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私流 トンデモ百人一首 2番 春すぎて 夏きにけらし 白妙の 『火葬されたわが身を嘆く歌』 

藤原京跡より香久山を望む

藤原京より天の香具山を望む

小倉百人一首2番

春すぎて 夏きにけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山/持統天皇 
(春がすぎて夏がやってきたらしい。白い衣が天の香久山に干してあるそうなので。)


①『土用の丑』から閃いたー!

旧暦では春は1月2月3月、夏は4月5月6月だった。
旧暦は新暦よりおよそ1か月遅れとなるので、持統天皇の歌は、新暦に換算すると5月ごろに詠んだ歌だと考えられる。

上の写真を撮影したのは新暦7月、土用の丑のころだったので、歌と季節がずれてしまった。
しかし、土用の丑がヒントになって、上記の持統天皇の歌を読み解くことができた。(と思うw)

陰陽五行説では世の中全てのものは、木火土金水の5つの組み合わせで成り立つと考える。
季節では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水とされた。
季節は4つなので、木火土金水のうち土が余ってしまうが
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割りふられた。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのである。

春・・・旧暦1月2月3月・・・・・木性   3月の終わりの18~19日間=春土用
夏・・・旧暦4月5月6月・・・・・火性   6月の終わりの18~19日間=夏土用
秋・・・旧暦7月8月9月・・・・・金性   9月の終わりの18~19日間=秋土用
冬・・・旧暦10月11月12月・・・水性   12月の終わりの18~19日間=冬土用


②春土用が過ぎて、火性の夏になってしまった。

私は「土用の丑」について調べていて、「んむむむ?」と閃いた。

持統天皇の「春すぎて 夏きにけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山」という歌には、もうひとつ裏の意味がかくされている!

ヒント・・・持統天皇は天皇としては初めて火葬された。

もうおわかりですね~。

「春過ぎて」は「春の土用が過ぎて」という意味だろう。
「夏」は五行説では「火性」である。
そして「白妙の衣」とは「死に装束」のことだと思う。

↓ 下の写真は千本閻魔堂狂言に登場する鬼と幽霊だが、幽霊は白い死に装束を着ている。

千本閻魔堂狂言

千本閻魔堂狂言 閻魔庁 鬼と亡者

持統天皇の歌には表の意味のほかに、
「春の土用が過ぎて、火性の夏になってしまったようです。私は天香久山に干されている死に装束をまとい、夏の火性と同じように火葬されてしまうのですね。」
という裏の意味が隠されていたのだ。(と思う。)

③蘇るためには魂の容れ物である肉体が必要?

41代持統天皇以後、42代文武、43代元明、44代元正と火葬が続いたが、45代聖武天皇以降、土葬に戻り、次に火葬されたのは8代のちの53代淳和天皇だった。
その後は火葬と土葬が入り混じっていたが、室町時代中期ごろより火葬が一般的になる。
ところが江戸時代に入ると再び土葬が復活した。

どうも天皇は火葬を嫌う傾向があるように思われる。

即身仏となるべく入定した人の目的は56億7000万年後に弥勒菩薩があらわれるとき、その聖業に参加するためであったといわれる。
干物のように干からびた死体にお湯をかけたら生き返ったというおとぎ話もある。
古の人々は、魂が復活するためには腐らない死体が必要であると考えていたのではないだろうか。

火葬して遺体がなくなってしまうともう生き返ることはできない。
そんな持統天皇を、古の人々は憐れんだのだろう。

もちろん、人間は死後に歌を詠むことはできない。
持統天皇の死後、誰かが持統天皇の身になって詠んで、持統天皇作としたか

あるいは持統天皇が生前に軽い気持ちでこの歌を詠み
「この歌を詠んだため、言霊が作用して持統天皇は火葬されてしまった」のだと世の人々が考えたのか
どちらかではないかと思う。

④香具山はカグツチの山?

天香具山は火の神・カグツチの山という意味ではないだろうか。
つまり、火葬と火の山=香久山をかけてあるのだと思うのだ。

どうやら古代人は、山や植物など、意味なく歌に用いるということをしなかったようである。
古代人はひとつの山、小さな植物にも意味をこめて歌を読んでいた可能性が高い。

飛鳥 光の大道芸

飛鳥光の大道芸

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陰陽 黒と白⑳最終回 『まとめ と 神の性別を変える呪術』  

陰陽 黒と白 ⑲白髪が黒髪になった娘と白山信仰  よりつづきます~


私の陰陽についての考察は、前回まででひととおり説明を終えた。
今回は今までの話を簡潔にまとめておきたいと思う。

①獏のモデルはマレーバク?

