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陰陽 黒と白⑪大友家持、白い神から黒い神に転じる? 



陰陽 黒と白⑩ 大友黒主の正体は大伴家持だった? よりつづきます~。


祇園祭 黒主山 御神体

祇園祭 黒主山 ご神体(大友黒主)


①大友黒主の正体は大伴家持だった?

前回の記事、陰陽 黒と白⑩ 大友黒主の正体は大伴家持だった? で、大友黒主とは大伴家持のことではないかと書いた。

その理由を簡単にまとめておこう。

a.古今和歌集真名書に『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』とあるが、百人一首で猿丸太夫は5番で、その次の6番は大伴家持である。(百人一首のそれぞれの歌には1~100までの番号がふられている。)

b.大友黒主と大伴家持はよく似た歌を詠んでいる。

白浪のよするいそまをこぐ舟のかぢとりあへぬ恋もするかな/大友黒主
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないように、自分を抑えることのできない恋をすることだよ。)

白浪の寄する磯廻を榜ぐ船の楫とる間なく思ほえし君/大伴家持
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないようにあなたのことを思っています。)


c.大伴家持は藤原種継暗殺事件に連座したとして、死後、墓から死体が掘り出されて子孫とともに流罪となっている。
大伴家持の死体は腐敗し、蛆がたかったような状態であったのではないだろうか。

真名序に『(大友黒主は)頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。』とあるが、逸興とは「死体が掘り出されたこと」、『鄙し』は『死体が腐って卑しい」という意味ではないか。

d.http://www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/itai.htm
上記サイトによれば、死体は次のように変化するという。

腹部が淡青藍色に変色(青鬼)
   ↓
腐敗ガスによって膨らみ巨人化。暗赤褐色に変色。(赤鬼)
   ↓
.乾燥。黒色に変色。腐敗汁をだして融解。(黒鬼)
   ↓
骨が露出

鬼という漢字は死者の魂をあらわすものだとされる。
大伴黒主という名前は、家持の死体が黒鬼のような状態になっていたところからつけられたのではないか。

e.小野小町と大伴黒主が宮中で歌合をすることになった。
歌合せの前日、大伴黒主は小町の邸に忍び込み、小町が和歌を詠じているのを盗み聞きした。

蒔かなくに 何を種とて 浮き草の 波のうねうね 生ひ茂るらん
(種を蒔いたわけでもないのに何を種にして浮草が波のようにうねうねと生い茂るのでしょうか。)

当日、紀貫之・河内躬恒・壬生忠岑らが列席して歌合が始まった。
小町の歌は天皇から絶賛されるが、黒主が小町の歌は『万葉集』にある古歌である、と訴えて、万葉集の草紙を見せた。
ところが小町が草紙に水をかけると、その歌は水に流れて消えてしまった。
黒主は昨日盗み聞いた小町の歌を万葉集の草紙に書き込んでいたのだった。
策略がばれた黒主は自害を謀るが、小町がそれをとりなして和解を祝う舞を舞う。(草紙洗い)


大伴家持は優れた歌人であり、万葉集を編纂した人物でもあった。
そして謡曲・草紙洗に登場する家持以外の歌人、小野小町・紀貫之・河内躬恒・壬生忠岑らは古今和歌集の歌人である。
『草紙洗い』において、大友黒主=大伴家持は万葉集の中に小町の歌を書き入れているが、
『書き入れる』というのは『編纂する』という意味で、誰にでもできることではない。
万葉集を編纂した大伴家持(大友黒主)だからこそ小町の歌を万葉集に書き入れることができたというのが『草紙洗い』のテーマではないか。
小野小町は「私は『古今和歌集』の時代の歌人なので、私の歌を『万葉集』に書き入れることはできませんよ」と大伴家持を諭したということ話なのではないか。

f.今上天皇に仕える臣下が桜を見ようと江州志賀の山桜を見ようと山道を急いでいたところ、薪に花を添え花の陰に休む老人と男に出会った。
この老人が大友黒主で、和歌の徳を語って消え去るが、臣下の夢の中に現れて舞を舞う。(志賀) 


黒主は和歌の徳を説いているが、これなども万葉集を編纂した大伴家持にふさわしい行為だといえるのではないか。

一言主神社 一陽来復祭

一言主神社 一陽来復祭に登場した赤鬼・青鬼・黒鬼

②かささぎの 渡せる橋に 置く霜の

猿丸太夫(5番)の次に大伴家持(6番)の歌をもってきた藤原定家は、古今集真名書の『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』の意味をわかっていたのだろう。

その藤原定家は百人一首に大伴家持の次の歌を採用している。

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける/大伴家持
(年に一度、天の川に鵲が橋をかけ、その橋を渡って牽牛と織姫が逢瀬を楽しむという。その橋のようにみえる宮中の階段に白い霜がおりているところを見ると、もうすっかり夜がふけてしまった。)


「宮中の階段に霜がおりているのを天の川にかかる橋に見立てた」ととるのは、
『大和物語』百二十五段の壬生忠岑の歌で御殿の御階(みはし)()を「かささぎのわたせるはし」によって喩えていることによるもので、賀茂真淵が唱えた。

「霜の白き」は天上に輝く星が白いのを霜に喩えたとする説もある。

観音山公園 牽牛 七夕飾り

中山観音寺跡 牽牛と七夕飾

③男女双体は荒魂を御霊に転じさせる呪術

まずポイントとして押さえておきたいのは、この歌が天の川伝説、すなわち牽牛と織姫が年に一度の逢瀬を楽しむとされる七夕に関する歌だということである。

牽牛と織姫が逢瀬を楽しむというのは、男女が和合するということだ。

仏教の神・歓喜天は男女が和合したおすがたをしておられ、次のような伝説がある。

鬼王ビナヤキャは祟りをもたらす神であった。
そこへ十一面観音の化身であるビナヤキャ女神があらわれ、鬼王ビナヤキャに「仏法守護を誓うならあなたのものになろう」と言った。
鬼王ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神を抱いた。




動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

↑ 相手の足を踏みつけている方がビナヤキャ女神である。

この物語は、御霊・荒魂・和魂という概念をうまく表していると思う。

神はその現れ方で、御霊(神の本質)・荒魂(神の荒々しい側面)・和魂(神の和やかな側面)の3つに分けられるといわれる。
そして荒魂は男神を、和魂は女神を表すとする説があるのだ。
すると神の本質である御霊とは男女双体と言うことになると思う。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・女神

