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ミシャグジ様の謎⑥ 沼をご神体とする神社

ミシャグジ様の謎⑤ 交野ヶ原の天の川伝説 よりつづきます~
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ミシャクジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた? 


片埜神社2 
片埜神社

①アテルイの首塚


おや、片埜神社(大阪府枚方市)の境内に鬼の面が。

このあたりは豊臣秀吉が築城した大坂城の鬼門(東北)にあたる。
そのため片埜神社は大阪城の鬼門除けの神社として信仰されたという。
それで、ここに鬼の面が置いてあるのだろう。

片埜神社-鬼の面 

②アテルイの首塚

しかし私はこの鬼の面を見ると、片埜神社の隣の牧野公園にあるアテルイの首塚(地元では蝦夷塚と呼ばれている。)や牧野公園の東北3丁(327m)離れた場所(枚方市宇山東町6-1)にあったというアテルイの胴塚をイメージしてしまう。

アテルイの首塚がある牧野公園はかつては片埜神社の境内であったといわれる。

アテルイは吾妻鏡などに登場する悪路王と同一視されているが、悪路王は伝説の中では鬼とされていることがある。

アテルイ(?~802年)は大墓公阿弖利爲(たものきみあてりい)などとも記され、奈良時代末期から平安時代初期ごろ、東北地方に住んでいた蝦夷の首長だった。

このころ、東北にはまつろわぬ民(朝廷に従わない人々)が結構いたようで、蝦夷と呼ばれていた。
802年、征夷代将軍・坂上田村麻呂は東北のまつろわぬ民を攻撃し、苦戦の末、勝利を納めた。
坂上田村麻呂は蝦夷の首長であるアテルイとモレを京へ連れ帰った。
坂上田村麻呂は朝廷にアテルイとモレの助命を嘆願したが、聞き入れられず、ふたりは河内国杜山で処刑された。

アテルイの首塚 
牧野公園 アテルイの首塚

アテルイ・モレが処刑された場所は「杜山」のほか、「植山」「椙山」と記した史料もある。
しかしいずれも河内国には存在しない。

枚方市宇山は江戸時代初期には上山という地名だった。
そこで植山は上山で、現在の枚方市宇山にある塚がアテルイの墓ではないかとする説がある。

昭和63年に枚方市教育委員会が牧野公園の東北にある塚(アテルイの胴塚と考えられていた。)を発掘調査した結果、6世紀後半の円墳と判明した。(宇山1号墳)
アテルイの墓とするには時期がずれている。
現在はその上にマンションが建てられていて、現存しない。

宇山1号墳の東には宇山2号墳があったそうだが、こちらも現存しない。

牧野公園東の坂道(府道17号枚方高槻線)は、「祟り坂」と呼ばれ、ここで転ぶとケガは一生治らないと言い伝えられているそうである。

この話を聞いた限りでは、牧野公園のアテルイの首塚は発掘調査されていないようであるが?

アテルイが処刑された場所が現在の牧野公園かどうかわからない。

しかし、宇山1号墳(2号墳は詳しい情報がつかめていないため、わからない)は6世紀後半の円墳なので、アテルイの胴塚ではないだろう。

③宇山1号墳は肩野物部氏の墓?

このあたりは古には肩野物部氏の本拠地だった。
宇山1号墳は肩野物部氏の首領クラスが眠る墓ではないだろうか。

初代神武天皇がやってくるより早く、このあたりにニギハヤヒという神が天下っていたということは
こちらの記事に書いた。→ ミシャクジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた? 

ニギハヤヒは物部氏の祖神とされている。

ニギハヤヒを神と奉じるナガスネヒコという者があり、神武にこういった。

「私の妹は天孫ニギハヤヒの妻となり、ウマシマジノミコトという御子も生まれた。
あなたは天孫だというが、天孫は二人もいるのか。あなたは天孫だと偽って土地を奪おうとしているのではないか。」

神武はナガスネヒコに天孫の証である天の天羽々矢(あまのははや)と歩靱(かちゆき)を見せたが、それでもナガスネヒコは納得しなかった。

ナガスネヒコは神武に服したニギハヤヒに殺された。

と日本書紀には記されている。

その後、ニギハヤヒの子孫である物部氏は蝦夷とともに東へのがれたともいわれる。
ニギハヤヒの兄・アビヒコは安倍氏の祖だといわれるが、阿倍氏は蝦夷である。
このように物部氏は蝦夷と関係が深そうに思われる。

アテルイの首塚が地元で蝦夷塚と呼ばれているのは、アテルイが蝦夷であるというだけでなく、物部氏が蝦夷と関係が深いところからそう呼ばれているのかもしれない。

④朝原神社と瘡神社は道祖神?

