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惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』 惟喬親王の乱㉒ 磐船神社『ニギハヤヒと神武の争い』 よりつづきます~
「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。
宝山寺本堂①宝山寺(生駒聖天)宝山寺は、655年に役行者が開いたといわれ、都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)と言う寺名であったそうだ。
本堂の後ろにあるのは般若窟で、弥勒菩薩像などが祀られている。
他にお堂などもあるそうだが、うっかりしていて気がつかなかった。(汗)
役行者がここに般若経をおさめたとか、
葛城・金剛の山々修業していた18~20才のころ、生駒山の般若窟に立寄り、捕らえた前鬼・後鬼を般若窟に閉じ込めて改心させたという伝説も残されている。
近くには鬼取という地名があるが、鬼取の地名の由来は役行者が前鬼後鬼を取り押さえたところからくるともいわれている。
前鬼後鬼は夫婦の鬼で、悪さばかりしていたので役行者が彼らの子供を隠し、会心させたのだという。
平安時代には空海もここで修行をしたと伝わる。
また江戸時代、延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀った。
宝山寺は生駒聖天ともよばれ、聖天さんのイメージが強いが、ここに聖天さんが祀られるようになったのは江戸時代だったのである。
多宝塔
多宝塔内部。写真撮影ok~。日曜日は開扉していますよ。⓶生駒山はニギハヤヒの土地だった?
http://sazanami217.blog.fc2.com/blog-entry-278.html↑ こちらの記事に、奈良の「県民だより 平成23年 1月号」に次のような、奈良の昔話が掲載されていると記されている。
(引用させていただいます。ありがとうございます。)
生駒山の夜叉と湛海さん
生駒山の巨大な岩壁の般若窟(はんにゃくつ)には、役行者の作といわれる不動尊と弁財天の仏像が祀られていた。
山麓の村人は「この古仏を守ってくれる方がいたら山を寄進する」と、修験僧でもあった湛海さんにお願いした。
実は、山には恐ろしい悪霊(あくりょう)が棲(す)んでいたらしい。
延宝六年(一六七八)、湛海さんは菜畑(なばた)村の庄屋の案内で山に入った。
岩をよじ登り般若窟に立つと、奇石が峨峨(がが)として聳(そび)え立つ断崖であった。
湛海さんは石を取り除き、座禅する場所をこしらえた。
ここに籠(こ)もって三、四日過ぎた夕暮れ、突然、怪力の夜叉が組み付いてきた。
夜叉は黒く大きく、肌は岩のように硬くゴツゴツし、毛髪は鉄の針のように鋭く尖っていた。
夜叉は「ここは俺の住まいだ。早く立ち去れ」と言った。
湛海さんが「南無不動明王(なむふどうみょうおう)」と念じると、その腕力は夜叉の数十倍に変化し、夜叉は逃げ去った。
その後、湛海さんは、生駒山には岩船大明神(いわふねだいみょうじん)が住み、山の北にその神が降臨した岩船谷があると聞いて参詣した。
すると岩船の岩肌が、襲ってきた夜叉の肌と大変よく似ている。
この時、大明神が夜叉となって現れたことに気づいた。
今も般若窟には岩船大明神を祀る小社がある。
岩船大明神とは、磐船神社のことだろう。
磐船神社は前回の記事
惟喬親王の乱㉒ 磐船神社『ニギハヤヒと神武の争い』 で紹介した。
宝山寺と磐船神社の距離は約7kmほどである。
磐船神社は物部氏の祖神・ニギハヤヒを祀る神社で本殿はなく、天の磐船と呼ばれる巨岩を拝殿より直接拝む。
つまり岩船大明神とはニギハヤヒのことであり、ニギハヤヒが悪霊であり、夜叉であったという話だと思う。
また①に書いた役行者の話を思い出してほしい。
「役行者がここに般若経をおさめたとか、
葛城・金剛の山々修業していた18~20才のころ、生駒山の般若窟に立寄り、捕らえた前鬼・後鬼を般若窟に閉じ込めて改心させた」という伝説があるのだった。
この前鬼・後鬼もニギハヤヒの化身であるのかもしれない。
西門付近から聖天堂拝殿、本堂を望む。③男女和合は荒魂を御霊に転じさせる呪術?

