を開放したなどとも言われるが 実際には四国にも狐はいるそうである。
③榎木明神は物部守屋?
私はこの榎木明神とは物部守屋ではないかと考えている。 その理由を述べる。
a.榎木稲荷神社は大阪市北区にあるが、このあたりはかつて物部守屋の土地だった。 森ノ宮という地名があるが、この地名の語源は「守屋の宮」とする説がある。 また大阪市天王寺区には四天王寺があるが、四天王寺建立の由緒は次の通りである。 ・587年、崇仏派の蘇我馬子vs廃仏派の物部守屋が争い、馬子が勝利した。(丁未の乱) ・馬子側についていた聖徳太子は、守屋の土地と奴婢を用いて四天王寺を建立した。 つまり、四天王寺があるこの付近は守屋が支配する土地だったということである。
b.587年の丁未の乱で、守屋は榎木の枝の上で指揮をとっていたところを、トミノイチイに弓で射られて死んだ。
前回、私たちが訪れた鎌八幡宮(円珠庵)も、四天王寺に近い場所にある。
上の地図の円珠庵(鎌八幡宮)を手のひらツールで下(南)にずらして地図をみてほしい。 大阪城の西北に南森町駅があるが、その近くに堀川神社、榎木稲荷神社はある。
榎木稲荷神社が物部守屋を祀る神社であれば、円珠庵(鎌八幡宮)の御神木の榎木は、物部守屋の霊が宿る木なのではないか?
堀川戎神社 しころ
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①大阪にも鎌八幡宮があった。
大阪にも鎌八幡宮と呼ばれている寺がある。円珠庵である。
円珠庵のホームページには次のように由来が記されている。
遠い昔、このあたりは三韓坂と言われた古道で、そのわきに一本の榎の霊木があり、人々の信仰を集めていた。
下って、大阪冬の陣のとき、真田幸村がこの土地に陣所を構えたが、この信仰を聞き伝えて、鎌を打ちつけ、鎌八幡大菩薩と称して祈念したところ、大いに戦勝をあげたと伝えられている。
江戸時代初期には、この鎌八幡の境内に、国文学者として有名な高僧契沖阿闍梨が居を定め、円珠庵と称した。契沖は、ここで万葉代匠記や和字正鑑要略を著し、国文学の研究に専念すると同時に、深く鎌八幡を信仰した。この頃から「鎌八幡」は「祈とう寺」として、人々の信仰が広まった。
大正11年に、境内全域が大阪市では最初の国の史跡指定を受けたが、境内の大部分は、戦災で損壊したあと復興したものである。その間、霊木は蘇生し、絶えなる信仰と多くの霊験が得られている。
この近くには真田幸村の陣所と伝わる真田丸跡、三光j神社境内には、真田の抜け穴などもあった。
真田丸顕彰碑
〇で囲んだ部分が真田丸
円珠庵境内は撮影禁止となっているので写真はないが、丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮、兄井の鎌八幡宮(元鎌八幡宮)同様、大量の鎌が御神木につきたてられており、長い箒状の注連縄がはられていた。
⓶大阪の鎌八幡宮の御神木はイチイガシではなく榎木だった。
円珠庵由緒で気になるのは、御神木が榎木と記されている点だ。 丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮、兄井の鎌八幡宮(元鎌八幡宮)では櫟樫に鎌がつきたてられていたが 円珠庵では榎木に鎌がつきたてられているのだ。
円珠庵(鎌八幡)
上の写真の、黄色い葉をつけているのが榎木である。
榎木は落葉樹で、落葉する前には黄色く色づく。 私が円珠庵を訪れたのは12月半ば過ぎで、紅葉の見ごろは過ぎたころだったが まだわずかに葉が残っていた。
私は丹生酒殿神社の御神木のイチョウは太陽、 丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮、兄井の鎌八幡宮(元鎌八幡宮)の御神木・櫟樫は月であらわすのではないかと考えた。
丹生酒殿神社 イチョウ
兄井 鎌八幡宮(元鎌八幡宮) イチイガシ ↑ ↓
上は熊野勧心十戒曼荼羅だが、向かって右の黄色の丸は太陽、向かって左の灰色の丸は月を表していると思う。 そしてイチョウの落葉前の葉の色は黄、櫟樫の暗い緑色は灰色のように見えるので、
イチョウは冬至に向かって衰えていく太陽を、櫟樫は月をあらわし、三日月の形をした鎌を突き立てるのだろうと考えた。
しかし天寿庵の鎌を突き立てられている榎木は、常緑樹の櫟樫よりは、落葉樹のイチョウににている。
これはどう考えれば辻褄があうのか。
③榎木は太陽のイメージ。
信仰の形はひとつとは限らない。 むしろ、信仰にはさまざまなバリエーションがあると考えたほうが自然だろう。 (イチョウ=冬至に向かって衰えていく太陽、櫟樫=月)と考える信仰とは別の信仰があってもおかしくはない。
黄色く色づいて落葉する榎木は樹形も丸く、冬至に向かって葉をちらしていく様子は公孫樹と同じく、冬至にむかって衰えていく太陽のイメージがある。 ここに、月をイメージさせる鎌を打ち込むことで、古い太陽を完全に殺し、冬至以降、復活する(南中高度をあげ勢いをます)太陽を迎えるという儀式だったりして?
太陽と月が重なる現象である日食は、太陽の光をさえぎって、世の中を夜のようにしてしまう。 そういう意味で、月は太陽を殺す存在と考えられてたのかもしれない。
④男女双体の神 神はその現れ方によって3つに分けられるといわれる。
御霊・・・神の本質 和魂・・・神の和やかな側面
荒魂・・・神の荒々しい側面
そして、男神は荒魂を、女神は和魂を表すといわれる。とすれば御霊は男女双体の神と言うことになると思う。
大聖歓喜天は象頭をした男女双体の神で、次のような伝説がある。
人々に祟りをもたらしていたビナヤキャは十一面観音の化身であるビナヤキャ女神に一目ぼれし、ビナヤキャ女神に結婚を申し込んだ。 ビナヤキャ女神は「仏法守護を誓うならあなたと結婚しましょう」といった。
ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神と結ばれた。
大聖歓喜天の、足を踏みつけているほうがビナヤキャ女神、足を踏まれているほうがビナヤキャとされる。
この説話は御霊、和魂、荒魂の性質をうまく表していると思う。
すなわち、男神である荒魂は、女神である和魂に足をふみつけられて、動けない状態にされている。
これが「神の結婚」の意味なのだと思う。 榎木は雄花と雌花をもつ雌雄同体の植物で、4月から5月ごろ、葉の根元に小さな花をつける。
そして10月ごろ、黄葉した葉の後ろに、直径5 - 6ミリメートル (mm) の丸い実をつけるのだという。
雌雄同体である榎木は、この歓喜天のイメージがある。
古には「愛」は「え」と呼んだ。 榎木(エノキ)の語源は、「愛(え)の木」であり、太陽と月が和合した樹であると考えられたのかもしれない。 
そして、この鎌八幡宮の神紋は、二つの鎌が交差する形であり、これは聖天さんの違い大根の紋に似ている。

待乳山聖天
交差する形は、男女和合を表しているようにも見える。
へつづく~
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太陽の木 と 月の木① 太陽は赤色ではなく、黄色
①丹生都比賣神社は星をあらわす?
