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ミシャグジ様の謎 ⑯ 『糸切餅は何をデザインしたもの?』 

ミシャグジ様の謎⑮ 胡宮神社の胡という漢字を調べたらいろんなことがわかった。  よりつづきます~
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ミシャクジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた? 


①お多賀杓子の由来は信じられるか。

満開の枝垂桜がゆれる春の多賀大社。

多賀大社 枝垂れ桜

多賀大社

おや、太鼓橋の向こうに大きな杓子が見える。

多賀大社 橋

多賀大社より門前町をのぞむ

過去の記事で橘寺・一心寺・本多忠朝の墓などに杓子を奉納する習慣があることをお話しした。
ミシャグジ様の謎⑩ 千の仏頭が現れた山  
ミシャグジ様の謎⑬ 「酌をたつ神?」 

しかし杓子を奉納する習慣があることにおいて関西で最も有名なのはここ、多賀大社だろう。

太鼓橋の向こうに見えているのは、土産物などを売っている多賀屋さんであるが
この多賀屋さんにも大きな杓子の看板がかけられている。

多賀屋 

多賀大社に奉納するしゃもじを象った看板 

 多賀大社前駅構内にお多賀杓子の説明を書いたものが展示されていた。
内容をまとめると次のようになる。

元正天皇(在位717~723)が病気になったとき、多賀大社の神官たちが病気平癒の祈祷をした。
強飯を焚き、神木でつくった杓子をそえて献上したところ、天皇の病は快癒したところから、無病長寿のシンボルとされるようになった。

おたまじゃくしはお多賀杓子がなまったものだといわれている。
お多賀杓子を作った残りのシデ((ケヤキ)の枝を地面に挿したところ大木となった。
これが尼子にある飯盛木(男木と女木)だといわれている。

しかし、この手の由緒はあとづけでこじつけたものが多いと思う。
テレビなどが視聴者の反応を憚ってあまりにえげつない真実を報道しないことがあるが、それに似たようなものだと思う。

お多賀杓子の真実はこの言い伝えとは別のところにあると思う。

②多賀大社はミシャグジ様を祀る神社だった?

多賀大社には、寿命石と呼ばれる石がある。
東大寺再建を命じられた重源が多賀大社に東大寺再建を果たすまでの延命祈願をし、東大寺再建後に座り込んでなくなった石だと言われている。

多賀大社 長命石 

多賀大社 寿命石

寿命石は多賀大社の神の石だといえる。
つまり多賀大社は石神であり、御石神→ミシャクジン→ミジャグジとなり、杓子が奉納されるようになったのではないだろうか。

多賀大社の御祭神はイザナギ・イザナミである。
つまりイザナギ・イザナミは石の神ではないか、ということである。

ミシャグジ様の信仰は横浜市の社宮司社など全国にあり、杓子を奉納する習慣のあるところが多いが
ミシャグジ様の正体は御石神様であり、御石神→ミシャクジン→ミジャグジと転じて杓子を奉納する習慣が生じたのではないかと思う。

弓の弦で切って作る糸切餅

多賀屋さんの巨大な杓子の看板の横には糸切餅の看板が掲げられていた。
糸切餅は多賀大社の名物で多賀屋さんのほか、数件の店で販売している。

多賀屋 糸切餅 看板 

多賀屋さん糸切餅の看板

青と赤のラインが美しい。誰がこんな洗練されたデザインを思いついたのか。

糸切餅は長く引き伸ばした米粉のお餅を三味線の弦で切って作る。
しかしもともとは三味線の弦ではなく、弓の弦で切っていたそうである。 
  
糸切餅の起源は約700年前の「蒙古襲来」にまで遡ると言われる。。

1274年と1281年の2度にわたり、蒙古(モンゴル帝国)が日本にせめて来た。
しかし神風が吹いて、蒙古は撤退した。
その後、人々は蒙古が撤退したのは神のご加護があったからだと考えて、多賀大社にお供え物をした。
その中に糸切餅があったというのである。
気になる赤と青の三本線のデザインは蒙古軍旗を模したものだという。

帰宅後、蒙古軍旗のデザインをネットで調べてみたが全くわからなかった。

それはともかく、「弓の弦で切っていた」と聞いて私は心臓バクバク状態に!

その理由とは?

弓でひいて音を出す楽器を胡というのはなぜ?

