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ミシャグジ様の謎⑱ 『ミシャグジ様は聖徳太子?それとも物部守屋?』 


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ミシャクジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた? 


①ミシャグジ様は聖徳太子?それとも物部守屋?

磐船神社 天の磐船

磐船神社 天の磐船


星田妙見宮 織女石  

星田妙見宮 織女石

ここまでの考察によって、ミシャグジ様のの正体についての輪郭はかなり浮かび上がってきたと思う。

ここまでの考察を簡単にまとめておこう。.
a名古屋市の石神社ではミシャグジ様に杓子を奉納する習慣がある。ミシャグジ様とは御石神様のことではないか。
御石神→ミシャクジン様→ミシャグジ様と転じた?
b物部氏の祭祀する神社は本殿をもたず拝殿より直接磐座を拝する神社が多い。
磐船神社・星田妙見宮など。大神神社も物部氏の神である可能性が高い。
神殿を持たず磐座をご神体とする物部氏の祭祀する神ではないか。
c横浜市の社宮司社は「咳の神」「おしゃもじさま」と呼ばれている。石と咳はどちらも「セキ」とよむ。
d大阪市四天王寺に石神堂・咳の地蔵尊がある。
また物部守屋を祀る守屋祠がある。
聖徳太子が創建した四天王寺は物部守屋を鎮魂する寺ではないか。
(聖徳太子は物部守屋との闘いに勝利して四天王寺を建立した。)
e諏訪大社の御祭神はミシャグジ様(御石神様)。
長野県諏訪地方では洩矢神が厚く信仰され、ミシャグジ神と同一視されている。
洩矢と守屋は発音が同じである。
洩矢神=ミシャグジ様は物部守屋ではないか。
fミシャクジ様は疳の虫を切る神として鋏の絵を描いた紙を お供えする習慣があった。杓子をひっくり返すと酒の燗の形になる処から、ミシャグジ様は疳の虫の神としても信仰されたのではないか。
g四天王寺に関係の深い一心寺の本多忠朝の墓は酒絶ちの神として信仰され杓子が奉納されている。杓子の杓が酌に通じる。また杓子をひっくり返すと燗の形になるところから、酌または燗を絶つ神として信仰されたのではないか。
h聖徳太子を祀る祇園祭太子山の民家に疳の虫の薬「奇応丸」の看板があげられている。聖徳太子は疳の虫の神として信仰されたのか。
i聖徳太子を祀る橘寺に杓子が奉納されていた。聖徳太子はミシャグジ様として信仰されたのか。
J多賀大社には杓子を奉納する習慣がある。多賀大社はミシャグジ様か。
k多賀大社の別院・胡宮神社の「胡」は「首」「異民族」などの意味がある。胡宮神社・多賀大社は首の神、異民族の神か。
杓子は人間の首を思わせる形をしている。

ミシャグジ様の正体は御石神様であり、石の神から咳の神に転じた。
また御石神様はミシャクジン様からミシャグジ様と訛り、その結果杓子を奉納する習慣が生じた。
杓子をひっくり返すと酒の燗(かん)の形ににている。そこからミシャグジさまは疳の虫封じの神へと神格を広げた。またミシャクジンのシャクは「酒を酌する」の「酌」に通じるので、杓子をひっくり返して「酌をたつ神」「酒絶ちの神」にもなった。
杓子は人間の首を思わせる形をしているので、ミシャクジさまはドクロの神にもなった。

五箇山 上梨 村上家 鬼門除け

五箇村 村上家住宅 鬼門除け(猿のドクロではないかと思う。)


いや、もしかすると石神とはもともとドクロの神であるので首をおもわせる杓子を奉納する習慣が生じ、ミシャグジさまとして信仰されるようになったのかもしれない。

橘寺は山号を仏頭山というが、たくさんの仏頭が現れたことから仏頭山と名付けられたという。
橘寺は聖徳太子を祀っているが、聖徳太子の子孫は蘇我入鹿に攻められて全員斑鳩寺で首をくくって死んだ。
現れたたくさんの仏頭とは首をくくって自害した聖徳太子の子孫の霊ではないかと思える。

橘寺 観音堂 ライトアップ

橘寺

しかし、石神を祀るのは物部氏の祭祀スタイルではないかと思われるし、
洩矢神=物部守屋とも考えられる。
大阪の四天王寺は聖徳太子がたてたとされるが、境内には守屋祠があって物部守屋を祀っている。

ミシャグジ様のイメージに聖徳太子と物部守屋の二人が同時に浮かび上がってくるのはどういうことなのだろうか?