男女和合は荒魂を御霊に転じさせる呪術だったのではないだろうか。

そして鬼王ビナヤキャを牽牛、ビナヤキャ女神を織姫に置き換えてもいいだろう。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・牽牛・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・織姫・・・女神


つまり、牽牛と織姫の逢瀬は、荒魂を御霊に転じさせる呪術であったのではないか、ということである。

④白黒コントラストの鳥・鵲

次に注意したいのは、鵲という鳥についてである。



動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

上の動画を見ればわかるとおり、鵲はくっきりした白黒のコントラストを持つ鳥であり、太極図を思わせる。

File:Yin and Yang.svg

太極図

ウィキペディア(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yin_and_Yang.svg?uselang=ja) よりお借りしました。
ありがとうございます。

太極図とは「陰が極まれば陽となり、陽が極まれば陰となる」という道鏡の考え方をあらわすもので
白は陽、黒は陰とされる。

男は陽、女は陰とされるので、男が白=荒魂で、女が黒=和魂だろう。
そう考えると、太極図は歓喜天を図案化したものだと言っていいかもしれない。

さきほど、男神は荒魂で女神は和魂とする説があるといったが、荒霊を白、和魂を黒であらわすこともあったのではないだろうか。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・牽牛・・・男神・・・・陽?・・・白?
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・織姫・・・女神・・・・陰?・・・黒?


機物神社 七夕飾り

機物神社 七夕祭

⑤霜は死体に振られた塩をあらわす?

さらに「置く霜の」という語にも注意したい。
日本書紀に「トガノの鹿」という物語がある。

仁徳天皇が皇后と涼をとっているとトガノの方から鹿の鳴き声が聞こえてきた。
天皇はその鹿の鳴き声をしみじみと聞いていたが、あるとき急に鳴き声がしなくなった。
翌日、佐伯部が天皇に鹿を献上したが、その鹿は天皇が夜な夜な鳴き声を聴くのを楽しみにしていた鹿だった。
気分を悪くした天皇は佐伯部を安芸の渟田に左遷した。

雄鹿が雌鹿に全身に霜が降る夢を見た、と言った。
雌鹿は夢占いをして、
『それはあなたが殺されることを意味しています。霜が降っていると思ったのは、あなたが殺されて塩が降られているのです。』
と答えた。
翌朝、雄鹿は雌鹿の占どおり、猟師に殺された。

鹿の夏毛には白い斑点がある。この斑点を霜や塩に喩えたのだろう。

そして、謀反の罪で死んだ人には塩が振られることがあり、鹿は謀反人を比喩したものではないかとする説がある。
藤原種次暗殺事件の首謀者として死体が掘り出され、流罪となった大伴家持はまさしく謀反人である。

大仏殿 鹿

東大寺大仏殿 鹿

⑤白い神だったはずなのに黒い神になってしまった大伴家持

家持の歌を私流に現代語訳してみよう。

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける/大伴家持

まるで太極図のように見える鵲。
また鵲は白い神(荒霊)と黒い神(和霊)が和合しているかのようにも見える。
その鵲が天の川に橋をかけ、年に一度牽牛と織姫が逢瀬を楽しむ。

鬼王ビナヤキャは祟るのをやめて仏法守護を誓いビナヤキャ女神を抱いた。
歓喜天は鬼王ビナヤキャとビナヤキャ女神の男女双体の神で、歓喜天は鬼王ビナヤキャがビナヤキャ女神の性的魅力によって骨抜きにされ、祟る力を失ってしまったの図なのだ。
この歓喜天と同じく、牽牛は織姫の性的魅力によって骨抜きにされ、祟る力を失ってしまう。
それが七夕なのだ。
(牽牛は牛をひく童子である。牛=丑、また童子は八卦で艮/丑寅の符である。丑寅は方角では鬼がやってくる方角、鬼門である。よって牽牛は祟りをもたらす鬼と考えられる。)

その天の川に鵲がかける橋のように見える宮中の階段に霜が白く輝いている。

霜は日本書紀のトガノの鹿を思わせる。
鹿は全身に霜が振る夢を見るが、霜だと思ったのは実は塩で、鹿は殺されて塩漬けにされているのだった。
謀反の罪で殺された人は塩を振られることがあった。
鹿は謀反人の喩えである。
藤原種継暗殺事件の首謀者だと疑われている私(大伴家持)もまた謀反人である。

宮中に降りた霜がこんなにも白く見えているということは、私はすでに死んで夜の世界にいるということなのだろう。
そして私は鵲に似た太極図があらわすように、陽が極まって陰となり、白い神(荒魂)から黒い神(和魂)へと変わっていくのだ。


わずか31文字の中に、太極図、天の川伝説、トガノの鹿の伝説なども想像させ、実に味わい深い歌である。

白峯神宮 小町踊2

白峯神宮 小町踊(七夕に小町踊を踊る風習があった。)

⑥著作権がなかった古の和歌


秋の田の  仮庵の庵の 苫をあら み わが衣手は 露にぬれつつ
(秋の田の小屋のとまがたいそう粗いので、私の着物は露でびっしょり濡れてしまいました。)


天智天皇が詠んだこの歌はもともとは万葉集の詠み人知らずの歌であるが、天智天皇が詠むにふさわしい歌だということで
天智天皇御作とされている。

同様に、「かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける」も、家持が詠んだ歌ではないが家持が詠むにふさわしい歌ということで家持が詠んだ歌とされたのかもしれない。

この歌が家持自身が詠んだものでまちがいなければ、家持の発する言葉にはとんでもない言霊があって、言葉が実現してしまったということになるかもしれない。

穂谷 稲穂

枚方市穂谷

⑦大友黒主はなぜ黒い神なのか?