丹生酒殿神社のイチョウは太陽、
丹生酒殿神社・摂社の鎌八幡宮のイチイガシは、月を表しているのではないかという話をした。
どちらの樹形も太陽や月のように丸く、イチョウは葉の色が太陽を表す黄色、イチイガシには三日月の形をした鎌がつきたてられているからだ。
丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮は近年、兄井・鎌八幡宮から遷宮したもので、もともとは兄井の地に鎮座していた。 丹生酒殿神社に遷宮したのちも兄井の地にも鎌八幡宮は残され、兄井の鎌八幡宮のイチイガシにも鎌がつきたてられている。
丹生酒殿神社(太陽)は東、兄井の鎌八幡宮(月)は西にあるが、これは陰陽道の宇宙観にあっている。 陰陽道では、東は太陽の定位置、西は月の定位置、中央を星としているのだ。
上は西福寺に展示されていた熊野観心十界曼荼羅であるが、陰陽道の宇宙観にもとずき、 上部右に太陽(黄色の丸)、上部左に月(灰色の丸)が描かれている。 太陽、月のやや下、中央に心と記した丸がある。
丹生酒殿神社、兄井の鎌八幡宮のある場所は、かつて熊野と呼ばれた土地でもあるし、 丹生酒殿神社の公孫樹が太陽、兄井・鎌八幡宮の櫟樫が月をあらわすのであれば、 心を記した丸を表す場所もあるのではないだろうか?
上の地図の手のひらツールを使い、ピンがたっている丹生都賣神社を下にずらして地図をみてほしい。 その丹生都賣神社の上部、東に丹生酒殿神社が、西に兄井・鎌八幡宮がある。
丹生酒殿神社が熊野観心十界曼荼羅の太陽、兄井・鎌八幡宮が熊野観心十界曼荼羅の月にたとえらえているとすれば 熊野観心十界曼荼羅の心にたとえられているのは、丹生都比賣神社だと考えられるのではないだろうか。 ここが心をあらわす場所ではないか?
そして熊野観心十界曼荼羅に描かれている心は星を意味しているのではないだろうか?
東・・・・太陽の定位置・・・太陽・・・・・丹生酒殿神社? 西・・・・月の定位置・・・・月・・・・・・兄井・鎌八幡宮? 中央・・・星・・・・・・・・心・・・・・・丹生都比賣神社?
⓶天野は星を思わせる地名
丹生都比賣神社は別名を「天野大社」「天野四所明神」という。
天野と言うのは神社がある土地の地名なのだが、星を思わせる名前である。
大阪府枚方市、交野市あたりには七夕伝説発祥の地ともいわれ、星田、星ヶ丘などの地名があり 星田妙見宮、天田神社などがあるからだ。 そして、そこを流れる川はずばり、天野川という。
大阪府枚方市 天の川
熊野観心十界曼荼羅で、心の字を記した丸は、太陽と月の中央下にあるが 陰陽道の宇宙観では東を太陽の定位置、西を月の定位置、中央を星としており、 心の字を記した丸は星であるとも考えられる。
丹生都比賣神社の境内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのが美しいアーチを描く太鼓橋である。 この太鼓橋は熊野観心十界曼荼羅の太陽と月の間にある橋状のものに見えてくる。
また、心は4画なので、4つの本殿は、心を表しているようにも思えてきたが、これはこじつけっぽいかw
③大食津比売大神は月の神?
丹生都比賣神社の御祭神は、丹生都比売大神・高野御子大神・大食津比売大神・市杵島比売大神の4柱である。 大食津比売大神は「おおげつひめのおおかみ」と読む。
「大いなる食物の女神」という意味だが、大月姫ではないかとも思える。
イザナギとイザナミの国産みで、伊予之二名島(四国)を産むのだが、その中の阿波国の別名として「大宜都比売」とある。 阿波という地名は、粟が多く生産されていたためだとされるが、
上の写真を見ればわかるように、粟の穂がは三日月の形をしている。 阿波国の別名が「大宜都比売」なのは、粟の穂が三日月の形をしているためではないだろうか。
すると同音の大食津比売大神も、月の神ではないかと思える。
③高野御子大神は太陽にすむ月の神?
高野御子大神は太陽にすむ月の神ではないかと思う。
その理由を述べる。
『今昔物語集』によれば、
高野御子神(狩場明神)が空海を大和国宇智郡から紀伊国境まで道案内し、 丹生都比売神(丹生明神)の化身である山民が空海を高野山に導いたとある。
高野御子神は、空海を道案内する神なのだが これは記紀にある神武天皇に熊野の道案内をした八咫烏の話に似ている。
烏のプロポーションや爪は三日月の形をしていて、月の神だと思われる。
※爪の写真はこちらを参照してください。
https://blog.goo.ne.jp/romeo135bb/e/9c5e64f8d731d476d5d14cf3bb0ae1a6
鷹の爪もまた、三日月の形をしている。嘴も三日月形だ。
ハリスホーク(鷹の一種)↑ ↓
鷹も八咫烏と同じく、月の神だろう。
八咫烏は月の神だと私は思うが、太陽の中に描かれる。
上の絵は中国の神、伏羲と女媧を描いたものである。
男神・伏羲は手に直角定規をもち、女神・女媧は手にコンパスをもっている。
古代中国では天円地方といい、天は円く、地は方形であると考えられていた。
直角定規は方形を、コンパスは円を描く道具である。
そして陰陽の関係はつぎのようになっている。
陽・・・・・・天(コンパス)・・・・男
陰・・・・・・地 (直角定規)・・・・女
すると、伏羲が地をあらわす直角定規を、女媧が天をあらわすコンパスをもっているが、逆ではないかと思える。
これは、記紀神話のスサノオと天照大神の誓約の子産みの話を照らし合わせて考えることができるかもしれない。
スサノオは『誓約(うけい)の子産み』をしようと言った。
まず天照大神がスサノオの物実である十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕き、ふっと吹き出した息の霧から三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。
次にスサノオが天照大神の物実である『八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠』を噛み砕き、ふっと吹き出した息の霧から 五柱の男神(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命)が生まれた。
スサノオの十拳剣からうまれた三柱の女神はスサノオの子、天照大神のみすまるの珠からうまれた五柱の男神は天照大神の子とされた。
天照大神はスサノオの十拳剣を、スサノオは天照大神の八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠をかみ砕いている。
伏羲が直角定規を、女媧がコンパスをもっているのはこれと同様で、
お互いの物実〈もの事の元になるもののこと)を手に持つのは、男女のちぎりをかわすことを表しているのではないだろうか。
(スサノオと天照大神は「誓約の子産み」をしている。と言うことは、スサノオと天照大神は男女の契りをかわしたということだ。)
そして八咫烏は太陽に、月にはヒキガエルが住むといわれるが カラスの爪は三日月型、ヒキガエルの「ヒキ」を漢字で書くと「蟇」だが、「蟇」から虫を除いた「莫」という字は、
草原に太陽が沈む様子をあらわしているので 八咫烏は月、ヒキガエルは太陽と考えられる。
太陽の中に住んでいる八咫烏は復活した月の神、月の中に住んでいるヒキガエルは復活した太陽の神と考えるのが
筋が通った考え方の様に思える。
そして高野御子神はこの八咫烏のイメージと重ねられているのではないか?
④高野は鷹の?
私の知り合いに鷹野と書いて「たかの」と読む名字の人がいる。 高野御子神は鷹なのではないか?