前回ご紹介した胡宮神社は多賀大社の別宮である。

胡宮神社 鳥居 桜

胡宮神社

胡宮神社の胡という漢字を漢和辞典で調べてみると、次のように書いてあった。

①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
③なんぞ。なに。いずくんぞ。
④いのちがながい。としより。おきな。
⑤とおい。はるか。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
⑧祭器。
⑨でたらめのこと。
⑩ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。
角川漢和中辞典(昭和51年 161版)より。

多賀大社 しだれ桜3

多賀大社

④いのちがながい。としより。おきな。

とあるが、多賀大社は延命にご利益があると信仰されている。

⑥えびす。北方の異民族の名。

えびすは戎・夷のほか胡とも記される。
大和朝廷にまつろわぬ民のことを、蝦夷、戎などといっていた。
戎に胡の字があてられることもあったのではないだろうか。
多賀大社は蝦夷の神を祀っているのではないかと思う。
つまり多賀大社の御祭神・イザナギ&イザナミは蝦夷の神ではないかということである。
これについては次回、詳しく説明したいと思う。

⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。

日本にとって蒙古は外国からやってきた異民族である。
多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=異民族の神をまつる神社なので、蒙古=多賀大社と考えられたのではないだろうか。

日本では古来より怨霊を神として祀る習慣があった。
たとえばスサノオはもともとは恐ろしい流行り病をもたらす疫神なのだが、厄病除けの神としても信仰されている。
つまり、疫神であるスサノオに「私を疫病にかからないようにしてください」と拝むわけだ。

これと同じように、異民族である蒙古がせめてきたとき、異民族の神・多賀大社の神様に「異民族である蒙古より我々を守ってください」と人々は祈ったのではないかと思うのである。

②くび

多賀大社には杓子(しゃもじ)をお供えする習慣がある。
なぜ多賀大社に杓子をお供えする習慣があるのだろうか?
多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=首(ドクロ)の神を祀る神社
という発想から杓子が奉納されたのではないだろうか。

杓子は人間の頭部と首を連想させる形をしているではないか。

橘寺にも杓子を奉納する習慣があるが橘寺の山号は仏頭山である。
仏頭とは仏の頭のことで、聖徳太子が勝鬘経(しょうまんきょう)の講義を行うと、千の仏頭が現れ光り輝いたという伝説うから仏頭山という。

 橘寺 彼岸花

仏頭山 橘寺

③弓で弾く楽器を胡弓というのはなぜ?

胡弓という楽器がある。
三味線に似ているが、三味線と違って弓で弾く。



動画お借りしました。動画主さんありがとうございます!

四角い箱に柄がついたような形をしていて、杓子に似ている。
また胴体から切り離した頭部(首・ドクロ)にも似ている。
それで胡弓という名前がつけられたのではないだろうか。

琉球には胡弓(クーチョー)という楽器があるが、やはり弓で弾く。
琉球の胡弓は昔は椰子の実を割って胴にしていたというので、日本の胡弓よりさらに頭部(首・ドクロ)のイメージに近い。
中国の楽器・二胡も弓で弾き、「胡」の文字が使われている。

さらに、擦弦楽器を総称して胡弓と呼ぶこともあり、明治初期にはバイオリンのことも胡弓といっていた。

つまり弓でひくものが胡弓であり、似たような形をしていてもバチで弾いて音を出す三味線には胡という漢字は用いられない。
これはなぜだろうか?

それは弓でひくことに、首を刀などで切断しているイメージがあるからではないだろうか?

菱屋さん 

糸切餅を製造販売している菱屋さん

 ④糸切餅は胡弓の弓で切っていた?

糸切餅のデザインを思い出してほしい。
胡弓には弦が3本ある。
糸切餅の3本の線は、蒙古の旗だと言うが、本当は胡弓の3本の弦をイメージしたものではないだろうか。

糸切餅は現在は三味線の弦で切っている。しかしもともとは弓の弦で切っていたのだった。
弓というと、弓矢の弓を思いがちだが、弓は弓でも、胡弓の弓で糸切餅を切っていたのではないだろうか。

これが正しければ、糸切餅の起源は蒙古襲来よりも、うんと時代が下って江戸時代ではないかなと思ったりする。
胡弓が歴史上に登場するのは江戸時代だからだ。

糸切餅

菱屋さんの糸切餅

ミシャグジ様の謎⑰ イザナギ&イザナミは物部氏の神? につづきます~



  

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[2019/12/29 10:54] ミシャグジ様の謎 | TB(0) | CM(0)

ミシャグジ様の謎⑮ 胡宮神社の胡という漢字を調べたらいろんなことがわかった。 

ミシャグジ様の謎⑭ 『聖徳太子は疳の虫の神?』 よりつづきます~
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胡宮神社 鳥居 桜

胡宮神社にはミシャグジ信仰があった?

