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ミシャグジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた?

今日から新しいシリーズを始めます。
途中書き直したり、記事の順番を入れ替えたりするかもしれませんが(汗)
よろしくお願いします。


星のブランコ 紅葉3

星田園地 星のブランコ

①ニギハヤヒはUFOの窓からオレンジ色に色づく山を眺めたか?

星田園地(大阪府交野市)の展望台に立つと、見渡す限りオレンジ色の紅葉が広がっている。
谷にかかる吊り橋は星のブランコと呼ばれている。
星のブランコというロマンチックな名前は、このあたりの地名を星田ということに由来するのだろう。
隣接する枚方市には星ヶ丘という地名もあり、星田園地の東を流れる川は天の川という。

またこの近辺には星田妙見宮、星田寺、天田神社などという名前の寺社もある。

星田園地から山道を2kmほど歩いて下っていくと、磐船神社がある。

磐船神社 十種祭 護摩2

磐船神社 十種祭

磐船神社には「天孫降臨の地」と記した幟がたくさん建てられていた。

「天孫」とは天照大神の子孫という意味で、特に天照大神の孫のニニギのことをさすことが多い。
ということは、磐船神社はニニギを祀る神社なのか?

そうではない。
ここに祀られている神はニギハヤヒという物部氏の祖神である。
 
初代神武天皇は日向より東征して畿内入りをめざす。
東征の旅に出立する際、シオツチの翁が「東にはニギハヤヒが天の磐船を操ってすでに天下っている。」と発言している。
磐船神社はこのニギハヤヒが天下った場所だとされているのだ。

天の磐船については、UFOのようなものではないかという人もいる。

さきほど星田園地展望台から見た一面オレンジ色の山を、UFOの窓からニギハヤヒも眺めたのだろうか。

②天の磐船は単なる自然信仰ではない。

磐船神社には本殿はない。
天の磐船と呼ばれる船形をした巨大な石をご神体とし、拝殿から直接ご神体を拝むという祭祀スタイルである。
いわゆる自然崇拝と呼ばれるものだろうか。

磐船神社 天の磐船 

磐船神社 ご神体 天の磐船

日本には八百万の神々がおり、野の花や小さな石の中にも神がすんでいるとか、日本人はこうした自然界のすべての者の中に神を見た、などと言われることがある。

私もかつてそんな風に考えていたことがあった。

磐船神社のご神体・天の磐船は巨大であり、微妙なバランスを保って船首を天にそそり立たせているところなどを見ると、もちろん自然の驚異を感じなくはない。

しかし天の磐船を単なる自然信仰と考えるとニギハヤヒの悲劇を見失ってしまう。

磐船神社 十種祭 お祓い

磐船神社 十種祭

③ニギハヤヒの悲劇(ニギハヤヒは怨霊だった)

記紀には次のように記されている。

初代神武天皇は日向より東征して畿内入りをめざす。
畿内にはニギハヤヒを神と奉じるナガスネヒコがおり、神武に服することを拒んで、次のように言った。
「昔、この地に天孫ニギハヤヒが天下り、私の妹はニギハヤヒの妻となってウマシマジノミコトという御子も生まれた。あなたは天孫だというが、天孫は二人もいるのか。あなたは天孫と称して土地を奪おうとしているのではないか。」
神武は天孫であることの証拠として天の羽羽矢と歩靱を見せた。
それでもナガスネヒコはなおも抵抗しようとしたので、ニギハヤヒがナガスネヒコを殺した。


ニギハヤヒがナガスネヒコを殺した、というのはニギハヤヒは神武に服したということだろう。
しかし神=王とすれば、一国の王が自分の土地と国民を征服者に「どうぞ、差し上げます」などというとは思えない。

記紀は奈良時代、元明天皇に献上するために記されたものなので、天皇家に忖度した内容に改竄されていると考えるべきだろう。

ニギハヤヒは物部氏の祖神とされている。
神武が東征してやってくる以前、畿内には物部王朝があったのではないだろうか。
そして物部王朝や日向からやってきた神武との政権争いに敗れ、臣下の立場となったのでは?

古には政治的に不幸な死を迎えた者は死後怨霊になると考えられていた。
そして疫病の流行や天災は怨霊の仕業によって引き起こされるとされていた。
このような信仰を怨霊信仰という。

政権を神武に奪われたニギハヤヒは怨霊なのではないか。

日本の怨霊信仰は平安時代、菅原道真以降に生じたとする説がある。
しかし記紀には10代崇神天皇代に大物主神が祟って疫病が流行るなどし、大物主の息子のオオタタネコを神官にしたところ、祟りは収まったという記述がある。
怨霊信仰は平安時代以前、すでにあったと思う。

ニギハヤヒを祀る磐船神社は単なる自然崇拝の神社ではなく、ニギハヤヒの怨霊を鎮魂する神社なのではないだろうか?

磐船神社 十種祭 護摩4

磐船神社 十種祭

④ニギハヤヒが乗っていた天の磐船はUFOではなく流星だった。

ニギハヤヒは物部氏の租神とされるが、かつてこのあたりには肩野物部氏が住んでいたという。

物部氏は製鉄・鋳造の技術に長けており、そのため物部氏の神は星の神だとする説がある。

また雲陽誌という書物には次のような内容が記されている。

 島根県松江市の松崎神社では延宝7年に石が 掘り出され、古語『星隕って石となる』から神・ニギハヤヒの石として宝物にした。
ニギハヤヒは星の神。

やはりニギハヤヒは星の神だったのだ。
そして『星隕って石となる』という古語があるということは、天の磐船はufoではなく流星ということだと思う。
どうやら古の人々は石を空から落ちててきた星だと考えていたようである。

このあたりの地名を星田というのは、星の神ニギハヤヒやニギハヤヒを祖神とする物部氏からくるのではないだろうか?

星のブランコ 紅葉2

ミシャグジ様の謎② 太陽と月が結婚すると星の神になる? につづきます~



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