587年、廃仏派・物部守屋vs崇仏派・蘇我馬子の戦いがあった。
蘇我馬子が勝利して、物部守屋は戦死した。
この戦いで、聖徳太子は蘇我馬子側について参戦している。

物部守屋と聖徳太子は対立するライバルだったのだが?

守屋祠


四天王寺 守屋祠

②菅原道真は十一面観音の生まれ変わり

北野天満宮の神宮寺だった東向観音寺のご本尊は道真御作と伝えられてるが
東向観音寺の門前には「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」と記された石碑が建てられている。

天満宮とは北野天満宮の御祭神・菅原道真のことだろう。
本地仏は本地垂迹説からくる言葉である。
本地垂迹説とは日本古来の神々は仏教の神々が衆上を救うため仮にこの世に姿を現したものであるとする考え方のことで
仏教の神が仮にこの世に姿をあらわした日本古来の神々のことを「権現」、
日本古来の神々のもともとの姿である仏教の神々のことを「本地仏」といった。
つまり、「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」とは「菅原道真は十一面観音の生まれ変わりである」というような意味になると思う。

東向観音寺 

東向観音寺

すると、「道真御作」というのは本当に道真が十一面観音を刻んだという意味ではなく、「怨霊として(道真の死後、疫病や天災があいつぎ、これらは道真の怨霊の仕業と考えられました。)人々に畏れられた道真が成仏して十一面観音になった」という意味ではないかと思える。

③重なる聖徳太子と物部守屋のイメージ

大神神社の神宮寺だった平等寺では聖徳太子御作の十一面観音をご本尊としている。
平等寺の十一面観音が聖徳太子御作だというのも、怨霊として畏れられた聖徳太子が成仏して十一面観音になった」という意味ではないかと思える。

しかし、神殿をもたず、拝殿より直接ご神体の三輪山を拝する大神神社は物部氏の神社ではないかとも思える。

三輪山 日の出 
大神神社 ご神体の三輪山

なぜこんなにも聖徳太子と物部守屋のイメージが重なるのか?
もしかして聖徳太子と物部守屋は同一人物ではないかと思えるほどだ。

平等寺 

平等寺

⑪陰陽に描き分けられた守屋と聖徳太子

下図に示したように守屋と聖徳太子は陰陽に描き分けられている。

聖徳太子物部守屋
少年大人
崇仏派廃仏派
弓で射られたが椋の木に隠れて難を逃れた。榎木の木の上にいるところを弓で射られて死んだ。

聖徳太子と物部守屋が同一人物だというのはあまりにもトンデモで、物部守屋は陰、聖徳太子は陽の存在とされているため、
イメージが重なって見えるのかもしれない。


謎は残るが、これからの新しい旅の中で、謎を解けるヒントが見つかるかもしれない。
新しい旅が楽しみだ。

end.

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[2020/01/05 17:21] ミシャグジ様の謎 | TB(0) | CM(0)

ミシャグジ様の謎⑰ イザナギ&イザナミは物部氏の神? 

あけましておめでごうございます。みんなでよい年にしていきましょう!


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胡宮神社 鳥居 桜

胡宮神社

①胡という漢字を調べてみるといろんなことがわかった。

多賀大社の別宮・胡宮神社の胡という漢字を漢和辞典で調べてみると、次のように書いてあった。

①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
③なんぞ。なに。いずくんぞ。
④いのちがながい。としより。おきな。
⑤とおい。はるか。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
⑧祭器。
⑨でたらめのこと。
⑩ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。
角川漢和中辞典(昭和51年 161版)より。


胡宮神社は多賀大社の別宮なので、神社の性格としては胡宮神社と多賀大社は共通するものを持っていると考えていいだろう。
そこで、多賀大社について次のように推測することが出来ると思う。

④いのちがながい。としより。おきな。多賀大社は延命にご利益があると信仰されている。
⑥えびす。北方の異民族の名。えびすは戎・夷のほか胡とも記される。
大和朝廷にまつろわぬ民のことを、蝦夷、戎などといっていた。
戎に胡の字があてられることもあったのではないだろうか。
多賀大社は蝦夷の神を祀っているのではないかと思う。
つまり多賀大社の御祭神・イザナギ&イザナミは蝦夷の神ではないかということである。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。1274年と1281年の2度にわたり、蒙古(モンゴル帝国)が日本にせめて来た。
しかし神風が吹いて、蒙古は撤退した。
その後、人々は蒙古が撤退したのは神のご加護があったからだと考えて、多賀大社にお供え物をした。
その中に糸切餅があったという伝承がある。