⑤に記した現代語訳で、「白い神」とは大伴家持、「黒い神」とは大伴黒主のことである。

大伴家持はすでに死んで埋葬されていたにもかかわらず、藤原種継暗殺事件の首謀者とされ、死体が掘り出され、その死体は流罪となった。

http://www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/itai.htm
上記サイトによれば、死体は次のように変化するという。

腹部が淡青藍色に変色(青鬼)
   ↓
腐敗ガスによって膨らみ巨人化。暗赤褐色に変色。(赤鬼)
   ↓
.乾燥。黒色に変色。腐敗汁をだして融解。(黒鬼)
   ↓
骨が露出

掘り出された家持の死体は黒鬼となっていたため、家持は大友黒主とよばれたのではないかと私は推理しているのだ。

しかし、つじつまの合わない点がある。
性別天体光度天気生死
女(和魂?)
男(荒魂?)太陽

大伴家持は男なので陽、白い神といってもいいが、同一人物だと考えられる大友黒主は、黒い神である。
黒は陰をあらわし、性別では女性を表す。

これはいったいどういうわけだろうか?

法輪寺 針供養

虚空蔵法輪寺 針供養 織姫

陰陽 黒と白⑫ 小野小町は白い神 へつづく~
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[2018/09/26 20:18] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白⑩ 大友黒主の正体は大伴家持だった? 

祇園祭 山鉾巡幸 黒主山2


祇園祭 黒主山

陰陽 黒と白⑨ 白鳥は生霊、黒鳥(八咫烏)は死霊?  よりつづきます~

①草紙洗い

7月17日、祇園祭山鉾巡行。(写真は過去のもので、現在、黒主山は 7月24日の後祭で巡行)
祇園囃子の音色とともに山鉾が、大路をがゆっくりと進んでいく。
豪華な装飾品で飾り立てられた山鉾のようすから、山鉾巡幸は『動く美術館』とも称される。
そんな山鉾の中に、桜を見上げるひとりの老人をご神体とする山がある。
黒主山である。

祇園祭 黒主山 御神体

黒主山 御神体

謡曲に志賀という演目がある。黒主山はその謡曲・志賀をモチーフとした山である。

今上天皇に仕える臣下が桜を見ようと江州志賀の山桜を見ようと山道を急いでいたところ、薪に花を添え花の陰に休む老人と男に出会った。
この老人が大友黒主で、和歌の徳を語って消え去るが、臣下の夢の中に現れて舞を舞う。(志賀)


桜を見上げる老人は六歌仙の一人、大伴黒主だったのである。

大友黒主が登場する謡曲には『志賀』の他にも『草紙洗い』という演目がある。

小野小町と大伴黒主が宮中で歌合をすることになった。
歌合せの前日、大伴黒主は小町の邸に忍び込み、小町が和歌を詠じているのを盗み聞きした。

蒔かなくに 何を種とて 浮き草の 波のうねうね 生ひ茂るらん
(種を蒔いたわけでもないのに何を種にして浮草が波のようにうねうねと生い茂るのでしょうか。)

当日、紀貫之・河内躬恒・壬生忠岑らが列席して歌合が始まった。
小町の歌は天皇から絶賛されるが、黒主が小町の歌は『万葉集』にある古歌である、と訴えて、万葉集の草紙を見せた。
ところが小町が草紙に水をかけると、その歌は水に流れて消えてしまった。
黒主は昨日盗み聞いた小町の歌を万葉集の草紙に書き込んでいたのだった。
策略がばれた黒主は自害を謀るが、小町がそれをとりなして和解を祝う舞を舞う。(草紙洗い)


志賀では和歌の徳を説く神として登場し、草紙洗いでは小野小町の邸に忍び込む卑怯な男として登場する大伴黒主。
いったい、彼はどのような人物だったのか。

祇園祭 山鉾巡幸 黒主山

祇園祭 黒主山


②大友黒主は古の猿丸大夫の次なり

大伴黒主は遍照・在原業平・文屋康秀・喜撰法師・小野小町らとともに六歌仙の一である。
六歌仙とは「古今和歌集仮名書」において、名前をあげられた6人の歌人のことをいう。
古今和歌集仮名書とは仮名で記された古今和歌集の序文で、紀貫之が記したと考えられている。
ただし、仮名序やには六歌仙という言葉は使われていない。
後の世になって真名序及び 仮名序に名前をあげられた六人の歌人のことを六歌仙というようになったと考えられている。

古今集仮名書は大友黒主について次のように記している。

大友黒主は そのさまいやし
いはば薪負へる山びとの 花のかげに休めるがごとし

(大友黒主はその様子が賎しい。
薪を背負う山人が花の影に休んでいるかのようだ。)


『滋賀』では大友黒主は花(桜)の影に休む老人として登場するが、それはこの古今和歌集仮名書の文章を受けたものだと考えられる。

大友黒主は大伴黒主とも記され、小説家の井沢元彦氏は政治的に不幸だった大伴一族の霊のことではないかと言っておられる。

大伴家持は藤原種継暗殺事件の首謀者とされ、すでに死亡していたのだが、死体が掘り返されて流罪となった。
子の永主や大伴継人も隠岐へ流罪となった。
その後、応天門の変によって伴善男らが失脚するなどして、大伴氏は歴史の表舞台から姿をけした。
(※淳和天皇の名前が大伴親王だったので、これに憚って大伴氏は伴と氏を改めていた。)

古今集には仮名書のほかにもうひとつの序文「真名序」とよばれる漢文で記された序文がある。
仮名序は紀貫之が、真名序は紀淑望(きのよしもち)が書いたとされている。
仮名序と真名序の内容はほとんど同じだが、微妙に表現が違っている箇所もある。

たとえば、仮名書では

大友黒主は そのさまいやし。いはば薪負へる山びとの 花のかげに休めるがごとし。
となっているが、真名序は次のようになっている
大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり。頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。田夫の 花の前に息めるがごとし。(読み下し文)

真名序に『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』 とある。
これはどういう意味だろうか。

仮名序を書いた紀貫之は古今伝授の創始者であるという。
古今伝授とは紀貫之より代々伝えられた和歌の極意のことで、伝授する人物は和歌の第一人者に限られ、伝授の方法は主に口頭で行われた。
和歌の極意を文章に記さず口頭で伝えるのは、情報が漏洩しないようにするためだろう。

鎌倉時代には藤原定家が、父親であり師匠であった藤原俊家から古今伝授を受けている。
百人一首のそれぞれの歌には1から100までの番号が振られている。
もしかしたら定家は『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』という仮名序の文章を受けて、百人一首において大友黒主の正体を明らかにしているのではないか、と思ったのだ。
つまり、猿丸大夫の次の歌人が、大友黒主ではないかと。

八坂神社 かるた始め 

八坂神社 かるた始め

私は百人一首を調べてみた。
百人一首では猿丸大夫は5番だった。
その次・・・6番は大伴家持だった!