片埜神社から東へ歩いていくと片埜神社の境外社の朝原神社がある。猿田彦神を祀っている。

朝原神社 

朝原神社

朝原神社の隣は枚方東消防署阪出張所で、その隣が同じく片埜神社の境外社の瘡(くさがみ)神社である。

瘡(くさがみ)神社 

瘡神社 鳥居の左右の脚の長さがちがっていたw 2018年の台風で折れたのかも?

瘡神社は次のような伝説を伝えている。

菅原道真が無実の罪で流罪となり大宰府へ向かう途中、この地で道真の馬が倒れた。
道真は馬を地元の人に託して大宰府へ向かった。
地元の人は手厚く介抱したが、馬は死んでしまった。
馬が埋葬された場所には馬の好物である草がたくさんお供えされ、「草神様」と呼ばれるようになった。
この「草神」が「瘡(くさ)神」に転じて「瘡神社」となり、皮膚病にご利益があると信仰された。


私たちは、磐船神社・星田妙見宮など神殿のない神社を見てきた。
磐船神社・星田妙見宮は大阪府交野市にあるが、片埜神社のある枚方市は交野市と隣接している。
そして交野市・枚方市のあたりは古には交野ケ原と呼ばれていた。

磐船神社 天の磐船 

磐船神社 ご神体 天の磐船

星田妙見宮 織女石  

星田妙見宮 織女石

片埜神社の境外社・瘡神社にも神殿がない。
写真の建物は「お籠り堂」で、かつてここに籠って皮膚病祈願が行われていたが、現在は拝殿となっている。
ご神体は岩ではない。拝殿の奥にある沼がご神体となっている。

沼や池には弁財天が祀られることが多い。
女神は水神なのだ。

瘡神社の現在の祭神は火酢芹命だが、もともとは異なる神を祀っていたという。
もともとここに祀られていた神は、女神のアメノウズメではないだろうか。

日本では道祖神は猿田彦神とアメノウズメの男女双体の神とされている。
朝原神社と瘡神社で、道祖神をあらわしているのかもしれない。
参照/ミジャクジ様の謎③ 『ニギハヤヒは太陽神?それとも星の神?』 

河治温泉 如意輪観音 道祖神

川治温泉の道祖神(向かって左)




ミシャグジ様の謎⑦ 神殿を持たないのは物部氏の祭祀スタイル?  につづきます~



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ミシャグジ様の謎⑤ 交野ヶ原の天の川伝説


ミシャグジ様の謎④ 『何度作っても神殿が焼けてしまう神社』  よりつづきます~
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①天田神社はアルタイル、星田妙見宮の織女石はベガ