胡宮(このみや)神社は多賀胡宮とも呼ばれ、イザナギ・イザナミ・事勝国勝長狭(コトカツ クニカツ ナガサノミコト)を祀り、延命にご利益があるとされる。

胡宮神社は多賀大社の別宮で、敏達天皇代(572~585)胡宮神社境内に敏満寺が建立され、敏満寺は多賀大社の奥の院となった。
残念ながら敏満寺は戦国時代末期に浅井長政によって焼かれて焼失した。

急いでいたので、このときは写真を1枚撮っただけだったが、青龍山には石仏谷と呼ばれる場所があり、たくさんの石仏が置かれているそうである。
また、青龍山には胡宮の磐座があるそうである。
こちらのサイトに写真が多数掲載されている。http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_kinki/shi_konomiya/konomiya.htm

先ほど胡宮神社は多賀大社の別宮だと書いたが、多賀大社には杓子を奉納する習慣があり、ミシャグジ信仰がうかがえる。
というのはミシャグジ様に杓子を奉納するという習慣が各地にあるのだ。
おそらく、御石神→ミシャグジ→御杓子という語呂合わせからだと思う。

多賀屋

多賀大社前 多賀屋さんの看板は杓子の形をしている。

多賀大社の別宮・胡宮神社で杓子は見かけなかったが、石仏谷の石仏と古宮の磐座はミシャグジ信仰に関係が深そうに思える。
石仏も磐座も御石神だといえるからだ。

胡という漢字を漢和辞典で調べてみたら、色んなことがわかった。

胡という漢字を家にあった古い漢和辞典で調べてみると、次のように書いてあった。

①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
③なんぞ。なに。いずくんぞ。
④いのちがながい。としより。おきな。
⑤とおい。はるか。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
⑧祭器。
⑨でたらめのこと。
⑩ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。
角川漢和中辞典(昭和51年 161版)より。


多賀大社 橋

多賀大社

③胡宮神社は蝦夷の神?

⑥えびす。北方の異民族の名。
とある点に注意してほしい。。
胡宮神社という神社名は、北方の異民族の神、という意味ではないだろうか?

東北地方にはまつろわぬ民・蝦夷が住んでいた。
蝦夷はエビスともいわれていたが、エビスは戎、夷のほか、胡とも記された。
胡宮神社の胡宮とは蝦夷=エビスの宮という意味ではないだろうか。

④なぜ多賀大社や胡宮神社は延命にご利益があるとされているのか。

胡には「⑥えびす。北方の異民族の名。」という意味があり、蝦夷(胡)の神の宮という意味で胡宮神社というのだと思うが
胡には「④いのちがながい。としより。おきな。」という意味もある。

そこから胡宮神社は延命にご利益があると考えられるようになったのではないだろうか。

⑤なぜ弓でひくものを胡弓というのか?

①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
というのが特に気になる。

胡弓という楽器がある。
三味線に似ているが、三味線と違って弓で弾く。

琉球には胡弓(クーチョー)、中国には二胡と読いう楽器があるが、やはり弓で弾く。
さらに、擦弦楽器を総称して胡弓と呼ぶこともあり、明治初期にはバイオリンのことも胡弓といっていた。

つまり弓でひくものが胡弓であり、指やバチではじく三味線やギターは胡弓ではないのだ。

もしかしてそれは弓でひくことに、首を刀などで切断しているイメージがあるからではないだろうか?



動画お借りしました。動画主さんありがとうございます!

そう考えると、胡宮神社とはドクロ(首)の神であり、胡宮神社を別宮とする多賀大社もドクロの神ではないかと思われる。

しゃもじは胴体から切り離した首=ドクロを思わせる形をしているではないか。

たがSLパーク跡  Ⅾ51  
多賀SLパーク跡


ミシャグジ様の謎 ⑯ 『糸切餅は何をデザインしたもの?』 につづきます~



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[2019/12/26 23:02] ミシャグジ様の謎 | TB(0) | CM(0)

ミシャグジ様の謎⑭ 『聖徳太子は疳の虫の神?』 

ミシャグジ様の謎⑬ 「酌をたつ神?」  よりつづきます~
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祇園祭 太子山 
祇園祭 太子山

①太子山と奇応丸

7月16日、祇園祭宵山で京都烏丸駅付近は大変な賑わいを見せていた。
人の波に飲まれそうになりながら、私は太子山のある太子山町までやってきた。
祇園祭宵山では7月17日に山鉾を出すそれぞれの町(山鉾町という)でご神体やタペストリーなどを飾っており、多くの人が見物にやってくるのだ。

