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朝顔は何の薬だったのか?

①朝顔は遣唐使が薬として持ち帰った

奈良時代末期または平安時代に遣唐使が朝顔の種を薬として持ち帰り、それが日本中に広まったとされる。

万葉集には朝顔を詠んだ歌があるが、朝顔が日本に持ち込まれたのが平安時代だとすれば、歌に詠まれた朝顔とは桔梗またはむくげではないかといわれている。

⓶朝顔の種を服用すると嘔吐・下痢・腹痛・血圧低下などを引き起こす。

朝顔の種は薬というより毒であり、その成分はファルビチン、コンボルプリンである。
これを服用すると嘔吐・下痢・腹痛・血圧低下などを引き起こす。

③西洋系朝顔は幻覚をひきおこす。

写真の朝顔は和朝顔ではなく、西洋系の「そらいろあさがお」と呼ばれる種類でやはり薬効がある。

朝顔2

こちらも薬というより毒、といったほうがいいだろうか。
種・蔓・花・葉にLSDに似た成分・エルゴリンアルカロイドを含んでおり、メキシコの先住民族が幻覚剤として用いていた。
これを服用して意識不明に陥る事故などもおきている。

いずれも素人判断で服用するべきではない。

④牽牛花

朝顔は牽牛花とも記される。

牽牛とは七夕伝説に登場する神の名前だ。
牽牛(アルタイル)と織姫(ベガ)は恋に夢中になってそれぞれの仕事をせず、天帝に引き離されたとされる。
そして年に一度、鵲が天の川にかける橋を渡って二柱の神は逢瀬を楽しむという。

なぜ朝顔は牽牛花というのだろうか?

中国の古医書『名医別録』には、この薬の謝礼として牛を渡したことが名前の由来と記されているそうだ。

牛一頭の代金に匹敵するほどなので、和朝顔の薬効はそれはすばらしいものだったのだろう。
しかし、その薬効は嘔吐・下痢・腹痛・血圧低下である。
そのような症状を引き起こすことがなぜ牛一頭に価するほど価値のあるものだと考えられたのだろうか?

⑤下痢をしてミイラになった津軽承裕


青森県弘前市に津軽氏の菩提寺・長勝寺がある。
この長勝寺にはかつてミイラが存在していたそうである。
木食修行などの厳しい修行を行って入定した即身仏ではなく、自然にできたミイラであるという。

津軽承裕という人物が1855年旧暦9月9日に18歳で亡くなった。
津軽承裕は弘前藩12代藩主になる予定だったが、早世し、後継ぎがいなくなってしまった。
そして、11代藩主の順承の血統を重視する派、他家から養子を迎える派が対立したが、隠居していた10代藩主の信順の意見が通って熊本藩10代藩主・細川斉護(ほそかわなりもり)の4男・寛五郎を、承裕の嫁・玉姫(婚姻時に常姫と改名)の婿養子として迎えいれた。

それはともかく、津軽承裕はなぜ18歳という若さで亡くなってしまったのだろうか。
なんでも彼は砂糖をかけた桃を食べ、下痢をおこしたのだという。
そこで栄養をとるためにとヤギの乳を飲ませたが病状は改善せず死亡したとされる。

そして津軽承裕の死体は自然にミイラになったのであるが、その原因として次のように考えられている。

❶激しい下痢で脱水症状をおこした。
❷棺桶の近くの地下水によって死体が冷却され、腐敗を防いだ。

近年、津軽承裕のミイラは火葬されて現存していないそうである。

⑥丹や漆は即身仏になる薬?

即身仏となるべく入定した人々の目的は、56億7000万年後に弥勒菩薩が復活するとき、復活してその聖業に参加するためだったと聞いたことがある。

古の人々は魂の容れ物である肉体があれば生き返ることができると考えていたのではないだろうか。

また中国の皇帝は不老不死の薬として辰砂から作られた薬を服用していたとされる。
辰砂とは丹、硫化水銀のことである。

こんなものを服用して健康にいいはずがないと思われるが、なぜ中国の皇帝は辰砂から作られた薬を飲んでいたのだろうか。

水銀には防腐作用があるという。
古の人々は腐らない体になることを不老不死と考えていたのかもしれない。

さらに入定する前に漆のお茶を飲むなどということも行われていたようである。

漆の防腐作用を期待してのことだろうが、漆のお茶を飲むことで胃の中のものをはきだし、そのことによって腐りにくい体をえるということもあったようである。

もしかすると激しい下痢を引き起こす朝顔の種も、死後腐りにくい体になるための薬として用いられていたのかもしれない。

朝顔



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小野氏って不思議。

①小野妹子=蘇我馬子?

