惟喬親王の乱㉞ 大原の里 『惟喬親王と愛宕信仰』
①惟喬親王陵

大原の里へやってきたわけは

彼岸花を見たかったのと、もうひとつ

坂道を歩いていく。あっ、道標がある。もう少しだ。

惟喬親王(これたかしんのう)陵に到着!
ずっと参拝したいと思っていたが、なかなか来れなかった。やっと来れた。

階段をのぼると石仏があった。倒木なども多くて荒れていた。数年前の台風で木々が倒れ、そのままになっているのかもしれない。

この五輪塔が惟喬親王の墓。
滋賀県の木地師の里にも惟喬親王の墓はあるが。
惟喬親王の乱③木地師の里 『世継争いに敗れた皇子』
惟喬親王は文徳天皇の第一皇子(母は紀静子)で文徳天皇は惟喬親王を皇太子にしたいと考えていた。
しかし権力者・藤原良房の孫で異母弟の惟仁親王(清和天皇/母は藤原良房)が皇太子となった。
惟喬親王は御霊(怨霊が祟らないように慰霊されたもの)として多くの神社に祀られている。
惟喬親王の乱④玄武神社『胴体がなく首の長い神』
惟喬親王の乱㉛ 惟喬神社 厳島神社 『磐座のある二つの神社』

↑ 惟喬親王陵付近より大原の里を望む。
⓶大蛇になった娘の正体は惟喬親王?

乙が森

このおつうの大蛇は惟喬親王ではないだろうか。
おつうは女性じゃないか、といわれそうだが、私は小野小町の正体は小野宮と呼ばれた惟喬親王だと考えている。
詳しくは別ブログの次のシリーズをお読みいただけると嬉しいですが、
http://arhrnrhr.blog.fc2.com/blog-category-15.html
簡単にその理由をまとめておく。
a | 古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌が多数ある。 |
b | 古今和歌集仮名序はやけに小町が女であることを強調しているが、これは小町が男だからではないか。 |
c | .小野小町は穴のない体で性的に不能であったともいわれているが、穴がない体なのは小町が男だからではないか。 |
d | 『古今和歌集』に登場する女性歌人に三国町、三条町、がいる。 三国町は一般には継体天皇の母系氏族・三国氏出身の女性だと考えられているが、 『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣としている。 紀名虎の娘で仁明天皇の更衣とは紀種子のことである。 また三条町は紀名虎の娘で文徳天皇の更衣だった紀静子のことである。 三国町が紀種子とすれば、三条町=紀静子なので、三国町と三条町は姉妹だということになる。 そして紀静子は惟喬親王の母親だった。。 惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなる。 そういうことで小町なのではないだろうか。 |
e | 花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに この歌は縁語や掛詞を用いて二重の意味をもたせた技巧的な歌だとされる。 ①花の色はすっかり褪せてしまったなあ。春の長い雨のせいで。 ②私の容色はすっかり衰えてしまったなあ。恋の物思いにふけっている間に。 ※『色』・・・『視覚的な色(英語のColor)』『容色』 ※『世』・・・『世の中』と『男女関係』 ※『ながめ』・・・『物思いにふける』『長雨』 しかし、もうひとつ違う意味が隠されているように思える。 ③はねずの梅の鮮やかな色はあせ、(「はねず」は移るの掛詞なので、花ははねずの梅ととる)私の御代に(「わが御代に 下(ふ)る」とよむ。)長い天下(「ながめ」→「長雨」→「長天」と変化する。さらに「下(ふ)る」を合わせて「天下」という言葉を導く)がやってきたようだ。 |
③惟喬親王と愛宕信仰は関係ある?

↑ こういう感じの愛宕大神と記された燈籠があちこちにあった。
もしかしたら、惟喬親王と愛宕信仰には関係があるのかもしれない。
そうだ、近いうちに愛宕神社を参拝してみよう。
7kmの山道を登らないといけないようだがw


↑ これは寂光院近くにあった雰囲気のある建物
お漬物屋さんの倉庫?


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惟喬親王の乱㉟ 愛宕神社 『惟喬親王側について呪詛合戦をした太郎坊天狗』 につづきます~