莫(「悪い夢を食べてくれる」と信仰される伝説の動物)について、中国の文献には次のようにある。

貘屏賛・・・鼻はゾウ、目はサイ、尾は牛、脚は虎に似ている。
爾雅 釈獣・・・白豹
説文解字・・・熊に似て黄黒色、蜀中(四川省)に住む。(パンダ?)
爾雅 郭璞注・・・熊に似て頭が小さく脚が短く、黒白のまだらで、銅鉄や竹骨を食べる。
説文解字注・・・・今も四川省にいる。(パンダ?)


古代中国にはマレーバクが生息していたが、絶滅したとされる。
マレーバクの子供は黒白まだらである。



マレーバクは大人になると黒白モノトーンになり、太極図を思わせる。




Yin yang

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AYin_yang.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Yin_yang.svg よりお借りしました。
作者 Gregory Maxwell [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


太極図は白と黒の図で構成され、白は陽、黒は陰をあらわす。

古事記に次のように記されている。

昔、天地がまだ別れず、陰陽も分かれておらず、混沌として卵の中身のように固まっていなかったが、薄暗い中にきざしがあった。
やがて清らかな陽気がたなびいて天となり、重く濁った陰の気が滞って地となった。(天地開闢)


マレーバクは子供のころは黒白がまだらになっているのだが、成長すると白黒にくっきりわかれた柄になる。
この様子はまるで古事記に記された天地開闢のようである。

夢を食べる獏とはマレーバク、もしくはマレーバクをモデルとして想像されたものであり
マレーバクの白黒モノトーンの柄が太極図を思わせるため、「悪い夢(陰)を食べて、よいこと(陽)に転じさせる」と信仰されたのではないか。

貴船川 黒馬 白馬

貴船神社 白馬・黒馬の像

②陰陽の神々

白い神(陽)黒い神(陰)白黒混ざりあう神
莫(マレーバクがモデル?)
白馬(晴祈願に奉納)
陰陽では晴は陽
黒馬(雨祈願に奉納)
陰陽では雨は陰
白鳥(ヤマトタケル)
=復活した神の霊
ヤマトタケルの墓は複数ある。
=ヤマトタケルは復活した
=生霊
八咫烏
=復活しない神の霊
=死霊
八咫烏は三本足
足と書いて「たらし」と読み、三人の「たらし」を意味しているのではないか?
12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代成務天皇(わかたらしひこのみこと)
14代仲哀天皇・たらしなかつひこのすめらみこと)
住吉明神長足姫命
(おきながたらしひめのみこと)
=生霊
底筒男命
中筒男命
表筒男命
=死霊
底筒男命・中筒男命・表筒男命は三人の「たらし」で八咫烏ではないか?

息長足姫命の「息」は「生命」に通じる=生霊
生國魂神社生島大神(白杖代?)
=生霊
足島大神
=死霊
足島大神は三人の「たらし」で、八咫烏=景行・成務・仲哀?
(足は「たらし」と読むが、三天皇の和風諡号に「たらし」とある。)
生島大神は神功皇后(和風諡号は生長帯比売命とも書くが「息」の音は「生」に通じる。)
六歌仙小野小町 喜撰法師
(二歌仙は惟喬親王と同一人物?)
=生霊
大友黒主
(大伴家持と同一人物?)
=死霊
小野小町は九十九髪(百引く一は白→白髪→白い神)
喜撰法師は入定して腐らない(永遠の命を持つ神=生霊)
大伴家持は藤原種次暗殺事件にかかわったとして死後墓から掘り出されて流罪となった。
→腐っていた→死霊
翁・翁舞白式尉(志貴皇子)
山人/いきぼとけと読む
黒式尉(志貴皇子)
田人/種まきの所作をする
地元の伝承に翁は志貴皇子と伝えられている。
勝尾寺白髪の娘黒髪の娘
白山冠雪の白山雪が溶けた白山白山(季節によって白→黒
黒→白と変化する)

上賀茂神社 八咫烏

上賀茂神社 八咫烏を描いた提灯


③白い神は生霊(腐らない神)、黒い神は死霊(腐った神)?