また大友黒主と大伴家持はよく似た、というよりもほとんど同じ歌を詠んでいるのだ。

白浪のよするいそまをこぐ舟のかぢとりあへぬ恋もするかな/大友黒主
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないように、自分を抑えることのできない恋をすることだよ。)

白浪の寄する磯廻を榜ぐ船の楫とる間なく思ほえし君/大伴家持
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないようにあなたのことを思っています。)


古歌の語句・発想・趣向などを取り入れて新しく作歌する手法のことを『本歌取り』という。
本歌取りで大切なのは、古い歌をベースにしながら、あくまでもオリジナリティのある歌を詠むことである。
大伴黒主の歌は大伴家持の歌とほとんど同じ意味なので、本歌取りではない。

ほとんど同じと思われるふたつの歌の、一方は大伴黒主、一方は大伴家持の歌であるという。
このことからも、ふたりは同一人物ではないかと思われる。

大伴氏は武力で天皇家に仕える家柄だった。
仮名序にある『薪負へる山びと』とは、矢を負う姿を喩えたものではないだろうか。

また大伴家持は藤原種継暗殺事件に連座したとして、死後、墓から死体が掘り出されて子孫とともに流罪となっている。
大伴家持の死体は腐敗し、蛆がたかったような状態であったのではないだろうか。
仮名序の 『大友黒主は そのさまいやし』というのは墓から掘り出された死体の様子を言っているのではないだろうか。

真名序に『頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。』とあるが、逸興とは死体が掘り出されたことを言っているのだろう。
『鄙し』の『鄙』は①田舎 ② いなかっぽい。ひなびている。つまらなく卑しい、などの意味がある。
『体甚だ鄙し』とは掘り出された死体がひなびている(田舎っぽい)、または卑しいということか。 

 一言主神社 一陽来復祭

一言主神社 一陽来復祭の鬼の舞

③青鬼・赤鬼・黒鬼


死体が掘り返された大伴家持の遺体はどのような状態だったのだろうか。

http://www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/itai.htm
上記サイトによれば、死体は次のように変化するという。

a.腹部が淡青藍色に変色(青鬼)
   ↓
b.腐敗ガスによって膨らみ巨人化。暗赤褐色に変色。(赤鬼)
   ↓
c.乾燥。黒色に変色。腐敗汁をだして融解。(黒鬼)
   ↓
d.骨が露出


そしてこの死体の変化が青鬼・赤鬼・黒鬼の正体ではないかというのだ。

鬼という漢字は死者の魂をあらわすものだとされるので、この説はなるほどもっともだと思わせる。

一言主神社 一陽来復祭

一言主神社 一陽来復祭に登場した鬼たち

大伴黒主という名前は、家持の死体がcの段階まで進み、黒鬼のような状態になっていたところからつけられたのではないだろうか。

●万葉集を編纂した大伴家持 

大伴家持は優れた歌人であり、万葉集を編纂した人物でもあった。
そして草紙洗に登場する家持以外の歌人、小野小町・紀貫之・河内躬恒・壬生忠岑らは古今和歌集の歌人である。

『草紙洗い』において、大友黒主=大伴家持は万葉集の中に小町の歌を書き入れているが、
『書き入れる』というのは『編纂する』という意味で、誰にでもできることではない。
万葉集を編纂した大伴家持(大友黒主)だからこそ小町の歌を万葉集に書き入れることができたというのが『草紙洗い』のテーマなのだと私は思う。

そして小野小町は「私は『古今和歌集』の時代の歌人なので、私の歌を『万葉集』に書き入れることはできませんよ」と大伴家持を諭したということだろう。

つまり、大伴家持はタイムスリップして後世に現れたという設定なのである。

また『志賀』において、黒主は和歌の徳を説いているが、これなども万葉集を編纂した大伴家持にふさわしい行為だといえるのではないだろうか。

祇園祭 黒主山 提灯

祇園祭 黒主山

 
陰陽 黒と白⑪大友家持、白い神から黒い神に転じる? へつづく~
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[2018/09/21 19:04] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白⑨ 白鳥は生霊、黒鳥(八咫烏)は死霊? 




陰陽 黒と白⑧ 八咫烏が三本脚なのは三人のタラシの象徴だから? よりつづく~


住𠮷祭 神輿3

住吉大社

①住吉明神はみたらし星の神?

住吉大社の境内には同じ大きさ、同じ作りの社が四つあり、そのいずれもが本宮とされている。
奥から、

第一本宮・・・底筒男命 (そこつつのをのみこと)を祀る
第二本宮・・・中筒男命 (なかつつのをのみこと)を祀る
第三本宮・・・表筒男命 (うわつつのをのみこと)を祀る
第四本宮・・・息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)を祀る

第一本宮・第二本宮・第三本宮は北から南に一直線に並んでいるが、第四本宮は第三本宮の東にある。
http://www.sumiyoshitaisha.net/cmn/pdf/map.pdf

その社の配置がみたらし星の配置に似ており、住吉明神はみたらし星の神ではないかとする説がある。 
みたらし星とはオリオン座の三ツ星の和名である。
 住吉大社
 
②底筒男命・中筒男命 ・表筒男命=景行天皇・成務天皇・仲哀天皇?

住吉大社の第四本宮は14代仲哀天皇の皇后・神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)をお祀りしている。

第一本宮、第二本宮、第三本宮に祀られている底筒男命・中筒男命 ・表筒男命とは、
12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代成務天皇(わかたらひこのみこと)
14代仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)のことなのではないかと私は考えた。

どの天皇がどの神に対応するのかはわからないが。

景行天皇・成務天皇・仲哀天皇・神功皇后は和風諡号に「たらし」とあるところから、「タラシ王朝」とよばれることもある。
住吉明神とはタラシ王朝の天皇と皇后を祀っているのではないかという推理だ。

住吉大社 第四本宮14代仲哀天皇の皇后/神功皇后=息長姫命 (おきながたらしひめのみこと)
住吉大社 第一本宮
     第二本宮
     第三本宮

底筒男命 12代景行天皇=大彦忍代別天皇・(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)?
中筒男命  13代成務天皇=稚彦尊(わかたらひこのみこと)?
表筒男命 14代仲哀天皇=仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)?
※ただし、どの天皇がどの神に対応するのかわからない。

①で、住吉明神とはみたらし星の神とする説があることを書いた。
つまり、住吉明神=みたらし星=タラシ王朝の天皇と皇后
ということになる。

住𠮷祭 神輿2

住吉祭

③下鴨神社の御手洗祭は三足祭?

