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私流 トンデモ百人一首 98番 風そよぐ・・・ 『楢の葉をそよがせた楢葉守』 

小倉百人一首98番
風そよぐ ならの小川の ゆふぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける/藤原家隆
(風がそよぐ楢の小川の夕暮れは、すっかり秋の気配が漂っている。みそぎをしている様子ばかりが、まだ夏であるしるしなのだなあ。)


上賀茂神社 夏越神事 
 
①藤原家隆が見た風景が今も目の前に。

6月30日、夕刻。
すっかり日が沈み薄暗くなった境内では、神職さんが1枚1枚紙の人形(ひとがた)を繰っては「ならの小川」に流していく。
小川を流れる人形はかがり火に照らされて星のようにきらめく。
京都・上賀茂神社の夏越神事である。

夏越神事は、六月祓、大祓などともいわれ、かつて旧暦6月晦日に各地の神社で行われていた行事である。
参拝者は人形に息を吹きかける。これは自らの穢れを人形に移すまじないである。
そしてそれを神社に奉納し、神職さんが川や海などに人形を流すことで、身が浄められると考えられていた。
お焚き上げと言って、川や海に流す代わりに人形を燃やしたりすることもある。
1年を半分過ぎたところで、穢れを落とし、残り半年を健康に過ごすための神事であるといわれる。
大晦日にも同様の神事をするそうだが、大晦日の大祓は見に行ったことがない。

現在でも、新暦6月30日や、月遅れの7月30日ごろに「夏越の祓」を行っている神社がたくさんある。
しかし、上賀茂神社の夏越神事は特別である。

鎌倉時代、藤原家隆が
風そよぐ ならの小川の ゆふぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける
と詠んだのが、上賀茂神社の夏越の祓なのである。

上賀茂神社では古式を守り、今も鎌倉時代と同じ夏越神事を行っている。(ただし、人形のほか、車形やバイク形も流しているw)
鎌倉時代の歌人・ 藤原家隆(1158年-1237年)が見たのと同じ風景を、私は見ているのだった。

②新暦7月に涼しい風が吹いてすっかり秋らしくなった?

風そよぐ ならの小川の ゆふぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける/藤原家隆
(風がそよぐ、ならの小川の夕暮れは、すっかり秋の気配が漂っている。みそぎをしている様子ばかりが、まだ夏であるしるしなのだなあ。)


この歌は、こんな風に現代語訳されることがある。
「涼しい風がそよぐならの小川はすっかり秋らしい気配が漂っている。みそぎをしている様子ばかりが、まだ夏であるしるしなのだなあ。」と。

なるほど、秋になると涼しい風が吹く。しかし、おかしいとは思わないだろうか。

夏越神事は旧暦の六月の晦日に行われる行事だった。新暦に換算すると7月ごろである。

7月の京都は夏の真っ盛りで、秋らしい気配なんてまるでないのだ。
それなのに家隆はなぜ「みそぎをする様子だけが夏のしるしなのだなあ。」などと歌を詠んだのだろうか?

かみがもじんじゃ なごしのはらえ

③旧暦では秋の始まりは涼しい季節の到来ではなく、もっとも暑い季節の到来を意味していた。

私ははじめ、冷夏だったのだろうかとか、昔の7月は今と違って夜は涼しかったんだろうかなどと考えた。
しかし、ちょっと考えてみてわかった。
これは謎でもなんでもなかったのだ。

旧暦では1月・2月・3月を春、4月・5月・6月を夏、7月・8月・9月を秋、10月・11月・12月を冬としていた。
旧暦は新暦の約ひと月遅れなので、新暦の2月・3月・4月が旧暦の春、新暦の5月・6月・7月が旧暦の夏、新暦の8月・9月・10月が旧暦の秋、新暦の11月・12月・1月が旧暦の冬。
だいたいそう考えていいだろう。
 
古の人にとって秋の始まりとは涼しい季節の到来ではなく、もっとも暑い季節の到来を意味していたのだ。
「涼しい風が吹いてすっかり秋らしくなった」というのは新暦の感覚だったのである。

④古の人にとって「そよ風」は不気味な風だった?