歩行者天国となった道に太子山の山鉾がたてられ、たくさんの提灯が飾り付けられていた。
その前の古民家の薄暗い屋内に聖徳太子像が安置されていた。
髪をみずらを結った少年の姿の聖徳太子だ。

祇園祭 太子山 ご神体 
祇園祭 太子山 ご神体 聖徳太子像

山鉾の中心には真木と呼ばれる木をたてる。
この真木は松が用いられるが、太子山のみ杉を用いている。

というのは、次のような伝説があるからだ。

聖徳太子が四天王寺を建てる際、良材を求めて山に入った。
山で出会った老人が杉の霊木を教えてくれたので、その霊木を用いて六角堂を建てた


つい最近、私は四天王寺を参拝していた。
太子山はその四天王寺と関係が深い山だったのだ。
ミシャグジ様の謎⑪ 『咳の地蔵尊はミシャクジ様?』 

四天王寺 夕日 

四天王寺 夕景

現在の四天王寺に六角堂はなかったと思うが、昔は六角堂があったのだろうか?(写真は八角堂)
京都には聖徳太子が建てたという六角堂があるが。

そんなことを考えながらご神体に手を合わせ、建物の外にでる。
そして建物の前にたち、あらためて建物を見上げてみると、「奇王丸」と記された看板とランプがあるのに気が付いた。

京都 奇応丸の看板

関西の人なら「ひや きおーがん♪」と歌われるCMソングを聞いた記憶があるかもしれない。
「ひや」は「樋屋」で「樋屋製薬会社」という会社名、「奇応丸」は赤ちゃんの夜泣き・疳の虫に効能があるとされる薬である。

この民家はかつて薬屋さんを営んでいたのだろう。

奇応丸は奈良時代に鑑真が6度目の渡航で来日に成功した歳、戒律とともに日本に伝えたとされる生薬である。
のちに東大寺の太鼓を修理した際、腔裏(こうり)にその製法が記されており、これをもとに奇応丸が作られるようになったといわれる。

太子山を祀る山鉾町に奇応丸の看板があるのは偶然なのか?

私には聖徳太子と奇応丸には関係があったのではないかと思える。その理由をお話ししたいと思う。

京都 町屋 

②疳の虫封じの寺社

京都や大阪に虫封じにご利益があるとされる寺社がある。
北向虫八幡神社(京都)桂川の草津湊にあったが1872年に伏見の田中神社境内(明治5年)に遷宮
平安時代、藤原安子が憲平親王(後の冷泉天皇)の癇の虫治癒祈願し効果があった。
社殿が北を向いているのは平安京鎮護のためといわれる。
三十三間堂(京都)三十三間堂の僧侶が夢のお告げで夜泣泉(よなきせん)を発見した。
すすり泣きに似ているので夜泣泉の名前がある。
冷たく、おなかをこわさない。枯れることがない。
夜泣泉の隣には夜泣地蔵がある。
お地蔵様の前掛けを持ち帰り、幼児の枕に敷くと、夜泣きが治るという。
剣神社(京都)願掛けの期間中は飛び魚を断って祈願する。
疳の虫と神、白山姫命を祀る。
壬生寺(京都)塔頭・中院の夜泣き地蔵(おせき地蔵)が幼児の夜泣きにご利益あり。
三宅八幡宮(京都)通称虫八幡。子供の疳の虫除けや夜泣きにご利益がある
自性院(大阪)疳の虫にご利益があるとされるが、由緒などは不明。

自性院 
谷町筋付近 自性院 

③夜泣き地蔵=お石地蔵=お咳地蔵?

上表4壬生寺の「夜泣き地蔵」は「おせき地蔵」とも呼ばれている。
「おせき地蔵」は石像なので「お石地蔵」となり、ここからさらに「お咳地蔵」に転じたのではないだろうか。

上表6自性院は大坂の谷町筋近くにある寺だが、このあたりはかつて日想観の聖地だった
日想観とは沈みいく夕日を見て西国浄土に思いをはせるという仏教の修業のことを言う。
日想観の信仰の中心地は四天王寺だったが、その四天王寺には牛王尊を祀る「石神堂」がある。

牛王尊

四天王寺 石神堂

牛王尊とは厄神の牛頭天皇ではないかと思うが、その牛王尊=石神ということだろう。

さらに
四天王寺境内には「咳(せき)の地蔵尊」がある。
咳の地蔵尊は牛王尊=石神と関係のある地蔵尊ではないかと思う。

四天王寺 咳の地蔵尊

四天王寺 咳の地蔵尊

石は「せき」と読むので、石神は咳の地蔵尊に変化したのではないだろうか。
実際、咳を治してくれる神としてミシャクジ様を信仰している神社もある。(横浜市の社宮司社)