ネットで小野妹子と蘇我馬子は同一人物であるという記事をいくつか読んだ。
その内容は以下のとおり。
歴史言語学者の加治木義博氏は「小野」は「その」と読むと指摘している。

小・・・鹿児島地方では「ソ」と発音する。
野・・・「の」であり「ヶ」と同じ。「ヶ」は「嵐ヶ丘(嵐の丘)」のように「ガ」と発音する。
『推古紀』十六年夏四月の条に「大唐の国では妹子臣を蘇因高とよんだ。」と記されている。
「小野妹子」が「蘇因高」ならば、妹子の子の「小野毛人」 は「蘇〇〇(〇〇はえみしと発音する漢字)」となるが
蘇我馬子の子は「蘇我蝦夷」である。

石舞台古墳 夕日

蘇我馬子の墓と伝わる石舞台古墳

⓶小野富人=中臣金?

霊山寺(奈良市には次のような伝説がある。(参照/霊山寺 薔薇会式・えと祭 『鼻高仙人の正体とは』 

小野妹子の子の小野富人は壬申の乱に関与したため、672年に右大臣を辞して、登美山に住んだ。
684年、富人が熊野本宮大社に参篭した際、薬師如来(熊野速玉大神の本地仏)が夢枕にあらわれて『薬湯を作り、病人をたすけよ』と告げた。
そこで富人は登美山に薬師如来を祀り、病人を癒すために薬湯を設けた。
人々は富人を登美仙人または鼻高仙人(びこうせんにん)と呼んだ。


ご存じのように、壬申の乱は672年に勃発した内乱である。
天智天皇の皇子の大友皇子と、天智天皇の弟である大海人皇子が皇位継承をめぐって争い、大海人皇子が勝利して即位した。
敗れた大友皇子は自害した。

小野富人はこれに関与して右大臣を辞した、とあるので大友皇子側についたということだろう。
ところが、歴代右大臣のリストの中には小野富人の名前がない。
壬申の乱が起こったとき右大臣だったのは中臣金である。
 
伝説によると小野富人は小野妹子の子であるとする。
しかしウィキペディアで小野妹子を調べても、子として毛人・広人の名前はあがっていますが、富人の名前はない。

672年、本当の右大臣だった中臣 金(なかとみ の かね/?- 672年)は中臣鎌足の従妹である。
大化の改新で功績をあげた鎌足の死後、中臣金が急速に出世して、671年に右大臣とった。
672年の壬申の乱(大友皇子vs大海人皇子)では中臣金は大友皇子側について戦っています。
しかし大友皇子側が敗れ、金は捕えられて処刑、金の子孫は流罪となっている。

この中臣金が天智天皇の勅をうけて天智天皇御宇8年(669年?)に建立したと伝わる神社が滋賀県大津市大石中の佐久奈度神社である。

佐久奈度神社 
佐久奈度神社

この佐久奈度神社の宝物に伊勢神宮より賜った神剣と鼻高面がある。
(参照→ http://sakunado.jp/yuisyo.html
古より伊勢神宮を参拝する前に佐久奈度神社で禊ぎをする習慣があり、このような関係から伊勢神宮より賜ったものだとされる。

鼻高面は赤い顔をした天狗の面である。

霊山寺の由来には「小野富人が672年に右大臣を辞して登美山にすみ、鼻高仙人と呼ばれた」とあった。
しかし672年右大臣だったのは小野富人ではなく中臣金だった。
さらに中臣金が創建した佐久奈度神社には伊勢神宮より賜った鼻高面がある。

鼻高仙人と呼ばれた小野富人と中臣金は同一人物なのではないだろうか?

中臣金は672年に死亡しているが、小野富人はこの年から登美山に住んでいる。
登美山に住んだ小野富人とは、死んだ中臣金の霊ではないか?

霊山寺 えと祭り

霊山寺 干支祭


③小野小町=惟喬親王?

私は小野小町とは小野宮と呼ばれた惟喬親王ことだと考えている。
これについては カテゴリー  [小野小町は男だった ]に詳しく書いたが
ざっとまとめておくと次のような理由があげられる。
a古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌が多数ある。
b古今和歌集仮名序はやけに小町が女であることを強調しているが、これは小町が男だからではないか。
c.小野小町は穴のない体で性的に不能であったともいわれているが、穴がない体なのは小町が男だからではないか。
d『古今和歌集』に登場する女性歌人に三国町、三条町、がいる。
三国町は一般には継体天皇の母系氏族・三国氏出身の女性だと考えられているが、
 『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣としている。
  紀名虎の娘で仁明天皇の更衣とは紀種子のことである。
  また三条町は紀名虎の娘で文徳天皇の更衣だった紀静子のことである。
  三国町が紀種子とすれば、三条町=紀静子なので、三国町と三条町は姉妹だということになる。
  そして紀静子は惟喬親王の母親だった。。
  惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなる。
  そういうことで小町なのではないだろうか。
e花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
この歌は縁語や掛詞を用いて二重の意味をもたせた技巧的な歌だとされる。
①花の色はすっかり褪せてしまったなあ。春の長い雨のせいで。
②私の容色はすっかり衰えてしまったなあ。恋の物思いにふけっている間に。
※『色』・・・『視覚的な色(英語のColor)』『容色』
※『世』・・・『世の中』と『男女関係』
※『ながめ』・・・『物思いにふける』『長雨』
しかし、もうひとつ違う意味が隠されているように思える。
③はねずの梅の鮮やかな色はあせ、(「はねず」は移るの掛詞なので、花ははねずの梅ととる)私の御代に(「わが御代に 下(ふ)る」とよむ。)長い天下(「ながめ」→「長雨」→「長天」と変化する。さらに「下(ふ)る」を合わせて「天下」という言葉を導く)がやってきたようだ。