家隆は「風そよぐならの小川のゆふぐれは」と詠っているが、この風はどうやら涼しい風ではないようである。
それではどんな風が吹いていたのだろうか?

「風そよぐ」の「そよぐ」は漢字では「戦ぐ」と書く。
なにか意外な感じがする。
そよ風は優しい風だと思っていたが、なぜ「戦」のような漢字を「そよぐ」と読むのか。
 
漢和辞典で『戦』という漢字の意味を調べてみたところ、、次のように記されていた。
① 戦う。戦をする。
② いくさ 
③ おののく ふるえる 
④ そよぐ そよそよと揺れ動く
⑤ はばかる 

③おののく ふるえる とあるのに注目してほしい。

現代人は『そよ風』」を『吹かれて心地よく感じる優しい風』のことだと思っているが、古の人々にとって『そよ風』とは葉をざわつかせる不気味な風だったのではないだろうか。

上賀茂神社 夏越神事 (2)

⑤秋の到来はお盆の始まりだった。

6月晦日の翌日は7月1日だが、旧暦の7月1日は釜蓋朔日(かまぶたついたち)といわれていた。
釜蓋朔日とは、地獄の釜の蓋が開く日でのことであり、この日からお盆が始まるとされていた。

家隆は楢の葉がざわつくようすに、お盆であの世からこの世に戻ってきた霊の気配を感じたのではないだろうか。
そして「ああ、お盆の季節がやってきたんだなあ」という気持ちを歌に詠んだのではないかと思う。 

⑥ならの小川と楢の葉

古語辞典で『そよぐ』をひくと、『そよそよと音をたてる』とあり、文例として
岩根ふみ たれかは問わむ 楢の葉の そよぐは鹿の 渡るなりけり(平家物語・灌頂・大原入り)
があげられていた。

上賀茂神社の禊川が『ならの小川』と呼ばれているのは、川べりに楢の木が生えているからなのだそうだ。

そして、そよそよと音をたてるものは、ほかにもたくさんあるだろうと思われるのに、なぜ古語辞典には『楢』が文例にひかれているのか。

偶然か。それとも『楢がそよぐ』ということが何かを意味しているのだろうか。
そう思って平家物語を読んでみた。

建礼門院(平 德子)の父は平清盛、母は平時子で、高倉天皇の中宮として入内し、安徳天皇を産んだ。
平家没落の時、安徳天皇は祖母の時子に抱かれて入水した。
このとき、建礼門院も入水したのだが、死ぬことができず源氏方に捕らえられた。
彼女の母も、子も、一族の者も大勢死んだ。
壇ノ浦で入水したものの捕縛された建礼門院は東山の麓の吉田の地に隠棲し、長楽寺において出家した。
しかし大地震がおこり、築地が崩れて住めなくなった。
そこで人目のない大原に居を移した。
あるとき、庭に散り敷いた楢の葉を踏みしだく音がし、女院は捕り方がやってきたのかと思って身を隠そうとした。
しかしそれは鹿だった。
それを見ていた重衡の北の方が涙ながらに詠んだのが次の歌であった。


岩根ふみ たれかは問わむ 楢の葉の そよぐは鹿の 渡るなりけり

寂光院 
京都大原にある寂光院。建礼門院像が安置されている。


⑦トガノの鹿

岩根ふみ たれかは問わむ 楢の葉の そよぐは鹿の 渡るなりけり

楢の葉をざわざわと戦がせたのは鹿だったと平家物語にはあるが、鹿といえば、私は日本書紀 仁徳天皇38年の記事にある『トガノの鹿』 を思い出す。

雄鹿が『全身に霜がおりる夢を見た。』と言うと雌鹿が『霜だと思ったのは塩であなたは殺されて塩が振られているのです。』と答えた。
翌朝猟師が雄鹿を射て殺した。
時の人々は『夢占いのとおりになってしまった』と噂した。