みたらし星から連想するのは、京都・下鴨神社で土用の丑の行事として行われている御手洗(みたらし)祭である。

下鴨神社の御手洗祭では神前にみたらし団子と素麺をお供えする。

下鴨神社 みたらし祭-お供え

このみたらし団子はみたらし星(オリオン座の三ツ星/実際には小さい星があって四個の星で構成されている。)を模したものだと思う。
「みたらし星は四個の星から構成される、だけど、みたらし団子は5個櫛に刺さっているじゃないか」といわれるかもしれない。
しかし、よくみるとみたらし団子は4個の団子がくっついており、1個は隙間があいている。
1個だけ離れている団子が何を意味しているのかわからないが、くっついた4個の団子はみたらし星のを構成する星の数と同じである。

みたらし団子がみたらし星を模したものだと考える理由は他にもある。
それは御手洗祭が土用の丑の行事だからである。

陰陽五行説では世の中全てのものは、木火土金水の5つの組み合わせで成り立つと考える。
季節では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水と考えられた。
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割り振られた。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのである。

そして土用の丑とは、冬の水性で夏の火性を緩和する行事だと考えられる。
本来鰻の旬は冬である。
その鰻を夏の土用の丑の日に食べるのは、冬の水性(鰻)で夏の火性を緩和するという意味があるのではないだろうか。

さきほども述べたように、みたらし星とはオリオン座の三つ星(実際には四つ星)のことであるが、オリオン座は冬の星座である。
すなわち、神前に冬(水性)の星・みたらし星をお供えすることで、夏の火性を緩和するのが御手洗祭の意味ではないかと思うのだ。

また御手洗祭では露店でみたらし団子も売られていたので、鰻のようにみたらし団子を食して、夏の火性を緩和するという習慣もあったのではないだろうか。
もちろん神前にお供えしたみたらし団子は撤饌として、ありがたく食べるのだろう。

下鴨神社 みたらし祭3

下鴨神社の御手洗祭は、御手洗というが、手ではなく足を水につけて身を浄める。
足と書いて『たらし』とよむ。
御手洗祭と書くが、本当は三足祭なのではないだろうか。

三足祭だとするのが正しいとすると、御手洗祭とは、みたらし星の神である住吉明神のうち、三柱の男神、底筒男命・中筒男命・表筒男命=三人のタラシの祭なのではないか。

三人のタラシとはもちろんタラシ王朝の天皇、すなわち
12代景行天皇=大彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代成務天皇=稚彦尊(わかたらひこのみこと)?
14代仲哀天皇=仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
のことである。


下鴨神社 みたらし祭 足形


④三本脚の八咫烏は三人のタラシを表している?

御手洗祭が行われる下鴨神社の御祭神は賀茂健角身命で、八咫烏は賀茂健角身命の神使とされる。
賀茂健角身命=八咫烏と考えても差し支えないだろう。
八咫烏とは三本足のカラスである。

上賀茂神社 八咫烏

この賀茂健角身命=八咫烏を祀る下鴨神社で御手洗祭(三足祭?)を行っているのはなぜか?
賀茂健角身命=八咫烏とは三人のタラシ、12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・13代成務天皇(わかたらひこのみこと)・14代仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)が合体した神なのではないだろうか?
それで、八咫烏は三本足だとされているのではないだろうか?

下鴨神社 みたらし祭


⑤三人のタラシは死霊だった。


④までは前回の記事のまとめである。陰陽 黒と白⑧ 八咫烏が三本脚なのは三人のタラシの象徴だから? 
これをふまえて次に進もう。

熊野三山では、カラスはミサキ神とされているそうである。
ミサキ神とは死霊が鎮められたもののことであるが、ミサキ神は死霊であるといってもいいだろう。
なぜなら鎮められてミサキ神となる前は死霊だったからである。

八咫烏は熊野大神(スサノオ)に仕える存在とされる。

スサノオは根の国(死の国)王である。
そのスサノオに仕える八咫烏もまた死霊だと考えらえるだろう。

陰陽道では万物は陰陽両面を持つと考える。
生死を陰陽で表すと、生が陽、死が陰である。
性別天体光度天気生死
太陽

また陽は白、陰は黒で表される。

Yin yang

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AYin_yang.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Yin_yang.svg よりお借りしました。
作者 Gregory Maxwell [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

そういうわけで、黒いカラスは死霊、または死霊が鎮められたミサキ神であると考えられたのだと思う。

八咫烏=12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・13代成務天皇(わかたらひこのみこと)・14代仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)とすれば、
12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・13代成務天皇(わかたらひこのみこと)・14代仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)は死霊または死霊が鎮められたミサキ神だということになる。

下鴨神社 みたらし祭4

⑥足島大神は死霊、生島大神は生霊?


次に、生國魂神社について述べた二つの記事を思い出してほしい。

陰陽 黒と白⑥ 足島大神はタラシ王朝の神=物部王朝の神? 
陰陽 黒と白⑦ 足島大神はタラシ王朝の王で、生島大神はオキナガタラシヒメ(神功皇后)? 


