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陰陽 黒と白 ⑯ 古今集真名書の田人は黒、仮名序の山人は白という謎々だった?

陰陽 黒と白⑮ 奈良豆比古神社 翁舞 よりつづく~

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①小野小町は白い神、大友黒主は黒い神

六歌仙(遍照・在原業平・小野小町・文屋康秀・大友黒主・喜撰法師)の小野小町は白い神(陽)、大伴黒主は黒い神(陰)である。

小野小町像 
髄心院 小野小町像

a..小野小町が白い神である理由。
小野小町は在原業平に「九十九髪」と歌を詠まれている。→百引く一は白 ∴九十九髪=白髪
小野小町=小野宮=惟喬親王ではないかと思う。

小野小町は「花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに」と歌を詠んでいるが、
この歌は「花のいろは うつりにけりな いたづらに わが御代に下る ながめ(長雨→長天)せしまに」とよめる。
意味は次のような意味ではないか。

はねずの梅は長雨で色が褪せて栄華の象徴である桜となった。
私が天皇となって長い天下をおさめるときがきた。(「下る長天」で長い天下となる)
昔と今はすっかり変わる。(死んだ私が生き返る?)
そんな眺めを私は見るのである。

参照/小野小町は男だった⑯(最終回) 『わがみよにふるながめせしまに』  

惟喬親王は虚空蔵菩薩より漆の製法を授けられたという伝説があるが、即身仏になるべく入定する際に漆を飲んだ。
惟喬親王は漆を飲んで即身仏となったため、このような伝説ができたのではないか。
また古の人は腐らない体を生きていると考えたのではないか。生は陰陽道では陽(白)である。

祇園祭 黒主山 御神体

祇園祭 黒主山ご神体 大伴黒主像


b...大友黒主が黒い神である理由。名前に黒の文字がある。
大友黒主=大伴家持ではないかと思う。
なぜかというとほとんど同じといってよい歌を詠んでいるからだ。

大伴家持は藤原種継暗殺事件に関与したとして、すでに死んでいたのだが死体が掘り出されて流罪となった。
その体は腐っていたことだろう。
古の人は腐った死体を生きていない(死)と考えたのではないか。
死は陰陽道では陰(黒)である。

参照/陰陽 黒と白⑪大友家持、白い神から黒い神に転じる? 
人物腐ったか(死)、腐らなかったか(生)。陰陽白黒
小野小町(小野宮と呼ばれた惟喬親王と同一人物?)腐らなかった。(生)

惟喬親王は虚空蔵菩薩より漆の製法を授けられたという伝説がある。
惟喬親王は漆を飲んで即身仏となったため、このような伝説ができたのではないか。
また古の人は腐らない体を生きている(と考えたのではないか。
生は陰陽道では陽陽は陰陽道では白
大友黒主(大伴家持と同一人物?)腐った。(死)

藤原種継暗殺事件に関与したとして、すでに死んでいたのだが死体が掘り出されて流罪となった。
その体は腐っていたことだろう。
古の人は腐った死体を生きていない(死)と考えたのではないか
死は陰陽道では陰陰は陰陽道では黒

陰陽の神々の比率は3対1

住吉大社の女神は、神功皇后一柱であり、生霊であると考えられる。
住吉大社の男神は底筒男命・中筒男命・表筒男命の三柱であり、死霊だと考えられる。

一方、奈良豆比古神社の翁舞の白式尉は生霊、黒式尉は死霊と考えられる。

奈良豆比古神社 翁舞 

奈良豆比古神社 翁舞

奈良豆比古神社 翁舞 黒式尉

奈良豆比古神社 翁舞 黒式尉

翁舞のケースでは生霊が三柱、死霊が一柱で、住吉大社とは神の数が逆になっているが、
どうやら陰陽の神々の比率は3対1になっているようである。
すなわち、陰の神が三柱のときは陽の神は一柱、陰の神が一柱のときは陽の神が三柱になっているということである。
生国魂神社住吉大社奈良豆比古神社陰陽