昔、謀反の罪で殺された人を塩漬けにすることもあり、鹿は謀反の罪で殺される者の象徴だったと考えることができる。

大仏殿 鹿

⑧平家物語と怨霊

『トガノの鹿』の物語をふまえて、『岩根ふみ~』という歌を味わってみると、この歌は深みを増す。

平家物語を読んでいると、随所に怨霊の話が出てくる。

建礼門院が懐妊し、祈祷を行ったが、いまひとつ調子がよくないのを、平清盛は藤原成親の怨霊の仕業だろうと判断し、成親の息子・成経らを鬼界が島より召還させている。

また建礼門院が隠棲していた家は大地震で住めなくなってしまったが、この地震は安徳天皇や平家の怨霊によるものだとされ、怨霊は恐ろしいものであると人々は噂しあった、とも記されている。

琵琶法師の芳一が平家の霊にとり憑かれ、住職が全身にお経を書いて亡霊から芳一を守ったが、耳にお経を書くのを忘れたため、亡霊が芳一の耳をちぎって立ち去った話は有名だ。

能の『船弁慶』では、義経と弁慶が乗った船が風にあおられて沖に流された海上で平知盛の霊があらわれる。
義経は刀をぬいて亡霊と切りあうが、弁慶は『刀ではかなわないでしょう』と数珠を繰って経文を唱え、祈りの力で悪霊を退散させる。

これらの記述は当時、いかに怨霊というものの存在が信じられていたかを示すものだといえるだろう。

「岩根ふみ~」の歌に詠まれた鹿とは殺された平家の亡霊なのではないか。
重衡の北の方が、楢の葉を踏みしだく鹿の陰に安徳天皇や平家一門の怨霊を見たとしても不思議はない。

⑨大原入りは大祓の掛詞になっている?

家隆が歌を詠んだのは、詞書から1229年だと考えられる。
平家物語の成立年代は不明だが、1240年に書かれた『兵範記』に「治承物語六巻号平家候間、書写候也」とあり『平家物語』の前身として『治承物語』なる書物が存在していたと考えられている。

平家物語と家隆の歌のどちらが先でどちらが後かはわからない。
が、どちらかがどちらかの影響を受けている可能性はある。

その証拠に、平家物語の『大原入り』の段のタイトルから『おおはらいり』=『大祓(夏越神事のことを大祓ともいう)』という言葉が読み取れるではないか。

このような技法を、和歌では「もののな」という。

⑩祟る神、楢葉守

さらに『楢』を辞書でひくと、『楢葉守=ならの木の葉を守る神』とある。
そして文例に『楢葉守の祟りなし(浄瑠璃・会津山・近松)』がひかれていた。

古には楢葉守という神が存在すると考えられていたということがわかる。
しかもその神は祟る神、怨霊である。

⑪平城帝

楢は『平城(奈良)』を連想させるが、『平城帝』と呼ばれた人物がいる。

平城天皇(安殿親王)は桓武天皇の第一皇子で、806年に桓武天皇が崩御した後、第51代天皇として即位した。
安殿親王は自分の后の母親である藤原薬子と関係を持ち、寵愛するようになった。

809年、病気を理由に異母弟である嵯峨天皇に譲位し、平城京に移り住んだ。

810年、平城上皇は平城京遷都の詔を出すなどして嵯峨天皇と対立するようになった。
同年9月10日、嵯峨天皇は藤原薬子の官位を剥奪し、その翌日の9月11日に平城天皇は挙兵した。
しかし、薬子と共に東国に入ろうとしたところを坂上田村麻呂らに遮られて12日平城京に戻された。
こうして挙兵はあっけなく失敗に終わり、藤原薬子は服毒自殺し、薬子の兄の仲成は処刑された。
平城天皇は空海より灌頂を受けて出家し、奈良の『萱の御所』に隠遁した。
これを『薬子の変』という。

