トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』
惟喬親王の乱⑬ 上加茂神社 烏相撲 『紀名虎&藤原良房の世継ぎ争い』 よりつづきます~
「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。
①菊の被綿↓ これは何でしょう?
菊の被綿(法輪寺)
古には奇数は陽、偶数は陰の数字と考えられていた。
9は一桁の数字では最も大きな数字なので、陽が極まった数字であるとして、9月9日は「重陽の節句」とされていた。
「重陽の節句」は「菊の節句」とも呼ばれている。
重陽の節句の前夜、菊の花に綿をかぶせ、翌朝、綿についた雫で体を撫でると長寿になると言われていた。
これを「菊の被綿(きせわた)」という。
上の写真はこの菊の被綿を撮影したものである。
⓶700歳の長寿を得た菊滋童
なぜ「菊の被綿」の習慣が生じたのだろうか。
それは700歳の長寿を得た菊滋童の伝説がルーツとなっている。

菊滋童の像(法輪寺)
周の穆王が寵愛していた少年・菊慈童は、あるとき誤って帝の枕の上を超えてしまい、レッケン山に流刑となった。
穆王は菊滋童に観世音菩薩 普門品というお経にある「具一切功徳慈眼視衆生、福聚海無量是故応頂禮」を毎日唱えるようにと言った。
菊慈童がこれを菊の下葉に書きつけたところ、菊の下葉の露が不老長寿の薬となった。
そしてそれを飲んだ菊滋童は700歳の長寿を得た。
菊滋童の舞③ 穆王と菊滋童はBLだった。菊滋童が穆王の枕を超えた、という点に注意してほしい。
穆王は菊滋童を寵愛していたとあるが、これは単に「かわいがっていた」という意味ではなく、「BLの関係にあった」ということだろう❤
④♂と♂が重なることはまさしく重陽陰陽では男は陽、女は陰である。
♂と♂が重なることはまさしく重陽だといえる。
つまりBLは長寿の妙薬ということだと思う。
日本で男色がたしなみとされていたのはそのためではないだろうか?
⑤惟喬親王、不老長寿を得る?春の法輪寺では十三詣をする習慣がある。
惟喬親王の乱⑪ 法輪寺 十三詣 『惟隆親王、虚空蔵菩薩より漆の製法を授かる?』
渡月橋より法輪寺を望む「十三歳になった男女が法輪寺の虚空蔵菩薩をお参りすると知恵を授かる」といわれ、十三詣は別名を『知恵もらい』ともいう。
なぜ十三詣(知恵もらい)の習慣が生じたのだろうか。
それは平安時代、惟喬親王が法輪寺に籠り、虚空蔵菩薩より漆の製法を授かったという伝説にちなむのではないかと思う。
昔、即身仏となるべく入定する際、漆のお茶を飲んだという。
漆のお茶を飲むことで胃の中に残ったものを吐き出し、また漆の防腐効果で死後腐らない体になると考えられていたそうである。
惟喬親王は漆のお茶を飲んで即身仏となったのか?
そう考えると、法輪寺において重陽神事が行われていることともつながりが説明できそうである。
つまり、永遠の命をえるとは即身仏になるということで、菊児童と惟喬親王はイメージが重ねられているのではないかということである。
惟喬親王の乱⑮ 根来寺 『根来塗と小野小町伝説は惟喬親王と関係あり?』 に続きます~
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