ミシャグジ様の謎⑭ 『聖徳太子は疳の虫の神?』
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祇園祭 太子山
①太子山と奇応丸
7月16日、祇園祭宵山で京都烏丸駅付近は大変な賑わいを見せていた。
人の波に飲まれそうになりながら、私は太子山のある太子山町までやってきた。
祇園祭宵山では7月17日に山鉾を出すそれぞれの町(山鉾町という)でご神体やタペストリーなどを飾っており、多くの人が見物にやってくるのだ。
歩行者天国となった道に太子山の山鉾がたてられ、たくさんの提灯が飾り付けられていた。
その前の古民家の薄暗い屋内に聖徳太子像が安置されていた。
髪をみずらを結った少年の姿の聖徳太子だ。

祇園祭 太子山 ご神体 聖徳太子像
山鉾の中心には真木と呼ばれる木をたてる。
この真木は松が用いられるが、太子山のみ杉を用いている。
というのは、次のような伝説があるからだ。
聖徳太子が四天王寺を建てる際、良材を求めて山に入った。
山で出会った老人が杉の霊木を教えてくれたので、その霊木を用いて六角堂を建てた。
つい最近、私は四天王寺を参拝していた。
太子山はその四天王寺と関係が深い山だったのだ。
ミシャグジ様の謎⑪ 『咳の地蔵尊はミシャクジ様?』

四天王寺 夕景
現在の四天王寺に六角堂はなかったと思うが、昔は六角堂があったのだろうか?(写真は八角堂)
京都には聖徳太子が建てたという六角堂があるが。
そんなことを考えながらご神体に手を合わせ、建物の外にでる。
そして建物の前にたち、あらためて建物を見上げてみると、「奇王丸」と記された看板とランプがあるのに気が付いた。

関西の人なら「ひや きおーがん♪」と歌われるCMソングを聞いた記憶があるかもしれない。
「ひや」は「樋屋」で「樋屋製薬会社」という会社名、「奇応丸」は赤ちゃんの夜泣き・疳の虫に効能があるとされる薬である。
この民家はかつて薬屋さんを営んでいたのだろう。
奇応丸は奈良時代に鑑真が6度目の渡航で来日に成功した歳、戒律とともに日本に伝えたとされる生薬である。
のちに東大寺の太鼓を修理した際、腔裏(こうり)にその製法が記されており、これをもとに奇応丸が作られるようになったといわれる。
太子山を祀る山鉾町に奇応丸の看板があるのは偶然なのか?
私には聖徳太子と奇応丸には関係があったのではないかと思える。その理由をお話ししたいと思う。

②疳の虫封じの寺社
京都や大阪に虫封じにご利益があるとされる寺社がある。
1 | 北向虫八幡神社(京都) | 桂川の草津湊にあったが1872年に伏見の田中神社境内(明治5年)に遷宮 平安時代、藤原安子が憲平親王(後の冷泉天皇)の癇の虫治癒祈願し効果があった。 社殿が北を向いているのは平安京鎮護のためといわれる。 |
2 | 三十三間堂(京都) | 三十三間堂の僧侶が夢のお告げで夜泣泉(よなきせん)を発見した。 すすり泣きに似ているので夜泣泉の名前がある。 冷たく、おなかをこわさない。枯れることがない。 夜泣泉の隣には夜泣地蔵がある。 お地蔵様の前掛けを持ち帰り、幼児の枕に敷くと、夜泣きが治るという。 |
3 | 剣神社(京都) | 願掛けの期間中は飛び魚を断って祈願する。 疳の虫と神、白山姫命を祀る。 |
4 | 壬生寺(京都) | 塔頭・中院の夜泣き地蔵(おせき地蔵)が幼児の夜泣きにご利益あり。 |
5 | 三宅八幡宮(京都) | 通称虫八幡。子供の疳の虫除けや夜泣きにご利益がある |
6 | 自性院(大阪) | 疳の虫にご利益があるとされるが、由緒などは不明。 |

谷町筋付近 自性院
③夜泣き地蔵=お石地蔵=お咳地蔵?
上表4壬生寺の「夜泣き地蔵」は「おせき地蔵」とも呼ばれている。
「おせき地蔵」は石像なので「お石地蔵」となり、ここからさらに「お咳地蔵」に転じたのではないだろうか。
上表6自性院は大坂の谷町筋近くにある寺だが、このあたりはかつて日想観の聖地だった
日想観とは沈みいく夕日を見て西国浄土に思いをはせるという仏教の修業のことを言う。
日想観の信仰の中心地は四天王寺だったが、その四天王寺には牛王尊を祀る「石神堂」がある。