生國魂神社の主祭神は生島(いくしま)大神・足島(たるしま)大神である。

足島大神とは、神名に「足」とあるので、

12代景行天皇・・・大彦忍代別天皇(オオタラヒコオシロワケノスメラミコト)
13代成務天皇・・・稚彦尊(ワカタラヒコノミコト)
14代仲哀天皇・・・仲彦天皇(タラナカツヒコノスメラミコト)

のことではないか。

また、14代仲哀天皇の皇后である神功皇后は、和風諡号を息長帯比売命(オキナガタラシヒメ)と言うが、この中にある「息」という漢字の読みは「生(いき)」と同音である。

息長帯比売命は生長帯比売命であり、生島大神なのではないかと考えた。

つまり、生國魂神社の神と住吉大社の神は同一神ではないかということである。

さらに、住吉大社の底筒男命・中筒男命・表筒男命 が景行・成務・仲哀の三人のタラシのことで、足島大神(足はタラシと読む)のことであり、八咫烏(黒鳥=死霊)のことであるとすれば、
白鳥とは、陽の鳥、生をあらわす鳥で息長帯比売命(息は生と同音)=神功皇后のことではないか。

島大神住吉大社 第四本宮神功皇后(仲哀天皇皇后)・・・長帯比売命/気長姫尊(おきながたらしひめのみこと)?
               と同音
生霊白鳥
島大神住吉大社 第一本宮/底筒男命
     第二本宮/中筒男命
     第三本宮/表筒男命
12代景行天皇・・・・・・・・・大彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)?
13代成務天皇・・・・・・・・・稚彦尊(わかたらひこのみこと)?
14代仲哀天皇・・・・・・・・・仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)?
死霊黒鳥
(八咫烏)

生玉夏祭 鳳輦

生國魂神社 生玉夏祭り

⑦生霊は生きていると信仰された神?

https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46316_25542.html
上は青空文庫の「折口信夫 盆踊りの話」である。

ここに次のように記されている。
「しかし、古代の日本には死霊・生魂の区別がなく、生き御霊の祭(生きた魂を扱う)と死にみたまの祭(死霊を扱う)の二つを行っていた。」
「民衆はお盆には鯖や塩鯖をもって親や親方のところへ行った。 この行事を生き盆・生きみたまと言う。」

折口信夫さんのいう『生魂』とは、今実際に生きている人の魂のことで、それを親や親方に差し上げることを「生き盆」「生きみたま」であるとを言っているようである。

しかし生島大神は大昔から祀られている神であるので、現在生きている人の魂のようには思われない。
生島大神は「生きている」と信仰された神である可能性はあるだろう。

生島大神は、「生きていると信仰されている神」であるが、しだい「に生きている霊」と混同され、その結果、お盆に生きている親や親方のところへ行く行事(生き盆・生きみたま)が生じたと考えるとつじつまがあうように思えるがどうだろう?

生玉夏祭 獅子神楽

生國魂神社 生玉夏祭り

⑧生島大神は女神?

コトバンクは次のように生魂(いくむすび)の説明をしている。

生産日,生産霊とも書く。物を活発に産み出す霊力のこと。また,人間の生命を活発に栄えさせる霊力のこと。
https://kotobank.jp/word/%E7%94%9F%E9%AD%82-1145420 より引用

子供を産んで、生命を栄えさせるのは女性である。よって、生島大神は女神で、神功皇后=長帯比売命(息は生にかかる)と考えるのはつじつまがあっているようにも思える。

生玉夏祭 太鼓2

⑨白杖代は生島大神の御杖代?

 実は生玉夏祭りで、生島大神を表しているのではないかと思われるものを見つけていた。

生玉夏祭 白杖代 
白杖代である。

神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者のことを御杖代(みつえしろ)という。白杖代も御杖代のひとつだと考えられるが、
陰陽道では生=陽=白、死=陰=黒なので
生國魂神社の御祭神・生島大神(神功皇后?白鳥?生霊)・足島大神(タラシ王朝の天皇?黒鳥?死霊?)のうち、白杖代は生島大神の御杖代だと考えられる。

⑩猿田彦は黒杖代?

それでは死霊と考えられる足島大神の御杖代もあるのか。
見落としている可能性もあるが、黒杖代は見かけなかった。

しかし、猿田彦が黒杖代だといえるかもしれない。

生玉夏祭 猿田彦


なぜなら、猿田彦と八咫烏はよく似ているからである。

猿田彦・・・天孫ニニギを高天原から葦原中國まで道案内した。
八咫烏・・・神武天皇を熊野から大和まで道案内した。

ニニギは神武天皇の曽祖父で、神武もニニギも天孫(ニニギは天照大神から3代目、神武は天照大神から6代目)という共通点がある。
ニニギ&猿田彦の話は、神武天皇&八咫烏の物語を神代に置き換えて創作したもののように思われるのだ。

もちろん、猿田彦は露払い役としてどこの神社の祭でも、行列を先導することが多い。

しかし、八咫烏=三人のタラシの象徴と考えたとき、ここ生國魂神社や住吉大社の行列を先導する猿田彦は、特別な意味を持っていそうにも思える。

住吉祭 猿田彦

住吉祭の行列を先導する猿田彦

⑪白杖代が少年なのは応神天皇をあらわしている?

私は白杖代とは生島大神=神功皇后の御杖代だと思うが、白杖代は少年である。
神功皇后は女性なのに、なぜ白杖代は少年なのだろうか。

神功皇后は仲哀天皇崩御後、三韓出兵した。
そして帰国後九州の宇美で応神天皇を御産みになられた。
その後、応神天皇は九州から畿内入りするのだが、そのルートが神武東征ルートと重なるので初代神武と15代応神は同一人物ではないかとする説がある。

応神天皇は仲哀天皇の子ではなく、武内宿祢の子ではないかともいわれている。
「武内宿祢」の「武」は「神武天皇」の「武」と同じで、武内宿祢と神武は同一人物であるようにも思われる。

また武内宿祢が応神天皇を角鹿につれていき、イザサワケ大神と応神天皇の名前を交換したという話もある。
この話は政権交代を比喩したもののように思える。

磐船神社 天の磐船

初代神武以前、ニギハヤヒが天下ったとされる大坂交野市の磐船神社

⑫王家の女性と結婚した者が王となる。


神武天皇以前に物部氏の祖神・ニギハヤヒが天下っていたという話もあり、神武天皇以前物部王朝があったとする説もある。

おそらく畿内には神武天皇以前に物部王朝があったのだろう。それが邪馬台国であり、大和朝廷の前身だと思う。
タラシ王朝は物部王朝だと思う。
神功皇后は物部王朝の女性であり、あとから畿内にやってきた天皇家の男性と結婚して子供を産んだのだろう。
そして、その天皇家の男の血をひく子供が、大和朝廷の王となったのではないか。
つまり、大和朝廷は物部王朝から天皇家の王朝になったのではないかということである。
これは政権交代である。日本は万世一系といわれるが、それは間違いだと思う。