島大神
 第四本宮/神功皇后白式尉(三人翁)
生霊白鳥
島大神 第一本宮/底筒男命
 第二本宮/中筒男命
 第三本宮/表筒男命
黒式尉死霊黒鳥
(八咫烏)

すると、小野小町と大友黒主も、次の表のように整理できるかもしれない。

生国魂神社住吉大社奈良豆比古神社六歌仙陰陽

島大神
 第四本宮/神功皇后白式尉(三人翁)
惟喬親王(小野宮)
小野小町
喜撰法師(紀仙法師)

生霊白鳥
島大神 第一本宮/底筒男命
 第二本宮/中筒男命
 第三本宮/表筒男命
黒式尉大伴家持(大伴黒主)死霊黒鳥
(八咫烏)

③喜撰法師は紀仙法師で惟喬親王だった?

加茂船屋の雛祭 六歌仙屏風 
加茂船屋 六歌仙を描いた屏風
 
向かって右上から、大友黒主・小野小町・喜撰法師、向かって左上から在原業平・遍照・文屋康秀か?

小野小町・大友黒主は在原業平・遍照・文屋康秀・喜撰法師らとともに、六歌仙と呼ばれている。
六歌仙とは歌のうまい6人の歌人と誤解されがちだが、正しくは古今和歌集仮名序の中で名前をあげられた6人の歌人のことである。

その六歌仙の一人である喜撰法師は次のような歌を詠んでいる。

わが庵は 都の辰巳 しかぞ住む 世を宇治山と 人はいふなり
(私の庵は都の辰巳にあってこうやって住んでいる。世を憂しとして山に入った。宇治山であると人は言っているそうだ。)

宇治の喜撰山に喜撰洞があり、喜撰法師像が祀られている。
この喜撰洞は喜撰法師が入定し、即身仏となった場所ではないかと考えた。

そして喜撰法師は紀仙法師で、紀名虎または紀有常だとする説がある。
紀名虎は惟喬親王の母・紀静子の父親(惟喬親王の外祖父)、紀有常は紀静子の兄(惟喬親王の叔父)である。

即身仏となるべく入定する際には漆を飲んだという。
漆を飲むことで、胃の中に残った食物を吐き出し、また漆の防腐効果が死後の肉体を腐りにくくした。
惟喬親王は虚空蔵菩薩から漆の製法を授かったという伝説がある。
惟喬親王は即身仏になったのではないか。それでこのような伝説が生じたのではないか。

すると喜撰法師とは紀名虎または紀有常と考えるよりも、紀氏の血の濃い惟喬親王のことだと考えたほうがしっくりくるのではないかと思う。
参照/陰陽 黒と白 ⑬『惟喬親王、入定して紀仙法師となる?』 

すなわち、惟喬親王と小野小町と喜撰法師は同一人物ではないかという推理である。

惟喬親王像 

惟喬親王像 木地師の里


④喜撰法師=御霊、小野小町=和魂、惟喬親王=荒魂

大友黒主は大伴家持はどちらも男(神)であり、大友黒主というのは大友家持(という神)の別名だと考えられる。
しかし、小野小町、喜撰法師(紀仙法師)は単なる惟喬親王(小野宮)の別名ではない。

小野小町は女(神)、惟喬親王は男(神)、そして喜撰法師は即身仏である。

神は御霊(神のもともとの正体)・和魂(神の和やかな側面)・荒魂(神の荒々しい側面)の3つにわけられると言われる。
そして、女神は和魂、男神は荒魂とする説がある。
すると神のもともとの正体である御霊とは歓喜天のような男女双体だと考えられる。