日本にとって蒙古は外国からやってきた異民族である。
多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=異民族の神をまつる神社なので、蒙古=多賀大社と考えられたのではないだろうか。

日本では古来より怨霊を神として祀る習慣があった。
たとえばスサノオはもともとは恐ろしい流行り病をもたらす疫神なのだが、厄病除けの神としても信仰されている。
つまり、疫神であるスサノオに「私を疫病にかからないようにしてください」と拝むわけだ。

これと同じように、異民族である蒙古がせめてきたとき、異民族の神・多賀大社の神様に「異民族である蒙古より我々を守ってください」と人々は祈ったのではないか。
②くび多賀大社には杓子(しゃもじ)をお供えする習慣がある。
なぜ多賀大社に杓子をお供えする習慣があるのだろうか?
多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=首(ドクロ)の神を祀る神社
という発想から杓子が奉納されたのではないだろうか。

杓子は人間の頭部と首を連想させる形をしているではないか。


②神武以前、畿内には物部王朝があった?

今回は⑥の中でのべた「イザナギ・イザナミは蝦夷の神ではないか」についてもう少し詳しく説明しておきたい。

⑥えびす。北方の異民族の名。

えびすは戎・夷のほか胡とも記される。
大和朝廷にまつろわぬ民のことを、蝦夷、戎などといっていた。
戎に胡の字があてられることもあったのではないだろうか。
多賀大社は蝦夷の神を祀っているのではないかと思う。
つまり多賀大社の御祭神・イザナギ&イザナミは蝦夷の神ではないかということである。


記紀によれば、初代神武天皇が日向より東征して畿内入りするより早く天の磐船を操ってニギハヤヒが天下っていたと明記されている。
ニギハヤヒは物部氏の祖神とされている。
ここから初代神武天皇以前、畿内には物部王朝があったとする説がある。

③神殿を持たないのは物部氏の祭祀スタイル?

ニギハヤヒが天下ったとされる大阪府交野市の磐船神社のご神体は天の磐船といわれる巨大な磐座で神殿はない。
拝殿より直接ご神体である天の磐船を拝むという祭祀スタイルである。

磐船神社 天の磐船 

磐船神社 ご神体 天の磐船

大阪府交野市枚方市付近はかつて肩野物部氏の本拠地であった場所だが、この付近には神殿がなく直接ご神体である岩や沼を拝む神社が多い。

星田妙見宮 織女石  

星田妙見宮 織女石

瘡(くさがみ)神社 

瘡(くさがみ)神社 拝殿より後方の沼を拝する。鳥居の左右の脚の長さがちがっていたw 2018年の台風で折れたのかも?


また奈良県天理市の石上神宮も物部氏が祭祀する神社で、現在は神殿はあるが、もともとは神殿はなく
宝剣を埋めた庭をご神体としていたという。

石上神社 紅葉 
石上神宮

④大神神社は物部氏が祭祀する神社?

さらに奈良県桜井市の大神神社も神殿がなく、拝殿より直接ご神体である三輪山を拝する。
大神神社の御祭神は大物主神だが、大物主神とニギハヤヒは同一神だとする説がある。

物部氏の祖神はニギハヤヒだが、先代旧事本紀では天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)と表記している。

そして大物主神は正式名称を倭大物主命という。
櫛・玉(魂)が共通するので、二神は同一神ではないかというのだ。

大神神社は物部氏が祭祀する神社である可能性が高い。

大神神社 茅の輪

大神神社 拝殿

三輪山 日の出

大神神社 ご神体の三輪山

本殿を作らないのは、天皇家に従わないという意思表示だった?

そして、星田妙見宮と大神神社にはほとんど同じ伝説が残されている。

何度本殿(宮殿)をつくっても潰れてしまうので、人々は神は本殿(宮殿)を欲していないと考えた。

この伝説について「大物主神は宮殿を作ってもらえなかった。」という人がいるが、私は違うと思う。

大物主神と大国主神は同一神と考えられている。
とういうのは、こんな伝説があるからだ。

大国主神は少名彦名神とともに国作りを行っていたが、国作りの途中で少名彦名神は常世の国へいってしまった。
大国主神はこれからどうやって国作りをすればいいのかと途方にくれていたが、そこへ海の向こうから光り輝く神があらわれた。
大国主が神に名前を問うと、「私はあなたの幸魂、奇魂。私を祀れば国造りは完成するだろう」と言った。
そこで大国主が祀ったのが大神神社である。