『丹生祝氏本系帳』には、丹生氏がもと狩人で神の贄のため二頭の犬を連れて狩りをしたという伝承があるが 鷹狩には犬を用いていたようである。
(左)「御鷹方諸事控帳」(16.45-77③) 鷹狩とは、鷹場にいる鳥を犬がはやしたてて、飛び立った鳥を鷹が捕まえるというものでした。 そのため、鷹狩では犬も重要な役割を担っていたといえます。 この史料から、犬の餌の内容がわかります(享保9年当時)。金沢・江戸にいる犬ともに、餌は1日で米5合でした。 江戸の鷹犬はこれに加え1ヶ月約6本の鰹節が与えられていました。
これは江戸時代の鷹狩りについて記したものだが、もっと古い時代にも同様に行われていたのではないだろうか。
⑤隼人はなぜ犬の鳴きまねをしていたのか?
古代、九州南部に昔、隼人と呼ばれる人々が住んでいた。 彼らは畿内に強制移住させられて宮中の警護をさせられていたが、その際、犬の鳴きまねをしていたという。
鷹狩には隼を用いることもあった。 隼人と言われる人々が犬の鳴きまねをして警護を指せらえていたのは、彼らが鷹狩をする民族であり、その際、犬を用いていたからではないだろうか。
話を元に戻そう。 高野御子神とは鷹の御子神を意味し、狩場明神と言う別名は、鷹狩からくるのではないか。 そして、八咫烏と同様の伝説を持つ高野(鷹の)御子神もまた復活した月の神と考えられるのではないか、ということである。
⑤高野御子神は水銀の神でもある。
高野御子神は水銀の神でもあるだろう。 丹生都比賣神社の丹とは水銀のことであり、
上の記事でのべたように、正月に見ると縁起がいい夢の「二鷹」とは植物の鷹の爪((実)であり、その赤い色は辰砂の赤色を、実が鈴なりになっているのは坑道を表しているのではないかと思う。
実際、高野山には水銀の鉱脈があるとされ、それゆえ空海は高野山を欲したのではないかとする説もある。
鷹の爪
⑥蟻通神は、「有りと星」神?
『延喜式』神名帳(927年成立)の記載では祭神は1座。その後に上記2座になり、平安時代末頃からは4座になったと見られている[11]。仁平元年(1151年)の文書に「第三神宮」の記載があるほか[11]、正応6年(1293年)には天野四所明神の「三大神号蟻通神」の神託が見え、第三殿に「蟻通神」が祀られていたことがわかる[11]。祭神の増加に関して、『高野春秋』によれば承元2年(1208年)10月に北条政子の援助で行勝上人と天野祝により、気比神宮の大食比売大神[注 2]、厳島神社の市杵島比売大神が勧請されたという[11]。年代は史料間で食い違うものの、現在の祭神はこれに基づいている。
上記ウィキペディアの記事をまとめる。
『延喜式』神名帳(927年)・・・・・祭神は1座・・・丹生都比売大神 その後に上記2座になる・・・・・・・祭神は2座・・・丹生都比売大神 高野御子神 平安時代末頃か・・・・・・・・・・・祭神は4座・・・丹生都比売大神 高野御子神 蟻通神(第三殿)?(第4殿) 1208年・・・・・・・・・・・・・・・気比神宮の大食比売大神、厳島神社の市杵島比売大神が勧請された。
平安末期ごろ、祭神が4柱になったというが、第4殿の祭神がわからない。 第3殿には蟻通神が祀られたという。
和歌山県かつらぎ市に蟻通神社があり御祭神は思兼命となっている。
大阪府泉佐野市の蟻通神社は大国主をまつっている。 創建年はどちらが古いかわからない。
泉佐野の蟻通神社には紀貫之に関する伝説が伝えられている。
貫之は蟻通神社神域と気がつかず、騎乗したまま境内に乗り込んだところ、馬が倒れてしまい 「かきくもり あやめもしらぬ おほそらに ありとほしをば おもふべしやは」と歌を詠んだ。
「曇って分別のつかない大空に、蟻通明神が鎮座されているとは思えなかった」というような意味とされるが 蟻通は「有りと星」で、「星があるとは思えなかった」という意味をかけると考えられている。
蟻通神社は星の神と考えられるかもしれない。
⑦丹生都比売大神は水銀の神?
丹とは水銀のことなので、丹生都比売大神は水銀の神だと思う。
奈良・東大寺二月堂の修二会、お松明の行事に関係するこんな伝説が伝えられている。
若狭彦神社の遠敷明神(おにゅうみょうじん)は漁に出かけていて、修二会に遅刻した。
遠敷明神がそのお詫びに閼伽水を送ることを約束すると、二月堂の下の岩が割れ、白黒二羽の鵜とともに清水が湧き出した。
遠敷(おにゅう)や二羽の鵜とは丹生(ニュウ。丹とは水銀のこと)の意味ではないかといわれ 二月堂のお松明の行事は、大仏に鍍金をほどこす様を再現したものではないかという説がある。
東大寺の大仏建立の際、大仏に金アマルガム(金に水銀をまぜて溶かしたもの)を塗り、水銀を加熱して蒸発させることで鍍金(金メッキ)をほどこしたといわれているのだ。
お松明の火の粉は星のようにみえるところから、水銀の神は星の神に転じたのかもしれない。
⑧市杵島比売大神は星の神
市杵島比売大神は宗像三女神の一である。 宗像三女神を祀る宗像大社の、沖津宮(沖ノ島)、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮(総社)配置はオリオン座の三ツ星の配置になっているとする説がある。
とすれば、市杵島比売大神は星の神ということになりそうである。
丹生都比売大神・・・星の神 水銀の神
高野御子大神・・・・月の神 水銀の神 大食津比売大神・・・月の神 市杵島比売大神・・・星の神
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①「一富士・二鷹・三茄子」は鉱物の隠語?
初夢で見ると縁起がいいとされる「一富士・二鷹・三茄子」の富士・鷹・茄子とは鉱山の隠語ではないかと私は考えている。
その理由を述べる。
❶栃木県那須町の近くには足尾銅山がある。 愛媛県新居浜市のなすび平の近くには銅山川が流れ、別子銅山がある。
銅は茄子色をしている。そして茄子が鈴なりになっている状態を坑道に見立てたのではないか。
❷延暦寺には『なすび婆』の伝説が伝えられている。 昔宮中に仕えていた女が人を殺して地獄に堕ちた。
しかし仏の慈悲によって心は比叡山に住むことが許された。
織田信長の比叡山焼き討ちのとき、なすび婆は大講堂鐘楼の鐘をついて人々にこれを知らせた。
なすび婆とは比叡山大講堂鐘楼の鐘を擬人化したものではないか。
❸鷹は鷹の爪ではないか。
鷹の爪の赤い色は水銀を、また鷹の爪の実が鈴なりになるようすを坑道に見立てたのではないか。
❹富士は不死の意味で、輝きを失わない金を意味しているのではないか。
富士はまた藤をも意味し、藤の花が房になって咲くようすが坑道に喩えられたのではないか。
白毫寺
⓶「一富士・二鷹・三茄子」には続きがある。
「一富士・二鷹・三茄子」には続きがある。 「四扇・五煙草・六座頭」とも「四葬式、五雪隠」「四葬礼・五糞」「四葬式、五火事」と言ったりするそうだ。
③四扇・五煙草・六座頭も鉱山の隠語?