和魂は小野小町(女神)、荒魂は惟喬親王(男神)、御霊(男女双体)は喜撰法師だろう。

喜撰法師が荒魂で、惟喬親王が御霊ではないかという質問があるかもしれない。

日本では本地垂迹説といって、「日本古来の神々は、仏教の神々が衆上を救うため、仮に姿を現したものである」とする考え方があった。
そして日本の神々のもともとの正体である仏教の神々のことを本地仏、
仏教の神々が衆上を救うため仮にこの世に姿を表した日本の神々のことを権現といった。

神のもともとの正体は、仏教の神なのだ。
喜撰法師は即身仏なので、仏教の神だといえる。神のもともとの正体である御霊とは本地仏と同等のものだと考えられる。
従って、喜撰法師が御霊だと思う。

⑤田夫=黒の謎々

黒という字を分解すると、田+土+、、、、である。
、、、、は種まきのように見えなくもない。
それで能の翁や、奈良豆比古神社の黒式尉は種まきの所作をするのではないだろうか。

そして祇園祭黒主山の黒は下の写真のような字が用いられている。

黒主山 宵山

これを分解すると田+夫「」となるが、古今和歌集真名書(古今和歌集の漢文で書かれた序文)は大友黒主(=大伴家持)にたいして、「田夫の 花の前に息めるがごとし」といっている。

古今和歌集真名書の「田夫」とは謎々で「大伴黒主が黒い神(陰の神)」であると言っているのではないだろうか。

⑥山人と書いて「いきぼとけ」と読む。

古今集にはふたつの序文があり、真名書のほか、仮名で記された仮名序もある。

真名書では「大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり。頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。田夫の 花の前に息めるがごとし。」となっているが、

仮名序では「大友黒主は そのさまいやし。いはば薪負へる山びとの 花のかげに休めるがごとし。」となっている。

私は数回この仮名序の言葉を読み返しているうちに、万葉集にある数首の歌を思い出した。

まず、元正上皇と舎人親王が贈答しあった歌。

あしひきの 山行きしかば 山人の 我に得しめし 山つとぞこれ/元正上皇
(山道を歩いていたところ、たまたま逢った山人が、私にくれた山の土産であるぞ、これは。)

あしひきの 山に行きけむ 山人の 心も知らず 山人や誰/舎人親王
(陛下は山へ行かれて山人に土産をもらったとおっしゃるのですか。「山人」とは誰のことなのでしょうか。山人とは陛下のことではありませんか。)


この歌は志貴皇子の次の歌に対応しているのではないだろうか。

むささびは 木末(こぬれ)求むと あしひきの 山の猟師(さつを)に 逢ひにけるかも/志貴皇子
(むささびは梢へ飛び移ろうとして、山の猟師につかまってしまったよ。)


大伴坂上郎女という人が次のような歌を詠んでいる。

大夫(ますらを)の 高円山に 迫めたれば 里に下り来る 鼯鼠(むささび)ぞこれ/大伴坂上郎女
(勇士たちが高円山で狩りをして、里に下りてきたむささびがこれです。)


大伴坂上郎の歌の中に『 高円山』とでてくるが、高円山には志貴皇子の墓がある。
高円山に住むむささびとは志貴皇子を比喩したものではないだろうか。 

奈良大文字送り火 

高円山


のちに志貴皇子の子の光仁天皇が即位していることからみて、志貴皇子には正当な皇位継承権があったのではないかとする説がある。
奈良豆比古神社の語り部・松岡嘉平さんも次のような語りを伝承しているそうである。

志貴皇子は限りなく天皇に近い方だった。
それで神に祈るときにも左大臣・右大臣がつきそった。
赤い衣装は天皇の印である。

志貴皇子の死亡年は万葉集言葉書では715年になっているが(日本続紀では716年)この年、元正天皇は即位している。
志貴皇子に皇位継承権があったとすれば、志貴皇子の死は元正天皇にとってあまりにタイミングが良すぎる。

元正上皇がいう『山人』とは『むささび」と同様、志貴皇子を比喩していったもので、『山人がくれたみやげ』とは『志貴皇子の死=元正天皇(女帝)の即位』を意味しているのではないだろうか。