小野小町像 
髄心院の歌碑に描かれた小野小町像
 

④小野猿丸(猿丸大夫)=志貴皇子・道鏡・弓削浄人の総称?

小野猿丸(猿丸大夫)の正体については、志貴皇子・道鏡・弓削浄人の総称ではないかと考えている。
カテゴリー  [謎の歌人・猿丸太夫の正体とは? ]

これについても理由をまとめておこう。
下野国河内郡の日光権現と上野国の赤城神が神域をめぐって争ったという伝説がある。
このとき、女体権現は鹿の姿となってあらわれ、弓の名手・小野猿丸(猿丸太夫)の加勢によって勝利した。
猿と鹿は下野国都賀郡日光で住むことを赦され、猿丸は下野国河内郡の宇都宮明神になった。
下野国都賀郡・日光二荒山神社の神職・小野氏はこの「猿丸」を祖とするという。
猿丸大夫とは道鏡の事だとする説があるが、道鏡は称徳天皇崩御後下野国へ流罪となっており、日光の小野猿丸伝説とイメージが重なる。
高知県高岡郡佐川町・猿丸峠に猿丸太夫の墓があり、猿丸大夫とは道鏡の弟の弓削浄人のことだと伝わる。
猿丸神社には猿楽・翁の恰好をした狛猿が置かれている。
猿楽のルーツとも考えられる奈良豆比古神社には伝統行事・翁舞が伝えられている。
奈良豆比古神社には二つの伝説が伝えられている。
❶志貴皇子の子・春日王がハンセン病を患い春日王の子の浄人王と安貴王が看病した。
 浄人王が父の快癒を祈って春日大社で舞を舞ったところ春日王の病はよくなった。
 桓武天皇は浄人王に弓削首夙人の名と位を与えた。
❷志貴皇子は天皇に近い方であったがハンセン病を患い、右大臣・左大臣とともに面をつけて舞った。
 あるとき病は面についてとれた。
志貴皇子は光仁天皇より春日宮御宇天皇と追尊された。また陵が田原にあるので田原天皇とも呼ばれている。
春日王は田原太子とも呼ばれている。
志貴皇子=春日宮御宇天皇=田原天皇
         春日王=田原太子
神が子を産むとは神が分霊を作ることではないかとする説がある。
春日王とは志貴皇子という神の分身であり、同一人物ではないか。
❶の伝説に「桓武天皇は浄人王に弓削首夙人の名と位を与えた。」とある。
弓削は名前で、首夙人は位ではないか。すると浄人王は弓削浄人となる。弓削浄人は道鏡の弟である。
道鏡の俗名はわかっていないが弓削安貴というのではないか。
猿丸大夫は翁の三番叟の姿をし、また道鏡であるとも弓削浄人であるとも伝わっている。
猿丸大夫とは道鏡・弓削浄人ではないか。
猿丸神社は京都府宇治田原にあるが、宇治田原の大宮神社には施基皇子(志貴皇子)旧跡がある。
志貴皇子は別名を田原天皇といい、宇治田原という地名はこの田原天皇からくるのかもしれない。
宇治田原は志貴皇子と関係の深い土地である。
笠金村が志貴皇子の挽歌を詠んでいる。
高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
そして猿丸大夫は「奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき」と歌を詠んでいるが、
歌の配列から、このもみぢは楓ではなく萩の黄葉だと考えられている。
二つの歌は萩でつながる。
萩は別名を鹿鳴草ともいうが、志貴皇子邸宅跡のある奈良では鹿は神の使いとされている。

猿丸神社 歌碑

猿丸神社 ↑ ↓

猿丸神社 狛猿


⑤小野という姓ではあるが、小野氏ではない人物が多数くいそう?

小野妹子=蘇我馬子?
小野富人=中臣金?
小野小町=惟喬親王?
小野猿丸=志貴皇子・弓削道鏡・弓削浄人?

どうも小野という姓ではあるが、小野氏ではない人物が多数くいそうに思える。
小野とは「蘇ヶ」という意味であり、成仏できずに鬼として蘇るもののことをいうのかもしれない。




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