「四扇・五煙草・六座頭」も「一富士・二鷹・三茄子」と同様、鉱山に関する隠語だと私は考えている。
●扇は露天掘跡?
生野銀山 露天掘跡
上の写真は兵庫県生野銀山の露天掘の跡 (慶寿ひ)である。 鉱物が地表近くにある場合、坑道を作らずに地表から地下をめがけて掘っていくこともあり、これを露天堀といった。
露天掘の跡は様々な形があるのだろうが、生野銀山の露天堀跡は扇状になっている。
生野銀山
上記サイトの和銅採掘露天掘跡もやや縦長ですが扇の形に見える。
●煙草は口にくわえた松明?
残念ながら、今探してみても見つからないが、日本の鉱山で働く人々が口に松明をくわえている絵をネット上で見た記憶がある。 江戸時代の絵のように思えた。
鉱山で働く人が、口に松明をくわえているのは、作業に両手が使えるようにするためではないだろうか。 日の光が届かない坑道の中は真っ暗だっただろう。 松明は灯りとして口にくわえていたのではないだろうか。 あるいは、空気の存在を確認するためとも考えられる。
生野銀山
●煙草を吸う鉱山の神・ティオ
ボリビア・ポトシ鉱山の坑道にはティオという神様の像が祀られていて、煙草をお供えする習慣がある。
なぜ煙草なのかというと、鉱山で働く人々は口に松明をくわえるので、それを煙草に見立てたのではないだろうか。
でしょうか。
ティオの写真はこちら↓
●大子町にあるタバッコ峠
茨城県大子町にはタバッコ峠という地名があり、空海が峠を超えるときに煙草を吸ったところからタバッコ峠となったという伝説が残されている。
煙草が日本に伝えられたのは1601年なので空海が煙草をたしなんだということはないだろう。
大子町には栃原金山などの金山もある。
奈良時代、大子町で砂金が発見されている。
安土桃山時代から江戸時代にかけては常陸佐竹氏によって金山開発が行われた土地だった。
大子町は古くから鉱山があったので、鉱夫たちが口にくわえた松明をタバコ(煙草)と呼び、そこからタバッコ峠となったのではないかと想像する。
●六座頭は暗闇で働く坑夫を意味する?
座頭とは江戸時代の盲人の階級のひとつである。 今観光施設となっている坑道などでは照明がついているが、昔の坑道には照明などなく真っ暗だったことだろう。
そのため口に松明をくわえて作業したのではないかと想像するのだが、暗いと物がよく見えない。ませんね。 座頭とは坑夫の隠語ではないかと思ったりする。
●盲目はたたらの職業病
またたたら場で働く人々は片目をつぶって火の温度を見るため、片目を失明することが多かったという。
それを座頭と言っているのかもしれない。
④「四葬式、五雪隠」「四葬礼・五糞」「四葬式、五火事」は?
正月の初夢で縁起がいいものが、葬式(葬礼)・雪隠(トイレのこと。糞は同じ意味だろう)・火事というのは、おもしろい。 この葬式・トイレ・火事も鉱山に関わるもののような気がする。
葬式の際、土を掘って穴に遺体をおさめる。これは穴を掘ってその中にはいる鉱夫のイメージではないだろうか。
トイレは現在は水洗が主流だが、汲み取り式トイレは穴の中に排泄する。これも鉱山のイメージだ。
浦安郷土博物館 汲み取り式トイレ(展示物)
火事は、たたら吹きや鋳造のようすを比喩的に表現したものだと思う。
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①なぜ太陽の中に月の神・八咫烏が、月の中に太陽の神・ウサギ、ヒキガエルが住んでいるのか?
八咫烏は月の神、ヒキガエルは太陽の神、ウサギは陰陽を和合させる神ではないかと述べた。
カラスの爪とプロポーションは三日月の形をしており、
※爪の写真はこちらを参照してください。
ヒキガエルは太陽のような丸い形をしている。
ヒキガエルの「ヒキ」を漢字で書くと「蟇」だが、「蟇」から虫を除いた「莫」という字は、
草原に太陽が沈む様子または日暮れを意味するのだという。
とすると、ヒキガエルは太陽は太陽でも、昇る太陽ではなく、沈む太陽をあらわしているように思える。
沈む太陽は、冬至にむかって勢いの衰えていく太陽の比喩であるとも考えられると思う。
ウサギは太陽のような丸い体と三日月のような耳をもっている。 ウサギは月で餅つきをしていると考えられるが、杵破は男性(陽)のシンボル、臼は女性(陰)のシンボルだともいわれる。 ウサギは陰陽を和合させる神ではないか。 陰陽を和合させる神は、男(陽)女(陰)を和合させる神、太陽(陽)と月(陰)を和合させる神だともいえる。
そのように考えると、疑問が生じる。
中国では太陽の中には八咫烏(月)が、月にはヒキガエル(太陽)が住んでいるといわれる。 なぜ太陽の中に月の神・八咫烏が住んでいるのか? なぜ月の中に太陽の神・ウサギ、ヒキガエルが住んでいるのか?
熊野本宮大社 向かって左の旗に八咫烏が描かれている。
⓶男神・伏羲が地をあらわす直角定規を、女神・女媧が天をあらわすコンパスをもっているのはなぜ?
上は中国の神、伏羲と女媧を描いたものである。 男神・伏羲は手に直角定規をもち、女神・女媧は手にコンパスをもっている。 これは陰陽思想で考えると、一見変なことの様に思える。
古代中国では天円地方といい、天は円く、地は方形であると考えられていた。 直角定規は方形を、コンパスは円を描く道具である。
そして陰陽の関係はつぎのようになっている。
陽・・・・・・天(コンパス)・・・・男 陰・・・・・・地 (直角定規) ・・・・女
つまり陰陽でいえば、男神である伏羲は天をあらわすコンパスを、 女神である女媧は地を表す直角定規を持っていてしかるべきと思われるのに、逆になっているのだ。
これはなぜなのだろうか。
③パートナーの物実〈もの事の元になるもののこと)を手に持つのは、男女の契りをかわすことを表している?
記紀神話に「誓約の子産み」という物語がある。
高天原にやってきたスサノオを、天照大神は「高天原を奪いにきたのではないか」と疑った。
そこでスサノオは疑いをはらすために『誓約(うけい)の子産み』をしようと言った。
まず天照大神がスサノオの物実である十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕き、ふっと吹き出した息の霧から三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。
次にスサノオが天照大神の物実である『八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠』を噛み砕き、ふっと吹き出した息の霧から 五柱の男神(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命)が生まれた。
スサノオの十拳剣からうまれた三柱の女神はスサノオの子、天照大神のみすまるの珠からうまれた五柱の男神は天照大神の子とされた。
スサノオは「私の心に邪心がないので、私の産んだ子は女神だったのです。」といった。
天照大神はスサノオの十拳剣を、スサノオは天照大神の八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠をかみ砕いている。 伏羲が直角定規を、女媧がコンパスをもっているのはこれと同様で、 お互いの物実〈もの事の元になるもののこと)を手に持つのは、男女のちぎりをかわすことを表しているのではないだろうか。 (スサノオと天照大神は「誓約の子産み」をしている。と言うことは、スサノオと天照大神は男女の契りをかわしたということだ。)
すると太陽と月は契りをかわした結果、太陽の中には月神である八咫烏が、月の中には太陽神であるヒキガエルがいるのではないか考えることができる。
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①ウサギは陰陽和合した動物?
