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惟喬親王の乱㉒ 磐船神社『ニギハヤヒと神武の争い』

トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』  
惟喬親王の乱㉑  渚の院跡 『惟喬親王の歌会は呪術会だった?』 よりつづきます~

「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。


星のブランコ 紅葉3 
①星伝説が残る交野ケ原

星田園地の展望台から見下ろすと、見渡す限りオレンジ色の紅葉が広がっていた。
写真に写っている橋は『星のブランコ』と呼ばれている。

星田園地は天の川の上流にある。

天の川は前回の記事惟喬親王の乱㉑  渚の院跡 『惟喬親王の歌会は呪術会だった?』 でご紹介した
伊勢物語「渚の院」の中で出てきた川である。
もう一度、伊勢物語「渚の院」を読んでみよう。

昔、惟喬親王という親王がおられた。
山崎の向こうの水無瀬といふ所に宮があった。
毎年、桜の花盛りには、そのへいらっしゃった。
その時、右馬頭と言う人を常に連れてこられた。
随分昔のことなので、右馬頭の名前は忘れてしまった。

狩りは熱心にはやらず、酒を飲んでは和歌を詠んでいた。
今狩りする交野の渚の家、その院(御所)の桜が特にすばらしかった。
その木のもとに馬から下りて座り、枝を折って髪にさし、上、中、下の者身分を問わず、みな歌詠んだ。

馬頭が詠んだ。
世の中に たえて桜の なかりせば  春の心は のどけからまし
(世の中に 桜というものがなかったならば、春の心は もっとのんびりしていただろうに)


また他の人の歌、
散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になに か久しかるべき
(散るからこそ桜はすばらしいのだ。悩み多き世の中に、変わらないものなどあるだろうか。)


このように歌を詠んで、その木のもとを立って帰る途中日暮れになった。

お供の人が酒を従者にもたせて野より出てきた。
この酒を飲んでみようと、飲むのにふさわしい場所を探していくと天の河というところにやってきた。

親王に馬頭が大御酒をさしあげた。
親王は言った。

「交野を狩りをして天の河のほとりにたどりついた、を題に歌を詠んで杯をつげ。」

馬頭は歌を詠んだ。

狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり
一日中狩りをして日が暮れてしまったので、織姫に宿を借りよう。天の河原に私はやってきたのだから。)


親王は何度も歌を繰り返され、返歌することができない。

紀有常も御供されており、紀有常が返した。
ひととせに ひとたび来ます 君待てば 宿かす人も あらじとぞ思ふ
織姫は一年に一度いらっしゃる君(=彦星)を待っているのだから、宿を貸す人はないだろう。


帰って宮に入った。
夜が更けるまで酒を呑み、語り、主人の親王は床に入ろうとなさった。

十一日の月が山に隠れようとしているのであの馬頭が詠んだ。

飽かなくに まだきも月の 隠るるか 山の端逃げて 入れずもあらなむ
(ずっと眺めていても 飽きないのに 早くも月は隠れてしまうのか。山の端が逃げて月を入れないでおいてほしい。)

親王にかわり申し上げて紀有常

おしなべて 峰も平に なりななむ 山の端なくは 月も入らじを
(すべての峰が平らになってほしい。山の端がなくなれば月は入らないだろう。)

天の川が舞台となっているのはこの部分である。↓

お供の人が酒を従者にもたせて野より出てきた。
この酒を飲んでみようと、飲むのにふさわしい場所を探していくと天の河というところにやってきた。

親王に馬頭が
大御酒をさしあげた。
狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり
一日中狩りをして日が暮れてしまったので、織姫に宿を借りよう。天の河原に私はやってきたのだから。)


親王は何度も歌を繰り返され、返歌することができない。

紀有常も御供されており、紀有常が返した。
ひととせに ひとたび来ます 君待てば 宿かす人も あらじとぞ思ふ
織姫は一年に一度いらっしゃる君(=彦星)を待っているのだから、宿を貸す人はないだろう。