神功皇后は天照大神のイメージとも重なる。
天照大神が女性であることについて、古代の日本は女性上位であったからだなどという意見も聞くが、そうではないだろう。
物部氏の祖神のニギハヤヒは別名を天照国照彦火明櫛玉饒速日命といい、この神が本当の天照大神だとする説がある。
物部王朝が大和朝廷であり、天照大神が物部王朝の神であり、天照大神の子孫が皇位につくべき、という掟があったとしたら
あとからやってきた天皇家の人物はどうすれば物部氏から政権を奪えるか。

天照大神を女神にして、自分が天照大神と結婚すれば、自分の血をひく子孫が皇位につくことができる。
古代エジプトでは王家の女性と結婚した者が王となることがあったと聞くが、同じようなことが日本でもあったのではないだろうか。

こうして物部氏より政権を奪った天皇家は、自分たちが物部氏の失敗をおかさないように、ずっと男系で皇位継承している。
女性天皇もいたが、もと天皇の皇后がほとんどで、我が子に皇位を継承させるための中継ぎとしての即位だった。

独身で即位した女性天皇(元正・孝謙・明正・後桜町)が結婚が許されず生涯独身だったのも、ほかの氏族に皇位を奪われないようにするための対策であったと思う。

神功皇后が産んだ応神天皇とは、父方は天皇家、母方は物部王朝の血をひく人物をモデルに創作されたものではないだろうか。


神功皇后は物部王朝から天皇家に政権をつないだ女性ということで生島大神とされ、白杖代が少年なのは神功皇后が産んだ応神天皇をあらわしているのかもしれない。


崇神天皇陵 夕日 『卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命、男弟は大物主、狗奴国の男王は崇神天皇?』 

大鳥大社 神紋

大鳥大社のお賽銭箱の鳳の紋。


⑬ヤマトタケルは男性なのになぜ白鳥なのか?

そう考えても、まだ疑問が残る。

ヤマトタケルが白鳥となって飛び立ったという伝説だ。
陰陽 黒と白③ 大鳥大社 白鳥になって飛び立ったヤマトタケル  

生霊=生きていると信仰された神=女神と考えたが、ヤマトタケルは男である。

コトバンクは次のように生魂(いくむすび)の説明をしているのだった。

生産日,生産霊とも書く。物を活発に産み出す霊力のこと。また,人間の生命を活発に栄えさせる霊力のこと。

https://kotobank.jp/word/%E7%94%9F%E9%AD%82-1145420 より引用

女神は子供を産んで、いのちを活発に栄えさせる力がある。
ヤマトタケルは男なので子供は産めない。それなのに、なぜ彼は白鳥=生霊として信仰されたのか。

それとも、白鳥=生霊と結論づけるにいたった、積み重ねてきた思考のどこかに間違いがあったのか?


大鳥大社 花菖蒲

ヤマトタケルを祀る大鳥大社

陰陽 黒と白⑩ 大友黒主の正体は大伴家持だった? へつづく~
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陰陽 黒と白① 獏は白黒モノトーン  


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[2018/09/12 20:42] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白⑧ 八咫烏が三本脚なのは三人のタラシの象徴だから? 

陰陽 黒と白⑦ 足島大神はタラシ王朝の王で、生島大神はオキナガタラシヒメ(神功皇后)? よりつづく~
 
下鴨神社 みたらし祭

①「土用の丑」とは何か?

陰陽五行説では世の中全てのものは、木火土金水の5つの組み合わせで成り立つと考える。
季節では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水と考えられていた。
季節は4つなので、木火土金水のうち土が余る。。
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割り振られた。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのである。

陰陽五行説には『相生説』と『相克説』がある。

『相生説』とは、五行が対立することなく、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を生じていくという説である。

『木生火』・・・・・・木は摩擦により火気を生ずる。
『火生土』・・・・・・火は燃焼して灰(土)を生ずる。
『土生金』・・・・・・土は金属を埋蔵している。
『金生水』・・・・・・金属は表面に水気を生ずる。
『水生木』・・・・・・水は植物(木)を育てる。

『相剋説』は五行同士が相互に反発し、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を剋していくとする説をいう。

『木剋土』・・・・・・木は土中の栄養を奪う。
『土剋水』・・・・・・土は水の流れをせきとめる。
『水剋火』・・・・・・水は火を消す。
『火剋金』・・・・・・金属は火に溶ける。
『金剋木』・・・・・・金(斧など)は木を切り倒す。

『土用の丑』の習慣については、諸説あるが『水剋火』、すなわち夏の火性を冬の水性で緩和しようとするのが『土用の丑』の習慣だと考えてまず間違いないと思う。
 
下鴨神社 みたらし祭

②冬の食べ物を食べることは、夏の火性を冬の水性で緩和すること?

『土用の丑』には鰻を食べる習慣がある。

ところが、丑年生まれと寅年生まれは鰻を食べてはいけないなどと言われる。
その理由は丑寅年生まれの守り本尊は虚空蔵菩薩で、その虚空蔵菩薩の神使が鰻だからというのだ。
えーーーっ、ちょっとまってくださいよ!私だって鰻食べたいよ!(寅年生まれ)

本題にもどる。

夏の『土用の丑』に鰻を食べる習慣があるが、本来、鰻の旬は冬である。
そのため経営不振に陥った鰻屋に、平賀源内が『本日、土用の丑』と書いた紙を店先に貼るようにアドバイスしたというエピソードは有名だ。
その結果、鰻は飛ぶように売れたという。

冬の食べ物である鰻を夏に食べるということは、夏の火性を冬の水性で緩和することだといえる。
平賀源内のキャッチコピーは当時の人々に陰陽五行説の『水剋火(水=冬は火=夏を消す)』を思い起こさせる効果があったということだと思う。 

下鴨神社 みたらし祭-お供え

③ 御手洗祭はみたらし星の祭?