前回、「何故、太陽に住む八咫烏が月の神なのかについて、次回、説明したいと思う。」と書いたが、 もう少し、月の中に住むウサギとヒキガエルの話をしようと思う。
八咫烏は月の神、ウサギ・ヒキガエルは太陽の神ではないかと述べた。
カラスの爪とプロポーションは三日月の形をしており、
カラス
※爪の写真はこちらを参照してください。
ウサギとヒキガエルは丸い形をしているからだ。
ヒキガエル
ヒキガエルの「ヒキ」を漢字で書くと「蟇」だが、「蟇」から虫を除いた「莫」という字は、
草原に太陽が沈む様子または日暮れを意味するのだという。
ヒキガエルは沈みゆく太陽のイメージがある。
日本では月にウサギがすむといわれているが、現在の中国では月にはヒキガエルがすむと考えられているようである。
しかし、かつて中国にも月にウサギがすむという信仰があったと思われる。
このことは、前回ご紹介した、次の記事からもわかる。
❿楚とその先行文明を色濃く残した地・湖南省長沙市の漢代の馬王堆(まおうたい)遺跡の帛画(はくが:絹衣に描かれた絵)には、扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にウサギが描かれている。
月にはウサギより大きくヒキガエルが描かれ、カラスは二本足。
陰陽道の宇宙観では、東を太陽の定位置、西を月の定位置、中央を星とする。
中国の西方にあるという崑崙山は月、崑崙山にすむ西王母は月そのもの、もしくは月に住む女神と考えられる。
すると西王母に従っているウサギは、太陽神ではなく、月に住む太陽の神のように思える。
もう一度、ウサギの写真を見てみよう。
確かにウサギがまるまったプロポーションは丸く太陽を表しているかのようである。 しかしヒキガエルと大きく異なる点がある。長い耳である。
このウサギの長い耳は三日月に似ているようにも思われる。
しかし、ウサギの丸い体は太陽の神のようであり、耳は月神のようである。
ウサギは太陽神であり、かつ月の神でもあるのかもしれない。
⓶ウサギの餅つきは陰陽和合をあらわす?
月でウサギは餅つきをしているといわれるが、なぜウサギは餅つきをしているのだろう?
一説によると、餅をつく杵は男性のシンボル、臼は女性のシンボルであり、餅つきは男女和合をあらわすのだという。 太陽のように丸い体と、三日月のような耳を持つウサギは、陰(女・月)陽(男・太陽)和合した動物だと考えられたため 餅をついているのではないか。
❾兎は上下対称で中央部を持って搗く杵(きね)で、餅ではなく不死の薬草を煎じる。
とあるが、臼と杵を用いて薬草を煎じているのであれば、それもまた陰陽和合を意味していると考えてよいだろう。
③八咫烏と八咫ヒキガエル
❿楚とその先行文明を色濃く残した地・湖南省長沙市の漢代の馬王堆(まおうたい)遺跡の帛画(はくが:絹衣に描かれた絵)には、扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にウサギが描かれている。
月にはウサギより大きくヒキガエルが描かれ、カラスは二本足。
ここに「ウサギより大きくヒキガエルが描かれ」とあるのに注意したい。
八咫烏の咫とは大きさの単位で、八は「大きい」と言う意味なので、八咫烏は大きなカラスという意味だとされる。 ウサギより大きく描かれたヒキガエルは、大きなヒキガエルで、八咫ヒキガエルといえるだろうか。
八咫烏いて、(月の神)と八咫ヒキガエル(太陽神)がいて、ウサギが月の神と太陽の神を和合させているということなのかもしれない。
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よりつづきます~
大きな構想があって記事を書き始めましたが、記事を書き進めるために細かい点を調べると 今まで知らなかったことや、新しい気づきによって構想に矛盾が生じてしまいまして 四苦八苦して、考えをまとめつつ記事を書いています。 そのため、記事を書き直したり、書き足したりして、迷惑をおかけしております。申し訳ありません。 ですが、経験上、このような頭の混乱をすっきりまとめると、筋の通る考え方になることが多いと思っているので 楽しんで続きを書いていきたいと思っています。 読んでくださる方にはご迷惑をおかけすることになりますが、よろしくお願いします。
①カラスのプロポーションは三日月型、ヒキガエル・ウサギは丸型。
私は長らく、八咫烏は太陽神だと考えていた。 中国や朝鮮では、八咫烏は太陽の中に描かれることが多いからだ。
陰陽思想で考えても、八咫烏を太陽神と考えるのは理に適っているように思える。
陽・・・・天・・・太陽・・・男・・・奇数(八咫烏は三本脚)・・・・・・・鳥(天高く飛ぶ)
陰・・・・地・・・・月・・・女・・・偶数(兎・ヒキガエルは四本脚)・・・兎 ヒキガエル(大地をはねる)
しかし、記事を書いているうちに八咫烏は月の神ではないかと思えてきた。
上は、羽田空港に展示されていた千住 博さんの「mooon」という作品で、説明板には次のように記されていた。
「大古の昔、月の形に似た角を持つ牛は天体の運行を司る使者として、人々から崇められてきた。」
どうやら、動物のある部分が何かに似ていれば、その何かの神とする信仰があったようである。
上の写真は月の輪熊だが、胸に三日月型の斑がある。
また、熊の爪も三日月の形をしている。
そして、烏の爪もまた三日月の形なのだ。烏の爪については下記リンク先を参照してほしい。
また、鳥のプロポーションも三日月に似ている。
一方、ヒキガエルは全体に丸い形をしていて、三日月には見えないと思うが、どうだろうか。 ぴょんとはねると三日月型にみえることもあるだろうか。
月の中には、ヒキガエルのほか、うさぎがすむともいわれる。
ウサギも体を伸ばした状態では長いが、上の写真のように丸くなっていることが多い。
ヒキガエルやウサギの丸い形は太陽っぽいと思うが、どうだろう?
⓶兎の毛の生え代わりを、ヒキガエルに喩えた?