前回の記事で、私は次のように書いた。

星田妙見宮から天野川を挟んだ対岸には天田神社があり、天田(豊に実る田)の神を祀っている。
この天田は牽牛が耕す田で、対岸の織女石は織姫であると考えられたという。

このような伝説があり、交野ケ原と呼ばれた大阪府交野市・枚方市あたりは七夕伝説発祥の地とされている。

星田妙見宮 織女石

星田妙見宮 織女石

天田神社

天田神社

七夕伝説とはみなさんよくご存じのように、年に一度、旧暦の7月7日に牽牛と織姫が天の川にかけられた鵲の橋をわたって逢瀬を楽しむという伝説である。

この伝説は夏の夜空を擬人化したものとされている。

すなわち牽牛はアルタイル(牽牛星)、織姫はベガ(織女星)であり、鵲がかける橋は白鳥座だといわれている。

観音山公園付近 石碑

中山観音寺近くにある説明板

天田神社はアルタイル、星田妙見宮の織女石はベガに喩えられたのだろう。
そして天田神社と星田妙見宮の間を流れる川はずばり、天の川という名前である。

②中山観音寺の牽牛石はアルタイル、機物神社はベガ

交野が原にはもう一組、牽牛星・織女星に喩えられた場所がある。

中山観音寺跡(観音山公園)にある牽牛石と、機物神社である。

下の地図の東側、第二京阪道路とJR片町線が交差するあたりに機物神社が、西側香里ヶ丘中央公園の南あたりに中山観音寺跡がある。
5kmほど離れているだろうか。



郡津駅の西側を南北に流れる川は天野川である。

天野川は天上の天の川を、中山観音寺はアルタイル(牽牛星)を、機物神社はベガ(織女星)を表すものとされ
天野川には牽牛と織姫が年に一度逢瀬を楽しむという合逢橋もある。


観音山公園 牽牛 七夕飾り 
中山観音寺跡(観音山公園)

中山観音寺 牽牛石 
中山観音寺跡(観音山公園) 牽牛石

機物神社 七夕飾り 
機物神社

機物神社の背後には交野山があり、巨大な磐座がある。もしかしたらこれが機物神社のご神体で、織女石かもしれないと思った。

交野山

交野山 ↑↓


交野山

交野山 観音岩

交野山 磐座

③小さな男神と大きな女神

牽牛石に比べて交野山の磐座ははるかに巨大である。
その巨大な磐座が女神の織姫を表す磐であるというのはおかしいように思うかもしれない。

しかし、雛人形のルーツになったともいわれる和歌山県加太の淡島大社の雛守りは、男装をした神功皇后と赤子の応神天皇のペアであり、神功皇后の方が大きく作られている。

また少彦名神と大穴持命のペアの話が記紀にあるが、大きな穴を持つ神(命)とは女神ではないだろうか。

大穴持命は大国主の別名とされ、大国主には妻があるところから男神だと考えらえる。
すると大穴持命も男じゃないのか、といわれそうだが、
どうも日本の神は性別がルーズなようで、

謡曲三輪では男神であるはずの三輪明神は女神として登場している。
また祇園祭の岩戸山のご神体の天照大神は女神ではなく男神だった。

聖徳太子が女性に生まれ変わって親鸞の妻になろう、と言ったという話もある。

また交野山が女神、磐座は男神で男女和合を表しているようにも見える。

④天田神社に牽牛石はあるか?

もう一度、天田神社の写真を見てみよう。

天田神社

天田神社

天田神社由緒と記された説明板の後ろにある石は、なんとなく中山観音寺の牽牛石に似ている。
もしかするとこの説明板の後ろにある石が天田神社の牽牛石なのかもしれない。

中山観音寺 牽牛石 
中山観音寺跡(観音山公園) 牽牛石

枚方パーク 夕景

天の川より枚方パーク観覧車を望む。



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ミシャグジ様の謎④ 『何度作っても神殿が焼けてしまう神社』


ミジャクジ様の謎③ 『ニギハヤヒは太陽神?それとも星の神?』 よりつづきます~
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①隕石が落ちた神社


初回の記事ミシャクジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた? で私たちは磐船神社を訪れた。
今回はこの磐船神社の西北2kmほどのところにある星田妙見宮を訪ねてみよう。

星田妙見宮 鳥居 紅葉

星田妙見宮

星田妙見宮

星田妙見宮 絵馬堂


妙見山の頂上近くに星田妙見宮の拝殿があり、その奥に織女石(たなばたいし)が祀られている。
たぶんこの織女石が御神体なのだろう。本殿はないようである。

星田妙見宮 織女石  

星田妙見宮 織女石

星田妙見宮の説明板に次のような旨が記されていた。

816年、ここに隕石が落ちたことで山が吹き飛ばされ、馬蹄形になっている。
落ちたのはペルセウス座流星群の母彗星スイフト・タッフル彗星からの隕石である。

星田妙見宮 滝の説明版

星田妙見宮-説明版

どうやら816年ここに隕石が落ちたというのは、星田妙見宮に伝わっている話であり、正史に記録があるというわけではなさそうであるが。

また星田妙見宮には隕石が落ちてきたという伝説はあっても、本物の隕石が存在しているわけではなさそうである。


②古の人々は巨石を空から落ちてきた星だと考えた?