小野小町と大友黒主の例をあげる。
人物腐ったか(死)、腐らなかったか(生)。陰陽白黒
小野小町(小野宮と呼ばれた惟喬親王と同一人物?)腐らなかった。(生)

惟喬親王は虚空蔵菩薩より漆の製法を授けられたという伝説がある。
惟喬親王は漆を飲んで即身仏となったため、このような伝説ができたのではないか。
また古の人は腐らない体を生きていると考えたのではないか。
生は陰陽道では陽陽は陰陽道では白
大友黒主(大伴家持と同一人物?)腐った。(死)

藤原種継暗殺事件に関与したとして、すでに死んでいたのだが死体が掘り出されて流罪となった。
その体は腐っていたことだろう。
古の人は腐った死体を生きていない(死)と考えたのではないか
死は陰陽道では陰陰は陰陽道では黒

加茂船屋の雛祭 六歌仙屏風 
加茂船屋 六歌仙を描いた屏風
 
向かって右上から、大友黒主・小野小町・喜撰法師、向かって左上から在原業平・遍照・文屋康秀か?


④3対1

白い神と黒い神は、3対1または1対3になっているケースがある。

白い神(陽)黒い神(陰)
白鳥(ヤマトタケル)
八咫烏
八咫烏は三本足
足と書いて「たらし」と読み、三人の「たらし」を意味しているのではないか?
12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代成務天皇(わかたらしひこのみこと)
14代仲哀天皇・たらしなかつひこのすめらみこと)
住吉明神息長足姫命
(おきながたらしひめのみこと)
底筒男命
中筒男命
表筒男命
底筒男命・中筒男命・表筒男命は三人の「たらし」で八咫烏ではないか?

生國魂神社生島大神(白杖代?)
足島大神
足島大神は三人の「たらし」で、八咫烏=景行・成務・仲哀?
(足は「たらし」と読むが、三天皇の和風諡号に「たらし」とある。)
六歌仙小野小町=喜撰法師=惟喬親王
大友黒主=大伴家持
翁舞白式尉(三人)黒式尉(一人)

※六歌仙のみ、3対2になっている。

神はその表れ方で、御霊・荒魂・和魂の三つに分けられるという。
三柱の神々はこれを表すものではないか。
御霊神の本質
荒魂神の荒々しい側面
和魂神の和やかな側面


小野小町像 
髄心院 小野小町像

祇園祭 黒主山 御神体

祇園祭 黒主山ご神体 大伴黒主像




⑤神の性別を変える呪術
白い神(陽)黒い神(陰)
白馬(晴祈願に奉納)
黒馬(雨祈願に奉納)
白鳥(ヤマトタケル)
ヤマトタケルが女装するシーンあり
八咫烏
八咫烏は三本足
足と書いて「たらし」と読み、三人の「たらし」を意味しているのではないか?
12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代成務天皇(わかたらしひこのみこと)
14代仲哀天皇・たらしなかつひこのすめらみこと)
住吉明神息長足姫命
底筒男命
中筒男命
表筒男命

底筒男命・中筒男命・表筒男命は三人の「たらし」で八咫烏ではないか?

生國魂神社生島大神=息長足姫命足島大神
底筒男命・中筒男命・表筒男命
足島大神は三人の「たらし」で、八咫烏=景行・成務・仲哀?
(足は「たらし」と読むが、三天皇の和風諡号に「たらし」とある。)
生島大神は神功皇后(和風諡号は生長帯比売命とも書くが「息」の音は「生」に通じる。)
六歌仙小野小町 喜撰法師
(二歌仙は惟喬親王と同一人物?)
大友黒主大伴家持小野小町は九十九髪(百引く一は白→白髪→白い神)
喜撰法師は入定して腐らない(永遠の命を持つ神=生霊)
翁・翁舞白式尉志貴皇子
黒式尉志貴皇子
地元の伝承に翁は志貴皇子と伝えられている。
勝尾寺白髪の娘黒髪の娘
白山冠雪の白山雪が溶けた白山