次のような伝説があるのだった。
⓫十個の太陽の父は天。天はゲイに太陽を懲らしめよと命じただけだったのに、ゲイは射殺したので
ゲイとその妻・嫦娥(じょうが)は天界を追放された。
ゲイと嫦娥は崑崙山に西王母を訪ね、ウサギが煎じた不死の妙薬をもらった。
嫦娥はその仙薬を一人で飲み、仙界の月に嫦娥は昇ったが、嫦娥の姿は月で蟾蜍(せんじょ:ヒキガエル)に変わってしまった。
西王母とは月の女神だろう。 なぜならば、陰陽の宇宙観では「東は太陽の定位置、西をは月の定位置、中央は星」としているからだ。 崑崙山とは中国の西方にあると考えらた玉を産する想像上の山のことであり、黄河は崑崙山に源を発するとされた。 その西の山に住む西王母とは月に住む女神、あるいは月そのものの女神の様に思われる。 そして、西王母に従うウサギは、月の女神・西王母の神使と考えられる。
日本では月には兎が住むと考えられているが、もともと月には兎が住んでいたが、ウサギがヒキガエルに変わったという話の様に思える。
ここで、白くて目の赤いウサギをおもいうかべるのは、まちがっていると思う。 目の赤いウサギはハクショク種やヒマラヤン種だけだという。 たぶん、この神話に登場するウサギは目の黒い野ウサギだろう。
ウサギは、秋に毛が抜け、冬毛に生え変わるそうだ。 上のサイトに生え変わり途中のウサギの写真が掲載されている。 夏毛と冬毛が入り混じり、毛並みがでこぼこしている。 この毛並みがでこぼこした状態を、「ウサギがヒキガエルに変わった」と表現したのではないか。
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※ 「太陽の木 と 月の木⑭ 八咫烏は復活した太陽神? 」は削除して、あたらしく記事を書きなおしました。 ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
①「八咫烏、ウサギ、ヒキガエル」について考察した記事
中国では太陽には八咫烏、月にはウサギ・ヒキガエルがすむといわれる。 「八咫烏、ウサギ、ヒキガエル」について考察した記事がネットにあった。
をまとめる。
❶長江流域の古代王国群から、青銅製の高さ四mの巨大神樹も発見された。
九つの枝を持ち、カラスを載せる扶桑(ふそう)。仏教でいうところの須弥山。
もともとは天辺に十本目の大枝(幹)があったが、欠損している。
カラスは十の太陽を運ぶ鳥、またはそこに棲む鳥とされる。
上賀茂神社
❷中国王朝のシンボルは龍と鳳凰だが、鳳凰は南方人(非中国人・苗族)のシンボル。
❸鳳凰はシンボル「鳥」のバリエーション。
❹堯の時代、順に出ていた十の太陽が一度に空に上がり、大旱魃となった。
ゲイはこれを射落として太陽を一つにした。このとき、太陽の破片と一緒に三本足のカラスが墜ちてきた。
❺太陽がかつて十あったという神話は殷王朝も共有していた。
❻日本でもこの神話をベースにした迎年の射日神事が行われている。
❼熊野と「金烏」(きんう:三本足のカラスであり太陽のこと)の縁は深い。
太陽樹・扶桑のある所を湯谷(ようこく)と言うが、不思議なことにわが国の能の一つに「湯谷」(ゆや)というものがあり、これは「熊野」とも書き、これで「ゆや」と読む。
❽西方の仙界・崑崙山(こんろんさん)に棲む西王母に兎がしたがっている。
地主神社 大国主と兎
❾兎は上下対称で中央部を持って搗く杵(きね)で、餅ではなく不死の薬草を煎じる。
❿楚とその先行文明を色濃く残した地・湖南省長沙市の漢代の馬王堆(まおうたい)遺跡の帛画(はくが:絹衣に描かれた絵)には、扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にウサギが描かれている。
月には(うさぎ)より大きくヒキガエルが描かれ、カラスは二本足。
ヒキガエル
⓫十個の太陽の父は天。天はゲイに太陽を懲らしめよと命じただけだったのに、ゲイは射殺したので
ゲイとその妻・嫦娥(じょうが)は天界を追放された。
ゲイと嫦娥は崑崙山に西王母を訪ね、ウサギが煎じた不死の妙薬をもらった。
嫦娥はその仙薬を一人で飲み、仙界の月に嫦娥は昇ったが、嫦娥の姿は月で蟾蜍(せんじょ:ヒキガエル)に変わってしまった。
⓬月の満ち欠けに通ずる再生信仰があったため、ウサギが不死の薬をつくという神話ができたのだろう。
⓭カラスの足の本数は、奇数が陽の数字だからだろう。
⓮法隆寺の玉虫厨子・台座の背後には、宇宙樹としての須弥山、その上方左右に太陽・月が描かれている。 太陽の中には翼を広げた八咫烏が描かれている。月にはウサギとヒキガエルが描かれている。
よりお借りしました。
⓯江戸末期まで、朝廷のハレの儀式には日月を表す幟(のぼり)が必ず引き出されていた。
それらの幟の頂上の飾り物には、金烏と玉兎(ウサギとヒキガエル)が描かれていた。
天皇の礼衣の左右両肩にも金烏と玉兎が刺繍されていた。
⓰英語の「ルナテック」は「気が狂った」という意味で、狼男は満月の晩に変身するが、月の魔力の大きさを示すのだろう。 その理由は、月の満ち欠けと、潮の満ち干や女性の月経との相関関係は承知されていたと思われるため。
⓱キリスト教は自然的・肉体的なものを排除しようとする、はなはだ人為的・精神的なもの、つまりは人格神=人間的な秩序を重んずる宗教
⓲トルコの国旗は赤地に白い三日月と星。太陽つまり「昼」を採っている日本国旗とは正反対。
イスラム諸国の昼を作り出す太陽は嫌われ、それが和らぐ夜に冷たく輝く月と星こそが安らぎと幸福の象徴。 それゆえイスラム暦は太陰暦。
⓶記事の納得できない点
この記事はたいへんおもしろくのだが、後半にいくつか納得できないところがある。
⓱狼男は満月の晩に変身するが、月の魔力の大きさを示すのだろう。その理由は、月の満ち欠けと、潮の満ち干や女性の月経との相関関係は承知されていたと思われるため。
と書いておられるが、日本では太陽神は女神となっていて、月の神ではない。 狼男が満月の晩に返信するのがおかしいのであれば、日本の太陽神が女神であるのもおかしいといわなければならない。
⓲では⓱をうけて、
「キリスト教は自然的・肉体的なものを排除しようとする」とおっしゃっているが、キリスト教は自然を比喩したと考えられるふしがある。
「キリスト」は太陽神
「キリストが十字架にかけられる」は「太陽の南中高度が南十字星の位置に近づく(古代ローマでは南十字星がみえていた)」こと 「死んだキリストが3日後に復活する」とは「冬至の衰えた太陽が復活する」ことの喩えだとする説があるのだ。
⓳トルコの国旗は赤地に白い三日月と星。太陽つまり「昼」を採っている日本国旗とは正反対。
イスラム諸国の昼を作り出す太陽は嫌われ、それが和らぐ夜に冷たく輝く月と星こそが安らぎと幸福の象徴。
それゆえイスラム暦は太陰暦。
とあるが、西にあるイスラム諸国が月や星を国旗にし、東にある日本が太陽を国旗にしているのは、陰陽の宇宙観によるものだとも考えられる。
陰陽道の宇宙観では、東を太陽の定位置、西を月の定位置、中央を星と考える。
太陽が嫌われているからイスラム暦は太陰暦と書いておられるが、太陽を好む日本の暦も長らく太陰暦がつかわれていた。
③ゲイは月の弓で太陽を射た。
後半は同意できないものの、この記事は大変参考になる記事だった。
❺堯の時代、順に出ていた十の太陽が一度に空に上がり、大旱魃となった。
ゲイはこれを射落として太陽を一つにした。このとき、太陽の破片と一緒に三本足のカラスが墜ちてきた。
ここに「射落とした」とあり、ゲイは弓で太陽を射たことがわかる。
弓月とは三日月のことだろう。
ゲイは月を用いて太陽を射たのだろう。
ギリシャ神話の月の女神・アルテミスが狩の女神でもあるのも、三日月の形が弓の形に似ているからだと思う。
もしかするとゲイも男神だが月の神なのかもしれない。
ゲイの妻・嫦娥(じょうが)が兎で、ゲイはヒキガエルだろうか?