「拝殿の奥にある織女石が、星から落ちてきた隕石である。」
古の人々はそう考えたのではないかと私は思う。
その理由を述べる。

『雲陽誌』には『星降って石となる』という古語があると記されている。
それが隕石であるかどうかは別にして、古の人は巨岩を空から落ちてきた星だと考えたのではないかと思われる。

初回にご紹介した磐船神社の御神体・天の磐船。
磐船神社の御祭神はニギハヤヒという物部氏の祖神で、ニギハヤヒはこの天の磐船を操ってここに天下ったとされる。

さらに『ニギハヤヒは星の神である』との旨が『雲陽誌』には記されている。

天の磐船は隕石ではないが、古の人は巨石を空から落ちてきた星であると考え、
「ニギハヤヒがこの天の磐船を操って地上に天下った」という物語を創作したのではないかと思うのだ。

磐船神社 天の磐船 

磐船神社 ご神体 天の磐船

③作っても作っても神殿が焼けてしまう神社

ネットでぐぐってみたところ、「星田妙見宮は何度神殿を作っても火事になって焼失してしまう、それでこの神様は神殿は欲しくないのだろうということになり、神殿をつくっていない」という記事を読んだ。

しかしもう何年も前のことで、記憶が定かではない。

また今ぐぐってみても、この記事は見つからない。

④星田妙見宮と天野川を挟んで対面する天田神社

天田神社 
天田神社

ついでなので、星田妙見宮から天野川を挟んだ対岸にある天田神社にも立ち寄ってみることにしよう。

天田神社は天田(豊に実る田)の神を祀っている。
この天田は牽牛が耕す田で、対岸の織女石は織姫であると考えられたという。

天田神社 絵 
天田神社に奉納された絵


星田妙見宮に神殿はなかったが、天田神社には神殿があった。



天田神社付近の田圃 
天田神社周辺には田圃が広がっていた。





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ミジャグジ様の謎③ 『ニギハヤヒは太陽神?それとも星の神?』

ミシャグジ様の謎② 太陽と月が結婚すると星の神になる? よりつづきます~
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①ニギハヤヒは太陽神?それとも星の神?

前回私は、次のように述べた。

物部氏は製鉄・鋳造の技術に長けており、そのため物部氏の神は星の神だとする説がある。
また雲陽誌という書物には次のような内容が記されている。
島根県松江市の松崎神社では延宝7年に石が 掘り出され、古語『星隕って石となる』から神・ニギハヤヒの石として宝物にした。
ニギハヤヒは星の神。」


これに対して、こんな反論があるかもしれない。

ニギハヤヒは先代旧事本記では天照国照彦火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)と表記されている。

一方、天照大神は男神とする説がある。
天照大神は女神であるアメノウズメのストリップダンスに興味を持って天岩戸からでてきた。
女神のストリップに興味を持つのは男だ。よって天照大神は男だとする説がある。
そして天照国照彦火明櫛玉饒速日命が本当の天照大神ではないかともいわれている。

するとニギハヤヒは太陽神だ。星の神ではない。


岩戸山ご神体 天照大神

祇園祭 岩戸山 ご神体の天照大神は男神だった。

いったいニギハヤヒは太陽神なのか、星の神なのか。

私はニギハヤヒは太陽神、アメノウズメは月神、ニギハヤヒとアメノウズメの男女双体の神が星の神だと私は考えている。

②伏義は太陽神、女媧は月の神?

中国伏義と女媧という兄妹で夫婦でもある神がいる。

五盔墓4号墳の壁画は、伏義が持ち上げている円の中に八咫烏が、女媧が持ち上げている円の中にはヒキガエルが描かれている。
八咫烏は太陽の中に、ヒキガエルまたはウサギは月に住むと考えられてた。

五盔墓4号墳の壁画を見ると、伏義は太陽の神、女媧は月の神のように思われる。

ファイル:Anonymous-Fuxi and Nüwa3.jpg

伏義と女媧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Anonymous-Fuxi_and_N%C3%BCwa3.jpg
よりお借りしました。


伏義は地の神、女媧は天の神?