四天王寺 石神堂
牛王尊とは厄神の牛頭天皇ではないかと思うが、その牛王尊=石神ということだろう。
さらに 四天王寺境内には「咳(せき)の地蔵尊」がある。
咳の地蔵尊は牛王尊=石神と関係のある地蔵尊ではないかと思う。

四天王寺 咳の地蔵尊
石は「せき」と読むので、石神は咳の地蔵尊に変化したのではないだろうか。
実際、咳を治してくれる神としてミシャクジ様を信仰している神社もある。(横浜市の社宮司社)
そして、壬生寺の夜泣き地蔵=おせき地蔵が疳の虫にご利益があると信仰されているということは、
四天王寺の牛王尊=石神および咳の地蔵尊も疳の虫にご利益があると信仰され、
その四天王寺の牛王尊=石神=咳の地蔵尊に関係する仏さまを自性院ではお祭りしているのではないかと私は考えた。
(四天王寺と自性院は場所が近い。自性院の由緒などはよくわかっていない。)
④ミシャクジ様は疳の虫を切る神
牛王尊=石神とは御石神(ミシャクジ)様のことだと思う。
このミシャクジ様について、次のような内容の書き込みを見つけた。
1.諏訪大社の御祭神はミシャグジ様(御石神様)。
2.疳の虫とつながりがあるとされ、ミシャクジ様の近くにはさみの絵を描いた紙を お供えするという風習がある。
3.昔は疳の虫を切る儀式をハリガネムシで代用した。
https://hobby7.5ch.net/test/read.cgi/occult/1162037686/ №26
ミシャクジ様と疳の虫を切る儀式との関係については明確に記されていないが、
ミシャグジ様にはさみの絵をお供えする習慣があったということは、「ミシャクジ様は疳の虫を切ってくださる神様」という信仰があったということだと思う。
そしてハリガネムシ(針金のような形をした虫)を疳の虫に喩え、これをはさみで切る儀式をミシャクジ様の前で行ったということではないだろうか。
⑤ミシャグジ様に奉納する杓子をひっくり返せば燗をする徳利の形に
ミシャグジ様が疳の虫治癒の神様でもあるとすれば、なぜミシャグジさまは疳の虫治癒に霊験があると考えられたのだろうか。
ミシャグジ様は杓子(シャクシ/しゃもじ)の音に通じるため、杓子を奉納する習慣がある。
滋賀県の多賀大社にはしゃもじを奉納する習慣があるので、多賀大社もミシャグジ様と関係があると思う。
胡宮神社には青龍山山頂に胡宮の磐座(いわくら)があり、多賀大社の奥の院と呼ばれている。
磐座の神は石神である。

多賀大社前 多賀屋さんの看板は杓子の形をしている。
多賀大社前にある多賀屋さんの看板は多賀大社に奉納するしゃもじを象ったものである。
このしゃもじをひっくり返すとお燗(かん)の徳利のような形になる。
それで、燗→疳の虫となったのではないだろうか。
⑥本多忠朝の墓にしゃもじを奉納するのはなぜ?
そう考えると、四天王寺近くにある一心寺に祀られている本多忠朝の墓にしゃもじが奉納されている理由が説明できる。
本多忠朝は本多忠朝はお酒が大好きで、そのため冬の陣では負けてしまい、家康にこっぴどく叱られたという。
それで名誉挽回とばかりに夏の陣では頑張ったのだが、討ち死にし 死ぬ間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれる。
しゃもじは酒の燗をする徳利の形に似ている。
そのため、酒絶ちの神・本多忠朝に「徳利」「燗」に似た形をしたしゃもじを奉納するのではないだろうか。

一心寺 本多忠朝の墓
⑦石神=聖徳太子?
四天王寺は聖徳太子が建てた寺なので、石神=ミシャクジ様=咳の神=疳の虫の神の正体は聖徳太子なのだろうか。
そういえば、聖徳太子を祀っている奈良県明日香村の橘寺にもしゃもじが奉納されていた。
すると、聖徳太子をご神体とする太子山の山鉾町に疳の虫の薬・奇応丸を販売する薬屋があるのは偶然ではないかもしれない。
奇応丸を販売する薬屋は疳の虫封じの神として聖徳太子を信仰しており、そのため祇園祭で太子山を奉仕していたのではないかと思える。そして

橘寺
そして橘寺には二面石と呼ばれる石があるが、これは石で作られた神、石神、ミシャグジ様だとも考えられる。

橘寺 二面石

祇園祭 宵山 ↑ ↓

ミシャグジ様の謎⑮ 胡宮神社の胡という漢字を調べたらいろんなことがわかった。 につづきます~
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