惟喬親王の乱⑪ 法輪寺 十三詣 『惟隆親王、虚空蔵菩薩より漆の製法を授かる?』
渡月橋
①十三詣
関西では旧暦の3月13日ごろ、数え年13歳になった男の子・女の子が虚空蔵菩薩にお詣りする『十三詣』の習慣がある。
京都の『十三詣』は嵐山の虚空蔵法輪寺に参拝する。
おそらく法輪寺が『十三詣』発祥の地ではないかと思ったりするが、どうなんだろう?

渡月橋
②知恵もらい
十三詣は別名を『知恵もらい』という。
虚空蔵菩薩は知恵を授けてくれる神として信仰されていた。
空海が虚空蔵求聞持法を行って抜群の記憶力を手に入れたという話は有名だ。
また惟喬親王がここ法輪寺に籠り、虚空蔵菩薩より漆の製法を授かったという伝説もある。
おそらく十三詣(知恵もらい)の習慣は惟喬親王のこの伝説をルーツとするのではないかと思う。

渡月橋より法輪寺を望む
③決して後ろを振り返ってはいけない!
十三詣を終えて渡月橋を渡る際、「決して後ろを振り返って見てはいけない。」と言われている。
うしろを振り返って見ると、せっかく虚空蔵菩薩より授かった知恵を失ってしまうというのだ。

渡月橋
④法輪寺はあの世
有名な記紀神話を思い出す。
イザナギは死んだイザナミを迎えに黄泉の国へ行き「愛しい妻よ、もどってきておくれ」と嘆願した。
イザナミは「黄泉の大王に相談してきます。その間、決して振り返って私の姿を見ないでね。」と言った。
しかしイザナギは我慢できなくなって振り返りイザナミの姿を見てしまう。(ダメな男だなあ~)
イザナミの体は腐り、蛆がわいていた。
それを見たイザナギは恐ろしくなって逃げだした。(ほんっっっっとうにダメな男だなあ~)
イザナミは「よくも私の姿を見たな!」と言って追いかけてきたが、イザナギはなんとか逃げ切って黄泉平坂に大きな石を置いてあの世とこの世の境を塞いだ。
古の人々は法輪寺はあの世、桂川を隔てた対岸をこの世に見立てていたのではないだろうか。
それで渡月橋を渡る際、「決して後ろを振り返って見てはいけない。」と言われているのではないかと思う。
すると渡月橋はあの世とこの世を繋ぐ橋で、渡月橋の下を流れる桂川は三途の川?

渡月小橋
⑤大国主は根の国を振り返らずこの世へ戻った?
また、大国主が根の国(黄泉の国と同一のものだと考えられている)を訪れるという話がある。
大国主が根の国を訪れ、根の国の大王・スサノオに様々な試練を与えられる。
しかし最終的には大国主はスサノオの太刀と弓矢を手に入れ、スサノオの娘・スセリヒメを連れて根の国を逃げ出した。
スサノオは逃げる大国主に「お前が持つ大刀と弓矢で従わない八十神を追い払え。そしてお前が大国主、また宇都志国玉神(ウツシクニタマ)になって、スセリビメを妻として立派な宮殿を建てて住め。この野郎め」と言った。
おそらくスサノオは根の国をふりかえらずにこの世へ戻ってきたのだろう。
それでスサノオは太刀と弓矢とスセリヒメを手に入れたばかりか、スサノオから知恵も授かったのだと考えられる。
法輪寺の十三詣はこれを再現した行事なのかもしれない。

渡月橋
⑥ギリシャ神話・日本神話に共通する「冥界で振り返ってはいけない」
ギリシャ神話には冥界にまつわるこんな話もある。
オルフェイスの妻・エウリュディケーは毒蛇に噛まれて亡くなってしまい、オルフェウスは妻を連れ戻すため冥界にいった。
冥界の王・ハーデースは「エウリュディケーを連れ帰ってもいいが、決して後ろを振り返ってはいけない」といった。
しかしオルフェイスは本当と妻がついてきているのか心配になり、後ろを振り返ってしまったので、妻を連れ帰ることができなかった。
記紀神話のイザナギ・イザナミの話とそっくりである。
日本はシルクロードの東の到達点だった。
古代ギリシャのパルテノン神殿と同じエンタシスの柱が法隆寺や唐招提寺にもある。
記紀神話はギリシャ神話の影響を受けて創作されたものなのかもしれない。
⑦惟喬親王と漆
それにしてもなぜ法輪寺には「惟喬親王が虚空蔵菩薩から漆の製法を授かった」などという伝説が伝えられているのだろうか。
惟喬親王の乱③木地師の里 『世継争いに敗れた皇子』
↑ こちらの記事に私はこんなことを書いた。
世継ぎ争いに敗れた惟喬親王は君ヶ畑に隠棲し、法華経の軸が転がるのを見て轆轤を発明。
そしてこれをこの土地の住民に伝え木地師が生まれた。
木地師がつくる代表的なものといえば茶碗などの漆器で、漆器には漆を塗る。
それで惟喬親王が虚空蔵菩薩より漆の製法を授かったという伝説が生じたのかもしれない。
ちなみに法輪寺ではこの伝説にちなみ、毎年11月13日に漆祭を行っているそうである。(残念ながら行ったことがない。)

法輪寺
⑧惟喬親王と髑髏本尊、即身仏
しかし、ほんとうにそれだけだろうか?
惟喬親王は轆轤を発明したというが、親王という高い身分の方が本当に轆轤を発明したとは思えない。
また轆轤にはろくろ首のイメージがある。
蘇我入鹿、玄昉、平将門などの首が飛んだという伝説があるが、ろくろ首は飛行する首のアレンジバージョンの様にも思える。
そして首に漆を塗れば、真言立川流でもちいたとされる髑髏本尊となる。
また即身仏となるために入定する際、漆のお茶を飲んだと言われる。
漆のお茶を飲むことで、胃の中のものをはきだし、さらに死後の防腐効果もあったとされる。
惟喬親王は髑髏本尊や即身仏と関係があるように思えてならない。

法輪寺
惟喬親王の乱⑫ 正明寺『惟喬親王を厚く信仰した日野の木地師・塗師たち』 に続きます~
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