ところがウィキペディアの伏義と女媧の図には太陽を表す八咫烏や月をあらわすヒキガエルは描かれていない。
その代わり絵の上部に菊のようなものが、下部にクロワッサンのようなものが描かれている。
菊のようなものは太陽、クロワッサンのようなものは月だと思う。

そして伏義と女媧は蛇身の下半身を絡ませている。
五盔墓4号墳の壁画にあるように伏義=太陽神、女媧=月神であり、上の図は太陽神・伏義と月神・女媧の和合(結婚)を表しているのではないだろうか。

月が太陽の上に重なれば日食である。(蛇足/太陽が月の上に重なるということはない。月のほうが地球に近いからだ。月食は月に地球の影が映る現象で月と太陽の和合ではない。)

上の伏義と女媧の図は日食を表していると思う。
というのは二神の周囲に星が描かれているからだ。

皆既日食がおこると皆既日食では日没後20分から30分くらいたった程度に暗くなり、明るい星であれば観測されるそうである。

太陽神と月神が重なると星の神になるのだ。




④女神が男神の足を踏みつける大聖歓喜天

大聖歓喜天という仏教の神がある。
大聖歓喜天はもともとはヒンズー教の神であったのが、のちの仏教にとりいれられて仏法守護の神とされた。
大聖歓喜天のお姿は道祖神や伏羲&女媧と同じく男女の神が抱きあう姿で表され、次のような伝説がある。

鬼王ビナヤキャの祟りで国中に不幸な出来事がおこった。
そこで十一面観音はビナヤキャの女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われた。
ビナヤキャはビナヤキャ女神に一目ぼれし、『自分のものになれ』と命令した。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓った。
 

双身歓喜天像の相手の足を踏みつけているほうが、十一面観音菩薩の化身ビナヤキャ女紳とされる。

Icon of Shoten

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AIcon_of_Shoten.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Icon_of_Shoten.jpg よりお借りしました。
作者 不明 (平安時代の図像集『別尊雑記』(心覚 撰)巻 42より) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で




伏義&女媧と大聖歓喜天はよく似ている。
伏義&女媧の腕がつながっている点に注意してほしい。
大聖歓喜天は女神が男神の脚を踏みつけることで、女神と男神の脚はつながっているとみることもできる。
大聖歓喜天は脚がつながっているが、伏義&女媧は腕がつながっているというわけである。

伏義&女媧の影響を受けて大聖歓喜天が創作されたか、大聖歓喜天の影響を受けて伏義&女媧が創作されたのではないかと思う。

⑤道祖神

さらに日本の道祖神も伏義&女媧に似ている。
道祖神はもともとは中国の道教の神なのだが、日本では猿田彦神と天鈿女の男女双体の神として信仰されている。

下の道祖神の写真を見てほしい。
道祖神はこの写真のように男女の神像が手をつなぎあう姿で表される。

それは手のつながった伏義と女媧を思わせるお姿である。


多気山不動尊 道祖神

多気山不動尊 道祖神

④道祖神は猿田彦がアメノウズメのセックスにおぼれ死んでいるの図

道祖神は日本では猿田彦神と天鈿女の男女双体の神だとされているということはすでに述べたとおりだが、猿田彦神と天鈿女は記紀神話の天孫降臨のシーンに登場する。

天孫ニニギの葦原中国降臨の際、天上の道が八衢に分かれている場所に立ち、高天原から葦原中国までを照らす神があった。
天照大神と高木神は天鈿女に命じて、神の名前を尋ねさせた。
天鈿女は神の前にたち、胸をあらわにし、腰ひもをずらし、神に名を訪ねた。
すると『私は国津神で猿田彦神と申します。ニニギを葦原中国まで道案内しようと思い参りました』と答えた。
ニニギは猿田彦神に道案内されて葦原中国の日向の宮へと天下った。
その後、ニニギは天鈿女に『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り届け、猿田彦神の名前を伝えて仕え祭れ』と命じた。
ここから天鈿女は猿女君と呼ばれるようになった。
のちに猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。現松阪市)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれて溺れ死んだ。(古事記)