親王は言った。

「交野を狩りをして天の河のほとりにたどりついた、を題に歌を詠んで杯をつげ。」

馬頭は歌を詠んだ。


現在の交野市・枚方市あたりは惟喬親王がおられた平安時代には交野ケ原といわれていた。
天の川は大阪府四条畷市・奈良県生駒市の境に源を発し、交野市・枚方市を経て淀川に流れ込んでいる。

このあたりには星の字のつく地名や、いくつかの星の伝説が残されている。
星田園地の「星田」も地名である。
星のブランコという橋の名前はこういったところからつけられたのだろう。

⓶ニギハヤヒを祀る磐船神社

星田園地の近くに磐船神社という神社がありニギハヤヒを祀っている。

磐船神社 天の磐船

本殿はなく、拝殿より直接ご神体の巨岩『天の磐船』を拝む。

③初代神武天皇より早く天下っていたニギハヤヒ

初代神武天皇は日向より東征をめざすが、出立の際、シオツチの翁が「東にはニギハヤヒが天の磐船を操ってすでに天下っている。」と発言している。
磐船神社はこのニギハヤヒが天下った場所だとされている。

ここから初代神武以前、畿内には物部王朝があったとする説がある。

ニギハヤヒは別名を天照国照彦火明櫛玉饒速日命といい、本当の天照大神とはニギハヤヒではないかともいわれている。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
上記、アンサイクロペディアはなんと初代天皇を天照国照彦天火明櫛玉饒速日としている。
アンサイクロペディアってすばらしい!

ニギハヤヒが操った天の磐船とはUFOのようなものではないか、という人もいる。
ニギハヤヒは天の磐船からこんなオレンジ色の風景を眺めたのかもしれない。
 
星のブランコ 紅葉2 
④ニギハヤヒは星の神

ニギハヤヒは物部氏の租神とされ、かつてこのあたりには肩野物部氏が住んでいた。
物部氏は製鉄・鋳造の技術に長けており、そのため物部氏の神は星の神だとする説がある。

また雲陽誌という書物には『ニギハヤヒは星の神』だと記されている。

おそらく昔の人は巨岩を空から堕ちてきた星だと考えたのではないだろうか。
するとニギハヤヒが操っていた「天の磐船」とは流星なのではないかと思ったりする。

⑤ニギハヤヒはもともとは太陽神だった?

古事記や日本書紀では単にニギハヤヒと記されているが、先代旧事本紀では『天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)』と記されている。
また先代旧事本記はニニギの兄・天火明命(アメノホアカリ)と同一の神としている。

ニニギは天照大神の孫で、天照大神に命じられて葦原中国に天下った神である。

本当の天照大神とは天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)=ニギハヤヒのことではないかとする説がある。
ニギハヤヒはもともとは太陽の神であったのに、神武に政権を奪われて夜の神、星の神へと神格を変えられたのではないだろうか。

星のブランコ 紅葉 

⑥記紀には星の神は天津甕星一柱しか登場しない。

さらに、記紀には星の神はたった一柱、天津甕星(別名カカセオ)しか登場しない。
また天津甕星は天照大神の「葦原中国平定に最後まで抵抗した荒々しい神」と記されている。

雲陽誌にはニギハヤヒは星の神と記されているし、ニギハヤヒと天津甕星は同一神ではないだろうか。

つまり、天照大神とはニギハヤヒの子孫である女性のことであり、神武はその女性と結婚して政権を手に入れた。
さらに葦原中国を治めるのは天照大神の子孫とすることをきめ、同腹の兄妹または姉弟の結婚を禁忌とした。(衣通姫と木梨軽皇子などの例が記紀に記述がある)
こうすると、ニギハヤヒの子孫である物部氏の男子は、物部氏の女性である天照大神と結婚できない(同腹の兄妹または姉弟の結婚を禁忌なので)ということになり、物部氏の男子は皇位につけないということになる。




惟喬親王の乱㉓ 宝山寺『聖天さんに油をかけるのは何のため?』 に続きます~

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[ 2020/09/28 ] 惟喬親王の乱 | TB(0) | CM(0)