土用の丑の行事として、下鴨神社の『御手洗祭』がある。

土用の丑のころ、下鴨神社を参拝してみると、神前には『素麺』とともに『みたらし団子』が供えられていた。
また境内の出店でも『みたらし団子』が売られていた。
どうやらこの『みたらし団子』と『御手洗(みたらし)祭』には関係があるらしい。

下鴨神社のみたらし団子について、次のようないわれがある。 

後醍醐天皇が、下鴨神社の境内の御手洗池で水をすくうと、泡が1つ浮き上がった。
その後、しばらくして4つの泡が浮き上がってきた。
みたらし団子はこの水玉を模したもので、 一番上の団子は人間の頭を、他の四つは体を現しているといわれる。


しかし、私は上記のみたらし団子のいわれよりも、オリオン座の三ツ星がかつての日本では『みたらし星』と呼ばれていたことが気になる。

オリオン座の三つ星は三つ星の傍に小さい星があって、本当は三つ星ではなく四つ星である。
みたらし団子の伝説の、あとで浮き上がってきた四つの泡はみたらし星をあらわしているのではないだろうか。

そしてこれが肝心なのだが、オリオン座は冬の星座で、陰陽五行説では水性になる。
冬の星座であるオリオン座の三つ星を模したみたらし団子を食べることで、夏の火性を緩和しようとするのが『みたらし祭』の意味なのではないだろうか。

素麺は天の川ではないだろうか。天の川というと夏のイメージがあるが、冬にも天の川はみることができる。

下鴨神社 みたらし祭 足形 

④住吉明神はみたらし星の神?

大阪の住吉大社は現在では海の神として信仰されているがもともとは『みたらし星』の神だったのではないかとする説がある。

みたらし星(オリオン座の三ツ星)は、真東からのぼって真西に沈むので航海の指標とされていた。
海の神とはみたらし星の二次的な神格なのではないかと思う。

住𠮷祭 神輿3

住吉大社

住吉大社の境内には同じ大きさ、同じ作りの社が四つあり、そのいずれもが本宮とされている。
奥から、

底筒男命 (そこつつのをのみこと)を祀る第一本宮、
中筒男命 (なかつつのをのみこと)を祀る第二本宮、
表筒男命 (うわつつのをのみこと)を祀る第三本宮、
第三本宮の東が神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)を祀る第四本宮

となっている。

その社の配置がみたらし星の配置に似ているというのだ。 
 住吉大社
 
⑮みたらし祭は三足祭?

住吉大社の第四本宮は14代仲哀天皇の皇后・神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)をお祀りしている。
もしかして、第一本宮、第二本宮、第三本宮に祀られている底筒男命・中筒男命 ・表筒男命とは、12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)、13代成務天皇(わかたらひこのみこと)、仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)のことなのではないだろうか?(どの天皇がどの神に対応するのかはわからないが)

景行天皇・成務天皇・仲哀天皇は和風諡号に「たらし」とあるところから、「タラシ王朝」などともよばれる。


そういえば御手洗祭は、御手洗というが、水に足をつけて身を浄めるではないか。
足を水につけるのは、足と書いて『たらし』とよみ、『みたらし星』と音が通じるからではないだろうか。。
御手洗祭と書くが、本当は御足祭または三足祭なのではないだろうか。

実際、下鴨神社の御手洗祭では手ではなく足を御手洗池につけることで禊をするのだ。

また、京都の御室戸寺はもとは御室戸寺と称していたのを、光仁、花山、白河三帝の離宮になったために【御】の字を【三】に替えたと伝わる。

御手洗祭が三足祭だったのではないかと考えるのは、そのためである。

⑦底筒男命・中筒男命 ・表筒男命は禊の神


私は底筒男命・中筒男命 ・表筒男命はみたらし星の神で、タラシ王朝の神だと思うが
底筒男命・中筒男命 ・表筒男命とは黄泉の国から戻ったイザナギが禊をしたときに生まれた神である。
底筒男命・中筒男命 ・表筒男命は禊の神でもあるのだ。

そして下鴨神社のみたらし祭は、参拝者が境内の御手洗池に足をつけて禊をするという行事である。

下鴨神社で禊の行事「みたらし祭」が行われているのは、下鴨神社の神が底筒男命・中筒男命 ・表筒男命、もしくはタラシ王朝の天皇と関係がある神だからということはないだろうか。

下鴨神社 みたらし祭3

⑧三本脚の八咫烏はタラシ王朝の三人の天皇をあらわしている?

下鴨神社の御祭神・賀茂健角身命の神使は三本脚の八咫烏だとされる。
八咫烏は日向からやってきた神武天皇を熊野から大和に道案内した烏である。

神武の先祖に天照大神の孫・ニニギがいる。
ニニギは天照大神に命じられて葦原中国に天下ったが、このとき猿田彦という神に道案内されている。

ニニギ(天照大神の孫)・・・・・猿田彦に道案内される
神武(天照大神の5代目の孫)・・・八咫烏に道案内される。

ふたつの話はとてもよく似ている。ニニギの話は神武の話を神代に置き換えて創作されたものではないかと思ったりもする。

ニニギを道案内した猿田彦は「高天原から葦原中国までを照らす神」と記されている。
これにぴったりな神名を持つ神がいる。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)である。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊というのは先代旧事本紀による記述で、記紀では単にニギハヤヒとなっている。
ニギハヤヒは物部氏の祖神で、神武が東征して畿内入りするより早く、畿内に天下っていたとされる。
そのため、神武以前、畿内には物部王朝があったとする説があって、私はこれを支持している。

そして、猿田彦は「高天原から葦原中国までを照らす神」と記述があるが
高天原とは天、芦原中国とは国なので、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と同一神ではないかと思う。

そしてすでにのべたように、どちらも天孫を道案内しているので、猿田彦と八咫烏は同一神であるように思える。

ということは、八咫烏は物部氏の神だということになる。

八咫烏を神使とする賀茂健角身命を祀る下鴨神社は賀茂氏の神社だが、賀茂氏と物部氏は関係があるのではないだろうか。

八咫烏が三本脚なのは、三人のタラシ王朝の天皇、12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)、13代成務天皇(わかたらひこのみこと)、仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)の象徴だからだったりして?

つまり、賀茂健角身命=景行・成務・仲哀=八咫烏=底筒男命・中筒男命 ・表筒男命 (禊の神)、ということで、
下鴨神社で御手洗祭を行っているのは、賀茂健角身命=景行・成務・仲哀=八咫烏=底筒男命・中筒男命 ・表筒男命の慰霊という目的があるのかもしれない。

下鴨神社 みたらし祭4 
 
陰陽 黒と白⑨ 白鳥は生霊、黒鳥(八咫烏)は死霊? へつづく~
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[2018/09/05 13:34] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)