惟喬親王の乱㉔ 広河原 松上げ 『ペルセウス座流星群とお盆』
トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』
惟喬親王の乱㉓ 宝山寺『聖天さんに油をかけるのは何のため?』 よりつづきます~
「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。
①惟喬親王を偲ぶ 雲ガ畑 松上げ
惟喬親王の乱⑤雲ヶ畑 松上げ 『惟喬親王の本地仏は地蔵菩薩?』
↑ こちらの記事で、雲ヶ畑の松上げという行事をご紹介した。
雲ヶ畑は惟喬親王が隠棲した地と伝わり、地蔵盆の日に行われる松上げは惟喬親王を偲んで行われているのだった。

雲ヶ畑 松上げ
⓶広河原松上げ
松上げという行事はそのほかの京都の地域でもいくつか行われている。
花背、広河原、小塩などである。(小塩は上げ松といっているが、松上げと同様の行事である。)
しかし一般的に松上げと呼ばれる行事は、雲ヶ畑のものとは違っている。

まず、河原に立てられた無数の竹に松明を取り付ける。(地松)

上の写真は広河原の松上げを長時間露光したものである。
地面近くの小さな光の環は、氏子さんたちが小さな松明を手に持ってグルグル回している光の軌跡である。
(地松から松明に着火するのだと思う。)
こうして勢いをつけたのち、中央に建てられた燈籠木めがけて松明を高く放り投げるのだ。
運動会の玉入れを、玉の代わりに松明を用いてするようなものである。
なかなか松明は燈籠木に命中しないのだが、ついに命中して火がつき、燈籠木が燃え始める。

「松上げ」の「松」とは「松明」の「松」を意味しているのではないだろうか。

最後は保存会の人々が綱で燈籠木をひっぱって倒す。

③ベルセウス座流星群
ペルセウス座流星群は7月20日頃から8月20日頃にかけて観測され、8月13日がピークである。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Leonidas_sigloXIX.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/84/Leonidas_sigloXIX.jpg よりお借りしました。
作者不明 / Public domain
これはしし座流星群を描いた絵だが、なんとなく松上げに似ている。
ただし、光が流れる方向は逆になっている。
流星群は放射点から広がるように星が流れるが、松上げは燈籠木に向かって松明を投げる。
それはあたかも流星群が逆向きに流れ、放射点に向かっているかのようである。
④お盆はベルセウス座流星群が観測される時期に行われる。
旧暦ではお盆は7月15日を中心とした行事だった。
新暦になってからは8月15日を中心として行われることが多い。
旧暦は新暦の約1か月遅れなので、今も昔もペルセウス座流星群が観測される次期にお盆は行われているといえる。
⑤流星は死んだ人の魂だと考えられていた?
お盆にはお精霊さん(おしょらいさん/先祖の霊のことを京都ではこう言います。)がこの世へ帰ってくると考えられていた。
なぜお盆にはお精霊さんがこの世へ帰ってくるなどと考えらえたのだろうか。
昔の人々は死んだ人の魂は星になると考えていたようで、今でも亡くなった人のことを「星になった」などという。
ペルセウス座流星群でたくさんの星が降るようすを、死んだ人の魂がこの世に戻ってくると考えられたのではないだろうか。
そして松上げは精霊送りの行事だとされるが、この世の戻ってきたお精霊さん=流星を空に戻す行事のように思える。

腰をまげて踊るしぐさが色っぽい~。

松上げの行事を終えた男性陣も行列を作って観音堂にやってくる。


まだまだ盆踊りは続く。
惟喬親王の乱㉕ 白峯神宮 小町踊 『七夕は盆入りの行事だった。』 に続きます~
スポンサーサイト