そして、壬生寺の夜泣き地蔵=おせき地蔵が疳の虫にご利益があると信仰されているということは、
四天王寺の牛王尊=石神および咳の地蔵尊も疳の虫にご利益があると信仰され、
その四天王寺の牛王尊=石神=咳の地蔵尊に関係する仏さまを自性院ではお祭りしているのではないかと私は考えた。
(四天王寺と自性院は場所が近い。自性院の由緒などはよくわかっていない。)

④ミシャクジ様は疳の虫を切る神

牛王尊=石神とは御石神(ミシャクジ)様のことだと思う。

このミシャクジ様について、次のような内容の書き込みを見つけた。

1.諏訪大社の御祭神はミシャグジ様(御石神様)。
2.疳の虫とつながりがあるとされ、ミシャクジ様の近くにはさみの絵を描いた紙を お供えするという風習がある。
3.昔は疳の虫を切る儀式をハリガネムシで代用した。

https://hobby7.5ch.net/test/read.cgi/occult/1162037686/ №26

ミシャクジ様と疳の虫を切る儀式との関係については明確に記されていないが、
ミシャグジ様にはさみの絵をお供えする習慣があったということは、「ミシャクジ様は疳の虫を切ってくださる神様」という信仰があったということだと思う。
そしてハリガネムシ(針金のような形をした虫)を疳の虫に喩え、これをはさみで切る儀式をミシャクジ様の前で行ったということではないだろうか。

⑤ミシャグジ様に奉納する杓子をひっくり返せば燗をする徳利の形に

ミシャグジ様が疳の虫治癒の神様でもあるとすれば、なぜミシャグジさまは疳の虫治癒に霊験があると考えられたのだろうか。

ミシャグジ様は杓子(シャクシ/しゃもじ)の音に通じるため、杓子を奉納する習慣がある。

滋賀県の多賀大社にはしゃもじを奉納する習慣があるので、多賀大社もミシャグジ様と関係があると思う。
胡宮神社には青龍山山頂に胡宮の磐座(いわくら)があり、多賀大社の奥の院と呼ばれている。
磐座の神は石神である。

多賀屋

多賀大社前 多賀屋さんの看板は杓子の形をしている。

 多賀大社前にある多賀屋さんの看板は多賀大社に奉納するしゃもじを象ったものである。
このしゃもじをひっくり返すとお燗(かん)の徳利のような形になる。
それで、燗→疳の虫となったのではないだろうか。

⑥本多忠朝の墓にしゃもじを奉納するのはなぜ?

そう考えると、四天王寺近くにある一心寺に祀られている本多忠朝の墓にしゃもじが奉納されている理由が説明できる。

本多忠朝は本多忠朝はお酒が大好きで、そのため冬の陣では負けてしまい、家康にこっぴどく叱られたという。
それで名誉挽回とばかりに夏の陣では頑張ったのだが、討ち死にし 死ぬ間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれる。

しゃもじは酒の燗をする徳利の形に似ている。
そのため、酒絶ちの神・本多忠朝に「徳利」「燗」に似た形をしたしゃもじを奉納するのではないだろうか。

一心寺 ジャカランダ4

一心寺 本多忠朝の墓
  
⑦石神=聖徳太子?

四天王寺は聖徳太子が建てた寺なので、石神=ミシャクジ様=咳の神=疳の虫の神の正体は聖徳太子なのだろうか。
そういえば、聖徳太子を祀っている奈良県明日香村の橘寺にもしゃもじが奉納されていた。

すると、聖徳太子をご神体とする太子山の山鉾町に疳の虫の薬・奇応丸を販売する薬屋があるのは偶然ではないかもしれない。
奇応丸を販売する薬屋は疳の虫封じの神として聖徳太子を信仰しており、そのため祇園祭で太子山を奉仕していたのではないかと思える。そして

橘寺 彼岸花

橘寺

そして橘寺には二面石と呼ばれる石があるが、これは石で作られた神、石神、ミシャグジ様だとも考えられる。

二面石

橘寺 二面石

祇園祭 宵山2 
祇園祭 宵山 ↑ ↓

祇園祭 宵山 



ミシャグジ様の謎⑮ 胡宮神社の胡という漢字を調べたらいろんなことがわかった。 につづきます~



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[2019/12/17 18:42] ミシャグジ様の謎 | TB(0) | CM(0)