山人とは『山に住む人』『仙人』という意味だが、『いきぼとけ』とよんで『心や容姿の美しい女性』のことをさす言葉でもあった。

それで舎人親王は、山人=仙人=志貴皇子のことなどしりません。山人とは美しい女性という意味で、元正上皇のことではありませんか、ととぼけてみせたのだろう。

次の部分に注意してほしい。
山人とは『山に住む人』『仙人』という意味だが、『いきぼとけ』とよんで・・・・

さきほども述べたように志貴皇子の死亡年は万葉集言葉書では715年になっているが、日本続紀では716年となっている。
なぜ志貴皇子の死亡年が1年ちがっているのだろうか?

笠金村が志貴皇子の挽歌を詠んでいる。
高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
(高円山の野辺の秋萩は、むなしく咲いて散るのだろうか。見る人もなく。)

志貴皇子の邸宅跡と伝わる白毫寺に萩が植えられているのは、この挽歌にちなむものだと考えられる。

百毫寺 萩2

白毫寺

萩は別名を鹿鳴草というが、日本書紀にトガノの鹿という物語がある。
雄鹿が雌鹿に「全身に霜が振る夢を見た」というと、雌鹿は「霜だと思ったのは塩で、あなたは殺されて塩が振られているのです」と答えた。
そして雌鹿の夢占いのとおり、雄鹿は漁師に射られて死んでしまった。

かつて謀反の罪で殺された人には塩を振ることがあったという。
志貴皇子は暗殺され、その死体にはたっぷり塩が振られたため1年近く腐らなかったのではないだろうか?

ここで古今和歌集仮名序の文言を思い出してほしい。
それは「大友黒主は そのさまいやし。いはば薪負へる山びとの 花のかげに休めるがごとし。」だった。
「山びと」とは「山人」であり、「仙人」「いきぼとけ」という意味ではないだろうか。
「いきぼとけ」とは「生きている仏」である。

陰陽道で生死をいうと、生が陽で、死が陰である。
そして陰陽をあらわす太極図では、陽は白、陰は黒であらわされる。


Yin yang

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AYin_yang.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Yin_yang.svg よりお借りしました。
作者 Gregory Maxwell [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


古今集真名書は田夫で黒、古今集仮名序は山人(いきぼとけ)で白と対比させてあったのである。

真名書田夫の花の前に息めるがごとし田夫田+夫=黒
仮名書いはば薪負へる山びとの花のかげに休めるがごとし山人いきぼとけ=生仏(生は陰陽では陽、陽は太極図では白)=白

イタリアの聖人の不朽体

http://karapaia.com/archives/52195951.html
上記にはイタリアの聖人の不朽体について述べられている。

防腐処理やミイラ化したものは不朽体とは認められないそうだが、ろうや銀で覆う、あるいは石炭酸に浸すなどは認められているようである。




エジプトでは死体をミイラにした。
日本では即身仏という習慣があった。
腐らない死体は世界中で神聖視されていたようである。

上記サイトには
「フランチェスカ・ロマーナは1440年に没して数ヶ月腐敗しなかったことから、不朽体と見なされた。それから2世紀後に墓を暴くと、骨以外は残されていなかった。研究を行ったピサ大学の病理学者チームによれば、墓を暴いたことにより遺体を保存していた微気候が崩れ、腐敗が進んだ可能性があるという。」
と記されている。

大伴家持も墓を暴かれたことによって、腐敗がすすんだのかもしれない。

「大友黒主は そのさまいやし。いはば薪負へる山びとの 花のかげに休めるがごとし。」とは
「大友黒主はその様子が卑しい。薪を負ういきぼとけが、花のかげで休んでいるうちに腐ってしまった」という意味だろうか。

祇園祭 山鉾巡幸 黒主山 
祇園祭 黒主山


陰陽 黒と白 ⑰ 白髪が黒髪になった娘 へつづく~

トップページはこちらです→陰陽 黒と白① 獏は白黒モノトーン  


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