女神は赤字男神は青字性別不明の神は緑字で表した。
陰陽道で性別をいうと男が陽で女が陰だが、逆になっているケースが多い。

女神は和魂、男神は荒魂をあらわすとする説があるが、それにあわせた結果、女神が陽の神=白い神=生の神となっているのかもしれない。
また、陰陽どちらの神も男神であったり、女神であったりするケースもある。

これについては宿題としてもう少し考えてみたいが、神の性別を変える呪術の存在があったということは考えられる。

俗謡に「おまえ百までわしゃ九 十九まで、共に白髪の生えるまで」というのがある。

これは謡曲「高砂」の尉・姥からくるもので
尉が熊手をもち、姥が箒をもって掃いているのは、熊手=九十九まで、掃く(まで)=百(まで)という語呂合わせであるという。

尉・・・熊手をもつ→九十九まで→くじゅうくまで
姥・・・箒をもつ→掃く→はく→・ひゃく→百


それで「おまえ百まで、わしゃ九十九まで」と謡うのだろう。

亀岡祭 高砂山 御神体 
亀岡祭 高砂山 御神体

しかし語呂合わせはこれで終わりではなかった。
肝心なのは「共に白髪の生えるまで」のほうだと私は考える。
なぜ、「共に白髪の生えるまで」と謡うのか。

九十九髪とは白髪のことであるという。
そのココロは

百-一=九十九
百-一=白
∴九十九=白


というわけだ。うまい。座布団2枚!

また百は掃く=はくなので、はく=白に転じる。

尉・・・熊手をもつ→九十九まで→くじゅうくまで)→百-一=白
姥・・・箒をもつ→掃く→はく→・ひゃく→百→はく→白

このように、尉も姥もどちらも白になる。
それで「共に白髪の生えるまで」と謡うのではないだろうか。

さらに、尉も姥もどちらも最終的に白になるので、

尉=白
姥=白
∴尉=姥=白


こうして男神である尉は女神である姥に転じるというわけだ。

end.

奈良豆比古神社 翁舞 白式尉2

奈良豆比古神社 翁舞 ↑ ↓

奈良豆比古神社 翁舞 黒式尉2




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陰陽 黒と白① 獏は白黒モノトーン  


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[2019/02/05 11:49] 陰陽 黒と白 | TB(0) | CM(0)

陰陽 黒と白 ⑲白髪が黒髪になった娘と白山信仰 

陰陽 黒と白⑱ 勝尾寺には白山信仰があった?  よりつづきます~

勝尾寺 新緑

勝尾寺

①白い神が黒い神に転じる。

大阪府箕面市の勝尾寺には次のような伝説があった。
1677年、旗本菅沼隠越中守の娘が勝尾寺の三宝荒神さまに祈願したところ、白髪が黒髪になった。

この伝説は、白い神が黒い神に転じたということを比喩的に語ったものではないかと私は考えた。

勝尾寺 紫陽花 三宝荒神社

勝尾寺 三宝荒神

②菅沼隠と菅沼集落

そして、旗本菅沼隠越中守とは
旗本・・・江戸時代の武士の身分のひとつ
越中・・・現在の富山県
守・・・・国司

である。

菅沼隠が何をあらわしているのか、わからない。
この人は越中(富山県)の国司をつとめていた人だが、富山県五箇村に世界遺産に登録されている菅沼集落がある。
合掌造りの家が数多く残っていることで有名な集落である。

菅沼とはこの菅沼集落をさしているのかもしれない。

五箇山 菅沼集落

五箇山 菅沼集落


勝尾寺には白山信仰があった?

そして勝尾寺には白山信仰があったと考えられる。
というのは、次のような創建説話が伝えられているからだ。

727年、双子の兄弟、善仲と善算(年藤原致房の子)がここに草庵を築き、765年開成(かいじょう/光仁天皇の皇子・桓武天皇の異母兄)が善仲、善算に弟子入りした。 
777年、開成は大般若経600巻の書写をやり遂げ、この場所に弥勒寺を創建した。
780年、妙観が十一面千手観世音菩薩立像を刻み、本尊として安置した。
880年、行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行って効験があったため、「王に勝った寺」の意で「勝王寺」 の寺号を帝より賜った。
しかし、「王に勝った寺」とはあまりに畏れ多いとして、「王」を「尾」として勝尾寺と号した。 