ニニギは天鈿女に『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り届け、猿田彦神の名前を伝えて仕え祭れ』と命じている。

「仕える」というのは「性的に仕える」という意味で、
「猿田彦神の名前を伝えて仕え祭れ」というのは、天鈿女に猿田彦神と結婚せよ、と命じたということではないだろうか。

天鈿女は天の岩戸の前でストリップダンスをした神、性の神なのである。

「サルタヒコは比良夫貝に手を挟まれて溺れ死んだ」とあるが、貝は女陰の比喩だと思う。
つまり猿田彦神は天鈿女のセックスにおぼれて死んだということだと思う。

そこでもう一度道祖神の写真を見てほしい。
男女の神像が手をつなぎ合っているように見えるが、これは手をつないでいるのではなく、大聖歓喜天のビナヤキャ女神が鬼王ビナヤキャの足を踏みつけているのと同じで、和合を表すサインなのだと思う。

道祖神の中にはストレートに和合したお姿のものもあるそうだが、我々の先祖はストレートな表現を好まず、わかる人にはわかる的なサインを用いたのだろう。

つまり、道祖神とは猿田彦神が比良夫貝に手を挟まれて溺れ死んでいるの図(猿田彦神が天鈿女のセックスに溺れしんでいるの図)だといえるのではないかと思う。

河治温泉 道祖神

川治温泉 道祖神

⑤道祖神は星の神


道祖神について、ウィキペディアは次のように記している。

道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍の神である。集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E7%A5%96%E7%A5%9Eより引用

ウィキペディアは、道祖神が旅や交通安全の神として信仰されるようになったのは近世としている。

これについては詳しく調べてみる必要があるが、道祖神はもとから道案内の神、旅の神として信仰されていたのではないかと私は思う。

そういえば、道祖神は猿田彦神と天鈿女の男女双体の神とされるが、猿田彦はニニギを道案内しているではないか。

③⑤でみたように、道祖神と伏義&女媧はよく似ている。
道祖神と伏義&女媧は習合されているといってもいいだろう。

伏義は太陽の神、女媧は月の神。太陽と月が和合することは日食である。
日食がおきると夜のように暗くなって星がみえる。なので伏義&女媧は星の神だと考えられる。

すると道祖神も星の神だと考えられるが、星は方角を知るのにかかせないものだった。
太陽や月は毎日位置をずらしていくので、これらから方角を正確に知ることはむつかしい。
しかし星は地平線から出入りする時刻はずれるが、地平線から出入りする方角は常に一定である。
特に天の中心にあって動かない北極星や真東からでて真西に沈むオリオン座の三つ星などは航海の指標とされていた。

飛鳥坐神社 むすひの神石

飛鳥坐神社 むすびの神石

飛鳥坐神社には上の写真のような陰陽石がたくさん置かれている。
「むすびの神石」と呼ばれているが、これは道祖神と言ってもいいだろう。
関西にはどういうわけか男女の神像で表した道祖神はあまり見かけない。


⑥猿田彦神とニギハヤヒは同一神?

④に記した古事記の伝説をもう一度読んでみてほしい。
「猿田彦神は高天原から葦原中国までを照らす神」と記述されている。
これにぴったりな神名を持つ神がいる。

天照国照彦火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)である。

高天原を天、葦原中国を国とすれば、「高天原から葦原中国までを照らす神」とは「天照国照彦」となる。

天照国照彦火明櫛玉饒速日命とは①で記した星の神・ニギハヤヒのことである。

さらに④の伝説によると猿田彦神の故郷は伊勢だとある。
伊勢には天照大神を祀る伊勢神宮がある。
猿田彦神は天照大神と同一神なのではないか。
さらに猿田彦神とニギハヤヒ(天照国照彦火明櫛玉饒速日命)は同一神なので、ニギハヤヒが天照大神だということになる。

もともとニギハヤヒは太陽神・天照大神だった。
そしてニギハヤヒ=猿田彦神が天鈿女と和合した結果、星の神になったということではないか。

そういえば、ニギハヤヒを祀る磐船神社(大阪府交野市)のそばを流れる川は天の川といい、川をはさんで星田妙見宮の織女石と天田神社、中山観音寺跡の牽牛石と機物神社が対面している。
星田妙見宮の織女石や機物神社はベガ(織女星)に、天田神社や中山観音寺跡の牽牛石はアルタイル(牽牛星)になぞらえられ、
このあたりは天の川伝説発祥の地ともいわれている。