大国主といえば国譲りの神話で知られる。

天照大神に派遣されたタケミカヅチが大国主神に「国を譲れ」とせまった。
大国主は「二人の息子に聞いてくれ」と言った。
そこでタケミカヅチが大国主神の息子の事代主神に「国を譲れ」と迫ったところ、事代主神は「承知した」と答えて
逆手を打ち、海を青芝垣に変え、船を踏み傾けて姿を消した。(入水したのだろう。)

次にタケミカヅチは大国主神のもうひとりの息子タケミナカタと相撲をとった。
タケミナカタはタケミカヅチに手をつぶされて諏訪湖まで逃げたが逃げ切れず「国は天孫にさしあげる」と約束した。

大国主神は「二人の息子がそういうならば国は天孫にさしあげる。そのかわり天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を作ってほしい。そうすれば私はその宮殿に籠って外に出ることはないだろう。」

この大国主の言葉に従って作られたのが出雲大社で、出雲大社の社殿が大きいのは大国主の願いを聞き入れた、ということだろう。

一方、大物主神を祀る大神神社には本殿がない。

日本書紀に次のような記述がある。

ニギハヤヒを神と奉じていたナガスネヒコは、日向より東征して畿内入りした神武と対峙し、次のように発言した。

「昔ニギハヤヒという天孫が天下り、私は妹のトミヤスヒメをニギハヤヒと結婚させた。
二人の間にはウマシマジノミコトという御子も生まれた。
あなたは天孫だというが、天孫がふたりもいるのか。
あなたは天孫だと偽って土地を奪おうとしているのではないか。」

神武は天つ神の子である証拠の天の羽羽矢と歩靱(かちゆき)を見せた。
それでもナガスネヒコは考えを改めなかったので、神武に服したニギハヤヒによってナガスネヒコは殺された。
(日本書紀)


ナガスネヒコは神と奉じていたニギハヤヒに殺されたとあるが、これは信用できない。
日本書紀は舎人親王らが編纂し元正天皇に奉納したものであり、天皇家に都合よく改竄されている可能性が高いからだ。

④に書いたように、大物主神=倭大物主命は物部氏の祖神・ニギハヤヒ=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と同一神であったのだろう。

実際のニギハヤヒ=大物主神は誇り高い人物であり、簡単に国を明け渡すような人物ではなかったのではないだろうか。

「私は宮殿などいらない。私は宮殿にこもったりはしない。もちろん国を天孫に譲ったりもしない!」
大物主はそんな風に考えているににちがいない、と人々は考え、大神神社に関しては出雲大社のように本殿をつくるということをしなかったのではないか。

私はそう考える。

⑥多賀大社は石神を祀っているので杓子を奉納する習慣が生じた?

イザナギとイザナミを祀る多賀大社には本殿はあるが、寿命石と呼ばれる石もがある。
東大寺再建を命じられた重源が多賀大社に東大寺再建を果たすまでの延命祈願をし、東大寺再建後に座り込んでなくなった石だと言われている。

多賀大社 長命石
 

多賀大社 寿命石

寿命石は多賀大社の神の石だといえる。
多賀大社は石神であり、御石神→ミシャクジン→ミジャグジとなり、杓子が奉納されるようになったのではないだろうか。

⑦石神は物部氏の神?&物部王朝に婿入りした神武

神々の系譜は次のように続いている。

イザナギ&イザナミ(同複の兄妹)
  ↓
天照大神&スサノオ(同複の姉弟)
  ↓
ニニギ&コノハナノサクヤヒメ(葦原中国のオオヤマツミの娘)
  ↓
山幸彦&豊玉姫(海神の娘)
  ↓
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊&玉依姫(海神の娘、豊玉姫の妹)
  ↓
神武天皇&ヒメタタライスズヒメ(日本書紀では大物主の娘)

このうち同複の兄妹または同複の姉弟で結婚しているイザナギ&イザナミ、天照大神&スサノオは物部氏の神だと考えられるのではないだろうか。

ニニギは高天原から葦原中国に天下って葦原中国のオオヤマツミの娘・コノハナノサクヤヒメと結婚している。
山幸彦は竜宮にいき、海神の娘、豊玉姫と結婚している。
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊も竜宮にすむ海神の娘・玉依姫と結婚している。

ニニギ・山幸彦・彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊は婿入りしたということである。

神武天皇は日向から畿内にやってきて、畿内の大和にある大神神社の御祭神・大物主の娘・姫多々良五十鈴と結婚しているので、やはり婿入りしたということになる。

しかも、大物主神=ニギハヤヒと考えられるので、神武は物部王朝に婿入りすることによって天皇になったと考えられる。


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[2020/01/03 18:19] ミシャグジ様の謎 | TB(0) | CM(0)