ここに開成皇子なる人物が登場するが、静岡県磐田市の白山神社の創建説話に登場する海上皇子(戒成皇子/桓武天皇の第四皇子)愛知県新城市の白山神社の創建説話に登場する後醍醐天皇の第3皇子・開成皇子と関係があるのではないかと前田速男さんが指摘されている。
勝尾寺大阪府箕面市開成光仁天皇の皇子
桓武天皇の異母兄
旗本菅沼隠越中守の娘が勝尾寺の三宝荒神さまに祈願したところ、
白髪が黒髪になった
白山神社静岡県磐田市海上皇子(戒成皇子)桓武天皇の第四皇子裸足で大地を踏んだので鬼神の怒りにふれ、
病になった
白山神社愛知県新城市開成皇子後醍醐天皇の第3皇子裸足で大地を踏んだので鬼神の怒りにふれ、
病になった


静岡県磐田市・白山神社の海人皇子と、愛知県新城市・白山神社の開成皇子はどちらも「裸足で大地を踏んだので鬼神の怒りにふれ、病になった」と伝えられている。
愛知県新城市・白山神社の開成皇子は何の病になったのかわからないが、静岡県磐田市・白山神社の海人皇子についてはハンセン病になったとされる。


そして②で述べた五箇山は白山信仰の強い地域で、菅沼集落からほど近い上梨には白山宮がある。

白山宮 五箇山 
五箇山 上梨 白山宮

③ハンセン病にかかった伝説のある皇子のことを、開成・海上・戒成と呼んでいる?

3人の父親は異なるが、ハンセン病にかかった伝説のある皇子のことを、開成・海上・戒成と呼んでいるように思われる。

また、奈良豆比古神社地元の語り部さんによれば、・良豆比古神社・翁舞の翁は志貴皇子だというが
志貴皇子の子にも海上王または海上女王がいる。

静岡県磐田市白山神社海上皇子(戒成皇子)桓武天皇の第四皇子裸足で大地を踏んだので病になった。
愛知県新城市白山神社開成皇子後醍醐天皇の第3皇子裸足で大地を踏んだのでハンセン病になった。
北摂神峯山寺
本山寺
安岡寺 
勝尾寺
など
開成皇子光仁天皇の皇子

桓武天皇の異母兄
海上王(本朝皇胤紹運録)
または海上女王(続日本紀)
志貴皇子の子志貴皇子または志貴皇子の子の春日王がハンセン病になった。
(奈良豆比古神社伝説)

光仁天皇は志貴皇子の子で、桓武天皇は光仁天皇の子である。

従って、志貴皇子~光仁天皇~桓武天皇と三代にわたり、海上または戒成または開成という名の子があったということになる。

奈良豆比古神社 翁舞 白式尉

奈良豆比古神社 翁舞

④実際にハンセン病にかかったわけではない、と思う。

日本書紀にトガノの鹿という話が記されている。

雄鹿が「全身に霜が降る夢を見た」というと、雌鹿は「霜だと思ったのは塩で、あなたは殺されて全身に塩を振られているのです。」と答えた。
翌朝、雌鹿の占いのとおり雄島は漁師に撃たれて死んだ。(トガノの鹿)

鹿の夏毛には白い斑点がある。
その白い斑点が霜や塩に喩えられたのだろう。

謀反の罪で殺された人には塩が振られることがあり、鹿とは謀反人の比喩だとする説がある。

そしてハンセン病患者の症状はさまざまだが、白い斑点ができるものがある。

つまり、次のような発想で謀反人と鹿やハンセン病患者は結び付けられたのではないかと思う。
謀反人→死体に塩を振る→鹿の白斑を思わせる→ハンセン病患者を思わせる。

開成皇子や海上皇子は謀反人であったため、ハンセン病になったなどという伝説が生じたのではないだろうか。

大仏殿 鹿

東大寺大仏殿 鹿

⑤ジンベエザメと海上皇子

また日本書紀は次のような話もある。


612年、百済から渡来したものの中に体に白斑を持つ者がおり、海中の島に置き去りにしようとした。
白斑の男はこう言って抵抗した。
「白斑が悪いというのなら、私と同じように白斑のある牛馬は飼えないではないか。
私は築山を作るのが得意で、この国のお役にたつことができます。私を海中の島に捨てるのは日本のためになりません。」
そこでこの男に須弥山の形と呉風の橋を御所の庭に築かせた。