平城天皇は
ふるさとと なりにしならの都にも 色はかはらず 花はさきけり
と歌を詠んでいる。
この平城天皇こそ、楢葉守の名にふさわしいのではないだろうか。

『楢の葉のそよぐは鹿の渡るなりけり』の出典は平家物語の灌頂の巻・大原入りの段だったが、巻のタイトルは『灌頂』となっている。
灌頂というタイトルは平城天皇が空海より灌頂を受けたことを示唆しているのではないかと思ったりするが、考えすぎだろうか。

不退寺 多宝塔 黄しょうぶ 

不退寺 萱の御所跡と伝わる。

⑪技巧的で深みのある歌

風そよぐ ならの小川の ゆふぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける/藤原家隆
(風が楢の葉をそよがせる楢の小川の夕暮れは、すっかり秋の気配が漂っている。六月祓のみそぎをしている様子ばかりが、まだ夏であるしるしなのだなあ。)


この歌は、単に夏越神事の風景について詠んだ歌ではない。
たいへん技巧的で、しかも深みのある歌だったようである。

『風そよぐ ならの小川』というフレーズから楢葉守や、平家物語にある『岩根ふみ たれかは問わむ 楢の葉のそよぐは鹿の渡るなりけり(平家物語/灌頂の巻・大原入りの段)』という歌を想起させる。

さらに夏越神事は別名を大祓という。

大祓から、大原入り(おおはらいり。/『岩根ふみ たれかは問わむ 楢の葉のそよぐは鹿の渡るなりけり』この歌の出典は平家物語/灌頂の巻・大原入りの段である。大原入りというタイトルの中に大祓と言う言葉がよみとれる。もののな。)の段を想起させる。

そして灌頂の巻の灌頂から、空海から灌頂を受けた平城天皇を想起させる。
平城上皇はその名前からして楢葉守を思わせる。

⑫後鳥羽上皇

しかし平城上皇は平安時代初期、藤原家隆は鎌倉時代の人物で、時代が違う。

家隆は平城上皇のイメージにもっと身近な人物のイメージを重ねて歌を詠んだのだとおもう。
それは後鳥羽上皇ではないだろうか。

平城上皇と後鳥羽上皇には共通点がある。
平城天皇は嵯峨天皇より政権を奪回するべく『薬子の変』を企てたが失敗した。
そして後鳥羽上皇は幕府より朝廷に政権を奪回すべく『承久の変』を企てたが失敗した。
どちらもクーデターを企てて失敗しているのである。

⑬後鳥羽上皇と藤原定家・藤原家隆

後鳥羽上皇は歌人としても優れた才能を持っていた人で、たびたび歌会を開いている。
この時代の代表的歌人である藤原定家や藤原家隆とも交流があった。

藤原定家は九条家に出仕して官位を上げていたが、1188年、源通親のクーデターにより九条家は失脚した。
その後1200年に定家は宮廷歌人となり、1201年には後鳥羽上皇から新古今和歌集の撰者に任命された。
ところが、歌の選定において定家は後鳥羽上皇と争い、1220年、後鳥羽上皇は定家の歌会への参加を禁じた。
しかしこのことは定家にとって災い転じて福となった。
なぜなら、1221年、後鳥羽上皇は承久の乱をおこして隠岐へ配流となったからである。

承久の乱後、定家は後鳥羽院とは一切の連絡を絶ち、高い官位を得て歌壇の頂点に立った。
一方、定家の兄弟弟子である家隆は変後も後鳥羽院と連絡をとりつづけている。

家隆が「風そよぐ~」の歌を詠んだのは、1229年である。

後鳥羽院の生没年は1180年~ 1239年なので、家隆が「風そよぐ~」の歌を詠んだとき、後鳥羽院は存命しているので、怨霊にはなっていない。

家隆は後鳥羽院の恨みを楢の葉を戦がせる風の中に感じ、楢葉守=平城天皇のイメージと後鳥羽院のイメージを重ねたのかもしれない。

藤原家隆の墓 

大阪四天王寺にある家隆塚




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