牽牛はニギハヤヒ=猿田彦神、織女は天鈿女であり、ニギハヤヒ=猿田彦神と天鈿女を和合させる呪術として、これらの神社や石は置かれているのかもしれない。

磐船神社 天の磐船

磐船神社(大阪府交野市) 
写真は御神体の天の磐船。
ニギハヤヒはこの天の磐船を操ってここに天下ったと伝わる。




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ミシャグジ様の謎② 太陽と月が結婚すると星の神になる?

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日牟禮八幡宮 

日牟禮八幡宮


①ニギハヤヒは太陽神?それとも星の神?

前回私は、次のように述べた。

物部氏は製鉄・鋳造の技術に長けており、そのため物部氏の神は星の神だとする説がある。
また雲陽誌という書物には次のような内容が記されている。
島根県松江市の松崎神社では延宝7年に石が 掘り出され、古語『星隕って石となる』から神・ニギハヤヒの石として宝物にした。
ニギハヤヒは星の神。」


これに対して、こんな反論があるかもしれない。

ニギハヤヒは先代旧事本記では天照国照彦火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)と表記されている。

一方、天照大神は男神とする説がある。
天照大神は女神であるアメノウズメのストリップダンスに興味を持って天岩戸からでてきた。
女神のストリップに興味を持つのは男だ。よって天照大神は男だとする説がある。
そして天照国照彦火明櫛玉饒速日命が本当の天照大神ではないかともいわれている。

するとニギハヤヒは太陽神だ。星の神ではない。


岩戸山ご神体 天照大神

祇園祭 岩戸山 ご神体の天照大神は男神だった。

ニギハヤヒは太陽神。
実はこれは私自身が別ブログ「心の旅」などでさんざん書いてきたことなのだ。

しかし雲陽誌には「ニギハヤヒは星の神」と書いてある。

ニギハヤヒは太陽神なのか、それとも星の神なのか。

結論からいうと、ニギハヤヒは太陽神、アメノウズメは月神、ニギハヤヒとアメノウズメの男女双体の神が星の神だと私は考えている。

今回と次回、2回にわたり、その理由を説明していきたいと思う。

②伏義は太陽神、女媧は月の神?

中国伏義と女媧という兄妹で夫婦でもある神がいる。

五盔墓4号墳の壁画は、伏義が持ち上げている円の中に八咫烏が、女媧が持ち上げている円の中にはヒキガエルが描かれている。
八咫烏は太陽の中に、ヒキガエルまたはウサギは月に住むと考えられてた。

五盔墓4号墳の壁画を見ると、伏義は太陽の神、女媧は月の神のように思われる。

薬師寺 日の出
薬師寺 日の出

薬師寺 月

薬師寺 月

伏義は地の神、女媧は天の神?

ところがウィキペディアの伏義と女媧の図を見てみると、伏義は手に直角定規を、女媧は手にコンパスを持っている。


ファイル:Anonymous-Fuxi and Nüwa3.jpg
 伏羲女媧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Anonymous-Fuxi_and_N%C3%BCwa3.jpg
よりお借りしました。


中国では天円地方といって、天は丸、地は四角だと考えられていた。
するとコンパスは丸を描く道具なので天を、直角定規は四角を描く道具なので地をあらわすということになる。
女媧は天の神、伏義は地の神ということだろうか。

②で伏義は太陽神、女媧は月の神ではないかと書いた。

ということは、伏義は地の神&太陽神であり、女媧は天の神&月の神ということだろうか。

しかしこれは陰陽思想から考えると、少しおかしい。
というのは、陰陽では天は陽で地は陰、太陽が陽で月が陰、男が陽で女が陰なのだ。
なぜ陽の存在である男神の伏義が地を意味する直角定規を、陰の存在である女神の女媧が天を表すコンパスを持っているのか?