つまり、ゲイは不死の薬を飲んで醜くなった嫦娥の姿ではないか、ということである。
(すいません、↑ この部分削除します。)
④八咫烏は天高くとび、うさぎとヒキガエルは地上をはねる。ヒキガエルは冬眠する。
⓫十個の太陽の父は天。天はゲイに太陽を懲らしめよと命じただけだったのに、ゲイは射殺したので
ゲイとその妻・嫦娥(じょうが)は天界を追放された。
ゲイと嫦娥は崑崙山に西王母を訪ね、ウサギが煎じた不死の妙薬をもらった。
嫦娥はその仙薬を一人で飲み、仙界の月に嫦娥は昇ったが、嫦娥の姿は月で蟾蜍(せんじょ:ヒキガエル)に変わってしまった。
何故太陽には八咫烏、月には兎またはヒキガエルなのか。
これは陰陽思想によるものかもしれない。
天 地を陰陽で言うと、天が陽、地が陰。
天体を陰陽で言うと、太陽が陽、月が陰である。
性別を陰陽で言うと、男が陽、 女が陰。
数字を陰陽で言うと、奇数が陽、偶数が陰。
陽・・・・天・・・太陽・・・男・・・奇数(八咫烏は三本脚)
陰・・・・地・・・・月・・・女・・・偶数(兎・ヒキガエルは四本脚)
この陰陽の天地について考えてみると、鳥は天高く飛び、兎やヒキガエルは地上をはねる。
陽・・・・天・・・太陽・・・男・・・奇数(八咫烏は三本脚)・・・・・・・鳥(天高く飛ぶ)
陰・・・・地・・・・月・・・女・・・偶数(兎・ヒキガエルは四本脚)・・・兎 ヒキガエル(大地をはねる)
さらにヒキガエルは冬眠のため、冬場には土に潜る。 ヒキガエルは地上をはねる神から、地下の神、冥界の神に転じたのではないだろうか。
このように見ていくと、八咫烏は太陽神、兎とヒキガエルは月神のように思えてくるが、そうではないと思う。 ↑ こちらの記事で、私は胸に三日月型の斑、三日月型の爪を持つ、月の輪熊は月の神ではないかと書いた。 そして、カラスの爪もまた、三日月型をしているからだ。
何故、太陽に住む八咫烏が月の神なのか? それについては次回、説明したいと思う。
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①熊手八幡宮hpまとめ
丹生酒殿神社摂社・鎌八幡宮、兄井の鎌八幡宮の元社ともいえる、香川県の熊手八幡宮のhpの記事については 過去にすでに部分的にご紹介したが 改めて目を通しておこう。
❶海岸寺の東700mほどの処に、空海の産土神社(生まれた土地を司る神)・熊手八幡宮がある。
❷空海の母、玉依御前のお屋敷が近所にあり、ここに安産祈願をした。
❸江戸時代、紀州藩の儒者・仁井田好古によって編された「紀伊続風土記」の記述 「人皇四十九代光仁天皇 宝亀五年六月十五日 弘法大師(空海)讃州屏風浦に御誕生あり。 日本の風俗に随ひ白方村の八幡宮を氏神と崇め給ひ、延暦廿三年入唐の砌深く大菩薩に祈誓ましまし云々」
❹弘仁十年(819)、空海が社殿を造営し、ご神体八体と釈迦尊像一体を刻み安鎮、嵯峨天皇の勅額を賜って鳥居にかかげた。ここに供僧坊舎四十八宇、宮仕えの巫女数十人が置かれた。
❺神功皇后が三韓征伐の帰途、風浪の難を避けて上陸されたという伝承に因む古社。 皇后は長鉤(熊手)と旗竿を土地の者に与えて、従者の渡辺一族の遠祖にこの地に留まって祭祀するよう申し付けた。
❻欽明天皇の頃、応神天皇(誉田別尊)を主祭神とする八幡宮が全国的に祭られるようになり、白方でも神功皇后(応神天皇の母)ゆかりの地であることから熊手八幡宮、もしくは白方八幡宮として祭られることになった。
❼空海は生前、八幡大菩薩と対面して、お互いの姿を写し合ったとする伝承がある。 八幡神は、「わたしとあなたはもと同一体であり、上人の居る所へは必ず影と形のごとく追い随うつもりである」といった。
❽空海が高野山の奥の院に入定すると、白方の八幡神は生前の約束を果たすため、ご神体である熊手と旗竿を白龍と化し、高野山へ向けて飛ばしたところ、ご神体は高野山の管内の伊都郡兄井村の松樹に掛かった。 ご神体は葛城の峰まで光を放った。
❾同郡大畑村の鬼五郎、次郎は、諏訪次郎右エ門へも相談して、これを高野山に報告した。 高野山はこのご神体を奉迎し、丁重にお祀りした。
❿高野山では、行人方の各院が持ち回りでご神体の祭祀を行った。(巡寺八幡宮) 萬治二(1659)年の記録では約六十ヶ院が参加していた。 担当の院では半年ほどの間、「梵焼供養一千座、尊法供養一千座、三時長日之修法不断之明燈」のように丁重に扱った。
⓫現在では、有志八幡講として十八ヶ院が二ヶ月毎に巡寺しているが、非公開の祭事で詳細は知られていない。
⓬明治二年(1869)の神仏分離令の際、同山から兄井村の諏訪神社へ仮殿を建てて遷座した。 その後、近隣の小社が合祀され、熊手八幡は三谷の丹生酒殿神社へ移さた。 ご神体の熊手があまりに長いため、社殿内に入れることができず、軒に掛けられていた。 さわると、しびれたり、火花が散ったりしたため、先端部は鉄製だったが、木製の柄を短く切って納めた。 ところが、台風で大木が倒れ社殿と熊手を納めた木箱が壊れた。
⓭その後、建て直された。(現在三つある社のうち左手の少し横長い社)社前に紀伊続風土記の碑が建てられている。
⓮同地では、紀伊続風土記の記述とは異なる伝承を伝える。 それによれば、凱旋された神功皇后が紀ノ川をさかのぼって兄井まで来られ、ここで熊手を川に沈めて奉納した。 のちに、大畑村の庄屋が朝日の昇るたび川が光るのを見つけ、川をさらったところ九尺もある熊手が見つかった。 これをお祀りしたのが兄井の熊手八幡宮で、空海が高野山を開かれる時、ご自身の産土神が八幡神であることからご神体を山上に持っていった。
⓯神功皇后が旗を掛けたとされる松が「旗掛け松」として戦前まで残っていた。
⓰兄井と三谷に祀られている熊手八幡宮は、現在は鎌八幡宮として知られる。 その由来について。 草刈をしていた宮司さんが一休みしようとそばにあったイチイの木に鎌を打ち付けて、そのまま一晩忘れていた。 翌日、鎌を抜こうとしたところが、かなり深くめり込んでいて抜けなかった。 八幡神がこの木に乗り移られたのだろうということになり、願い事がある者は鎌を打ち付けるという奇風が始まった。 願い事がかなう場合はどんどんめり込んでいくが、かなわない願い事は鎌が押し出される。
⓱江戸時代の兄井には、奉納用の鎌を売る店が崇敬あった。 紀伊続風土記には絵がある。
⓲萬治二年七月二十一日のこと、往生院谷の本願院に鎮座された翌日の御旗懸法会の後、下総の正福寺から留学の客僧が荘厳を拝することを欲してひそかに神前に入った。 僧は神宝の矢を取り、「たとえ神物でも多勢には敵わないだろう。神力など怪しいものだ」といった。 その晩、神人が僧の前に現れ、こういった。 「吾はこの神の使いなり。汝みだりに神徳を軽んじ、霊器を汚す。いま現に一箭の弓勢を知らしめん」
神人は僧にむかって弓を引いてきしぼったので、僧は叫び声をあげて気絶した。 僧が気が付くと、僧の袖を貫いて一尺五寸ほどの矢が席に突き刺さっていた。 僧はこの矢を持ち帰り社をたてて新八幡と称して祀った。
⓳天正十年(1582)三月上旬、織田信孝を大将とする軍が高野山を焼き討ちしようとしていた。 橋口隼人に命じて防御させ、一山の大衆は八幡宮(当時は宝積院)の神前に集い、五壇の法を修して怨敵退散を祈った。 すると、神前の御熊手が動揺し、数千の白鳩が山の四方から現われ、麓をめざし飛んだ。 その声はまるで鯨波のようで、敵兵は数万の猛勢が襲って来たと勘違いし、逃げ帰った。
⓶熊手八幡宮には御神木に鎌を突き立てる習慣はなかった。
熊手八幡宮では熊手をご神体としていて、御神木に鎌をつきたてて祈願する習慣はないようである。 そして熊手八幡宮のご神体の熊手と旗竿は、兄井→高野山→兄井→丹生酒殿神社と移され、 現在は丹生酒殿神社の向かって左の社殿に、収められているようである。 熊手の長い木製の柄は切断された形で。
そして、鎌を奉納する習慣については、次のように説明されている。
⓰兄井と三谷に祀られている熊手八幡宮は、現在は鎌八幡宮として知られる。
その由来について。
草刈をしていた宮司さんが一休みしようとそばにあったイチイの木に鎌を打ち付けて、そのまま一晩忘れていた。
翌日、鎌を抜こうとしたところが、かなり深くめり込んでいて抜けなかった。
八幡神がこの木に乗り移られたのだろうということになり、願い事がある者は鎌を打ち付けるという奇風が始まった。
願い事がかなう場合はどんどんめり込んでいくが、かなわない願い事は鎌が押し出される。
③月の輪熊は月の神?