この話から、海上皇子という名前の由来を推理することができる。

海上皇子はハンセン病を患って白斑を持っていたと考えられ(実際にハンセン病であったのではなく死体に塩が振られていたのをハンセン病に喩えた)海中の島に捨てられたと考えられたため、海上皇子と命名されたのではないだろうか。

海遊館 ジンベエザメ2

白斑を持つ大きな魚にジンベエザメがおり、別名をエビスザメという。
エビスザメと呼ばれるのは、ジンベエザメが現れるとき、カツオやイワシが大漁になるからだ。
ジンベエザメもイワシ・カツオもプランクトンを主食にしているため、上記のような現象がおきる。

エビスザメのエビスは蛭子神または事代主とされ、海の神・大漁をもたらす神である。

また水死体のこともエビスといい、水死体があがると大漁になるなどといわれる。

蛭子神は3歳になっても歩けない身体障害児だったため、両親のイザナギ・イザナミは彼を葦舟に乗せて流した。
蛭子神は竜宮に流れ着き海神に育てられたと言われるが、竜宮とは死の世界のことだろう。

また事代主は天照大神が派遣したタケミカヅチにか「国を譲れ」と迫られ、海を青柴垣に変え、船を踏み傾けて姿を消したとされる。(入水したのだろう。)

えびす神も事代主も水死しているのである。そのため水死体をえびすというのだろう。
えびすザメとも呼ばれるジンベエザメは、死んだ蛭子神または事代主神の化身であると考えられたのではないだろうか。
また海上皇子
は蛭子神や事代主と同一神であり、ジンベエザメは海上皇子の化身でもあると考えられたのだと思う。

勝尾寺は鰹(カツオ)寺であり、開成皇子=海上皇子=ジンベエザメが大量のカツオをひきつれてやってくるところから命名されたのかもしれない。

⑥白い山から黒い山へ、そして黒い山から白い山へ。

我々は、どうやら勝尾寺には白山信仰があったらしいことを考察した。
それではなぜ白山信仰はハンセン病と結びつけられたのだろうか。

それは白山の冠雪と関係があるのではないかと私は思う。

五箇山の菅沼集落からさらに登っていくと相倉集落にでる。
この相倉集落の高台から白山連峰がみえる。

下の写真は3月ごろに撮影した相倉集落である。

五箇村 相倉

青い山に白い雪をかぶった白山は鹿やジンベエザメの斑点を連想させる姿をしていないだろうか。

④に書いた「トガノの鹿」では、雄鹿は全身に霜が振る夢を見たのだったが、摂津国風土記にも似たような話があり、こちらのほうは雄鹿は全身に雪が降ってススキが生える夢を見たとある。
ススキは矢、雪は塩で、雄鹿は矢で射られて殺され、塩づけにされることを暗示する夢であると、雌鹿に占われている。

雪も霜と同様、謀反人を塩づけにするための塩をあらわしているのだ。

白山は地上に現れた巨大なジンベエザメである、そしてそれは海上皇子の化身である。
そんな風に人々は考えたのではないだろうか。


↓ こちらはやはり相倉集落を5月ごろに撮影したものである。
雪深い土地で5月でも雪が残っているが、遠くに見える白山の雪は、3月の写真に比べるとかなり溶けている。

五箇山 相倉

夏になると白山の雪はほとんどとけて青い山になるのだろう。

青は黒といってもいいと思う。
こうして白い山は黒い山へと変わっていく。そしてまた黒い山から白い山へ。

その様子はまさしく、陰(黒)が極まると陽(白)に転じ、陽(白)が極まると陰(黒)に転じるという陰陽の考え方をあらわしているかのようである。


Yin yang

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AYin_yang.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Yin_yang.svg よりお借りしました。
作者 Gregory Maxwell [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で



勝尾寺に伝わる白髪が黒髪になった旗本菅沼隠越中守の娘とは、白山そのものなのではないだろうか。


 



陰陽 黒と白⑳最終回 『まとめ と 神の性別を変える呪術』  へつづく~

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陰陽 黒と白① 獏は白黒モノトーン  


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[2019/02/01 10:01] 陰陽 黒と白 | TB(0) | CM(0)