写真左にあるのは聖天堂拝殿である。
この後ろに聖天堂がある。
わかりにくいが、鳥居には「歓喜天(聖天さんのことを歓喜天ともいう。)」と記されていた。
聖天さんは仏教の神である。
その仏教の神を祀る聖天堂に神道のような拝殿があったり、鳥居があるのは初めてみた。
聖天さんとは鬼王ビナヤキャと十一面観音の化身であるビナヤキャ女神がい抱き合う男女双体の神で
もともとインドの神であったのが仏教にとりこまれた。
聖天さんには次のような伝説がある。
鬼王ビナヤキャは祟りをもたらす神であった。
そこへ十一面観音の化身であるビナヤキャ女神があらわれ、鬼王ビナヤキャに「仏法守護を誓うならあなたのものになろう」と言った。
鬼王ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神を抱いた。
動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。↑ 相手の足を踏みつけている方がビナヤキャ女神である。
この物語は、御霊・荒魂・和魂という概念をうまく表していると思う。
神はその現れ方で、御霊(神の本質)・荒魂(神の荒々しい側面)・和魂(神の和やかな側面)の3つに分けられるといわれる。
そして荒魂は男神を、和魂は女神を表すとする説があるのだ。
すると神の本質である御霊とは男女双体と言うことになると思う。
御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・女神
男女和合は荒魂を御霊に転じさせる呪術だったのではないだろうか。
聖天堂拝殿④聖天さんのシンボルが違い大根なのはなぜ?聖天さんのシンボルは違い大根と巾着である。
なぜ聖天さんのシンボルは違い大根と巾着なのか?
大根は聖天さんの好物だからとよくいわれる。
しかし、なぜ聖天さんは大根が好物だとされているのか。
大根は直根の先端にある生長点が石ころなどにあたると、側根が肥大して二股になってしまうことがよくあるそうである。
古の人々は二股の大根を、二本の大根がくっついていると考えたのではないだろうか。
それで大根は好物というよりも、男女双体の聖天さんにふさわしいシンボルであると考えられたのではないか、と思ったりする。
聖天堂拝殿前に置かれた大根が描かれた巾着袋
⑤聖天さんのシンボル、巾着袋の中には何が入っている?次にもうひとつの聖天さんのシンボル、巾着について考えてみたいが、
その前に聖天さんの頭が象になっている理由についてみてみよう。
これは聖天さんがビナヤキャ&ビナヤキャ女神のほかに、ガネーシャという神様が聖天さんに関係しているからだと言われている。
ガネーシャは母親のパールヴァティーに命じられて、彼女の入浴の見張りをしていた。
そこへシヴァが戻ってきた。
ガネーシャはシヴァが自分の父だと知らず、入室を拒んだがめ、シヴァは怒ってガネーシャの首を切り落として遠くへ投げ捨ててしまった。
その後、シヴァはガネーシャが自分の子供だと知り、ガネーシャの頭を探しに出かけたが見つからなかった。
そこで象の首を斬り落として持ち帰り、ガネーシャの体につけて生き返らせた。ガネーシャは斬首されて殺され、象の首をつけることで生き返った神なのである。
ガネーシャはドクロの神だといってもいいだろう。
そして弥勒菩薩の化身と言われる布袋は手に大きな巾着袋をもっている。
布袋は死後にその姿を見かけられたという伝説がある。
おそらく布袋は双子だったのだと思うが、布袋の死後に布袋の姿を見た人は、布袋は生き返ったと考えたのだろう。
上の写真は京都・萬福寺の布袋像ですが、手に巾着袋のようなものを持っている。
この風呂敷包みはちょうどヒトのドクロが入っていそうな大きさである。