天地日月男女
地(四角/直角定規)女(女媧)
天(丸/コンパス)男(伏義)

しかしこの疑問についてはいったんおいておくことにして、先へ進もう。

④太陽が逆に回って月を捕まえる現象は日食を表している?

伏義と女媧には次のような伝説がある。

女媧は木の周囲を回って逃げ、伏羲はあとを追ったが、なかなか女媧を捕まえることができなかった。
そこで伏義はいったん止まり、逆に廻って妹を捕まえ、二神は結婚した。
やがて女媧は出産したが、それは肉塊だった。
その肉塊を切り刻んだところ風が吹いて肉が飛び散り、人間となった。


伏義は陽、女媧は陰の神だと考えられるが、伏義は太陽神、女媧は月神であるとも考えられる。
太陽(伏義)が月(女媧)を捕まえられないのは当然だ。

太陽が月を捕まえるとは、太陽と月が重なること、日食のことだろう。
古代中国では紀元前4世紀の天文学者・石申が月と太陽の相対位置から日食を予測する方法を説いている。
日食とは太陽と月が重なっておきる現象であるということは古くから知られていたのだ。

伏義はいったん止まり、逆に廻って妹を捕まえたとあるが、太陽は止まることはないし、逆に廻ることはない。

これは目の錯覚を表現したものではないだろうか。
太陽や月は東から西に進むが、日食の影は西から東に進むので、太陽が逆に廻ったように錯覚したのではないか。


⑤太陽と月が重なるとき、神格が逆になる?


私はそう考えて、日食の動画を探してみたところ、次の動画が見つかった。

↓ こちらの動画を見ると日食の影が西から東へ(右上から左下へ/南の空なので右が西で左が東)進んでいくのがわかる。



私はさきほど、『太陽や月は東から西に進むが、日食の影は西から東に進むので、太陽が逆に廻ったように錯覚したのではないか。』と書いた。

しかし、上の動画を見ると西から東へ進んでいるのは太陽というよりは月のほうのように見える。

そこで③の疑問に戻ろう。

なぜ陽の存在である男神の伏義が地を意味する直角定規を、陰の存在である女神の女媧が天を表すコンパスを持っているのか?

男神である伏義は陽の神であり、天の神、日の神でもある。
女神である女媧は陰の神であり、地の神、月の神でもある。

しかし、陰の神と陽の神が重なるとき、陰陽が逆転する。
つまり太陽の神である伏義は月の神に、月の神である女媧は太陽の神に神格を変える。

そう考えると、陽の存在である男神の伏義が地を意味する直角定規を、陰の存在である女神の女媧が天を表すコンパスを持っている理由の説明がつくと思うがどうだろうか?

⑥太陽と月が結婚すると星の神になる?

そこでもう一度伏義と女媧の絵を見ほしい。

上中央には菊の紋のようなものが、下中央にはクロワッサンのようなものが描かれている。
菊の紋のように見えるのは太陽、クロワッサンのように見えるものは月ではないだろうか。
そして伏義(太陽)と女媧(月)が蛇身の下半身をからませあい、その周囲にはたくさんの星が描かれている。
これは日食のようすを描いたものではないだろうか。

2012年の金環日食では、かなり暗くはなったが、、夜のように真っ暗にはならなかった。
しかし皆既日食では日没後20分から30分くらいたった程度に暗くなり、明るい星であれば観測されるそうである。

「やがて女媧は出産した」とあるが、女媧が生んだものとは、日食がもたらすものことだと思う。
日食の結果、闇が生じて星が見える。

「その肉塊を切り刻んだところ風が吹いて肉が飛び散って人間となった。」
とあるが、夜空にきらめく無数の星は、切り刻んだものが飛び散ったかのように見える。

死んだ人の霊は星になると考えられていたのではないだろうか。
お盆の習慣が生じたのは、ベルセウス座流星群が流れる様子を見て、先祖の霊が帰ってくると、古の人々が考えたためだと思う。

「肉塊を切り刻んだところ風が吹いて肉が飛び散って人間となった。」というのは、人間は人間でも死んだ人間の霊=星のことを言っているのではないか。


金環日食 

金環日食(2012年)




ミジャクジ様の謎③ 『ニギハヤヒは太陽神?それとも星の神?』 につづきます~



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