私は羽田空港においてあった牛の像を思い出した。
千住 博さんの「mooon」という作品で、説明板には次のように記されていた。 「大古の昔、月の形に似た角を持つ牛は天体の運行を司る使者として、人々から崇められてきた。」
興味を持って調べてみたところ、古代メソポタミアで月の神・シンが信仰されていることがわかった。
ウィキペディアには次のように記されている。
シンボルは三日月で、三日月に似た角を持つ牡牛と深い結びつきを持つとされた。
より引用
このように、動物のある部分が何かに似ていれば、その何かの神とする信仰があったのである。 そして、熊といえば、月の輪熊だ。
月の輪熊と言う名前は、胸に三日月型の白い模様が入っていることに由来する。 熊は月の神として信仰されていたことだろう。
また熊の手をみると、爪の形が三日月型をしていて、鎌に似ている。
日本にはヒグマと月の輪熊が生息しているが、ヒグマの生息地は北海道で、本州に生息しているのは月の輪熊のほうである。
↑ 上のページによれば、四国と紀伊半島ノツキノワグマは遺伝子が同じグループに属し、 四国の個体群は十数頭から多くても数十頭と推定され、絶滅が心配されているなどと記されている。
四国にも熊が生息していたのだ。 つまり、熊手八幡宮は、月の輪熊=月の神を祀る神社であると考えることができる。
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太陽の木 と 月の木⑪ 鎌を打ち付けた御神木は月をあらわしている? よりつづきます~
①イチョウと同様、櫟樫の樹形は丸い。 前回、「丹生酒殿神社の境内社・鎌八幡宮は4度遷宮した」という話をした。
.香川県多度郡屏風浦の熊手八幡宮(白方八幡宮) ↓ 伊都郡兄井村 ↓ 高野山 ↓ .明治二年(1869)の神仏分離令の際、兄井村の諏訪神社へ遷座。 ↓ 丹生酒殿神社へ遷座。
丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮の元社ともいえる兄井村(現、和歌山県伊都郡かつらぎ町大字兄井)の鎌八幡宮は、 一時荒れていたが、現在は地元の方々によって再興されている。

階段を上っていくと、向かって右手に諏訪明神社がある。

向かって左には、諏訪明神社と並ぶように鎌八幡宮がある。

丹生酒殿神社の鎌八幡宮と同様、おびただしい数の鎌がつきたてられている。

「1995年(平成7年)に社を再建、長野県・諏訪大社より御神体を迎え、正遷宮を行い諏訪明神社を再再興また境内にあった櫟樫(イチイガシ)の木を御神木とし、て域住民一同で鎌を奉献(刺す)し、鎌八幡宮信仰も復活させ、元宮の鎌八幡宮として再再興されている。」
とウィキペディアには記されている。
.香川県多度郡屏風浦の熊手八幡宮のhpには次のように記されていた。
6.空海が高野山の奥の院に入定。
白方の八幡神は生前の約束を果たすため、ご神体である熊手と旗竿を白龍に変え、高野山へ向けて飛ばしたところ、伊都郡兄井村の松樹に掛かった。
7.同郡大畑村の鬼五郎、次郎は、諏訪次郎右エ門に相談の上、高野山に報告。
高野山はこのご神体を奉迎し、行人方の各院が持ち回りでご神体の祭祀を行った。(巡寺八幡宮)
6に登場する諏訪次郎右エ門とは、実在した人物ではなく諏訪明神のことで、諏訪明神を祀る神域の松にご神体がかかったということではないかと思う。
とすれば、もともとここに諏訪明神が祀られていたのだが、最近になって、改めて長野県・諏訪大社から正遷宮を行ったということではないかと思う。 (正遷宮・・・御神体を仮殿から新殿に遷座すること。)
この兄井の鎌八幡元社の御神木は丹生酒殿神社の鎌八幡宮と同じ櫟樫である。 (兄井鎌八幡の元社ともいえる香川県の海岸寺のhpには、櫟樫ではなく、櫟(いちい)と記されているが。 「草刈をしていた宮司さんが一休みしようとそばにあったイチイの木に鎌を打ち付けて、そのまま一晩忘れていた。」)
丹生酒殿神社ではわかりにくかった櫟樫の樹形がここでははっきりわかる。

イチョウの樹形が丸い(街路樹などで見られる円錐形の樹形は剪定したもの)のと同様、櫟樫の木も丸い。
公孫樹は秋になると黄色く色づくが、櫟樫は常緑樹なので色づかず、葉の色は暗い緑色である。 (写真は光線の影響で明るく写っている。)
これは熊野勧心十界図に描かれた太陽(金色/黄色)と月(銀色/灰色)を思わせる。
公孫樹・・・太陽(金色/黄色) 櫟樫・・・・月(銀色/灰色)

⓶丹生酒殿神社(太陽?)は東、鎌八幡宮(月?)は西
また、丹生酒殿神社(公孫樹)と鎌八幡元社の位置関係は、熊野勧心十界図と同じである。
上の地図の鎌八幡宮とあるところの少し北が丹生酒殿神社、諏訪妙神社のやや東が鎌八幡宮元社である。
陰陽道の宇宙観では、東を太陽の定位置、西を月の定位置、中央を星とするのだったが、丹生酒殿神社の御神木の公孫樹を太陽、鎌八幡宮元社の 櫟樫を月とすると、その位置関係はほぼ陰陽道の宇宙観に一致する。
太陽の木 と 月の木⑬ 熊手八幡宮は月の神? へつづく~
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