fc2ブログ
2020 081234567891011121314151617181920212223242526272829302020 10

惟喬親王の乱⑱阿弥陀寺 『体質を樹脂化するとは?』

トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』  
惟喬親王の乱⑰ 石清水八幡宮 『石清水八幡宮の神主が紀氏の世襲なのはなぜ?』  よりつづきます~

「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。


古知谷阿弥陀寺 門2

①体質を樹脂質化する?

三千院の北に小知谷阿弥陀寺はあった。
紅葉シーズン、三千院あたりはたいへんな人出だが、古知谷阿弥陀寺は観光客もまばらで静寂につつまれていた。
おまけに紅葉の美しさは絶品で、まさしく紅葉の穴場スポットである。

そんな静かな古知谷阿弥陀寺には、開基・弾誓のミイラ仏が安置されている。

阿弥陀寺 
写真向かって右に石廟がある。

阿弥陀寺 石廟 
石廟内部 奥の石棺の中に弾誓上人の即身仏が安置されているのだろう。

堂内にあった説明板には次のように記されていた。
「開基弾誓上人は穀絶ち塩絶ちのすえ、松の実 松の皮を食べ 体質を樹脂質化した後 念仏三昧をもって生きながら石窟の二重になった石棺の中に入り・・・。」

阿弥陀寺 石廟 説明

樹脂とはアカマツ・カラマツなどの樹木から分泌される粘り気のある液体、またはそれが空気に触れて酸化して固まったもののことで、
例としては松脂や琥珀などがあげられる。

「体質を樹脂質化する」というのがどういう状態のことを言っているのか、よくわからない。

是非お姿を拝んでみたい!しかし石室に安置されていて、残念ながらお姿を拝むことはできない。

古知谷阿弥陀寺 門

即身仏になるために防腐剤が用いられていた?

即身仏となるためには木食といって、五穀を断ち、木の皮や木の実のみを食べる修業を行った。
こうして体から脂肪を落とし、死後腐りにくい体をつくるのだという。

説明板には「弾誓上人が松の実や皮を食べた」という旨が記されていたが、これは木食修行だったのだろうか。

即身仏のメッカといえば山形の湯殿山だが、湯殿山は水銀土壌だそうで、ここで育つ木の皮や実は水銀濃度が高いそうである。
水銀には防腐作用があり、そのため即身仏が数多く残ったのではないかと言われる。
もちろん、寒冷な気候も影響しただろう。

また入定する前に漆のお茶を飲むということもされていたようだ。
こうすることによって、胃の中のものを吐き出し、また漆の防腐作用で腐りにくくなったといわれる。

古知谷阿弥陀寺 枯山水

③樹脂は防腐剤だった?

調べてみると古代エジプトのミイラで防腐剤が使用されていたということがわかった。

英ヨーク大学の考古学者スティーブン・バックレー博士によると
現在、イタリア・トリノのエジプト博物館に保管されている古代エジプトのミイラは次のようなレシピから作られる防腐剤を使用されているという。

●植物性油:おそらくゴマ
●植物か根からの「バルサム(樹脂の一種)のような」抽出液:ガマ属の植物由来とみられる
●植物性ののり:アカシアから抽出されたとみられる糖
●針葉樹の樹脂:おそらく松ヤニ

樹脂を油と混ぜると殺菌特性が備わり、遺体を腐敗から守ってくれる。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45204722

京都大原は平安京があったあたりに比べるとかなり寒冷な気候だと思う。
紅葉も早いし、雪も結構降るようである。
しかし、山形の気温と比べると高いだろう。
やはり太原は温暖な気候で、即身仏となるには不向きな気候だといえるのではないか。

それなのに、即身仏が残っているのは、樹脂(松脂)と油をまぜた防腐剤が用いられていたのだったりして?


古知谷阿弥陀寺 茶室

④大原は惟喬親王の隠棲地で墓もある。

ここ大原には惟喬親王が隠棲したとも伝わり(隠棲地は別の場所だとする説もある。)惟喬親王の墓もある。
そして惟隆親王は、嵐山の法輪寺に籠って虚空蔵菩薩より漆の製法を授かったという伝説がある。

また宇治に喜撰法師が籠ったという喜撰洞があるが、喜撰法師とは紀仙法師であり、紀名虎または紀有常のことだとする説がある。

(私は喜撰法師とは紀名虎の娘で、紀有常の妹の紀静子を母親に持つ惟喬親王の事である可能性もあるかなと思っているが)
喜撰洞とは喜撰法師が入定した洞窟ではないだろうか。
喜撰という言葉はお茶の隠語としても用いられているが、それは喜撰法師が漆のお茶を飲んで入定したことから隠語として用いられているのではないかと思ったりもする。

漆はウルシオールという樹脂分を主成分とするという。

空気中の水分を取り込んで乾くそうである。
漆の成分の酵素(ラッカーゼ)が、水分の中の酸素を取り込んで反応し、ウルシオールが液体から固体になるそうである。
漆を乾燥させるのに適した温度は25~30℃だという。
即身仏は寒冷地に残っていることが多いが、仮に漆で樹脂化させるのであれば、気温は25~30度くらいで高めのほうがいいということになるだろうか?

漆を乾燥させるの適している湿度は70%程度で、梅雨の時期が最も漆の乾燥に適しているとのこと。
それ以外の時期でも漆を乾かす必用があるため、「漆風呂」「むろ」と呼ばれる漆用の乾燥室を使っているそうである。

https://www.yamakyu-urushi.co.jp/shikki/21_27/ ←漆風呂の写真が掲載されている。

説明板にあった「体を樹脂質化して・・・ミイラ仏として安置されている」という文章が何度も頭の中に浮かんでくる。

惟喬親王は漆で体を樹脂質化してミイラ仏になったなどというのはトンデモだろうか?

古知谷阿弥陀寺 茶室2 

⑤大原盆

大原と漆器は関係がないのだろうかと思い、調べてみたところ、大原盆という伝統工芸品を作っていることがわかった。
木製くり抜きで、本漆を使用した丸盆で、十六弁の菊の紋が入れられている。

文治年間(1185〜90)の後白河法皇大原御幸の際、建礼門院がおもてなしのために使ったのが始まりと言い伝えられている。

https://www.takashimaya.co.jp/shopping/interior/0500002426/0500004882/0500004893/0500004898/product.html?p_cd=0001309814&sub_cd=001(大原盆の写真)

惟喬親王を祀る大皇木地祖神社の神紋は大原盆のデザインとは若干違うが、十六菊で惟喬親王と関係があるようにも思えた。

古知谷阿弥陀寺 渡り廊下 
古知谷阿弥陀寺  


惟喬親王の乱⑲離宮八幡宮 紅葉 『搾油器を発明した神官の正体とは?』  に続きます~

いつも応援ありがとうございます♪

写真ぶろぐ 
心の旅 
考えるぶろぐ 
調べてみた。考えてみた。  もよろしくおねがいします。



※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。





 
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村







スポンサーサイト



[ 2020/09/13 ] 惟喬親王の乱 | TB(0) | CM(0)