ミシャグジ様の謎⑦ 神殿を持たないのは物部氏の祭祀スタイル?
トップページはこちらです→ミシャクジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた?
①刀剣を神格化した神フツヌシ
春日大社の御祭神はアメノコヤネノミコト・タケミカヅチ・フツヌシ・ヒメガミの4柱である。
アメノコヤネノミコトは藤原氏の祖神、タケミカヅチ・フツヌシは藤原氏の守護神、ヒメガミはアメノコヤネノミコトの妻とされる。
春日大社の一柱・フツヌシは、刀剣を神格化した神だと考えられている。

春日大社
②神武天皇を助けた刀剣・フツノミタマ
記紀には「フツノミタマ」という神剣が登場する。
高倉下(タカクラジ)はこんな夢をみた。
葦原中国が騒がしいので、天照大神と高木神はタケミカヅチを葦原中国に派遣しようとした。
タケミカヅチは「自分が葦原中国へ行かなくとも、国を平定した剣があるのでそれを降ろせばいい」と言った。
高倉下が目覚めて倉の中を見てみると、倉の中に剣があった。
神武天皇が率いる軍は熊野で悪神の毒気にあたって倒れてしまった。
しかし、高倉下がこのフツノミタマをもたらすと意識を戻した。

春日大社
③フツノミタマ、物部氏が祭祀する石上神宮から出土。
フツノミタマは石上神社(奈良県天理市)にあると記紀には記されている。
石上神社はかつて地元では「いわがみさん」などとも呼ばれており、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を御祭神としている。
石上神社は古代軍事氏族の物部氏が祭祀し、大和政権の武器庫であったと考えられている。
石上神社にはもともと拝殿があるだけで本殿はなかった。
そして拝殿の奥の聖地を「布留高庭」として祀っていた。
「布留高庭」には二つの神宝が埋められていると言い伝えられていた。
1874年の発掘調査で布都御魂剣が、1878年の発掘調査では天羽々斬剣が出土し、1913年、これらを祀るための本殿が建造された。

石上神社
④物部氏の祭祀する神社は神殿がない?
大阪府交野市付近は肩野物部氏の本拠地だったが、星田妙見宮・磐船神社・など神殿のない神社が多い。
どちらの神社も拝殿より直接ご神体の巨大な岩を拝するという祭祀スタイルである。

磐船神社 ご神体 天の磐船

星田妙見宮 織女石
磐船神社は物部氏の祖神・ニギハヤヒを御祭神とする神社なので、物部氏が祭祀する神社でまちがいないといえそうだ。
また交野市の隣・枚方市にある片埜神社の境外社・瘡(くさがみ)神社も拝殿よりその背後にあるご神体の沼を拝する。
交野市・枚方市は肩野物部氏の本拠地だったところである。

瘡神社 鳥居の左右の脚の長さがちがっていたw 2018年の台風で折れたのかも?
石上神社ももともとは本殿がなかったということであるし、本殿を持たないのは物部氏の祭祀スタイルなのではないだろうか。
物部氏以外にもそういう祭祀スタイルを持つ氏族はあるのかもしれないが。
④伊勢神宮は陽=生の神、石上神宮は陰=死の神?
石上神宮境内では鶏がたくさん飼われていた。
鶏は石上神宮の神使なのだ。
白い鶏もいたが、その多くは茶色の鶏だった。

鶏といえば伊勢神宮でも神とされて飼われているそうである。
私は伊勢神宮は参拝したことがない。
そこで、「伊勢神宮 鶏」で画像検索してみると、茶色い鶏もいるが、白い鶏の写真の方が多いようである。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE+%E9%B6%8F
きちんと確認する必用があり、推論にすぎないが、
伊勢神宮の神使・・・白い鶏・・・・・・・・・・・陽
石上神宮の神使・・・黒い(色のついた)鶏・・・・陰
のように、陰陽の関係になっているようにも思える。
参照/陰陽 黒と白⑳最終回 『まとめ と 神の性別を変える呪術』
陰陽道では万物は陰陽両面を持つと考える。
生死を陰陽で表すと、生が陽、死が陰である。
性別 | 天体 | 光度 | 天気 | 生死 | |
陰(黒) | 女 | 月 | 暗 | 雨 | 死 |
陽(白) | 男 | 太陽 | 明 | 晴 | 生 |
また陽は白、陰は黒で表される。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AYin_yang.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Yin_yang.svg よりお借りしました。
作者 Gregory Maxwell [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
すると、伊勢神宮は陽=生の神、石上神宮は陰=死の神 なのではないかと思える。
また、伊勢神宮は呼名を「磯宮」といったそうだが、石上神宮を思わせる神社名である。
物部氏の祖神・ニギハヤヒは先代旧事本紀では天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)と表記されており、ニギハヤヒが本当の天照大神ではないかとする説がある。
またニギハヤヒは初代神武天皇が日向から東征して畿内入りする以前、すでに畿内に天下っていたとされる。
ここから初代神武以前、畿内には物部王朝があったとする説もある。
私は天照大神とは男神・ニギハヤヒのことであったと思う。
そして天照大神の子孫が葦原中国をおさめるべきというようなルールがあったのではないかと思うのだ。

祇園祭 岩戸山 ご神体の天照大神は男神だった。天照大神を男神とする伝承は各地にある。鳥居にとまっているのは茶色い鶏である
あとから畿内にやってきた神武(天皇家の先祖)には葦原中国を支配する方法はある。
物部王朝に婿入りし、物部氏の女性である自分の妻を王として、自分は摂政のような形で政権を牛耳るというやり方だ。
さらに本来男神であった天照大神を女神に変え、同複の兄妹または姉弟の結婚を禁忌とする。
(古事記の衣通姫と軽太子の話は同複の兄妹または姉弟の結婚を禁忌とする。)
そして、皇位継承を男系に限る。
そうすれば、神武(天皇家の祖先)の血筋がずっと皇位継承されることになる。
これが天皇家の万世一系の正体なのではないかと思う。
そして男神の天照大神を石上神宮に祀って死霊とし、女神の天照大神を伊勢神宮に祀って生霊としたのかも?

石上神宮
ミシャグジ様の謎⑧ 大神神社は物部氏が祭祀する神社? につづきます~
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