真言立川流では髑髏に漆や和合水を塗り重ねて髑髏本尊を作り、これを袋に入れて7年間抱いて寝ると髑髏が生き返って語りだすとしている。
聖天さんのルーツとされるガネーシャも体に象の頭部をくっつけることで復活しており
昔の人は髑髏は復活にかかせない呪具であると考えていたのではないかと思う。
つまり、聖天さん=ガネーシャでもあり、首を斬られたが復活した神、ということでそのシンボルが髑髏の入った巾着と言うことではないかと思うのだ。
⑥聖天さんに欲油するのは聖天さんをミイラ仏にするため?とそこまで考えて、離宮天満宮を思い出した。
惟喬親王の乱⑲離宮八幡宮 紅葉 『搾油器を発明した神官の正体とは?』 貞観年間(859~877年)、離宮八幡宮の神官が神示を受けて「長木」と呼ばれる搾油器を発明し、荏胡麻(えごま)油(神社仏閣の燈明用油)が作られるようになったと伝わっているのだった。
その搾油器を発明したと伝わるのは、惟喬親王ではないかと私は考えた。
惟喬親王は木地師が用いるろくろを発明したと伝わるのだが、その長木のひもを巻き付ける構造が少しろくろに似ているように思ったからだ。
離宮八幡宮 説明板より
木地師の里 ろくろ
そして「惟喬親王は虚空蔵菩薩より漆の製法を授かった」という伝説もあるが、これは入定する際、漆のお茶を飲むことと関係がありそうに思える。
(漆を飲むことで胃の中のものを吐き出し、また漆の防腐作用で腐りにくい体になるという。)
惟喬親王の乱⑭ 法輪寺 重陽神事 『惟喬親王、菊のしずくを飲んで不老長寿を得る?』
調べてみると古代エジプトのミイラで防腐剤が使用されていたということがわかった。
英ヨーク大学の考古学者スティーブン・バックレー博士によると
現在、イタリア・トリノのエジプト博物館に保管されている古代エジプトのミイラは次のようなレシピから作られる防腐剤を使用されているという。 ●植物性油:おそらくゴマ
●植物か根からの「バルサム(樹脂の一種)のような」抽出液:ガマ属の植物由来とみられる
●植物性ののり:アカシアから抽出されたとみられる糖
●針葉樹の樹脂:おそらく松ヤニ
樹脂を油と混ぜると殺菌特性が備わり、遺体を腐敗から守ってくれる。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45204722
すると、離宮八幡宮の神官(惟喬親王のことか?)が搾油器を発明したという伝説は、その油と松脂などの樹脂をまぜて防腐剤として用いたことから生じた伝説なのかも、と思ってしまう。
さらに、阿弥陀寺には体質を樹脂質化したとされる弾誓のミイラ仏が安置されている。
惟喬親王の乱⑱阿弥陀寺 『体質を樹脂化するとは?』
聖天さんに欲油祈祷するのは、聖天さんをミイラ仏とするためだったりして?
現代人は心臓が動き、息をしていることを生きていると認識する。
しかし古代人は肉体が腐らないことを永遠の命と考えたのではないかと思う。
というのは、「即身仏になる目的は56億7000万年後、弥勒菩薩があらわれるとき、復活してその聖業に参加するためだった」と聞いたことがあるからだ。
魂が復活するためには魂の入れ物である肉体が必要だと考えられていたのかもしれない。
そう思って見上げると、般若窟には弥勒菩薩像があった。
弥勒菩薩と聖天さんはどちらも復活するみほとけということで、関係が深そうに思えた。

般若窟には弥勒菩薩像が祀られていた。

浴室もあった。御坊様が使われるのだろう。
惟喬親王の乱㉔ 広河原 松上げ 『ペルセウス座流星群とお盆』 に続きます~
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